韓信立て札を見る
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にわかに世間が騒がしくなってきた。
陳勝呉広の反乱をきっかけに各地で雨の後のたけのこのように反乱がぼこぼこ勃発しているからだ。
みんな、昨日はどこぞの誰それが反乱軍に加わっただの、どこの街が墜ちただの、某誰が将軍になった、王になった、と噂し合っている。
中でもやはり陳勝呉広の話は多かった。
一人の農民が王になった、という話はインパクトがある。
おそらく神話の時代以外では史上初ではないか?
それほどまでに身分の差というのは確実に存在していたのだ。これまでは。
だが農民である陳勝が王になった。
その事実に若くて腕に覚えのある男ならひょっとすると俺も…と思うのは無理のないことだ。
王まではさすがに出来過ぎでも、将軍ぐらいなら、と勝手に期待してしまう、そんな雰囲気にあふれていた。
陳勝が王位に就く事は張耳と陳余に「道理が立たない」と反対されていたが、反乱でのし上がってやろうという気概がある者にとっては良かったかもしれない。
韓信がいるここ淮陰でもそんな話で持ちきりだ。
そしてついにと言うべきか淮陰にも反乱軍募集の話が回ってきた。
今、淮陰の街のあちこちに立て札がたっている。
内容はこうだ。
「暴虐非道たる秦を誅する義のある若者を募集する。
会稽郡 楚国項将軍家筆頭 項梁」
淮陰にはまだ秦の役人が残っていたはずだが、こんな札が堂々と立てられてしかもそれを阻止できない状況ではもはや秦の統治能力は皆無に等しい。
今まで散々に痛めつけてきた自覚があるのか、役人達はみな大人しくしている。
どうやら様子見に徹しているようだ。
韓信は逃げられるならば早く逃げたほうがいいのに、と役人達の事を思った。
時間が経てば経つほど対応が難しくなるだろう。
反乱軍の中には秦の人間もそれなりの数混ざっていると聞く。
住民のほとんどが反秦になってしまったら自分達の命が危ない。
だったら役人自ら叛旗を翻すか、逃げてしまうかの選択しかなさそうだ。
会稽の郡主は反乱の旗頭になろうとしてなれなかった例だ。
それにしても、と韓信は思う。
(項家か…。)
項家の事はもちろん韓信も知っている。
というより楚において項燕の名前は伝説になっている。
始皇帝の秦軍を一度は破った男。
楚国の滅亡に命をかけて抗い、国に殉じた将軍。
だから陳勝と呉広は項燕の名前を使ったのだ。
「たとえ生き残りが三戸になろうとも秦を滅ぼすのは楚」
楚人であるならば誰もが本気でそう信じていた。
そしてその機会が巡ってきたのだ。
しかも会稽では項家が立ったと立て札に書いてある。
楚人にとって項燕の名前は誇りであり、ヒーローそのものである。
いち早く会稽の項梁の元に集わねばならない。
韓信は冷静に「時が来た」と悟った。
長い間くすぶっていた自分にやっと巡ってきたチャンスだ。
韓信は何度生まれてきた時代を間違えた、と思っただろうか。
50年前、いやせめて20年早く生まれていれば…と。
秦が統一するのが決定していたとしても、その戦いで死んだとしても、今の韓信よりは遥かにマシだという気持ちがあった。
ここまでの韓信の人生は、生きながら死んでいるも同然だった。
つまり何もしてきていないのだ。
男として生まれたからには何かしらの生きてきた証が欲しい。
「韓信」という人間がこの時代に生きてきた痕跡、韓信はその証を戦争において活躍する、という設定に拘っていたからだ。
だが自分の能力を試すにも戦がなければどうしようもなかった、これまでは。
その機会が今韓信の目の前にぶら下がっている。
立て札を見て韓信は即座に参加する事を決めた。
おそらく友人の鐘離眜も反乱軍に参加するだろう。
会稽までは距離があるが友人と一緒に向かうならば退屈しない。
鐘離眜の意見も聞きたくはあった。
ひょっとして会稽の項梁に合流するのではなく、ここ淮陰で独自に反乱を起こすという事も考えられなくはない。
が、韓信には独自に反乱を起こす、という選択肢はなかった。
何せここ淮陰では韓信の味方の方が少ない。
韓信が反乱軍を募集しても誰も言う事は聞かないだろう。
それも今までの自分の行動のせいなのだからしょうがないことではあるが。
まずはさておき鐘離眜と会うことだ、とそれだけを決めて立て札を後にするのだった。
もし鐘離眜が立つのだったら友人として全力でサポートしようと思いながら。
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韓信が淮水の土手で日課(笑)の昼寝をしてると夕方になって鐘離眜がやってきた。
今日も酒を持ってきてくれたらしい。
酒は韓信もありがたがったが、今日は何よりも反乱について相談したかった。
鐘離眜もそのために来てくれたのだろう。
が、はやる気持ちを抑え、まずは一献。
いつものように世間話が一段落した時、鐘離眜が聞いてきた。
「韓信は街の立て札を見たか?」と。
韓信は「もちろん」と答え、そのことで話がある、と切り出した。
「俺は反乱軍に参加しようと思う。
眜はどうする?」
「やはりそうか。俺も参加するつもりだ。」
とこちらも即答だった。
「淮陰では独自の勢力は起きないか?もしくは眜が起こすのもありだが。」
「俺は人の上に立つ器ではない。一兵卒で十分だよ。」
韓信の見立てでは鐘離眜が一兵卒の方がもったいないのだが、この場でそれを言うのは止めておこうと思った。
これまで散々言ってきた事だ。
鐘離眜は剣を振るい、槍をしごき、戦場を駆け巡りたい派なのだ。
韓信は自分が立てた作戦と自分の指揮で戦を思うがままに動かしてみたいという欲求が強い。
逆に一兵卒はごめんだ、と考えていた。
それでも最初のうちは一兵卒でもしょうがないのだが。
何せ身分も伝手もない。そこは自分の能力でのし上がらなければならない。
韓信にはその自信はあった。
鐘離眜の話を聞くと淮陰で旗頭になる者はいない、という事だった。
秦から遣わされた役人達もじきに退去する事になるだろうという話だった。
となると項梁軍に合流で決まりそうだ。
韓信と鐘離眜は酒を飲みながら詳細を詰めていくのであった。
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