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2話 弾まない会話はとっとと切り上げるに限る

 白い霧がゆったり流れ、朝なのか夕なのかわからない光が差し込む中、まばらに魂がゆらゆらとあてもなく歩いている。


 天望は両手でダンボールを抱え、極楽の観光課から地獄との境目、中陰という場所に位置する堂へと移動していた。

 詰め込んだ私物は、思ったよりも少ない。カレンダー、メモ帳、卓上扇風機やら何やら。

 入り口の脇に、“獄楽部輪廻転生推進課”と書かれた木の札が申し訳程度に掛かっている。


「お邪魔しまぁす……」


 扉を足で押し開くと、すぐ畳の間。中央に小さな机がコの字に置かれただけの、十畳程度の簡素な部屋だった。

 少し埃っぽい匂いがして、この場所にろくに人の出入りが無かったのが感じ取れる。


「いや、左遷じゃん……」


 ダンボールを入って右の机の上に置き、軽く机の上を指でなぞる。その指の軌跡が、はっきり机に残った。


「きったな」


 ダンボールからウエットティッシュを取り出して机を拭く。集まった埃が灰色に固まったのを見て、天望は鼻がむず痒くなるような気がした。


 並んだ机を拭いていると、背後で扉が開く。ティッシュを持ったまま顔を上げると、金棒ひとつだけ持って肩に載せた炎獄が堂の入り口をくぐるようにして入ってきていた。

 炎獄の足に合わせて、畳が軋む。


「おはよう、ございます」

「……ああ、おう」


 炎獄は机をざっと見て、入って正面の机の前に腰を下ろす。

 金棒を壁に立て掛け、あからさまに不機嫌を撒き散らして足を組んだ。


「あの」

「あ?」

「荷物、それだけですか?」


 天望が金棒を指差す。炎獄はちらりと横目で見ると、椅子の背もたれに寄りかかった。


「別に他いるもんねえだろ」

「……良いなら良いですけど」


 天望はウェットティッシュを丸めてゴミ箱へ放った。

 炎獄は何も言わず、ただ爪で耳を掻いてあくびをひとつ。


「あの」

「あ?」

「自己紹介、しませんか」


 天望がそう言うと、炎獄は耳を掻く指先を止め、どうぞ、と顎で促した。

 この時点で、天望はすでにこの鬼とやっていけるかだいぶ不安だったが、突然こんな掘建て小屋に異動させられて不満な気持ちもわかるので、ひとまず許してやる事にした。

 軽く咳払いして、天望はにっこりと微笑む。


「極楽庁、観光課から異動して来ました。天望と申します。天を望むと書いて、てんほう。麻雀の時よく縁起がいい名前と言われます、よろしくお願いします。」


 おじさんウケの良い挨拶をひとつ持っておくと、何かと便利だ。ここでひと笑いくらい取れないかと思ったが、炎獄はくすりともしなかった。


「炎獄鬼だ。炎獄でいい」


 仏頂面で足を組んだまま、炎獄は低い声で返した。


「炎獄鬼さん。じゃ、炎獄って呼びますね」

「ああ」

「炎獄って、鬼ですよね。私鬼ってあんまり周りにいなかったのですごい新鮮で」

「おう」

「……よろしくお願いしまーす」


 びっくりするくらい会話が弾まない。というより、炎獄に弾ませる気が無い。

 天望は「なんだこいつ」という本音をぐっと押し込んで、笑顔を作った。口の端をひくつかせている事以外は完璧だ。


「あの、一応、業務内容の確認なんですけど」

「……」

「えー……今あの世に居る魂をどんどん輪廻に回しちゃって容量を開けよう! というのが、我々、獄楽部輪廻転生推進課の仕事――で合ってます?」

「多分」


 天望は釈迦から渡された資料を、時折炎獄に視線を向けつつ噛み砕いて読む。

 細かい文字がぎっしり並んでいて、観光課のパンフレットとはだいぶ勝手が違った。


 炎獄は机に肘をついたまま、面倒くさそうに手をひらひら振った。


「ま、要はふらついてる亡者説得して、とっとと現世に送れって話だろ」

「そういうことですね」


 天望が机の上に資料を置く。結局のところ、今まで面倒で誰もやっていなかった業務を押し付けられたにすぎない。


「因みにノルマ、一日五件転生だそうです」

「……ノルマ?」

「ええ、努力目標という名の」


 天望が資料を指先で叩く。

 そこには“業務目標設定”と書かれていた。


「達成しなかったらなんだってんだよ」

「決まってるじゃないですか」


 天望は指をぴんと立てたかと思うと、仏のポーズをなぞるように中指と親指でゆっくり輪を作った後、くるりと手首を回して輪を上に向けた。


「ボーナス査定に響きます」


 ありがたみの欠片もない現実のカネの話に、炎獄は面倒くさそうに顔を歪めた。


「馬鹿じゃねえの」


 そう低く吐き捨てて立ち上がると、金棒を手に取り歩き出した。


「え、ちょっと、どこ行くんですか」

「決まってんだろ。適当な魂ぶん殴って転生させんだよ。こんな仕事とっとと終わらせて俺は閻魔の所戻る」

「ま、待って下さい」


 天望が炎獄の腕を掴む。手のひらが熱い。炎の鬼の高い体温が、種族の違いを示すようだった。


「話聞いてなかったんですか? 転生に納得させないといけないんですよ」

「だから、“納得”させんだろ。力で」

「それを納得とは言いません!」


 炎獄が足を止める。口を真一文字に結んだ天望を、赤い瞳が見下ろした。


「お前、仕事向いてねえんじゃねえの」


 苛立ちを隠しもしない、低い声が落ちた。


「理想語るのはいいが、折り合いはつけろ。相手する全員が極楽の甘ったれじゃねえんだぞ」

「そっくりそのままお返しします。ここは地獄じゃありません」


 二人の間に沈黙が流れる。炎獄が睨んでも、天望は視線を逸らさなかった。炎獄が軽く舌打ちを鳴らす。


「お説教で亡者が変わるなら、地獄なんかいらねえんだよ」

「対話で分かり合えます。仏の道は、そうして開かれます」

「はっ、仏の道。へえ」


 炎獄が小馬鹿にするように短く息を吐く。


「お前に何が出来んのか知らねえけど、ま、頑張れば? 俺は定時来たら帰るけど」

「……やってやりますよ。私はいつか菩薩になって、お釈迦様に報いるんです!」


 掴んだ腕を乱暴に振り払って、天望は炎獄を追い抜かして堂の観音開きの扉を開けて外へ出る。

 何度かバウンドして閉まる扉を見ながら、炎獄は金棒を肩に担ぎ直した。


「……ぼさつ?」


 片方だけ上がった口角の向こうに、鬼の牙が覗いていた。

 堂の中は、まだ少し埃が舞っている。


 *


「むっっっ……かつくぅううう……!!!」


 天望は堂を出るなり、石畳をどすどすと踏み鳴らして歩いた。足元の白い靄が蹴散らされ、裾のまわりで渦を巻く。

 言い返した時は気分が良かったのに、数歩歩いたあたりから段々腹が立ってきた。


「向いてないとか甘ったれとか……すっごい失礼……暴力筋肉鬼に改名しろ……」


 天望は怒りを引きずったまま中陰の道を進んだ。

 堂を離れるほど、人の気配は薄くなる。

 極楽とも地獄ともつかないこの場所は、どこまでも曖昧だ。風も無いのに白い霧だけが足元でゆっくり流れていく。

 その時、霧の向こうで一つの影がぴくりと揺れた。


「帰りたい……帰りたい……」


 男の魂が、石灯籠の脇で膝を抱えてうずくまっている。

 魂はしきりに何かぶつぶつと呟きながら震えていた。


「あの……どうしました?」


 天望が声を掛けると、男は顔を上げた。

 天望の姿を見てしばらく固まった後、ぶわっ、と目から涙を溢す。


「わ、わ、わ、なんで泣くんですか」

「ごめんなさい……僕、死ぬなんて、思ってなくて」


 男は鼻をすすりながらしゃくりあげる。

 天望が目線を合わせるようにしゃがむと、男はつっかえながら少しずつ話し始めた。


「大事な人がいるんです、もうすぐ結婚するはずだったんです。でも、事故なんて、僕」


 ああ、と天望は指に力を込めた。死んだ事を受け入れられない魂は多い。特に天災や事故で死んだ魂にその傾向は顕著に現れる。


「お辛い事でしょう。現世に未練を残しているのですね」

「一目でいいんです、ひなたに会いたい。お別れすら言えずに離れるなんてあんまりだ。お願いです、生き返らせて下さい」


 天望は胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。

 気の毒だとは思う。思うが、生き返らせるとなると天望の領域ではない。


 叶えられない願いまで請け負えば、それは導きではなくただの嘘になってしまう。

 だけどその声には、置き去りにされる者だけが知る響きがあった。天望には、それを知らないふりができなかった。


「……生き返る事は出来ないんです。しかし、新たな生を受け、もう一度やり直す事は出来ます」

「もう一度……」

「待ってください、あなたの転生先を調べますね」


 天望は男の額あたりに両手を翳し、指先に集中する。

 目を閉じ、男の気の流れを読む。頭の中に広がるイメージは、そのまま彼の転生先を映し出す。


 ――閑静な住宅街――夕陽が影を落とす公園――その片隅の植木――で勝手に発芽するヒナゲシ。外来種。


(……あー……植物かあ……)


 決して悪くはない。植物は誘惑に負ける事がないので徳を積みやすい。が、今の彼の望みは何ひとつ叶わないだろう。

 絶対に納得しない予感はしたが、伝えないわけにもいかなかった。

 天望は必死に頭の中で言葉を組み立てた。


「……可憐な花となり、風に揺れ、春には美しく咲き誇るでしょう」


 うん、いい感じに上手い事言った。と天望は自画自賛しながら目を開ける。


「花……」


 男の表情は、分かりやすく絶望していた。


「……ですよね」


 大抵の魂は、人間かせめて動物くらいには転生できるだろうと思っている。

 なのに、話を聞いてみたら花。そりゃそんな顔にもなる。


「なんとか、なんとかならないんですか。せめて、ペットとか、ひなたのそばにいれるような」

「生憎ですが、転生先を決めているのは私ではないので……」


 男の目からまたぼたぼた大粒の涙が溢れる。

 ひなたという婚約者を余程愛していたのだろう。来世までそばに居たいと思える存在がいたというのは、少し羨ましくもある。


「……ひなた……弱い子なんです……俺が居ないとダメで……笑顔が可愛くて、ちょっとした事で怒って……喧嘩もしたけど、一生守るって決めたのに……」


 天望は小さく息を飲んだ。

 出来ません、諦めてくれ。と切り捨てるのは簡単だった。しかしそれではこの魂があまりにも浮かばれない。

 そんなの、ぶん殴って終わらせるのと同じことだ。

 ならば、少しだけ寄り道を許すことはできないか。

 天望はそういう打算や抜け道を探すのが得意だった。


「生き返るのも、転生先を変えるのも無理ですが……一目だけなら、会わせてあげられます」


 男がゆっくり顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃのまま、震える唇で小さな声が漏れた。


「本当に……?」


 溜まった涙がまつ毛の上で玉になる。天望は少し周りを気にしながら、小声で男に言った。


「本来現世に降りるのはお盆の時期だけなのですが……遠くから見るだけであれば、連れて行く事はできます」


 それは極楽基準で言えば規定違反スレスレだった。

 だが、ここは中陰。極楽でも地獄でもない。ダメって言われてないんで! で押し切れば、まだ誰も何も言えない領域。


「ありがとうございます……仏様……」


 男が天望の手を取り頭を下げる。

 仏様と呼ばれて感謝されるのは、とにかく気分が良い。


「……じゃあ、声は出さないでくださいね。見つかると面倒なんで」


 小声でそう言って、天望は男の手首に少し力を篭める。

 肉体のない魂は、ひどく軽い。指先がそのまま抜けてしまいそうな頼りなさだった。


 白い霧が足元からふわりとのぼり、やがて周りが見えなくなるほど濃くなった。

 本来お盆しか通れない現世への道を、魂を連れて行く。

 耳元で小さく風が鳴り、靄の向こうに、湿った夜の匂いが混ざり始めた。


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