幕間二 劉邦隠れる
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劉邦は人に好かれるその人柄から、ゴロツキだった時から手下というか配下や弟分は多かった。
例えば劉邦と同年同生年月日で産まれた時からの弟分、盧綰。
肉の屠殺をやっている樊噲。
御者の夏侯嬰。
機織業と葬儀屋の周勃。
そして劉邦と同村出身だが劉邦と違い優秀で、この時は沛県の役人をしていた後の漢の三傑の一人となる蕭何。
同じく沛県の役人で蕭何の同僚の曹参。
特に蕭何は何かと世話を焼き、支え、自分の持っている役人としての権限や人脈を駆使して劉邦を支えた。
運悪く劉邦がお尋ね者になった時は追っ手から逃がすために情報を流したり、匿う場所を提供したり、資金も世話したという。
劉邦自身には能力らしい能力もなく何故こんなに人気があるのか??
容姿が特に優れているわけでもない。血筋がいいわけでも財力があるわけでもない。
言動や行動などはお世辞でも褒められたものではない。
とても不思議である。
後に劉邦は戦場にその身を置くことになるのだが、連戦連敗の戦下手。
こんな男が皇帝になっていくのだから人生というのは分からないものだ。
さて蕭何は劉邦の人に好かれるその魅力を気に入り、亭長の仕事を斡旋した。
亭長とは交番のお巡りさんみたいなものだ。
ただ、せっかく蕭何のコネで亭長になったものの劉邦がまじめに仕事をするはずもなく、相変わらず遊び歩いている毎日は変わらなかったが。
そんなある日、亭長としてとてもやっかいな仕事が劉邦に回ってきた。
それは始皇帝陵(お墓、兵馬俑はその一部)の工事の人夫数百人を遥か咸陽まで送り届けるというものである。
秦の法律はかなり厳しく、期日までに人夫を届けられなかったら死刑、また人夫の数が違っても死刑という既に詰んでいる状況だった。
当然劉邦もはなっからやる気もなく、何とか頭数を揃えて出発をしたものの初日だけで数十人の脱走者を出してしまう。
その時脱走者が出たと報告を受けた劉邦は大して慌てもせず
「そうか、まぁしょうがない。逃げたやつの気持ちはよく分かる。
俺も百姓だしな。てか俺が逃げたい。」
と笑っていた。
そしてそのまま数日間進んではみたものの日に日に脱走者が増えていく始末。
ついに当初の半分ほどになった日に劉邦は決断した。
旅費として預かっていた経費を全部酒と食料に換え、人夫と劉邦について来た舎弟達に宴会と称してふるまった。
一月以上かかる予定の長旅だったからまさか酒にありつけるなんて、と人夫達はとても喜んだ。
ひとしきり酒と料理を堪能し、宴もたけなわになった時に
「みんな、聞いてくれ。」
とおもむろに劉邦は立ち上がった。
「みんなも知っての通り、俺達は今皇帝の墓作りの人夫として咸陽に向かっている。
ここからはまだ一月以上もかかる道のりだろう。
しかし今の時点で人数は既に半分になっちまった。」
見渡すと皆静かに聞いているが中には下を向いている者たちがいる。
脱走者をよく知るものたちだろう。
それともひょっとしてこれから逃げようと考えていたか??
劉邦は続ける。
「俺は逃げていったやつらを責めるつもりはない。
俺だって村に残してきた女房や子供、親が心配だ。
畑も俺達がいなくて秋の収穫はどうなる??(ちなみに劉邦は畑仕事など全く手伝っていないが)
それに工事はとても過酷だと聞く。
終わるまで無事でいられるかわからない。
俺達が帰ってこれるのはいつになる?
終わるのはいつになるか?
しかも終わった後に生き埋めにされるんじゃないかって噂もある。
(事実、盗掘から防ぐ仕掛けをしたため工事に携わった者達は生き埋めにされた。
仕掛けのからくりを知る者は生かしてはおけないというわけだ。)
秦の法は厳しい。
このまま進んでいって納期に間に合ったとしても人夫の数が全然足りない。
だから俺は死刑になるだろうな。」
しーんと皆瞬き一つしない。
「俺はまだ死にたくない。
こんなところで死んでたまるか!!
だから決めた!
俺は逃げる!
みんなも後は好きにしてくれ。
咸陽に向かうもよし、沛に帰るもよしだ!
この宴が終わったら俺は身を隠すから、あとはよろしく!」
劉邦の話は想像もしていなかった話だったのか、ざわざわとどよめく。
引率者が逃げるとは…
盧綰も樊噲も口をぽかーんと開けたまま固まっている。
「樊噲、蕭何に連絡頼む!
今回のわびと当面の資金を融通して貰える様に頼んでくれ。」
「お…応!わかった!」
人夫達は皆とまどっているようだ。
「あの、劉邦様…。」
「うん?」
見ると人夫の数人が劉邦の前に進み出て
「劉邦様はどちらにお逃げになるおつもりで?」
「逃げる先か?そうだな、沛から近い豊邑の西沢辺りを考えている。」
「左様ですか…。」
人夫達は何事か相談していたが、しばらくして決まったようだ。
「あの劉邦様。おら達も連れて行ってもらえませんか?」
「えっ?そりゃあ別に構わんが…。」
(俺に付いて来るなんざ物好きな事だ…。)
自分の事なのにどこか他人事のような感想を持つ劉邦。
「じゃあ、俺について来るやつは宴が終わったら、荷物をまとめていつでも出発できるようにしておいてくれ。」
それだけ言うと残っている酒をうまそうに飲むのだった。
そして結果的にほとんどの人夫達が劉邦について来ることになった。
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蕭何は樊噲から連絡を貰いびっくりしていたが、やがて劉邦の尻拭いのために動き始めた。
(相変わらず退屈をさせてもらえない御仁だ。)
本当に劉邦の行動は読めない。
蕭何が劉邦の後始末をするのは日常茶飯事になりつつある。
ふと蕭何は自分で自分が可笑しくなってしまい思わず顔がにやけてしまう。
立場的に役人としてはかなりまずいことになってしまっているが。
どう考えても迷惑をかけられているのに、何だか楽しそうな蕭何を見て樊噲は首をかしげた。
「ではあっしは兄ぃの元に戻ります。」
「ご苦労様。ああ樊噲、十日ほど後にまた来てくれ。」
樊噲はうなずいて退出した。
(昔から劉邦の事を知っているが、つくづく不思議な男だ。)
彼には何か期待をしてしまう自分がいる。
冷静に考えればそんな事あるはずないのに。
今まで劉邦がまともに何かを成し遂げたことはない。
いつもでかいホラを吹き、予想の斜め上を行く行動をして、その度に蕭何が尻拭いをしている。
気がつくといつの間にか巻き込まれ、それでも一生懸命劉邦の事を応援している自分がいた。
(それも、あの男が持っている魅力…なんだろな。
そのうち何かとてつもないことをしてくれるんじゃないか??)
そんな予感のような物を劉邦には感じずにはいられなかった。
だから彼にはこんなに人が集まるのだろう。
(せっかくだからこの状況を利用して一つか二つばかり策を講じるか。)
最近、中央(秦政府)の風向きが少しおかしい。
話に聞くと儒者や学者を500人近く生き埋めにしたとか。
数年前には農業と暦、占易に関する以外の書物を全て焼き払った事もあった。
蕭何は秦の地方官吏だが、現場にいる彼だからこそ法律の余りの苛烈さに秦の統治には無理があり過ぎる事に気付いていた。
今は無理やり押さえつけてはいるが、押さえつける力が弱まったら危ない。
(ひょっとしたら一気に世の中が変わるかもしれない。)
と蕭何は善後策を相談するため曹参の元へ向かうのだった。
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しばらくすると沛県に劉邦の噂が流れ始めた。
なんでも、
一、『劉邦という男が白い大蛇を退治した』
劉邦の一行が隊列を組んで山中を移動している時、偵察に出ていた者が
「この先に大蛇がおりまして行く手をさえぎっております。」
と報告したが、劉邦は酔いながら
「我ら勇士が行くのだ。何を恐れている!」
と言って進み、大蛇の前に出ると剣を抜いて斬りつけた。
一行で劉邦に遅れた連中が大蛇のところに来ると、一人の老婆が泣いていた。
老婆にどうして泣いているのかと訊ねると
「わが子が殺されたので泣くのです」と老婆が答えた。
「なぜ殺されたのか」 と問うと、
「わたしの子は白帝1)の子で、化身して蛇となっていたのですが、いま赤帝の子が斬ったのです」
と言った。
従者連中はますます劉邦を尊敬し名声が高まった。
二、『始皇帝が東南に天子の気があると言って探していたのは劉邦の事である。』
始皇帝はいつも
「東南のほうに天子の気がある」
と言い、自ら東南に遊幸して、その気を鎮めようとした。
劉邦はそれを聞いて自分が殺されるのではないかと思い、芒と碭の間にある山に隠れた。
劉邦の妻の呂稚は劉邦の居場所を探したが、いつも探し当てる事ができた。
劉邦は不思議に思ってわけを尋ねると、呂稚は
「あなたのおられるところは、いつも雲気が立ち込めているのでわかるのです。」
と答えた、とか。
他にも
三、『観相家が劉邦の顔はまれに見る貴相と鑑定した。』
呂稚が二人の子供と畑で草むしりをしていると、一人の老人が通りかかり、飲み物を一杯欲しいと言った。
呂稚が食事を与えると、 老人は呂稚を見て
「なんと、あなたは天下を取る貴相を持っておられる」
と言い、ついで息子の盈(後の恵帝)を観させると
「あなたが貴くなれるのは、この子のおかげですわい。」
と言い、娘の魯元(公主)を観てもまた貴相があると言った。
老人が立ち去ると、劉邦がたまたま家から出てきた。
呂稚が今あった事を劉邦に伝えると、劉邦は老人を追いかけて自分の人相はどうかと訊ねた。
老人は劉邦の顔を見て驚き
「さっきの夫人や子供さんの貴相はあなたに似ているが、あなたの相はさらに別格です」
と言った。
劉邦は「もし本当におやじさんの言われるようだったら、 ご恩はきっと忘れまい」
と言った。
などといった噂話があちこちで聞かれるようになったのだ。
劉邦の評判はどんどん高まり、街の人間の中から劉邦の仲間に加わりたいと劉邦の元を訪ねる者が増えた。
劉邦の一味は徒党としては侮れない人数になってきていた。
その話を聞いた蕭何、曹参、夏侯嬰達はほくそ笑んだ。
そう、噂は彼らの自演で劉邦党に力を持たせるために仕組んだのであった。
全ては来るべき時のために。
※白帝と赤帝 1)
白が秦を指し、赤は劉邦を指す。
中国の思想に五行説というのがあり、王朝にはそれぞれ五行のどれかの気があり、次の王朝を建てるものは前の王朝の気に克つ関係が成り立つ。
秦自身は水徳の黒を名乗っています。これに基づくと次の王朝の漢は土徳の黄色という事になりますが、昔より劉邦は赤龍の子で火徳の赤、というのが何故か定着していました。
後の時代、色々な人の意見によって漢王朝の徳はさまざまに変ってきているので一概には言えませんが、この場面では白帝、赤帝で通します。
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