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4話 地獄からの依頼

 ばららっ、と鉄扇が開く。ぱちん、と閉じる。

 地獄の王が手慰みにそれを繰り返す時、大抵面白がっている。


 黒と紫を基調にした装束を気だるげに着崩し、閻魔を示す梵字の書かれた冠だけはきっちり載せたその姿は、人々が絵巻に描いた閻魔大王とは違ってやけに若い男だった。


「いや、いやいやいや……」


 口の端を片方だけ吊り上げて、嘲笑にも見える笑みを浮かべている。

 下がった眉で優しげにも、飄々としているようにも見えるその顔の奥で、目だけがひどく醒めていた。


 閻魔の前には、大きな水晶の鏡があった。死者の生前を映し、裁きの根拠となる地獄の宝具。浄玻璃の鏡と呼ばれるもの。

 だが今その鏡面に映っているのは亡者ではなく、中陰で騒ぐ鬼と天女の姿だった。

 閻魔は鏡から目を離さないまま、背後の金の気配に言う。


「おい、お前んとこの天女マジかよ」


 地獄に不釣り合いな蓮の香りは、いつから漂っていたのかわからない。

 釈迦は最初からそこにいたような顔で立っていた。

 鏡面の向こうでは、鬼が不機嫌そうに腕を組み、天女がそれに何か噛みついている。


焔摩天(えんまてん)、そちらの人選も大概ですよ」

「そうかねえ」


 閻魔がゆるく釈迦に首を向けた。黒髪を指に巻き付け、滑らせては離す。


「お前が菩薩志望の特例を寄越すっつうから、よっぽど優秀なんだろと思ってこっちも炎獄出したってのに……蓋開けたらなんだよあの問題児」


 鉄扇の先で鏡を差す。釈迦が首を鏡に向けた。


「私は初めから、事実のみ申し上げておりましたよ」

「てめ、嘘はついてねえけどミスリードはしてんだろ」

「いいえ、まさか」


 釈迦は柔らかく微笑んでいたが、その実ひとつも譲っていない顔だった。


「彼女は特例です。本来、欲を抱いたまま輪廻を外れ天女になるなど、あり得ないのですから」

「あり得ない、ねえ」


 しばし、鏡の向こうの騒ぎだけが二人の間を埋めた。

 鉄扇がぱしんと音を立てて小気味よく閉じる。


「うちの可愛い炎獄は、付いていけるのかねえ、その特例ちゃんに」


 閻魔の口元には、からかう時特有の薄い笑みが浮かんでいた。


「こちらとしても意外でした。あなた、炎獄鬼を大層気に入っていらしたので。手放すとは」

「手放したわけじゃねえけど。まぁ」


 閻魔は鉄扇の骨を指先で弄びながら、鏡面の向こうを眺める。


「地獄だけが世界じゃねえって、あいつが思えりゃいいんだけど」


 釈迦はすぐには返さず、ただ静かに閻魔を見た。


「……焔摩天、それは彼に伝えましたか?」

「え? いや全く」


 釈迦は袖の中で指を組み直した。たしなめるべきか、ひとまず流すべきかを一拍だけ測っている。


「あなた、どうして余計な事は百言うのに、大切な事は一も言わぬのですか」

「炎獄ならわかってくれるっしょ」

「伝わってないですよ、あれは」

「大丈夫大丈夫」


 閻魔は深刻さを扇で追い払うように、ひらりと手元を動かした。


「なんにせよ一旦様子見じゃね。ここで本閉じるのは早計だろ」

「ええ。これも縁で、因果です」

「ま、お前の頼みじゃなきゃ聞かねえよ」

「信頼しておりますから。焔摩天」


 釈迦の足元に蓮が花開く。爪先をその蓮の上へ乗せようとした時、閻魔が声を掛けた。


「なあ、釈迦」

「なんです」

「お前さあ、いい加減、閻魔大王様って呼べよ」


 釈迦はにっこり微笑んだ。


「嫌です。焔摩天」


 蓮が閉じる。釈迦の体を包み込み、金の粒になってあっという間に消えてしまった。

 閻魔は釈迦がいなくなった後の空間を見届けてから、玉座に体重を預ける。いっそ機嫌よさそうですらあった。


「食えねえの」


 蓮の残り香と鏡の中の喧騒が、地獄の裁判所内を満たしていた。


 *


 中陰の堂は、今日も狭い。

 亡者が炎獄の前でへらへら笑い、その横で天望が右手でホチキス留めされた書類をめくった。


「生前は動画配信者だそうで……他人の家に突撃、玄関に生肉を投げつけ炎上。死因、無断立ち入り先の飼い犬に噛まれて転倒、頭部強打」

「地獄でいいだろ」

「そういうわけにも」


 炎獄は首の後ろをがりがり掻きながら、背もたれに体重を預ける。


「で、転生先が」

「美少女希望です! 黒髪ロングの地雷系とか好きです!」

「希望は聞いてねえ」


 天望がまあまあ、と炎獄を宥め、亡者に書類を手渡す。

 そこに記された転生先の案内。海苔。


「海苔!?!?」

「海藻ですね。仲間と一緒にぎゅってされて、タレ付けて乾燥されます」

「味付海苔!?」

「味つく頃には意識ないと思いますけどね」


 炎獄は面倒そうに眉間を押さえて、男の手元にあるものと同じ書類を見る。


「因みに他の候補はタンブルウィードなんだが」

「……何ですか? それ」

「サバンナとか西部劇で転がってるあの丸い草の塊あるだろ。アレ」

「サバンナで転がってるアレ!?」


 アレはもう枯れたやつじゃないのかという叫びをよそに、天望が亡者の肩を叩く。


「サバンナは暑いし寒いし、ライオンのおもちゃにされますよ。多分海苔の方がマシですよ」


 亡者は下唇を噛みながら、ぐぅ、と唸りしばらく考えていたが、やがて顔を上げた。


「海苔の次は人になれますか?」

「海苔でどこまで徳積めるかによるな」

「海苔で徳を……?」

「美味しく食べて貰って、人の血肉になるの、徳ポイント高いですよ! 来々世に期待出来ます!」


 ね、ときらきらした目で見てくる天望に、亡者は根負けしたように息を吐いた。


「わかりました……一旦海苔で……」

「よし。承認」


 炎獄が書類に判を押すと、亡者は少しずつ光の粒となる。

 消える間際、ブラーのかかったような声で、海苔……というつぶやきが残った。


「これで今日四人目か。ま、順調じゃねえの?」

「あれで本当に納得しているんでしょうか……」

「してんだろ。この場は。転生してから思ってたのと違うとか言われても、んなもん俺らの知ったこっちゃねえ」

「あのねえ……そういう態度……」


 天望が顔を上げたところで、空気が変わった。

 湿っているようでいて、それなのに乾いていて、妙に華やか。場にいる全員に俺を見ろと言わんばかりの気配が近付いてくる。

 炎獄が先に眉を寄せた。


「……あ?」


 次の瞬間、観音開きの扉がからりと開いた。


「おっつかれぇ。やってるぅ?」


 あまりにも軽い声と一緒に、ひらひらと袖を揺らして入ってきたのは、地獄の王、閻魔だった。


「閻魔様!?」


 天望が反射的に立ち上がる。

 炎獄は座ったまま、露骨に嫌そうな顔をした。


「てめえ、何しに来た」


 閻魔は肩をすくめ、震えるような真似をする。


「嫌そうな顔すんなよ、傷ついちゃうだろ」

「どの口が言うんだ。騙し討ちみてえな真似してこんなとこに厄介払いしやがって。俺が気に食わなかったんならそう言えば良かっただろ」


 炎獄の角の先で火花がばちっと音を立てる。閻魔は手に持った鉄扇を口元に当て、おおこわ、とわざとらしく震えて見せた。


「厄介払いじゃねーよ。適材適所。お前ならやれるって信頼してんだよ、俺の優しさじゃん」

「ほざけ。てめえはいっつも面倒ばっか押し付けやがって」

「炎獄ぅ、カリカリすんなよ。カワイイ天女とお仕事できんだぜ? 感謝してくんねえ?」


 堂の中の空気がじわりと熱くなる。天望はおろおろと二人を見比べた。


「殺すぞクソジジイ」

「へーえ。やってみな」


 炎獄のそれはとてもじゃないが地獄の王に対する口の利き方ではない。だが炎獄は今さら止まる気配もない。

 閻魔もまた、それを諌める気など最初から無さそうだった。


「で、あの、何の用ですか……?」


 天望がおずおずと尋ねると、閻魔は「ああ、そうそう」と思い出したように指を鳴らした。


「お仕事のご依頼でーす」


 閻魔は懐から一枚の紙を引き抜き、ひらひら振った。


「地獄に居る亡者なんだけど、刑期終わっても出たがらないんだよね」

「そんなことあります?」

「普通はないよ。どんな転生先でも地獄によりはマシだもん。でもこいつ、まだ地獄がいいって聞かねえの」

「何だそいつ……地獄って事は罪人だろ」

「うん、ちゃんと悪い奴」


 閻魔は鉄扇をくるりと回しながら、へらへらと笑っていた。その態度だけ見れば、とても地獄の王には見えない。


「というわけで、説得よろ!」


 閻魔は差し出した紙を炎獄ではなく、わざと天望の方へ渡す。

 天望が受け取ると、紙の端に焼印のような閻魔のサインが浮かんだ。


「おい、閻魔」

「じゃ、頼んだよ。失敗したら二人とも地獄ね」


 閻魔は自らの影に包まれてその場から姿を消した。冗談か本気かわからない言葉を残して。


 天望は手渡された書類を見る。

 等活地獄。第一血の池。閻魔管轄案件。


「……地獄」


 天望が書類を見ながら呟く。天望が今まで関わる事のなかった、未知の領域。

 炎獄は閻魔の消えた後の空間を見つめ、舌打ちをひとつした。

閻魔が最推しです

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