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7話 あの世でカルト

新章はじまります。

 蓮の香りが差した時には、閻魔はもう笑っていた。


「あぁーーーーっはっはっはっは!!! 良いねえ、良いねえ!! 嫌いじゃない!!」


 べしんべしん両手を叩いて、目に涙さえ浮かべている。

 ひぃひぃ肩で息する閻魔の後ろで、釈迦が額を抑えていた。


「焔摩天」

「くっくっくっくっ、あー、おもろ……」


 閻魔の口元が、いっそう楽しげに歪む。

 鏡の向こうでは、天望がなんとも言えない顔でダービー新聞を睨み、炎獄がその隣で露骨に引いていた。


「天女が邪淫を向けられたのですが」

「ま、終わり良ければ全て良しじゃね?」


 閻魔はけろりと言う。釈迦は静かに息を継いだ。咎める前から、どうせ聞かないのだろうという確信まで込みの間だった。


「焔摩天、二人ともあなたの玩具ではないのですよ」

「んな怒んなって」

「怒りはいたしません」


 釈迦の声は穏やかだったが、その実ひとつも穏やかではない。


「いや、やるじゃん特例ちゃん。なんだっけ? 天望?」

「ええ」


 閻魔は片眉を上げたまま、喉の奥で小さく笑った。


「極楽にしとくにはもったいねえんじゃねえの、彼女。地獄向きだよ」

「……焔摩天」

「いや、ガチでさ」


 閻魔は顎で鏡をしゃくる。


「何の躊躇いもなく人の深層を晒しやがった。救いの顔してえげつねえ事すんね」


 釈迦が鏡を見る。しばしの後、釈迦は小さく息を吐いた。


「それについては、私も同意します」

「……へえ?」

「彼女のなりたい菩薩像は……今極楽に居るどの菩薩とも異なります」

「だろうよ。弥勒(みろく)観音(かんのん)も、文殊(もんじゅ)普賢(ふげん)もあんなんじゃねえもん」

「……ええ。そうですね」


 釈迦は穏やかな顔のまま、目だけを細める。


「しかし、人を救う菩薩を目指す心が本物である以上、彼女は地獄ではなく、極楽側の存在です」


  釈迦は一度だけ瞼を閉じ、ゆっくり開いた。


「天望天女は、彼女自身が実際に救われた後ろ姿を、追い続けているのです」


 閻魔は鉄扇の骨を指先でなぞりながら、鏡面の一点を見つめた。

 天望が炎獄の後ろをついて回る。時々振り返った炎獄に何かを言われ足を止め、小走りでまたついていく。


「へーぇ、なるほど? 誰か理想がいんのね」

「ええ。少々特殊ですが」


 釈迦の鏡の向こうを見つめる目は、期待とも警戒ともつかない。

 閻魔は鏡面を見つめたまま、楽しげに手摺を撫でる。


「で、それはお前じゃねえんだ」

「……そうですね」

「振られてやーんの」


 閻魔が鉄扇を鳴らした。退屈が一つ、ちゃんと潰れた音だった。


「いいね、型破りどころか、型無しの天女、どこまで通用するか見てやろうじゃん」


 閻魔の口元が上がる。手のかかるやつほど面白い、という顔だった。

 

 *


 炎獄は椅子にもたれながら、書類を睨む天望を見ていた。

 真鍋を転生させた日、極楽の光を纏って地獄を語ったこの天女が、炎獄にはいまいち掴めなかった。


 ――全ては因果です――


 その言葉には一切の迷いが無く、人を動かす力が確かにあった。


 だというのに、今ここに居る天望は未転生者の書類にかじりついてイラつきながら煙草をふかしている。とてもじゃないが聖人だとは思えない。


 その癖“菩薩になる”だの大それた事を言う。言ってることとやってることの辻褄がとことん合わない。


 天望という女の、底が知れない。

 思案しながら、炎獄が窓を開ける。顔に中陰の生温い風を浴びながら、炎獄も懐から煙草を取り出して一本火をつけた。


「ねえ……炎獄」


 天望の髪が風に乗ってさらりと靡く。

 紫煙を燻らせまつ毛を伏せる様は、やたらと絵になった。


「なんだよ」


 そう答えると、天望が黙って俯く。

 その横顔が思った以上に整っていて、炎獄は天望がしっかり極楽側の存在なことを思い知らされた。

 無条件で、差し伸べられた手を取ってしまいそうな――


「金、貸してくれませんか……?」


 炎獄の肩がずるりと落ちる。一瞬でも綺麗とか思ってしまった自分をものすごく殴りたくなった。


「ふざけんなよお前」

「見てたでしょ!? 昨日のダービーですっからかんなんですよ!!」

「知らねえよ。なんで俺がお前に金貸さなきゃなんねえんだ」

「必要経費! 必要経費だったじゃないですか!」

「じゃあ領収書出せんだろうな? 出してみろコラ」

「炎獄のケチーーーー!!!!」


 天望が机に突っ伏す。

 さっきまでの極楽めいた絵面はどこへやら、今はただ金の無心をする女でしかない。なんなら天女かどうかも怪しいくらいだ。


 マジでなんなんだよこいつ、と思いつつ、炎獄は煙を吐きながらその姿を見下ろす。

 それから心底どうでもよさそうに目を細めた。


「貸しても返ってこねえだろ、どうせ」

「倍にして返しますよ!?」

「てめえに与信があると思うなよ」


 天望が机に額を押し付けたまま、ぐぐぐ……と唸る。

 炎獄は短く灰を落とし、書類の山へ目をやった。

 未処理の紙束は静かな顔でそこに積まれている。


 炎獄は上から適当に掴むと、天望の机にそれをどさりと置いた。額をほのかに赤くした天望が、振動で顔を上げる。


「金ねえなら働け。菩薩ってのが高給取りかどうかは知らねえけど」


 炎獄は観音開きの扉へ向かい、片手でそれを開けた。外の白い靄と生温い風が、堂の中へゆるく流れ込む。


「お金目当てなうちはなれないと思いますけどね」

「金貸せっつったやつが何言ってんだ。おら、行くぞ」


 それだけ言い残して、炎獄は堂の外へ出る。

 中陰特有の曖昧な風が羽織の裾を揺らす。

 後ろで天望が、ああもう、と何か喚きながら慌ただしく荷物を掴んでいた。


 天望と炎獄は堂の前の石畳を数歩進んだところで足を止めた。

 少し先、謎の人だかりが出来ている。


 中陰は本来、長居する場所ではない。死者の魂が次へ向かうための通り道にすぎない。

 にもかかわらず、そこだけが妙に熱を持っていた。

 ざわめきではない。もっと低く、湿った熱気。


「人は、生まれながらに与えられた役割を脱ぎ捨て、個として在るべきである」


 よく通る声は、耳に触れるたび、少しだけ心の力が抜けていくような響きだった。


「私は私であり、あなたはあなたです。従うべき神は自分自身、即ち、御神体はあなた」


 群衆の中心に女が立ち、身振り手振りを加えながらセミナーのようなものを開いている、

 年の頃は三十前後だろうか。法衣のようで、どの宗派のものでもない出鱈目なものを着ているくせに、妙に見栄えがする。

 艶のある髪をゆるく流し、白い指先だけをよく見えるように動かしていた。

 炎獄が金棒を肩で持ち直す。


「なんだありゃ、仏じゃねえな?」

「ええ……違いますね……」


 女が、目の前の亡者に向かって微笑む。


「ずっと、誰かの期待に応えてきたのですね」


 亡者の肩がびくりと揺れる。


「はい……妻として、母として、家庭を守って……」

「ええ、そうでしょう。正しくあれ。役に立て。迷惑をかけるな。そうやって生きてきたのでしょう」


 亡者が、ゆっくりと頷いた。

 女はそれを見て、まるで最初からわかっていたように目を細める。


「それも全て、あなたが役割を果たそうとしたからこその苦なのです」


 その一言で、周囲の空気が少し変わった。張っていたものが緩む。皆、言われたかったのだとわかる顔をする。

 その言葉の形だけなら、天望にも少しわかってしまうのが嫌だった。


「神も仏も、来世も因果も、あなたに役割を押しつける言葉にすぎません」


 炎獄の目つきが、そこで一段冷えた。

 天望は息を呑む。


「大切なのは、あなたがあなたであること。ただそれだけ」

 女が両手の人差し指と小指を立て、それを胸の前で重ね合わせて菱形を作った。


「個で在れ。それだけを心に。アイ、ザイ、スーヴァ」


 取り巻き達が皆一斉に同じポーズを取る。菱形を女に向け、頭を垂れる者、涙ぐむ者。

 炎獄はそれを遠目で見て鼻で笑った。


「うっさんくせえ……」

「炎獄」


 天望が小さく炎獄の袖を掴む。


「あの人……ちょっとマズくないですか」

「んなもん見りゃわかる。わかりやすくカルトじゃねえか」

「そうじゃなくて」


 その時、群衆の中の一人が叫んだ。


「教祖様! 私、ここで、いつまでも私でいます!」

「ええ、あなたという個は、何にも変え難いものです」


 それまで少し面白がるようだった炎獄の顔がすぅと冷える。

 そこには、未練でも怨念でもない。ただ、次へ進む踏ん切りを先延ばしにする種類の熱が留まっていた。


「……なるほど。放っといたら面倒だな」

「ええ」


 炎獄は人垣の方へずかずか歩いていった。

 肩で風を切るような歩き方は、温度の違うものがその場へ入ってきたと、背中を見せていた亡者たちまで自然に気づく。


「おい」


 低い声が落ちる。何人かが振り向き、鬼の角を見た瞬間に道が割れた。


「お前、そこで何してんだ」


 女はそこで初めて、群衆越しに炎獄を見た。

 少しだけ目を細める。観察する目だった。


「皆様と少々、お話をしておりました」


 語尾まではっきりとした、自信に満ち溢れたような声。

 だが、炎獄はそこに価値を見なかった。


「お話。へえ。俺には悪質なキャッチセールスに見えたけどな。よくもまああの世で菩薩でも如来でもねえやつがでけえ顔できんな」


 あまりに身も蓋もない言い方に、天望が後ろで小さく咳払いする。女は怯む様子もなく、にっこりと微笑んだ。


「如来や菩薩といった役割に価値はありません。私は、私という個として、皆様に道を示しているだけ」


 その一言に、周囲の亡者が頷く。言ってほしいことを言われたとでもいうような顔だ。

 天望はその空気を見て、内心で舌打ちしそうになる。上手い。自分を上に置かない事で共感を得ている。


 炎獄は群衆の数をざっと見た。

 数が多いわけではない。十人程度だが、確かに中陰で足を止めたままの魂が、女の声に引っかかっている。


「なんでも良いけどよ、俺らの仕事増やすんじゃねえ。来世でやれ、来世で」

「……来世」

「後ろが詰まってんだ。転生しな」


 亡者たちがざわついた。

 女は、一瞬だけ笑みを薄くしたが、すぐに元へ戻す。


「確認ですが、転生とは、私でないものに生まれ変わるということでしょうか」

「そりゃ、お前の人生は一回終わってんだからな。新しく始めな」

「ええっと……あなたの来世……あ、メジロです。鳥の」

「へえ、悪くねえじゃん。良かったな」


 女は目を閉じて、小さく首を振った。


「生憎ですが、私が私でなくなること。それは個在教の教義に反します」

「……個在教?」


 女がゆっくり頷く。そしてよく響く声で語り出した。


「個で在れ。私は私であり、あなたはあなた。従うべき神は自分自身である。それが私を教祖とする個在教」


 女がまた指で菱形を作る。そしてその中央を口元に当て、一音一音、聴かせるように丁寧に置く。


「合言葉……あなた方で言うところの真言(マントラ)はそう――アイ、ザイ、スーヴァ」


 群衆が祈る。あちこちで、すすり泣くような気配さえ広がっていた。


トンデモあの世カルト、個在教編スタートです。

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