陳勝と呉広
主人公の出待ちが(笑)
紀元前210年7月に秦の始皇帝が崩御、9月には二世皇帝として胡亥が即位した。
ここで陳勝と呉広について話さねばならない。
陳勝と呉広。
この二人の行動は秦や韓信、項羽や劉邦達全員に大きく関わってくるからだ。
もともと陳勝は日雇い農夫であった。
自分の土地を持っておらず、借りる事すらもできず、一日、一日働いて賃金を貰うという生活をしていた。
ある日のこと畑を耕す手を止めて日雇い仲間にこう言った。
「もし金持ちになってもお互い忘れないようにしような」
仲間は鼻で笑って返した。
「俺たちは雇われて耕している日雇いだ。何で金持ちになれるんだ?」
陳勝はがっかりしながら
「ああ、燕や雀のような奴等には白鳥や鳳凰の志はわかるはずもない」
と言ったという。
自分は大した人物に違いない。現状の方が間違っている。
本気でそう思っていたのだろう。
この時代の人達は基本的にホラ吹きが多いように思う。
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二世皇帝の統治となった年、陳勝の住んでいる付近の囚人や貧乏人達が強制的に徴集され、漁陽(現在の北京辺り)の守備につくことになった。
九百名もの貧乏人達が千キロの道のりを旅するのである。
陳勝は少隊の頭に選ばれた。
とそこには同じく別の隊の頭に選ばれた呉広がいた。
始めのうちは順調な旅だったが、しばらく進んだ大沢郷(宿州市、徐州より南に五十キロほどの所)で大雨により道が崩れ、足止めを喰らってしまう。
日数と旅程を計算してみると、とても期日に間に合わない。
秦の法律は非常に非情で天候のせいだろうが何だろうが厳格に適用される。
すなわち、間に合わなければ死刑だ。
焦る陳勝は呉広に相談した。
「このまま漁陽にたどり着いても期日違反で死刑だ。
逃げても死刑、逆らっても死刑だ。
もはや進退窮まった。
どうせ死ぬなら蜂起して、秦に一泡吹かせてやらないか」
「言いたい事はよくわかるが、どうやる?」
「天下は長いこと秦に苦しめられてきた。
聞いた噂だが、二世(胡亥)は皇帝になれるはずではなかったと。
長子(長男)で出来がいい扶蘇がなるはずだったのだ。
だが扶蘇は何度も始皇帝を諌めたので、煙たがられ辺境に送られ胡亥に殺されたらしい。
世の人々は扶蘇の優秀さは知っているが、死んだ事はまだ知らない。
それと楚の項燕将軍は名門で名将だと評判が高かった。
楚が滅んだ今でも項燕将軍を慕う者は多いし、実は死なずに逃亡して隠れていると言う人も多い。
俺達が扶蘇と項燕将軍を名乗り、反乱を起こせば世間は味方してくれるのではないか?」
「……なるほど。
……わかった、やるか!
ではまず吉凶を占ってもらおう。」
二人は占い師の所へ行き占ってもらった。
占い師は二人の計画に気付き、こう話した。
「占った結果、お二方の事は全て上手く行くでしょう。
しかしながらこの企みは鬼神に託さねばなりません」
二人はこれを聞いて喜んだが、鬼神についてどうすればよいかがわからなかった。
あれこれ考えた結果、人々を鬼神の名前を借りて恐れさせればよいと思い、陳勝と呉広は一芝居打つことにした。
まず絹の布に赤い字で
「陳勝王(陳勝が王になる)」
と書いたものを網に掛かった魚の腹に入れておいた。
やがて引率の役人が魚を買って食べたところ、絹布が出てきて気味が悪くなり噂が広まった。
また、呉広に宿営地の近く森の祠に潜ませておき、夜になってから狐の声を真似て
「大楚興(楚が復活し)陳勝王(陳勝が王になる)」
と叫ばせた。
声を聞いた者は驚いて怖がり、朝になると陳勝をみんな指差した。
すっかり陳勝の噂で持ち切りになった頃、いよいよ決行に移った。
役人達が酒に酔った頃合を見計らい、呉広が役人の前で
「俺は逃げるぞ!!俺は逃げるぞ!!」
と何べんも言ったところ役人が怒り、呉広を鞭打った。
しかし役人の仕打ちに見ていた人夫達はみな憤った。
呉広は、酒に酔って鞭を打つ役人の隙をついて腰に差していた剣を奪うとすぐさま役人を斬り殺した。
陳勝もとっさに出てきて残りの役人を始末する。
勝負は一瞬のうちに終わり、現場を見ていた者は驚きながらもすっきりとした気持ちになるのだった。
引率の役人を全て片付けた後、陳勝は九百人の人夫を集めて怒鳴った。
「おまえら聞け!!
俺達は大雨に降られ、もうすでに到着期日に間に合わなくなった!!
期日への遅れは問答無用で死刑だ!!
もし、死刑にならなくても辺境の守備で十人のうち六~七人は死ぬ。
守備で死ななくても帰り道で死ぬかもしれない。
なぁ、どうせ死ぬなら大きく名前を残して死ぬべきじゃないか?
王や貴族、将軍になるのに血筋なんかは関係ない!
俺達が取って代わってやろう!!」
九百人の人夫は大興奮し上半身裸になって
「大楚(楚国)!!大楚!!大楚!!」
と大声で合唱し始めた。
陳勝と呉広は計画通り扶蘇と項燕を名乗り、大沢郷の街を攻め一瞬のうちに降伏させた。
そこで武器と兵糧を手にした陳勝軍は、勢いに乗り、周りの県や街を攻めるのだった。
反乱軍はすぐにとんでもない規模に膨れ上がってゆく。
始皇帝が死んでちょうど一年後のことであった。
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