6話 三連単と被虐主義
三途の川。地鳴りのような狂ったような歓声が空気を震わせる。
鬼達の視線の先で必死の形相で川を泳ぎ渡る亡者達を、煽るようなマイクが響いている。
「さあ泳ぐ泳ぐ泳ぐ!! 外から三番!! 逃げ切れるか先頭五番轢き逃げの坂崎!! 罪人達よ夢を掴むか!」
濁流が跳ねる。骨と流木を巻き込んだ黒い水が、亡者の顔へ叩きつけられた。
「さあ勝負の第三コーナー捉えた、捉えた、捉えた!! 先頭は三番!! 結婚詐欺師永山〜〜〜〜!!!!」
怒号が飛び、チケットが紙吹雪となって風に乗って舞う。
泣く者、喜び跳ねる者。怒り狂う者。感情の全てがそこにあった。
「……何これ」
真鍋が呟く。天望が得意げに新聞と赤ペンを掲げた。
「罪人ダービーです!」
天望の笑顔が、極楽の光よりもずっと胡散臭く輝いていた。
「亡者が三途の川の端から端を泳ぎ切る順番を予想するんです。そしてそれが当たれば、オッズに応じて掛け金が返ってくるという、大変わかりやすく夢のある更生プログラムでして」
「更生プログラムでなんで掛け金が発生すんだよ」
炎獄が心底怪訝な顔をする横で、天望は得意げに新聞を広げた。紙面には亡者の名前、罪状、死因、過去の走行成績がびっしりと並んでいる。
炎獄は川岸を見回す。何度考えてもどこからどう見てもただの賭場だ。
「難しいことはありません。予想して賭ける。それだけです」
「お前、極楽の天女なんだよな……?」
炎獄は川岸の歓声を聞きながら、低く息を吐いた。
理解しようとするのを途中でやめた顔だった。
「ギャンブルは初体験だなあ」
真鍋が天望に渡されたダービー新聞を広げる。
第四レースの欄の脱税コンサル高橋に二重丸、闇バイト佐伯に三角のマークが赤ペンで付けられていた。
「高橋は横領の手口が堅実ですし、こういうタイプは泳ぎも粘ります」
「罪状で予想してんのかよ」
炎獄が横から新聞を覗き込んで、眉を寄せる。
濁流の中で亡者が一人、流木に頭をぶつけて沈んだ。
すぐ別の亡者がその上を踏み台にして前へ進む。
「私は三-五-二の三連単」
「じゃあ……僕は高橋一点賭け」
炎獄はしばらく黙って三途の川を見ていたが、やがて小さく呟いた。
「……おい、地獄楽しんでねえか?」
天望が赤ペンを炎獄に突きつけ、至極真剣な声で言った。
「これからですよ炎獄。使っちゃいけない金に手を出してからが本番です」
「言っとくけどお前は仕事中だからな?」
獄卒ラッパ隊のファンファーレが響き、亡者が一斉にスタート位置についた。
合図とともに上がる水飛沫、歓声。
流れ来る岩や枝を避け、亡者達が我先にと三途の川を泳ぐ。
「ほら来た! 伸びる! ラスト直線で差しますよこれ!」
「……そうか、良かったな」
「差す、差す、差すって! ……差さないな」
「……」
結果、全外し。
勝ち罪人が光を浴び、天望は突っ伏す。無残にも紙くずとなった券が握りつぶされていた。
「…………」
沈黙。炎獄が横目で見て、ため息。
「……これで私の財産が溶けました。ああ、なんて地獄なんでしょう……」
「何をしてんだマジで」
「次のレースで取り返すしかありません」
「やめとけって」
天望が再び新聞を開くと、真鍋の指先が痙攣みたいに震えた。
期待していたものを取り上げられた子供の顔。
喉の奥から、絞り出すような声が漏れる。
「違う」
炎獄と天望の視線が同時に真鍋へ向く。
真鍋は、堰き止めていたものが溢れ出したように言葉を撒き散らした。
「違うんだよ! こういう苦しみが欲しいんじゃないんだわかってないな! もっとこう、僕の人権が無くなる感じの、そういうのがいいんだよ!」
真鍋は顔を赤くして首を振る。
「大体、こんなの苦しみじゃないよ! 楽しいじゃん! 楽しい結果の対価じゃん! そうじゃなくて地獄みたいな理不尽な暴力が欲しいんだよ! わかんないかなあ!」
真鍋は必死に言い訳を続けていた。
炎獄が半分引き気味にそれを見ている。
その横で、天望だけが妙に冷静な顔をしていた
「地獄は理不尽ではありませんよ」
真鍋の弁明が、ぴたりと止まった。
天望は立ち上がって新聞をたたみ炎獄へ渡すと、真鍋の前へ歩み出る。
「自業苦。すなわち、あなたの生前の罪を禊ぐのが地獄の責苦です。獄卒はただ亡者を喜んで痛めつけているわけではなく、ましてあなたの快楽の道具でもない」
天望は構わず、落ち着いた声で続ける。まるで授業でもするみたいな口調だった。
真鍋の口が開いたまま閉じない。反論しようとしているのに、言葉が見つからない顔だった。
「全ては因果です。罪に対する罰。功績に対する褒美。生きた間で何を成したかの答え合わせがこの極楽と地獄というシステムであり、来世です」
天望の声だけが、周囲の喧騒から切り離されたみたいに静かだった。
天望の右手の赤ペンの先が真鍋に向く。
その向こうで、天望は冷めた目で真鍋を見ていた。
「真鍋さん。あなたは苦しいのが好きなんじゃない。あなた、何もかもを見下しているだけですね」
真鍋の喉が鳴る。目が大きく見開かれ、視線が泳ぐ。
痛みを与えられた時には消えなかったものが、今、言葉ひとつで剥がれかけている。
「鬼ですら暴力でしか自分を従えさせられないと。理解できないものを理解しようとしない愚か者ばかりだと。そう思っているのではありませんか」
「……僕は……」
「あなたの癖は後付けのものでしょう。下から見続ける事で、上に居るはずの者達が自分の糧となっている。その歪んだ構図が欲しいだけ」
「僕は」
真鍋の言葉を遮って、天望は続けた。
「あなたは被虐主義者ではない。利己主義者です」
天望の声で、真鍋の膝ががくりと落ちた。頭を抱え、震えている。
その後ろで炎獄は、初めて天望を見たみたいな顔をしていた。極楽の甘ったれだとさっきまで思っていた女は、どうやら炎獄が思っていたより、ずっと手癖が悪いらしい。
天望が真鍋の前へ歩み寄ると、光が遮られて真鍋に影が落ちた。
「真鍋さん、あなたがどう感じていても、あなたが刑期分の責苦を耐え切ったのは事実です。次は来世で、あなたなりの幸福を見つけて下さい」
真鍋は天望を見上げた。天望はこの上なく穏やかに微笑んでいる。極楽の光を放ち、空気さえ煌めかせる天女は、人とは違う美しさをたたえていた。
真鍋は二度まばたきをして、頭を抱えていた両手をゆっくり胸の前で組む。
「……ご主人様……」
天望の喉から、「ん?」と小さな音が出た。
真鍋は目の中にありえないくらい光を溜め、頬を桃色に染めていた。
「僕の事をそんな奥まで見てくれた方は初めてです、ご主人様と呼ばせて下さい。あなたの言う事なら何でも聞きます。お願いします、僕に命令を下さい」
真鍋が膝をついたまま、組んだ指に力を入れていた。
さっきまでが嘘みたいに、やたら満ち足りた顔をしている。
天望も炎獄も、二人ともすぐには何も言わなかった。反応できなかったのではなく、理解したくなかった。だが意味が通った途端、揃って引いた。
「……じゃあ、転生して貰っていいですか。豚に」
「はいっ! すぐに! なります、豚! ブーッ!!!」
「……炎獄、お願いします」
炎獄はいつもの三倍のスピードで判を押した。
真鍋の体が光に包まれる。妙に晴れやかな顔で。
「あっ、あの、最後に豚って呼んでくれませんか!?」
「……嫌です……」
「あァッそれでこそご主人様!! ありがとうございます!! ブヒィ!!」
最後の光の粒が溶け、辺りはまた喧騒に包まれた。
天望と炎獄は、しばらくその場で立ち尽くしていた。
「……お前……」
「……言わないで下さい、何も」
足元に皺くちゃになったダービーチケットが散らばっている。
天望はなんとも言えない顔で、三途の川を見つめていた。
炎獄は黙って舌先で犬歯をなぞり、そんな天望の横顔を見た。
殴りもせずに相手の芯を折る。そういうやり口をする天女など、見たことがなかった。
「なあ、お前……こうなるってわかっててここ連れてきたのか?」
天望が炎獄の手からダービー新聞をぶんどり、赤ペンを耳にかける。
「いいえ? あの人ちょっと自分勝手だなって思っただけです。罪状からして他の人巻き込んでるじゃないですか。だからまあ、こういう思い通りにならないレースとか嫌なんじゃないかと思いまして」
炎獄はわずかに眉を上げた。思ったよりも見ている。
尊大な理想主義かと思っていたら、どうもそういう訳ではないらしい。
「まあ、巡っても思い通りになる保証なんてありませんけど」
天望は何でもないように言った。表情は穏やかなのに、目の奥だけが少し冷えている。
炎獄は、しばらく天望から目を離せなかった。
「さ、最終レース賭けたら帰りますよ炎獄。今日のノルマは達成しましたからね!」
天望が意気揚々と新聞を広げる。
炎獄がその様子を見ながら角の付け根を掻いた。
「……変な奴……」
その呟きは、三途の川の喧騒に紛れた。
レース開始のファンファーレが鳴る。
その後ろで、天望の「差せや!」という叫びも響いていた。
真鍋編でした。
結婚詐欺師永山〜〜!!は口に出すとおもろいのでおすすめです。
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