22話 修羅道改造計画
数日後。修羅道の端が、朝からやけに騒がしい。
あの怒号ではなく、もっと乾いた現実的な音。
石を運ぶ音。木材を組む音。鉄を打つ音。戦場に本来聞こえるはずのない種類の喧騒が、赤茶けた荒野の一角だけに妙に密集していた。
土埃の立つその場所で、獄卒たちが額に汗を浮かべながら忙しなく動いている。獄卒が木材を担いで走るたび、修羅道の土がざくざくと崩れた。地獄の現場で鍛えた連中だけあって、動きに迷いはない。
掘り返された地面。組み上がりかけた木枠。太い管のようなものまで地中へ伸びているのが見えた。
「お疲れ。ほどほどに休めよ」
炎獄がクーラーボックス片手に獄卒に声を掛ける。
「炎獄様! ありがとうございます、いただきます!」
「進捗どうだ」
「予定通り、血の池温度管理菅を下に通す作業が今日いければ問題ないです」
「よし。ちゃんと逐一確認しろよ」
「もちろんです! ご安全に!」
赤い荒野の向こうで、地熱の噴く音がごうと鳴る。
炎獄が湯温を確かめに手を突っ込んで、もう少しだな、とだけ言って獄卒に顎をしゃくる。その一言で、周りの鬼が一斉に持ち場へ散った。
炎獄が手についた水を払って工事現場の囲いから出ると、天望が前で作業手順書を眺めていた。
ヘルメットを被り紙束を抱えた姿は、天女というより完全に締切前の現場監督だった。
「あ、どうでした」
「予定通りいけそうってよ」
「良かった、じゃあオープン告知打てますね!」
天望がぐっと拳を握る。炎獄が横から天望から手順書の挟まったバインダーを覗き込んだ。
「つーか、よく許可取れたな」
「炎獄を見習って、お釈迦様使いました!」
「……俺のせいか……」
炎獄が眉間を抑える。あまり良くないことを教えてしまったらしい。が、実際役に立つし不都合もないので叱りようがない。
炎獄は少し困ったような顔のまま、息混じりに言った。
「しかしよく思い付くよな、修羅道に温泉作るなんてよ」
天望がにっと歯を見せた。少しだけ悪い笑みだった。
何故こんな事になっているかというと、話はふた月前に遡る。
阿弥陀宮の最奥で、阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来の三尊が蓮座に揃っていた。
如来は基本的に、お互いが何か干渉することはあまりない。だというのに、どういうわけか三如来が雁首揃え、煌びやかな後光を放ちながらじっとただ一人の天女に目を向けていた。
「えー、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ただいまより、獄楽部輪廻転生推進課のプレゼンを開始したいと思います」
ホワイトボードの前で、天望がマーカーを片手に頭を下げる。
炎獄が如来達にホチキス留めされた資料を手渡した。
一枚目にはゴシック体で“修羅道 土地改造計画”と記されている。
釈迦が手元の資料を見ながら呟いた。
「……天望天女、あなたがどうしてもと言うので場を設けましたが……」
「お時間いただきありがとうございます!」
「ええ、蓮池の縁を散歩していたら、まさかいきなり土下座されるとは思いませんでした」
「プライドなんてあっても苦なので!!」
「教義の曲解がすごいんですよあなたは」
天望がホワイトボードに手を掛ける。炎獄が黙ってその反対側でボードを支えた。
天望が咳払いをひとつして、如来達を見据えた。
「人は皆、極楽を望みます」
言い切る。阿弥陀宮に、その声だけがまっすぐ響いた。
「阿修羅様の怒りを、一度冷静に考えさせるため、どうかお力をお貸しください!」
釈迦がもう面倒の気配を察している顔をしていた。
阿弥陀は面白そうに口元を緩めている。
薬師は頬杖もつかず、きちんと天望の方へ身体を向けていた。
天望はその反応の違いなど気にせず、ホワイトボードにマーカーを走らせる。
「阿弥陀如来様のご利益は、苦しみの根本にある不安や孤立感を和らげ、どのような状況でも最後は救い取ってくださる“安心”です」
「うんうん」
阿弥陀が楽しげに頷く。口髭を撫でながら興味深そうにしていた。
「薬師如来様のご利益は、身体健康と心身安楽」
薬師は黙っている。だが、否定もしなかった。
「そして、お釈迦様のご利益は、人々の迷いを救うこと」
天望はそこへ一歩、踏み込む。
「これら全て、極楽へ導くものです。ですが、極楽へは全員が向かうわけではありません」
そこで天望は一度だけ息を吸った。
ボードを叩きこそしなかったが、勢いだけはその寸前。
「しかし!!」
天望の声に、釈迦の指がぴくりと動く。
「現世でも、地獄でも、どこでも、人が思わず“極楽……”と呟いてしまう場所がある!」
阿弥陀の肩が小さく揺れた。笑いを堪えているのが丸わかりだった。
薬師だけが真面目に続きを待っている。
天望はその全てを受けて、満面の確信をもってホワイトボードをくるりと回した。
「それが、温泉です!!!」
温泉!!!とだけ書かれた意味のないボードに、ついに阿弥陀が吹き出した。
「ふふふ……なるほど……」
阿弥陀が少し震えていた。釈迦は目を閉じた。
薬師はまだ真面目な顔を崩さない。
「人はお湯に浸かる時、一度全ての考えが解けます。お湯に浸かる瞬間、もうお湯の事しか考えてません!!」
炎獄が、そうなのか……?と首を捻りかけたが、顔に出さないように耐えた。
「修羅道に温泉を作ることで、一時的に怒りを和らげ、自らを省みることができる。すると、思考は進み、輪廻へ踏み出す可能性が高くなると考えます!」
会議室に、ひと呼吸ぶんの沈黙が落ちた。
「……ほぉー……」
阿弥陀は蓮座を撫でながら頷き、薬師は顎に手を当てて考え込み、釈迦がずっと無の顔をしていた。
阿弥陀は笑みを残したまま、ページに目を落とす。
「具体的にどうするつもりなんだい」
待ってましたと言わんばかりに、天望は資料を掲げた。
「血の池システムを再利用します!」
釈迦の肩が目に見えて落ちた。
「地獄の煮えたぎる血の池の保温構造、あれを使いまして、地獄では百度以上で運用しているところを、修羅道では快適な四十二度に設定。毎朝、薬師如来様のお薬を少しずつ入れ、薬湯にすれば常に清潔です!」
薬師の眉がわずかに上がる。興味を引かれた顔だった。
「それだと管理者も必要だろう」
「そこは獄卒からアルバイトを募集しようかと!」
天望は間髪入れない。勢いのまま炎獄を指差す。
「こちらの炎獄鬼は元閻魔大王補佐官であり、現場叩き上げの鬼です! 彼が一声掛ければ人員確保は問題ありません! 力の有り余った鬼も多いですし、修羅道の亡者も制することができます!」
薬師が小さく頷く。完全に検討モードに入っていた。
釈迦が、額の白毫を抑える。静かに、しかしとても嫌な予感がしている声で言う。
「…………天望天女。その地獄のシステムは焔摩天の管轄かと思いますが……許可は」
天望はにっこり笑った。
「これから炎獄が取ります!」
炎獄が軽く頭を下げる。釈迦が再び頭を抱えた。
「お釈迦様、阿弥陀様、薬師様の許可がいただければ、閻魔様も嫌とは言わないと思いまして!」
阿弥陀はとうとう我慢できなくなったように、からからと笑う。
「あはははは!! とてつもなく他力本願だが、その願いを拾い救うのが、確かに私達仏だ」
阿弥陀が顎を撫でながら、天望の作った資料に視線を向けた。最後のページまで読んで、天望を見る。
「わかった、やってみなさい」
釈迦がゆっくり顔を上げた。
「阿弥陀……」
「人の心をほぐす試みだろう? 衆生救済の理に反していないよ」
薬師も書類へ目を落としたまま、淡々と口を開く。
「人の精神の病理を治す試みならば、私も反対する理由はない」
釈迦の視線が、今度は薬師へ向く。
「薬師……」
阿弥陀は楽しそうに笑ったまま、手をひらりと振った。
「釈迦、いいじゃないか。これで救われる魂があるならば」
釈迦は諦めたように目を伏せた。
「……諸行無常……」
釈迦が低くそう呟いた時、天望は小さく拳を握った。
そんなこんなで如来三尊の許可という最強カードを手に入れた天望は、次から次へと話を進め今に至る。
炎獄から話を聞いた閻魔が転げ回って死ぬほど笑った挙句に咽せて泣いていたらしいが、無事に二つ返事で血の池温度管理システムの利用許可も降りた。
「マジでお前どういう肝の座り方してんだよ……如来の前で大見得切るやつ、お前くらいだろ」
「閻魔様に喧嘩売る炎獄に言われたくないですねえ」
「種類違うだろ……あの空間マジで居づらかったわ俺。すげえ眩しいし」
炎獄が思い出したように目元を抑える。
湯屋の看板を掛ける時、釘が一本だけ曲がった。
天望が騒ぎ、炎獄が黙って引き抜き、指先の火で炙って真っ直ぐにしてから打ち直す。
天望は鉄の打つ音を聞きながら、満足そうに腰に手を当てて胸を張った。
「……あ」
天望がふと見上げる。視線の先、高く切り立った岩場の上に、一人立っていた。
逆光に輪郭だけが黒く浮かぶ。腕を組み、眼下の修羅道をただ黙って見下ろしている。
風が吹くたび、その長い髪だけがゆっくり揺れた。
「……阿修羅様」
天望が小さく呟く。炎獄も目を上げ、鼻を鳴らした。
「相変わらず高ぇとこ好きだな、あいつ」
「一応、書面で許可はいただきましたが……」
「話さねえってのも気持ち悪いな。行くぞ」
「はい」
二人は岩場へ向かって歩き出した。




