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1話 地獄の鬼とヤニカスギャンブル狂天女

極楽と地獄の境目で天女と鬼がワーーッてする話です。

よろしくお願いします。

 来世は請求書である。

 支払い方法は転生のみ。分割はない。

 

「待ちなさい!逃げても来世は変わりませんよ!!」


 穏やかなはずの極楽に、女の声が響いた。足元の金色の雲が蹴り上げられて舞う。

 右手に拡声器を持った天女が、髪が乱れるのも気にせず蓮池の淵を爆走していた。


 肩から落ちる羽衣が揺れ、極楽の光を跳ね返して虹色に輝く。

 柔らかな布を何枚も重ね、風を含んで美しく揺蕩うはずの白い衣は、普通に歩けば雲の上を滑るように見えただろう。


 だが今は、その裾を容赦なく蹴り上げられている。

 その先には、死んだばかりの魂が時折後ろを振り返りながら必死の形相で天女から逃げていた。


「転生先が蛆虫ってどういうことだよ!」

「ハエまで成長できる蛆虫です! 思ったより悪くないですよ!」

「嫌に決まってんだろぉ!!」


 極楽に本来あるはずのない音が満ちる。

 走る音、そして逃げる音。加えて、怒号。

 花弁が裂け、香が乱れ、読経は風に攫われた。

 凪いでいた蓮池が割れ、水が白く跳ね上がる。


炎獄(えんごく)! そっち行った!」


 蓮池を曲がり、堂の角を曲がった亡者は、それまで勢い任せに動かしていた足を止めた。

 止めようと思って止まったのではない。本能が勝手に次の足を前に出さなかった。


 見上げるほどの上背に厚い胸板、頭の黒い角。

 黒髪に火花の散るような赤が混じる、跳ねた髪。

 煤を吸ったような黒地の羽織の裾に、赤い炎の文様が走っている。動くたびに袖の内側から赤が覗き、まるで鬼火が布の奥で揺れているように見えた。

 首から下げた赤い数珠がじゃらりと音を立て、亡者の前に立ち塞がる。

 

「はい、確保」


 鬼が亡者の肩をぽんと軽く叩く。体躯に似合わない優しい感触が、亡者の頭を混乱させる。

 目の前にいるのは紛れもなく、極楽にいるはずのない鬼だった。


 その後ろから、追いついた天女が息を切らせ、小走りで寄る。


「四十九日しっかり検討した結果ですよ、受け入れてください」

「嫌だ、金持ちの家の猫で希望出したのに、なんで蛆虫……」

「金持ちの家の排水溝に湧くことになってます。ほら帳尻が合った」

「合ってねえよ!!」


 めそめそ泣きながら抗議する亡者に、鬼はため息をつきながら角の付け根を掻いて言った。


「仕方ねえだろ。お前、生前の徳積んでねえんだから」


 その言葉に、亡者が口を閉じる。思い当たる節ばかりが脳裏に浮かんでいたからだ。

 それまで都合よく忘れていた失敗が、順番に顔を出す。


 亡者は奥歯を噛み締めた。正論ほど腹立たしいものはない。


「地獄じゃねえだけマシだ。おら、行くぞ」


 鬼に連れられ、亡者は下を向きながらとぼとぼ歩き出した。

 その後ろ姿を見ながら、天女はバインダーから一枚の書類を取り出し、チェックを入れる。


「転生処理、済っと」


 極楽は再び、穏やかな蓮の香りと澄んだ水のせせらぎで満たされた。


 *


 極楽は穏やかで明るい。美しい天女が笑いながら、魂を連れて極楽観光。

 羽衣を靡かせ、蓮の香りを漂わせ、終わらない春がそこにあった。

 

 そんな穏やかな極楽に対して、地獄は制度的で煩雑。

 十王裁判所という名の巨大官庁があり、死者の魂を善と悪に振り分ける“死後裁判”が行われる。


 中でも、かの有名な閻魔大王(えんまだいおう)による裁判はあの世で最も冷徹、冷酷、無慈悲。

 だが、公平。


「待ってください、閻魔大王! わざと殺したんじゃないんです!」

 

 冷たい石の床に引き出された亡者は、膝をつき懇願した。


 「お願いします、地獄だけは、地獄だけは……!!」

 

 罪の意識がある者ほど喉は震え、瞳の奥が揺れる。その光景は、ここでは珍しくもなかった。

 

「そっかあ。じゃあ見てやろうな。炎獄」

「了解。浄玻璃の鏡よ。ここに()の罪を映し出せ」

 

 その言葉ひとつで、水晶で出来た鏡の面がゆらりと蠢く。

 鏡に映し出されたのは、男が殺した男の金を独占し、妻と子供を踏みにじる光景。

 業火に照らされた審判の間では、生前に犯した罪と因果が照合され、一切の虚偽が通じない。

 亡者の奥歯がガチガチと震え、眼窩の奥から涙が滴り落ちる。閻魔は口の端を上げ、亡者を見据えた。

 

「馬鹿だねえ。なんで俺の前で嘘なんか吐いちゃうかなあ」

 

 炎獄は迷いなく亡者の口の中へ無骨な鉗子を突っ込み、その舌を掴む。

 いくらもがけども、鬼の力に敵うわけもなく、ただ次自分の身に起こる事象を予測して恐怖する他にない。

 

「判決、黒縄地獄(こくじょうじごく)

 

 裁判所に響き渡る亡者の悲鳴。

 玉座の後ろで揺れる業火は、亡者の嘘を焼き切るたびに色を変えた。

 鉄と涙の匂いがほんのり漂い、判決が下るたびにその香りはわずかに濃くなる。

 

 閻魔が扇をわずかに動かすだけで空気が沈んだ。

 この部屋では、呼吸ひとつさえ罪の重さと向き合わされる。

 あの世の秩序は、この裁きによって保たれている。


 次こそはと希望を持つ者、もう生まれ変わりたくないと嘆く者。それぞれが来世に夢を見て、死後の裁判に臨む。

 だが、理想と現実は、この世だろうがあの世だろうが違うものだ。


「いやぁ、もう空きがねえんだよなあ」


 閻魔は、補佐官である鬼、炎獄鬼(えんごくき)に向けてそう放った。


「……あ?」


 炎獄は手を止め、閻魔を睨む。だが、睨んだ先の玉座には影が落ち、閻魔の姿は闇の中に溶けていた。


「なんだよ、空きって」

「黒縄地獄さあ、今のやつでもう定員ギリなんだよね」

「定員とかあんのかよ、地獄に」

「そりゃあるよ、土地だって無限じゃねえの」


 閻魔が玉座に背を(もた)れる音がする。

 

「人さあ、死にすぎなんだよね。その割に生まれる数少ないでしょ」

「ああ……現世はそうらしいな」

「要はさあ、詰まってんだよね、魂」


 炎獄は手にした閻魔帳の頁を一枚捲った。

 裁判待ちの亡者はまだ山ほどいる。

 閻魔が玉座の上で何を言おうと、現実として地獄の仕事は減らない。


「そこで」


 閻魔が影の中で指先をぴんと立てる。その輪郭だけが僅かに見えた。


「お前、ちょっと極楽行ってくんねえ?」


 閻魔が口の端を吊り上げる。愉快そうな歯だけが闇の中に浮かんでいた。

 逆に炎獄の口角が下がる。


「……行かねえよ。鬼の性に合わねえ」

「いいじゃん、ちょっと出向」

「やだっつの。俺は鬼だぞ。極楽で息なんか吸えるか」

「そーお? ま、お前はそう言うと思ったけどね」


 閻魔が頷いて何かの書類に判を押す。それを軽く投げると、書類は迷いなく炎獄の目前までするりと落ちた。


「とりあえず、如来(にょらい)にそれ届けてきて。今すぐ」


 炎獄が書類を手に取り心底面倒臭そうな顔をしたが、閻魔はただ片手で笏を回すだけだった。


  *


 所変わってあの世とこの世の境。三途という広い川が流れている。

 その端で、老婆が板と棒を構えていた。


「位置について、よーい」


 カンッという小気味の良い音と共に、一直線に並んだ亡者の魂が濁流へと一斉に飛び込む。

 ざぶざぶと水飛沫を上げながら、我先にと三途の川を泳ぐ。


「差せ、差せ差せ差せ!! 諦めんなよ枝に引っかかったくらいで!!!」


 あの世側の川岸で、人の魂に混ざって天女が赤ペンと新聞、手にチケットのようなものを握って声を張り上げていた。

 その表情は、まるでこれを外したら明日から食事は全てモヤシに変わるとでもいうような気迫があった。

 亡者の一人があの世側の川岸に手をついたと同時に、天女は手の内の物を全て空に放り投げて叫んだ。


「ふざっけんなお前!! 元水泳部じゃなかったのかよ!! 何太ってんだよぉおおおおおお!!」


 地面に突っ伏し情けなく嗚咽を上げる姿は、とてもじゃないが天女とは思えない様相だった。

 艶やかな長い黒髪を飛仙髻に結い、いかにも天女然とした容姿の彼女は、黙っていればさぞ見映えするだろうに、情けなく鼻水まで垂らして咳き込んでいるのだから台無しである。

 クソが、と小さく悪態をつきながら懐から煙草を取り出して火をつけようとした彼女に、背後から蓮の香りが迫る。


天望(てんほう)天女」


 穏やかな声は、その場の空気すら浄化するようだった。

 一歩歩みを進める毎に金の粒が舞う。

 天望と呼ばれた天女が、煙草を咥えたまま息を止めて恐る恐る振り返る。


「……お……釈迦……様……」


 口からぽろりと煙草が落ちる。

 青ざめて震える天望に、世尊、釈迦如来(しゃかにょらい)は目を細め、特大のアルカイックスマイルを向けていた。


 装飾のない一枚布を纏った釈迦は、螺髪を解いたまっすぐな髪の一本一本さえ薄ら輝き、金色の光を放つ。

 風に靡く度、その周囲の煩悩をひとつ消し飛ばしていた。

 釈迦が静かに息を吸い、ゆっくり吐いた。


「そろそろ、破門にしますよ、あなた」

「ちが、違うんです世尊!! ご慈悲!! ご慈悲を!!」


 天望は正座で釈迦に向き直り、五体投地の勢いで頭を地面に打ちつけた。


「ご存知かと思いますが罪人ダービーは娯楽ではありません! 公式には“更生プログラムの公開観察”。罪人たちが己の罪を禊ぐためのレース一本勝負……流れに抗う力を測り、適性ルートへ転送する。私の所属する極楽観光課はその広報の役割もあります! なのでこれは仕事! 仕事の一環なのです!!」


 天望の言葉は、まるでいつ聞かれても良いように用意していた台本を読むかのような滑らかさだった。


「だったらあなたが賭けたら駄目なんですよ」


 ごもっともである。天望はぐぅ、と喉を締めた。

 釈迦は額の白毫(びゃくごう)を押さえ、軽く息を吐く。


「天望天女、少し自由すぎます」

「そんな事は……」

「あなたがこの天に来た時、菩薩(ぼさつ)になりたいと私に言いましたね」


 釈迦のため息など、何千年に一回聞けるだろうか。天望は小さくなって反省する振りをしながら、説教を右から左へ流していた。


「菩薩とは人を救い、安寧(あんねい)へ導く者です」

「……はい……」

「見た事がありますか。賭け事をしている菩薩」


 天望はぐうの音も出なかった。

 いてたまるか、そんな仏。


「来なさい。話があります」


 そう言って釈迦が背を向けて歩き出す。天望はやっとそこで、洒落にならないかもと思った。


 釈迦に着いて行った先は、極楽の中心だった。

 阿弥陀宮。文字通り、“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”の阿弥陀(あみだ)如来の住む宮殿である。


 この極楽浄土とは、阿弥陀如来の浄土であり、要は地主の阿弥陀が好意で貸してくれているにすぎない。

 天望は見たこともないような金銀の美しい細工が随所に施された建物を、恐る恐る歩いて行く。


「あ、あの、お釈迦様? こんな下っ端天女が、阿弥陀如来様にお会いするなんて……」


 釈迦は何も答えず、ただ廊下を歩いた。その沈黙がなにより恐ろしい。

 破門からの地獄堕ちという最悪の事態を想像して、天望の手のひらは異常に汗をかいていた。


 宮殿の奥の扉が開くと、まず光が差し込んだ。

 口元に小さな髭を蓄え、釈迦よりも少しだけ柔らかそうな仏。阿弥陀如来の放つ煌めきが部屋を満たしている。


「やあ、待っていたよ」


 阿弥陀は指先で丸く来迎印を結び、釈迦と天望を迎え入れた。口髭を蓄え柔らかく微笑むその姿は、まさしく寺院でよく見る仏像に似ていた。

 天望は慌てて両手を合わせ、頭を下げる。


「釈迦、この子がこちら側の?」

「ええ。菩薩は衆生救済(しゅじょうきゅうさい)で手一杯ですので」

「うん、確かに」


 釈迦と阿弥陀の会話を、天望はわけもわからないままただ聞いていた。如来の会話に口を挟む勇気なんてあるわけがない。


 その時、背後で扉が開く。焦げたような匂いが流れ込んだ。

 釈迦と天望が振り返った先に、炎を纏った鬼。炎獄が立っていた。


「閻魔の使いだ。如来宛ってのはここで良いのか」


 炎獄はずかずかと阿弥陀の前まで来ると、紙を一枚差し出した。阿弥陀がそれを受け取り、軽く顎を引く。


「うむ、地獄側の人員は君か」

「……あ?」


 阿弥陀は炎獄と天望をゆっくり見回して、書類を掲げた。


「この度、地獄と極楽が共に手を組み、魂の早期転生を促す部署を立ち上げる事となった。その第一陣として、地獄からは地獄庁より閻魔大王補佐官、炎獄鬼。極楽からは極楽庁観光課、天望天女。両名を配属する」

「……は?」


 天望の喉から間の抜けた声が漏れる。破門かと思っていたら、もっとわけのわからない辞令が飛んできた。


「……何だと?」

「今言った通りさ。君たちには新設部署に異動してもらう」


 炎獄は、眉間に皺を寄せ小さく舌打ちをした。

 鬼と天女が顔を見合わせる。隠しきれない困惑が二人から滲んでいた。


獄楽部(ごくらくぶ)輪廻転生推進課りんねてんせいすいしんか。君達は今日から極楽でも地獄でもない」


 来世は請求書である。分割はない。

 そしてどうやら、その取り立てをするのは、自分達らしい。


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