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5話 極楽な地獄

 地獄。生前の罪に対する罰の場所。天望と炎獄はその第一層目に降りた。

 足元の岩は赤黒く、遠くで釜の音が鳴っている。


「迂闊にそこらへん触るなよ。焦げるぞ」

「……ひえ……」


 視界の端で、亡者が鬼に突き落とされ針山に突き刺さる。

 等活地獄は地獄の中では比較的軽い責苦とされているが、それでも地獄。死んでも終わらず、泣き叫んでも許される事はない。

 鉄と硫黄、それから何か焦げたような匂いが鼻をつく。


「炎獄は……慣れてるんですよね、地獄」


 天望が呟くと、炎獄は「まあな」と答えた。


「生まれも育ちもここだからな。慣れてるっつか、これが普通」


 血の池の縁に近づくにつれ、湿った熱気が肌を撫でた。


「んな事より、どこの血の池っつった?」

「えーと、第一だそうです」

「第一地区か。じゃああっちだな」


 炎獄が周りを見回す。鉄錆びのような赤黒い水面で跳ねたものが何かなんて、天望には想像もつかなかった。


 一際大きな池へと足を進めていく途中の道の脇に、簡素な立て札がいくつも並んでいる。

 血の池第一地区、管理責任者名、緊急時の連絡先、責苦進行表。どれも事務的で、だからこそ余計に怖い。

 天望は無意識に袖口を握った。ここでは苦しみさえきちんと区分され、番号を振られ、運用されている。


 地獄は混沌ではない。秩序立って人を罰している。そこが何より、極楽と違っていた。


「炎獄はここで仕事してたんですか?」

「閻魔の補佐官やる前はな」

「へえ……こう、沈めたり?」

「最初はな。そこから獄卒の手配やって管理やって、で、閻魔の補佐官」

「ゴリゴリの叩き上げ……」

「まあな」


 その時、ばっしゃん、と大きく飛んだ飛沫が、ちょうど池の縁へ歩み出た炎獄の肩から頬へまともにかかった。


「うわっ……」


 天望が反射的に身を引く。

 熱を持った赤黒い雫が、炎獄の首筋を伝って落ちた。

 炎獄は眉間に皺を寄せ、黙って手の甲で頬をひとつ拭う。


「あー!! 炎獄様!」


 炎獄が手についた雫を払っていると、血の池を管理する獄卒が慌てて駆け寄ってきた。


「申し訳ございません!! お前! また沈めるぞ!」

「あァッお仕置きかい!? 良いねェ! 息が詰まって意識が遠のいていく感覚、嫌いじゃないんだァッ!」


 恍惚とも言える表情をした亡者が、血の池に腰まで浸かっている。その両手を胸の前で組んで、いやにぎらつかせた眼差しで炎獄に視線を向けた。


「元気だな」


 炎獄が口の端を歪ませる。

 獄卒が軽く頭を下げながら、申し訳なさそうにしていた。


「すいません、この亡者どんな責苦も“ご褒美”って言うんですよ……」

「あ? なんだそれ。歪んでんな」

「はうっ、褒め言葉ですゥ……ッ」


 その脇で天望が書類を開く。

 書類と亡者を交互に見ながら、ひとつひとつ確認するように書類の段落を指でなぞった。


「えー……その人ですね、対象の亡者」

「だと思ったよ」


 天望は確認するように、亡者の名前、死因、その下の罪状を読み進める。

 行をひとつずつ確かめるごとに、表情が渋くなっていく。


「真鍋龍之介、死因は……えー……まあ、窒息……」


 天望が言い淀むと、炎獄は天望の隣へ半歩寄って肩越しに無遠慮に書類を覗き込んだ。

 その手から書類を取り上げると、抑揚のない声で読み上げる。


「死因、快楽を目的とした酸欠を伴う自主的な危険行為による事故死。罪状、複数人へ同様の危険行為の強要……」


 炎獄が一拍置いて書類から目を離し、そこに書かれていたろくでもなさを確かめるように亡者の顔を見た。


「……つまりお前、ド変態って事か」


 直球火の玉ストレート。だが、真鍋はまた心底嬉しそうに頬を赤らめた。


「良い響き……っ! その心底軽蔑してるひっくい声……!!」

「…………」


 炎獄の口の端がひくついた。その隣の天望が真鍋に手を翳す。


「彼の来世、豚ですね」

「……良いじゃねえか、本物になれるぞ」


 真鍋がはぁ、と息を吐く。まるでわかってないとでも言いたげだった。


「前にも聞いたよ。そりゃ、悪くないよ? でもね、最高なんだよ、ここは……」


 真鍋が拳を握りしめる。その拳から赤黒い雫が滴り落ちた。


「ギリギリを攻める必要がないのさ。あっ死ぬ、って思ったらそのまま死んでる。かと思ったら次の瞬間生き返ってる。無限ループだ。その上」


 真鍋は炎獄と天望にちらりと目をやると、肩を小さく震わせた。寒さではない。内側からこみ上げる何かに、耐えきれず身を震わせているようだった。


「……ほらァ……みんなその目で僕を見る……ッ」


 天望はそっと半歩引いた。地獄に来てから色々見たが、この種類のぞわぞわは初めてだった。

 炎獄は真鍋の言葉が終わるまで黙っていたが、最後まで聞いたところでようやく低く吐き捨てた。


「……キッツ……」


 炎獄は天井を仰いだ。鳥肌の治らない天望が腕をさすりながら炎獄を見上げた。


「こういうタイプの亡者、炎獄でも初めてですか?」

「流石にここまでのは居ねえよ……」


 頭痛でも堪えるみたいな仕草だったが、多分ただ単に見たくなかっただけだ。


「こんなの、地獄じゃなくて極楽だよ!」


 真鍋の声は無駄に力強かった。

 獄卒が深く息を吐く。顔には明らかに疲労が浮かんでいた。


「この調子で、とにかくここにいるの一点張りなんです……」

「まあ、事情はわかった。」


 炎獄が肩に担いだ金棒を地面に突き立てる。首を鳴らし、片手で金棒を振り上げると、真鍋を見下ろして炎を纏わせた。


「言ってわからねえなら、ぶん殴って体でわからせるしかねえだろ」

「はへぇ!?!?」


 真鍋の目が光る。


「はぁあッ! すごい、素で“体でわからせ”なんて出てくる人初めて!! ご主人様と呼ばせて下さい!!」

「やだよキッショい」


 炎獄が金棒を振り下ろすと、血飛沫が勢い良く上がる。

 真鍋のものか、血の池のものかわからない赤が玉になって宙を飛ぶ。

 真鍋はしばらく血の池の底でぶくぶくと泡が登ってきていたが、やがて完全に沈黙した。


「ちょ、ちょっと炎獄! 何してるんですか!」

「心配いらねえよ。おい、上がれ」


 炎獄が血の池に声をかけると、またそこからひとつ水泡が浮かんでぱちんと弾ける。

 次の瞬間、大きな水音を立てて、頭が半分なくなった真鍋が勢い良く水面を突き破って現れた。


「ぎゃあああああ!?」


 天望が思わず叫ぶ。無理もない、全身を紅に染め、少しずつ再生する頭。にもかかわらず口元はニマニマと弧を描いているのだから、とんでもないスプラッターホラーだ。


「ありがとうございますゥッ!!」


 絶対に間違っている礼の言葉が地獄に響く。

 真鍋は再生した瞳で炎獄を見ると、浅く小刻みに息を吐いて胸を上下させながら、縋るように血の池の淵に手を掛けた。


「次、次は何ですか、緊縛? 蝋燭? 窒息が僕は一番キくんですが、どうぞしたいように……ッ」


 炎獄は口を開きかけて、閉じた。罵倒の語彙すら一瞬出てこないくらいには引いていた。

 炎獄の目は普段の威圧ではなく、明確に“気持ち悪いものを見る目”をしていた。


「……どうすっかな……」


 正直なところ、炎獄は困っていた。

 普通なら金棒で殴れば大体の亡者は黙る。少なくとも泣くか、命乞いをする。倒錯している亡者が今まで居なかった訳ではないが、頭を潰されてなおブレない亡者は初めてだった。

 なんならむしろ喜んでいる。炎獄はどうしたものかと角の付け根を爪で掻き、眉間に皺を寄せて唸った。


「あの、炎獄」


 天望が下から覗き込むように炎獄に声をかける。気付いた炎獄が「あ?」と小さく声を出した。


「要は、この人に地獄は良いところじゃない、って思わせたら良いんですよね」

「ああ……まあ、そうなるな」

「でしたら、私に任せてみませんか」


 天望が血の池の淵にしゃがみ込む。

 真鍋に手を差し伸べた。


「本当の地獄、見せてあげます」


 地獄には似合わない、極楽仕様の微笑みが真鍋を照らした。

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