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17話 天部会議は踊る

「では諸君」


 天部会議室に神経質そうな声が落ちた。

 並べられた会議机の中央で机に両肘をつき、指を組んだ男が言い聞かせるように薄い唇を開く。


「本日の議題は、“畜生道のポメラニアンの凶暴化について”」


 黒に近い藍色の髪をひとつにまとめた男は、切れ長の瞳で会議室の端から端まで、座る天を一人ずつ見た。


「梵天(ぼんてん)どの、この資料では損益分岐点が高すぎます」

「現場での判断を優先した結果だ。多少は致し方ないと思ってくれ、大黒天(だいこくてん)」

「え、てかポメ超かわいくね? 毘沙門(びしゃもん)くん、今度触りにいこーよ」

「吉祥(きっしょう)ちゃん、凶暴化してるから、やめような」


 会議室で、天部の面々が好き勝手に喋り出す。

 意思決定は梵天、資源は大黒天、実行は毘沙門天、空気は吉祥天。

 あの世の運営は、天部と呼ばれるこの神々によってある程度保たれていた。


「梵天どの、帝釈天はまだお見えにならないので?」

「……あれは……」


 どごん。という音と共に、突然会議室の扉が開く。

 開いたというより、消し飛んだ。

 細かな稲光が無数に走り、扉は無惨にも黒く焦げている。


「すまん!! 野暮用で遅くなった!!」


 視界に入った瞬間、まず目に入るのは体だった。

 衣の上からでも誤魔化しようのない厚み。

 肩、腕、胸、その全てが無駄なく膨らみ、存在そのものが“圧”として迫ってくる。


「いや、マジ扉終わったんだけど」

「帝釈天どの。修理費を請求しますからな」

「もう酒を買う金もないぞ!」


 帝釈天がにかっと笑う。白い歯がやけに眩しい。爽やかさとは別の、もっと暴力的な明るさだった。

 暑苦しいというか、存在そのものがうるさい。


「帝釈天、お前はなぜいつもいつも……」

「あっすまん梵天!! 今それどころではない!」


 その言葉の直後、帝釈天の背後で空気が歪む。

 帝釈天が金剛杵を構えた次の瞬間、笑っていた視界に影が差す。

 気付いた時には、轟音と共に阿修羅が金剛杵(こんごうしょ)に突っ込んできていた。


「帝釈てぇえええええん!!!!!」

「阿修羅は今日も元気だなあ!!」


 阿修羅の剣を帝釈天が受ける。

 軽くはない。細い身体が、そのまま質量を持った凶器みたいに金剛杵へ落ちてきていた。

 帝釈天はそれを純粋な腕力で振り払うと、阿修羅が飛び退いて離れる。ただその目はしっかりと睨み続けていた。


「殺す! 殺す殺す殺す殺す!!」

「……またか」


 梵天が額を押さえる。

 毘沙門天が三叉戟に手を掛けながら帝釈天に声を掛けた。


「一応聞くが、助太刀はいるかい」

「いや! 今回は単騎だ!! 筋肉でなんとかなる!!」

「ねー髪崩れるからあっちでやってー」

「承知した!!」


 爆裂、怒号、帝釈天の笑い声。どう考えても非常事態なのに、皆慣れた様子でそのまま会議資料に目を落としている。


「今日こそ殺してくれる!! 辞世の句を読め!!」

「おお、今日は一撃が重いな!! ウェイトトレーニングになる!!」


 踏み込みと同時に距離が消える。

 剣と金剛杵がぶつかり、空気ごと押し潰した。


「この色狂いが!! とっととくたばれ!!」

「はっはっはっはっは!! 死ぬにはまだ酒も女も男も足りん!!」

「帝釈てええええええええん!!!貴様ァァァァァァ!!!!!」


 遅れて衝撃が広がり、会議室の中に風として舞い込んで書類が壁に張り付いた。


「ガチ最悪。前髪終わったんだけど」

「吉祥ちゃん、書類が飛ばないように抑えててくれるか」

「全く……帝釈天、あまり周りを巻き込むなよ」


 そこへ、慌てたような聞き慣れない声が飛び込んできて、神が一斉に顔を向けた。


「ああくそ、もうおっ始めてやがる!」

「阿修羅様ー! 落ち着いてください!!」


 梵天が眉を寄せ会議室の外を覗く。

 そこには頭を抱えた鬼と、ちょこまかと慌てふためく天女がいた。


「……誰だ?」


 一瞬浮かんだ疑問は、すぐ近くに特大の雷が落ちた事で掻き消えた。

 帝釈天が軽く首を鳴らし、金剛杵を回して背中へ仕舞う。

 その足元に、黒焦げの阿修羅を踏んでいた。


「よし! 良い運動になった!!」


 帝釈天が両手を払うように叩く。

 阿修羅は帝釈天を睨んだまま、口から白い煙を吐いていた。


「阿修羅様!!」

「おい、生きてるか」

「殺す……殺してやる……」


 天望と炎獄が駆け寄ると、帝釈天は阿修羅から足を退け、軽く蹴飛ばした。

 阿修羅が地面をバウンドしながら転がったのを、炎獄が受け止める。


「誰だか知らんが、後は頼んだ! 俺は会議がある!」

「……え、あ、帝釈天様!」

「じゃあな阿修羅! 次はオフの日にしてくれ!!」


 大きな背筋を揺らし、帝釈天は会議室の中へと消えた。

 扉の脇にいた梵天が、焦げた阿修羅と、炎獄と天望を一瞥し、背を向けながら言う。


「アポは取りたまえ。こちらにも都合がある」


 炎獄に抱えられた阿修羅が、恨めしそうに何かを言いかけたが、言葉はただの咳にしかならず、形を成さなかった。


「阿修羅様」

「ご……ろす……」

「もう無理だろ。ほら行くぞ」


 炎獄が阿修羅を抱えて歩き出す。

 天望は扉のない会議室を一度振り返ると、もうそこは阿修羅の事などかけらも気にしていない様子だった。

 こんな状態の阿修羅を連れて修羅道に帰ったら、それこそ亡者達の逆鱗に触れる。

 そう判断した二人は、一旦中陰へ戻るという結論に落ち着いた。

 畳の上に阿修羅を寝かせ、天望が団扇で阿修羅を仰ぐ。

 さっきまでの勢いが嘘みたいに静かだった。

 ほんの数秒前まで、殺意で暴走していた存在とは思えない。


「……どうします?」


 天望が炎獄を見る。

 炎獄は答えず、もう一度阿修羅を見下ろした。

 倒れている。完全に負けている。

 しかも当の帝釈天は何事もなかったみたいに会議室に戻って行った。

 勝てるかどうかで言えば、無理だ。相手が悪すぎる。

 分が悪いどころの話ではなかった。


「どうするも何もなあ……」


 炎獄が頭を掻いた。


「ごろ……す……」


 阿修羅がうわごとを呟く。

 掠れた声ではあったが、少しも引いていない熱が乗っていた。

 天望が阿修羅の頭に絞った濡れ布巾を乗せる。


「仮に勝ったとしても……きっとまた報復されての繰り返しですよ」

「あの様子じゃそうだろうな」

「本当にどちらかが死ぬまで争い続けますよ、これ」


 阿修羅の指が、また小さく動く。

 ぎり、と歯を食いしばる音がした。


「終わらせん……奴を殺すまで……」


 目の前の戦神は、倒れてなお、全然折れていない。

 炎獄は渋い顔で、片眉だけ少し上げた。


「仕方ねえな……ダメ元で向こうつつくか……」


 どう転んでも手間になる。それならと、炎獄は早い方を選ぶことにした。


「向こうって、帝釈天様の方ですか?」

「それしかねえだろ。閻魔が一応天部だし、あいつの名前だけ借りて面会アポ取るわ」


 炎獄は面倒そうに立ち上がると決めたように踵を返した。

 迷いのない足取りで、そのまま場を離れる。


「え、炎獄、でも」


 天望が声を掛ける頃には、炎獄は既に堂から出ていた。

 観音開きの扉が閉まった反動で跳ねる。


「閻魔様……今回全然関係ないけど、いいのかなぁ……」


 阿修羅が一度咳き込む。

 途切れた呼吸に、天望の意識がそちらへ引き戻された。


「阿修羅様、大丈夫ですか」

「舎脂(しゃし)……」


 聞き取れるかどうかの境目ほどの小さな声で、阿修羅が呟いた。

 天望が阿修羅を仰ぐ手を一瞬止める。


「娘さんですか」


 阿修羅の三つの顔のうち、正面だけがわずかに伏せられる。怒鳴る前の一瞬だけ、戦神ではなく父親の顔が混じった。


「俺は……父として……あいつを許すわけに、いかん……!!」


 吐き出したのは愚痴でも悪態でもなく、抱えきれなかった残りだった。

 どれだけ時間が経っても、削れずに残っている部分がある。

 ずっと取り返しのつかない場所で止まったままの感情だった。


「……そうですよね」


 天望が団扇を動かしながら、独り言のように零した。


「父親って、きっとそうなのでしょうね」


 その一言だけが、場に残った。

 天望の胸の奥で何かが動いたが、すぐに押し戻す。

 阿修羅も天望も、ただその場に滞っていた。

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