16話 爆裂沸騰阿修羅様
炎獄が亡者をひと睨みすると、喚いていた亡者達が一瞬だけたじろいだ。
「阿修羅ってのはどこに居る」
亡者のひとりが、なおも敵意を剥き出しにしたまま目線を外し、炎獄の言葉を無視した。
「聞こえてんだろ。俺は阿修羅の居る場所聞いてんだ」
炎獄が一歩だけ踏み込む。
たったそれだけで、亡者の肩がびくりと跳ねた。
「お前ら、順番に針山ぶっ刺されてえのか」
亡者達は顔を見合わせ、やがて一人が渋々と岩山の向こうを指差した。
「……あっちだよ。戦場の奥」
炎獄はその指の先を一瞥すると、背後の天望に短く言った。
「天望、行くぞ」
「……はい」
そのまま歩き出す背へ、亡者が叫ぶ。
「阿修羅様を侮辱したら許さねえからな!」
炎獄は声をまるきり無視して歩みを進める。
天望はその後ろを遅れないように着いて行った。
*
荒野の先、切り立った岩の縁に、その男はいた。
背は高くない。むしろ細く、線が鋭い。
修羅道の景色は砂煙でくすんでいるのに、その男の輪郭だけがやけに鮮明だった。
戦神。阿修羅。
名だけなら何度も聞いた。もっと獣じみた、荒々しい存在を想像していた。
だが実際にそこにいたのは、三つの顔に六本の腕を持つ、儚げな美丈夫だった。
「……あの方ですかね」
「そうだろうな」
炎獄が阿修羅へと近付く。
阿修羅は、鬼が近付いてくるというのに、見もしなかった。
それでも天望は、修羅道へ入ってから初めて、怒りの正体を見た気がした。
怒鳴る声でも、振り下ろされる拳でもない。
何もせず、ただそこに在るだけで周囲の空気を張りつめさせるもの。
「おい、阿修羅ってお前か」
炎獄が不躾に声を掛けると、三つの顔が近い順に炎獄を見た。
「何の用で来た」
阿修羅はただそれだけ言った。
睨みもせず、怒りもしていない。
正確には、怒りの色はある。だがその矛先は二人に向いていなかった。
「獄楽部輪廻転生推進課だ。てめえのとこの亡者が輪廻に乗ってねえ。あんたがどうこう言ってたから話聞きに来た」
「俺の知ったことではない」
とりつく島もない。乾いた風に髪を流したまま、眼下の荒野だけを見ている。
「あの」
天望が一歩前に出る。
「私、殺されかけたんですけど。巻き込まれて」
阿修羅が一瞬目を見開く。炎獄も瞬きしながら天望に顔を向けた。
「ぶっ殺せって言われました。あなたが天を嫌っているからって理由で。それで知らぬ存ぜぬは、この修羅道の主として少々無責任ではないでしょうか」
炎獄が横で、ちょっとだけ目を逸らした。言い切りやがった、みたいな顔だった。
相手は戦神だ。阿修羅が本気で怒り狂って向かってきたら洒落にならない。
だというのに、天望は阿修羅の前で引いている様子がない。どういう胆力しているんだこいつは、と口にしないまでも、表情にはガッツリ出ていた。
「無責任、か」
阿修羅が低く繰り返す。
怒ってはいない。ただ、その言葉が胸の内のどこかに引っ掛かったのはわかった。
「確かにここで天を憎み、怒り続けることを選んでいるのは俺だ」
阿修羅の全ての面が目を伏せる。
「だが、天を全て憎んでいるわけではない。修羅道の亡者は怒れる理由を探して便乗しているに過ぎない。迷惑をかけたならば主として素直に謝罪しよう。すまなかった」
炎獄は、阿修羅が思ったより話が通じたことに、少し面食らった。
常に我を忘れて怒り続ける存在だとばかり思っていたものだから、印象の違いに少し戸惑っていたのだ。
「何故皆さんはあんなに天を目の敵に……」
天望がそう言うと、阿修羅は眉を吊り上げ、奥歯をギリギリと噛み締めた。
何かの地雷を踏んだ、と流石の天望も一歩後退る。
「……全部……全部あいつのせいだ……」
「あいつ……?」
阿修羅の周りの空気が一段熱される。
怒りそのものが目に見えるようだった。
「帝釈天……!!」
先ほどまでの理知的な青年はどこへやら。
たったひとつの名前で、阿修羅は理性の手綱を噛み千切りかけている。
「帝釈天……?」
炎獄が少し屈んで隣の天望に小声で話しかける。天望もなるべく小声で、炎獄の耳元に手を添えた。
「天部の最高位のお方です。梵天様と並んで法を守護するお方なのですが……その……少々……好色な方で……」
「ああそうとも!! あのゴミクズち⬛︎⬛︎⬛︎野郎!!!!」
とてもじゃないがお聞かせできない単語が出た。
阿修羅が声を荒げると同時に、阿修羅の衣が全て逆立つ。
「俺の娘を!!!!」
阿修羅は拳で岩肌を叩いた。石が乾いた音を立てて爆散する。
「攫って!! 手篭めにしやがった!!!!」
阿修羅の怒気がどっと爆ぜた。怒りを抑えるという段階をとうに超え、天井知らずに沸き上がっていく。
「その上散々浮気しては朝帰り!! 相手も人妻だの、果ては猿ときた!!」
喋るほどに語気が荒れる。阿修羅は話しているうちにだんだんイラついてきたわけではない。
最初からずっとキレていて、喋るたびその事実を思い出してさらにキレていた。
「俺の娘は猿以下だとでも言いたいのかァアッ!!!!」
三つの顔が全部白目を剥いている。
正面だけが叫んでいても、残り二つまできっちりブチ切れているのがわかった。
炎獄も天望も、何も言えなかった。本当は突っ込みたかった。
――猿と浮気って何……? と。
だが、とてもそんなこと言える空気ではなかった。
言ったら火に油どころの騒ぎではない。そんな事があったんだろう、と思う以外に方法などない。
「……お察しします……」
それしか言えなかった。怖くて。
阿修羅が長く長く息を吐く。その細い息にすら、火がつきそうだった。
「お、おい、大丈夫か、水とか飲むか……?」
炎獄が少し遠慮がちに手を伸ばすと、阿修羅は顔を上げ遠くを見る。
「よし、殺しに行こう」
「は?」
炎獄がその一文字を言う間に、阿修羅はくるりと背を向けた。
問答をする暇さえなく、次の瞬間には全力で荒野を駆けていく。
土煙を上げるとかいう話ではない。最早暴風だった。
地が抉れ、怒りの形が足跡となってそのまま残っている。
「お、おいおいおい!!」
「阿修羅様!? 阿修羅様ーっ!?」
天望の悲鳴みたいな声が阿修羅の上げた土煙の中へ吸い込まれた。
「えっ、炎獄!! どうしますあれ!? マジでガチの修羅場になりません!?」
「だろうよ!! とりあえず追うしかねえだろうが!」
炎獄が舌打ちをし、天望が裾をたくし上げて走り出す。
だが、殺意の塊はもうとっくに遠くへ行っていた。
どう考えても穏便な流れにはならない。このままでは天で戦争が起きるのは必然だった。
「いざとなったら炎獄が阿修羅様ぶん殴ってくださいね!!」
「勝てるわけねえだろバァアカ!!!!」
二人とも走りながら叫ぶ。
だが炎獄の足に天望がついていけるわけもなく、距離が離れていく。
元々のポテンシャルが違うのに、少し前に地蔵に連れ回されたふくらはぎがもう限界を越えていた。
「早くしろよお前どんくせえなぁ!!」
「ゼヒュッ……ハヒュッ……」
天望の顔が溶けに溶けていた。情けないという言葉を擬人化したらこう、くらい崩れている。
「ンヒィ……ンヒィ……」
「あーーーーもーーーーーー!!」
炎獄が天望を肩にに抱える。
おんぶとか抱っことかそんなラブコメよろしく胸キュンしそうな可愛いものではない。
引越しの荷物でも持つように、ただ抱えた。
それに文句を言う体力も、天望には無かった。
「クソがなんだこれ!! 地獄のがマシじゃねえか!!!」
砂埃がひどい。走りにくい。ついでに天望が邪魔。
それでも、足は止められなかった。
言い訳タイム:弊帝釈天様はインド神話寄りです。猿と浮気に関しては元ネタを見つけられてないんですが、面白すぎたので採用してしまいました。




