第5話 「一つの身体、二つの命」
マルクが生まれてから、三か月が過ぎようとしていた。
春の終わりに始まったカレスとユラの新しい暮らしは、夏の訪れとともに、少しずつ形を変えていた。
家の中には、赤子の泣き声が響くようになった。
腹が減れば泣き、眠くなれば泣く。おむつが濡れれば不機嫌になり、抱き上げられれば泣き止むこともあった。
少なくとも、最初のうちはそうだった。
初めての子育てに戸惑いながらも、二人は毎日、少しずつマルクの扱いに慣れていった。
カレスは、赤子を抱くたびに身体をこわばらせた。探索者として幾度も魔物と戦い、危険な場所を歩いてきた男であっても、生まれたばかりの我が子を腕に抱くことには、別の緊張があった。
力を入れすぎてはいけない。
首をしっかり支えなければならない。
少し姿勢を変えるだけでも、これでよいのかと気になった。
ユラはそんな夫の様子を見て、何度も笑った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。マルクは魔物じゃないんだから」
「分かっている。分かっているんだが……どうにも慣れないな」
「探索者時代は、もっと大きなものを抱えていたでしょう?」
「それとこれとは違うだろう」
カレスは困ったように眉を寄せた。
ユラは笑いながら、彼の腕の中で眠るマルクの頬を指先で撫でた。
小さな命だった。
この子がこれからどのように成長していくのか。どんなことを覚え、どんなものを好きになり、どんな大人になっていくのか。
二人には、まだ何も分からない。
だからこそ、目の前にある小さな変化の一つ一つが、何よりも嬉しかった。
マルクが初めて声を上げて笑ったとき、カレスは驚いて手を止めた。
ユラは何度も同じようにあやし、もう一度笑わせようとした。
だが、何度試しても、マルクは笑わなかった。
「今のは偶然だったのかしら」
「そうかもしれないな」
「でも、笑ったのよ」
「ああ。確かに笑った」
二人は顔を見合わせた。
それだけのことで、その日の食卓には、いつもより明るい声が増えた。
*
違和感が生まれたのは、それから間もなくのことだった。
ある日の昼下がり。
ユラが椅子に腰かけ、マルクを膝の上に寝かせていたときのことだった。
赤子は機嫌がよく、手足を盛んに動かしていた。
ユラが顔を近づけると、マルクは「あう」「うう」と声を上げた。
「どうしたの? ご機嫌ね」
ユラが笑いかける。
すると、マルクはさらに声を上げた。
まるで、ユラの言葉に応じているかのようだった。
「そうなの? それはよかったわね」
「あうっ」
「まあ、そんなことまで教えてくれるの?」
ユラは冗談めかして返事をした。
マルクは手足をばたつかせ、楽しそうに声を上げた。
その様子があまりにも可愛らしく、ユラはつい夢中になってあやし続けた。
やがて、マルクは急に静かになった。
声が止まっただけではない。
先ほどまで大きく動かしていた手足も落ち着き、顔から笑みが消えた。
その目が、ユラの顔をじっと見つめていた。
「……マルク?」
呼びかけても、反応はない。
泣くわけでも、眠るわけでもなかった。
ただ、じっと見ていた。
その視線は、赤子が母親の顔を眺めているというよりも、何かを確かめるような印象を与えた。
ユラは思わず息を止めた。
先ほどまでの様子とは、まるで違う。
同じ顔なのに、同じ子供を見ている気がしなかった。
しかし、それも一瞬のことだった。
マルクは再び「あう」と声を上げ、手足を動かし始めた。
「……びっくりしたわ」
ユラは胸を撫で下ろした。
赤子には、まだ大人には分からない気まぐれがあるのだろう。
そう考えれば、納得できないこともなかった。
その日の夕方、帰宅したカレスに話すと、彼も不思議そうな顔をした。
「急に静かになったのか?」
「ええ。さっきまで、あんなに楽しそうに声を上げていたのに」
「何かに気を取られたんじゃないか?」
「そうかもしれないけれど……」
ユラは言葉を濁した。
自分でも、何がおかしいのか、うまく説明できなかった。
ただ、あの一瞬の表情が、どうしても頭から離れなかった。
*
それからも、似たようなことが何度も起きた。
マルクは、よく声を上げた。
誰かが話しかけると、それに応えるように声を返す。誰もいない部屋でも、何かを楽しむように「あう」「うう」と声を出し、時には一人でいることを忘れたかのように、手足を動かしてはしゃいでいた。
その様子だけを見れば、よく笑い、よく声を出す、元気な赤子だった。
ところが、突然、静かになることがあった。
さっきまで笑っていたのが嘘のように、表情を変えず、周囲を見つめる。
窓から差し込む光。
揺れる布。
風に動く木々の影。
カレスやユラの顔。
視線はゆっくりと移り、何かを確かめるように対象を追っていく。
まだ生後間もない赤子にしては、妙に落ち着いた様子だった。
もちろん、乳児が周囲のものに興味を示すこと自体は不思議ではない。
だが、マルクの場合は、その変化があまりにも唐突だった。
まるで、別の誰かに入れ替わったかのように。
「……この子、今、誰かと話しているみたいじゃない?」
ある晩、ユラがそう口にした。
マルクは寝台の上で、楽しそうに声を上げていた。
ユラが近づいても、カレスが声をかけても、しばらくは二人に気づかないかのように、声を出し続けていた。
その声には、はっきりとした言葉こそない。
それでも、間の取り方や声の調子は、まるで誰かと会話を楽しんでいるようだった。
「誰かと?」
「ええ。一人で声を出しているというより、相手がいて、その相手に返事をしているみたいなの」
カレスはマルクを見つめた。
確かに、不思議な様子ではあった。
しかし、赤子の声の意味を大人が勝手に考えているだけかもしれない。
「まだ言葉も分からない年齢だ。声を出すことが楽しいだけかもしれないぞ」
「そうね……そうなのかもしれないわ」
ユラも、それ以上は言わなかった。
だが、二人とも同じことを考えていた。
この子は、ほかの赤子と少し違うのではないか。
その疑問は、日を追うごとに大きくなっていった。
*
マルクが生まれて三か月近くが経った頃、二人はヒルダを訪ねることにした。
ヒルダは、これまで何人もの子供を取り上げてきた年配の女性だった。
村の中で医療に関する知識を最も多く持つ人物であり、出産だけでなく、乳児の様子についても、ある程度の経験があった。
もっとも、あらゆる病気を見分けられるわけではない。
それでも、カレスとユラにとって、相談できる相手は限られていた。
ヒルダの家を訪ねると、彼女は二人を迎え入れ、腕の中のマルクを見て微笑んだ。
「まあ、ずいぶん大きくなったね」
「おかげさまで。今のところ、病気らしい病気もしていません」
カレスが答えた。
「それは何よりだよ。それで、今日はどうしたんだい?」
ユラは一度、カレスと顔を見合わせた。
どこから話せばよいのか、迷っていた。
「実は……この子のことで、少し気になることがあるんです」
「気になること?」
「はい。よく声を出して、楽しそうにしているんですけれど……急に人が変わったように静かになることがあるんです」
ユラは、これまでの様子を説明した。
一人で誰かと話しているように声を出すこと。
ひどくはしゃいでいたかと思えば、突然、別人のように落ち着いてしまうこと。
そのときの表情が、まるで周囲のものを観察しているように見えること。
ヒルダは途中で口を挟まず、じっと耳を傾けていた。
話が終わると、マルクの顔を覗き込み、手足の動きや呼吸、目の動きを確かめた。
マルクは産婆を見つめていたが、やがて「あう」と声を上げた。
「元気はあるようだね」
「ええ。よく飲みますし、眠りもします。熱を出したこともありません」
カレスが答えた。
「身体の具合が悪そうな様子もないんだね?」
「はい。だからこそ、どう考えればよいのか分からなくて……」
ヒルダはしばらく考え込んだ。
そして、不意に何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、ユラ。あんたはこの子を身ごもっていた頃、ひどい熱を出したね」
その言葉に、ユラの表情がわずかに強張った。
「……はい」
「あのときは、本当に危なかった。熱が下がるまで、私も気が気じゃなかったよ」
ヒルダはマルクを見つめたまま、慎重に言葉を続けた。
「もしかすると、あの熱が何か影響を残したのかもしれないね。もちろん、今の様子だけで、そうだと決めつけることはできない。元気に育っているのなら、もう少し様子を見ることも必要だろう」
「発熱の影響……ですか」
カレスが低く繰り返した。
「ああ。私にも、何が起きているのかは分からないよ。ただ、普通とは違う様子があるというのなら、可能性の一つとして考えておいた方がいい」
ヒルダは一度、言葉を切った。
その表情には、ためらいがあった。
「それと……もう一つ、考えられることがある」
カレスとユラは、ヒルダの顔を見た。
「古い言い伝えに、忌み子というものがあるのを知っているかい?」
その言葉を聞いた瞬間、ユラの身体が強張った。
「忌み子……?」
「生まれたときから、普通の子供には見られない兆しを示す子のことさ。魂が定まっていないだとか、生命のあり方に何か問題があるだとか……そういう子供を、昔から忌み子と呼ぶことがあるんだよ」
ヒルダの声は静かだった。
恐怖を煽ろうとしているわけではない。
むしろ、その言葉を口にすること自体、彼女も望んではいないようだった。
「忌み子が本当に災いを招くのか、私には分からない。そんな確かな証拠があるわけでもないからね。ただ、古い言い伝えでは、そういう子が生まれることは、家族や村に不幸が訪れる前触れだと恐れられてきた」
カレスは眉を寄せた。
「つまり、この子がそうだと?」
「いいや。そんなことは言っていないよ」
ヒルダはすぐに首を振った。
「今の話だけで、この子を忌み子だと決めつけることはできない。熱の影響かもしれないし、私たちには分からないだけで、成長とともに落ち着くのかもしれない。そもそも、私が知っているのは昔からの言い伝えと、これまでに見てきた子供たちのことだけだ。魂の中で何が起きているかなんて、分かるはずもない」
そう言って、ヒルダはマルクの頬をそっと撫でた。
「この子は、今のところ元気だ。だから、すぐに悪いことが起きると考える必要はないよ。ただ、普通とは違う様子が続いているのなら、気をつけて見ておくことだね」
その言葉に、カレスは小さく頷いた。
ヒルダは脅かすために言ったのではない。
分からないことを分からないと認めたうえで、可能性の一つとして伝えたのだ。
それは理解できた。
だが、忌み子という言葉は、簡単には頭から離れそうになかった。
*
――熱の影響。
――魂が定まっていない。
――二つ。
ヒルダの話を聞いているうちに、ユラの中で、遠い記憶がゆっくりと蘇っていた。
あの熱に苦しんでいた夜。
生きているのかどうかさえ分からなくなるほど意識が曖昧になった、あの夜。
夢の中で見た、巨大な影。
金色の光。
そして、二つの小さな光。
互いに寄り添うように揺れていた、二つの存在。
夢の中で、龍は言った。
――汝の内に、まだ形なきものがある。
そして、続けた。
――強くあれ。汝が揺らげば、二つも揺らぐ。
ユラは息を呑んだ。
あのときは、熱に浮かされた夢だと思っていた。
何かを見た気がしても、目が覚めれば曖昧になってしまう。現実と夢の境目さえ、はっきりしなかった。
だから、深く考えないようにしていた。
だが、今になって、その言葉が意味を持ち始めた。
二つ。
龍は、確かに二つと言った。
あの夢の中には、二つの光があった。
そして今、目の前には、まるで一人で二人分の時間を生きているかのような、不思議な反応を見せる息子がいる。
ユラは、腕の中のマルクを見つめた。
この子は、一人ではないのかもしれない。
自分が産んだ子供は、一人だけではなかったのではないか。
そう考えた瞬間、胸の奥に、これまで感じたことのない確信が生まれた。
マルクの中には、もう一人いる。
もう一つの命が、確かに存在している。
あの夢で見た二つの光は、ただの幻ではなかったのだ。
ユラはマルクを抱く腕に、そっと力を込めた。
けれど、そのことをヒルダに話すことはできなかった。
龍の夢を見たことも、二つの光を見たことも、他人に説明したところで信じてもらえるとは思えない。
何より、自分自身がまだ、そのすべてを言葉にできるほど整理できていなかった。
だから、ユラは何も言わなかった。
ただ、マルクを抱きしめたまま、ヒルダの話を聞き続けた。
*
ヒルダの家を出たとき、空はすでに夕暮れに染まっていた。
帰り道、カレスはほとんど口を開かなかった。
ユラもまた、考え込んでいた。
家に戻り、マルクを寝台に寝かせてから、カレスはようやく口を開いた。
「……どう思う?」
その問いが、産婆の言葉についてなのか、それともマルクの様子についてなのか。
ユラには分かった。
「私にも、まだ分からないわ」
そう答えてから、ユラは夫の顔を見つめた。
「でも、あなたには話しておきたいことがあるの」
カレスは妻に向き直った。
「何だ?」
「私が、この子を身ごもっていた頃のこと。あの熱を出したときに、夢を見たのを覚えている?」
「ああ。熱が下がったあと、何か夢を見たような気がすると言っていたな」
「そう。その夢のことを、今までずっと忘れたままにしていたの。でも、今日、ヒルダさんの話を聞いて思い出したの」
ユラは一度、目を閉じた。
そして、あの夜に聞いた言葉を、ゆっくりと語った。
夢の中で出会った龍。
その龍が告げた言葉。
自分の内に、まだ形なきものがあること。
そして、自分が揺らげば、二つも揺らぐという言葉。
カレスは、途中で口を挟まなかった。
ただ、黙って聞いていた。
「……私は、あの夢の中で二つの光を見たの」
ユラは続けた。
「今なら、分かる気がする。この子の中には、もう一人いるのよ」
カレスは、すぐには答えなかった。
ユラの話を、すべて信じたわけではない。
夢は夢だ。
熱に浮かされていたのなら、奇妙な夢を見ることもあるだろう。
龍が現れたという話も、二つの光を見たという話も、確かな証拠にはならない。
それでも。
カレスは、ここ数か月のマルクの様子を思い返した。
一人で誰かと話しているように声を出すこと。
楽しそうにはしゃいでいたかと思えば、突然、別人のように静かになること。
その変化が何度も繰り返されていること。
単なる気まぐれだと考えれば、それで済むのかもしれない。
だが、ユラの話を聞いた今、別の可能性を完全に否定することもできなかった。
「……そうか」
カレスは、寝台の上で眠るマルクを見つめた。
「正直に言えば、夢の話をそのまま信じるのは難しい」
「ええ……」
「だが、お前がそう感じていることは分かった。それに、あの子の様子が普通とは少し違うのも、俺自身、ずっと気になっていた」
カレスは小さく息を吐いた。
「病気で苦しんでいるわけでもない。よく飲むし、よく動く。元気に育っている。それなのに、時々、まるで別の誰かのように振る舞う……」
彼はしばらく考え込んでいたが、やがてユラに向き直った。
「もし、本当にもう一人いるのだとしたら……俺たちが気づいていなかっただけなのかもしれないな」
ユラの目が揺れた。
「あなたも、そう思う?」
「確信があるわけじゃない。だが、あり得ないと決めつける理由もないだろう」
カレスは穏やかな声で言った。
「少なくとも、あの子が元気でいることは確かだ。だったら、今すぐ何かを決めつける必要はない。俺たちに分からないことがあるなら、分からないままでも、できることはある」
その言葉を聞き、ユラは俯いた。
涙が、頬を伝った。
「……ごめんなさい」
「ユラ?」
「私、気づいてあげられなかった。二人いたのに……ずっと、一人だと思っていたの」
ユラは寝台に近づき、眠るマルクの顔を見つめた。
「この子の中に、もう一人いるのなら……その子も、私のお腹の中にいたはずなのよね」
声が震えた。
「私、ちゃんと二人を産んであげられなかった。二人とも、私の子供なのに……」
その言葉には、母親としての後悔が滲んでいた。
もし、本当に双子だったのなら。
もし、もう一人の子供がずっとここにいたのなら。
自分は、その存在に気づくことさえできなかった。
その事実が、ユラの胸を締めつけた。
「ごめんなさい……」
ユラは何度も繰り返した。
カレスは妻の肩に手を置いた。
「お前のせいじゃない」
「でも……」
「お前はあの熱の中で、二人を守ろうとしていたんだろう。何も知らなかったんだ。気づけなかったことを責める必要はない」
ユラは唇を噛んだ。
それでも、涙は止まらなかった。
カレスは妻を抱き寄せ、しばらく何も言わずにいた。
やがて、ユラは涙を拭い、寝台の上のマルクを見つめた。
「……名前を、つけてあげたいの」
「名前?」
「ええ。マルクの中にいる、もう一人の子に」
カレスは静かに頷いた。
「そうだな。あの子が本当に双子なのだとしたら、もう一人にも名前があっていい」
ユラは、眠る我が子にそっと手を伸ばした。
「ゼルス……」
口にした名前は、静かな部屋の中に柔らかく響いた。
「あなたの名前は、ゼルスよ」
返事はなかった。
マルクは変わらず眠っていた。
それでも、ユラはその名を何度も心の中で繰り返した。
ゼルス。
自分の知らないところで、ずっと一緒にいたもう一人の子供。
マルクと同じように、自分が産んだ命。
その存在を、今度こそ見失いたくなかった。
*
その夜、カレスはいつもより長く、二人の寝息を聞いていた。
正確には、眠っているマルクの寝息を。
それでも、ユラの言葉を聞いたあとでは、その小さな身体が以前とは違って見えた。
一つの身体。
二つの命。
それが本当なのかどうか、カレスには分からない。
ただ、もしそうなのだとしたら、自分たちはこれまで、片方の存在に気づかずに過ごしてきたことになる。
それは、確かに申し訳ないことなのかもしれない。
だが、今からでも遅くはない。
マルクを一人の子供として大切に育てることに変わりはない。
そして、その中にもう一人いるのなら、その子もまた、自分たちの子供として受け入れればいい。
カレスはそう考えた。
それは、彼が若い頃から持ち続けてきた考え方だった。
理解できないものがあったからといって、すぐに否定する必要はない。
分からないことは、分からないまま考えればいい。
自分の知識で説明できないからといって、存在しないと決めつけることもできない。
そうした考え方は、かつて探索者として多くの土地を巡り、さまざまな人々と出会った経験から身についたものだった。
だが、ガルド村では、そうした考え方が必ずしも受け入れられるわけではなかった。
村には村の習慣があり、古くから伝わる考え方がある。
そこから外れたものは、理解される前に遠ざけられることもあった。
若い頃、カレスが村を離れた理由は一つではない。
それでも、分からないものを分からないまま受け入れることさえ難しい空気は、彼が故郷に馴染めなかった理由の一つだった。
そして今、彼の息子は、まさにその理解できない存在なのかもしれなかった。
カレスは、眠るマルクの顔を見つめた。
「……お前たちは、お前たちのままでいい」
小さく呟く。
「マルクも、ゼルスも。俺たちの子供であることに、変わりはないんだからな」
隣で横になっていたユラが、そっと顔を上げた。
その目には、まだ涙の跡が残っていた。
「ありがとう、カレス」
「礼を言われるようなことじゃないさ」
カレスは少しだけ笑った。
「父親なんだからな」
ユラも、ようやく小さく笑った。
二人は、眠るマルクを見つめた。
その小さな身体の中に、もう一人の命がある。
まだ誰にも説明できない。
証明することもできない。
それでも、二人はその存在を受け入れることにした。
マルクとゼルス。
二人の息子として。
その夜、家の中には、いつもと変わらない静けさが満ちていた。
ただ、二人の両親の胸の中には、昨日までとは違う思いが生まれていた。
一人だと思っていた子供は、二人だったのかもしれない。
そして、これからは二人分の愛情を注いでいこう。
それが、カレスとユラの出した答えだった。
寝台の上で、マルクが小さく身じろぎした。
口元がわずかに緩み、かすかな声が漏れる。
まるで、誰かに応えるように。
ユラはその声を聞き、そっと微笑んだ。
「おやすみなさい、マルク。ゼルス」
返事はない。
それでも、彼女は二人に語りかけるように、静かに目を閉じた。
こうして、二人の両親は、まだ誰も知らない双子の存在を受け入れた。
それがどのような意味を持つのか。
これから二人がどのような人生を歩むのか。
今のカレスとユラには、まだ分からなかった。
ただ一つ確かなのは、二人とも、この小さな命を守りたいと願っていることだった。




