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双魂のレゾナンス  作者: 五十路の手習い
プロローグ

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プロローグ 第四話 「削られゆく均衡」

龍は、静かに目を開いた。

夢の余韻は、まだ意識の底に残っていた。


二つの魂。

互いを認識し、寄り添い、まるで相手の存在を確かめるように動いていた光。

その軌跡を追った末、二つは一つの器へと辿り着いた。

そこまでは、夢で見たとおりだった。

だが、受肉は終わっていない。

いや、正確には、生命としての形を得る過程そのものは進んでいる。

しかし、その内側で何かが変わり始めていた。


「……また夢を見たのかい?」


山の奥から、聞き慣れた声が届いた。

龍は視線を動かした。

山肌の一部を成す、巨大な石。

長い年月を経てなお朽ちることなく、山の一部でありながら山そのものとは異なる意識を持つ存在。

龍が長い時を過ごす中で知り合い、そして今なお言葉を交わす、数少ない旧友だった。


「受肉はした」

「へえ。無事に?」

「……無事、とは言い難い」


石の意識が、わずかに揺れた。


「何かあったのかい?」

「均衡が、削られている」


龍は、夢の中で見た二つの魂を思い返した。


一方は、鋭く澄んだ光を放っていた。

もう一方は、柔らかく穏やかな光を纏っていた。


光り方こそ異なっていたが、二つの魂そのものに違いはない。

どちらも同じようにそこに在り、互いの存在を認識するように動いていた。


だが、今は違う。


「母体の熱」


龍は短く告げた。


「熱が、魂に影響を及ぼしているのかい?」

「直接的な因果のすべてを断定するつもりはない。だが、変化の時期と状態は一致している」

「それで、どうなっている?」

「片方が削られた」


言葉に感情はなかった。

ただ、観測した現象を、そのまま伝えただけだった。


「……柔らかな光のほうか」

「そうだ」


石はしばらく沈黙した。

魂が二つあること自体は、世界の理から外れた現象ではない。

珍しくはあっても、あり得ないことではない。まして、二つが同じ器に宿ったという事実だけなら、それをもって何か特別な意味があると決めつける理由もない。


だが、今はその二つの均衡が崩れつつある。


「このままでは、どうなる?」

「魂が歪むかもしれん」

「歪む、というのは?」

「形を保てなくなる。あるいは、本来の形から外れたまま固定される」

「消える可能性もある?」

「否定はできん」


石は何も言わなかった。

龍もまた、言葉を重ねなかった。


この世界では、数え切れないほどの生命が生まれ、そして消えていく。生まれる前に失われる命も、決して珍しいものではない。

それ自体に、龍が驚くことはなかった。


だが、あの二つの魂は、夢の中で互いを認識しているように見えた。

片方が動けば、もう片方も応じた。片方が遅れれば、もう片方が歩調を合わせた。

偶然の連なりと片づけるには、そこに見えた振る舞いは妙に整っていた。

そして今、その一方が、もう一方より先に損なわれようとしている。


「君は、どうするんだい?」


石が尋ねた。


「何を?」

「その魂を助けるのか、ということさ」


龍は即座には答えなかった。

助けるという行為そのものは難しくない。力を与え、乱れを正し、損なわれた部分を補えばよい。

龍にとって、それは不可能なことではなかった。

だが、力を加えれば、そこから先に起きることは、今見ているものとは異なる。

魂が自ら均衡を取り戻すのか。それとも、損なわれた状態のまま新たな形を得るのか。あるいは、もう一方が何らかの反応を示すのか。

外から手を加えれば、そのどれが起きたとしても、何が本来の変化であったのかを見定めることは難しくなる。


「……見る」

「見守る、じゃなく?」

「見るだけだ」


石は、小さく笑ったような気配を漂わせた。


「相変わらずだね」

「何がだ」

「興味を持ったものに対して、ずいぶんと慎重なところさ」

「慎重なのではない。観察するために必要なことをしているだけだ」

「はいはい。そういうことにしておこう」


長い付き合いのある石は、そこで話を切り上げなかった。


「それで、母体の熱というのは、まだ続いているのかい?」

「続いている」

「なら、均衡がさらに崩れる可能性もあるわけだ」

「そうだ」

「次の夢では、どうなっているだろうね」


龍は答えなかった。


次に夢を見る保証などない。

あの二つの魂がどうなるかも、夢の中で再びその姿を見られるかどうかも、何一つ確かなことはなかった。


「次があればな」

「あるさ」


石は、何のためらいもなく言った。

龍は、その言葉に返事をしなかった。

しばらくして、龍は再び意識を沈めた。


その頃、山麓に近い人里では、一人の女が高熱に苦しんでいた。


     *


ユラは、浅い呼吸を繰り返していた。

額には汗が浮かび、頬は熱に赤く染まっている。

身体の内側から熱が湧き上がり、手足の先まで重く、思うように動かせない。

普段であれば、多少の体調不良など気力で押し切ることもできた。

かつて探索者として活動していた頃には、もっと厳しい状況を幾度も経験している。


しかし、今の熱は違った。

ただ身体が辛いだけではない。

目を閉じると、意識の奥に、何かが遠ざかっていくような感覚があった。

何かをつかんでいたはずなのに、その指の間から少しずつこぼれ落ちていく。

何を失いかけているのか、ユラには分からない。

ただ、失ってはいけないものだという感覚だけが、かすかに残っていた。


「……お願い……」


声は、ほとんど息にしかならなかった。

誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。


熱に浮かされた意識は、現実と夢の境界を曖昧にしていく。

暗闇の中に、二つの光が見えた。


一つは、鋭く澄んだ光。

もう一つは、柔らかく穏やかな光だった。


二つは離れまいとするように寄り添っている。

だが、柔らかな光は、少しずつ揺らいでいた。


「待って……」


ユラは手を伸ばそうとした。

夢の中の自分の手が、動いたのかどうかも分からない。

それでも、二つの光から目を離せなかった。

柔らかな光が揺らぐたび、胸の奥に言いようのない痛みが走る。


もう一方の光は、弱いほうを置いていこうとはしなかった。

進む速度を落とし、何度も振り返るように動いている。

それでも、柔らかな光は弱まっていく。


「どうして……?」


問いかけても、答えはなかった。


そのとき、二つの光の向こうに、巨大な影が現れた。

山のような巨体。闇の中でも明瞭に浮かび上がる輪郭。

そして、長い時を生きたものだけが持つ、圧倒的な存在感。


龍だった。


ユラは恐怖を覚えるより先に、その視線を感じた。


龍は二つの光を見ていた。

助けようとしているのではない。

ただ、見ている。

その視線が自分にも向けられていると気づいた瞬間、ユラの意識はわずかに揺らいだ。


「……この子たちを……」


言葉になったのかどうかも分からない。

それでも、伝えなければならないと思った。

何を、誰に。

それさえ分からないまま、ユラは願った。


どうか、消えないで。


どうか、離れないで。


どうか――。


そこで、夢は途切れた。


    *


龍は、再び目を開いた。


夢の中に、母体の意識が混じっていた。

それは予想していなかった現象だったが、驚くほどのことでもない。

生命を宿した器と、その内側にある魂。その境界は、完全に隔てられているわけではないのだろう。


「今度は、母親の意識まで見えたのかい?」


石の問いに、龍は答えた。


「夢の中に入り込んできた。意図的なものではない」

「向こうから君を見た可能性は?」

「ある」

「それで、どうする?」

「何もしない」


龍は、再び目を閉じた。


母体の熱は続いている。

柔らかな光をまとった魂は、今も削られつつある。

その隣には、なおも相手に寄り添おうとする魂がある。


この先、二つの魂がどのような変化を見せるのか。

龍は、それを見届けるつもりだった。

ただ見るだけだ。

それは観察であり、介入ではない。

そして、観察を続ける限り、龍はまだ答えを持たない。


柔らかな光が消えるのか。

もう一方の光が何かを選ぶのか。

それとも、二つの魂が、龍の予想さえ超える変化を遂げるのか。

答えは、まだどこにもなかった。

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