11話 閻魔様にお願い
東雲が消えていった方向にはもう白い靄しか残っていない。
「炎獄」
「あ?」
「東雲さんの言葉、覚えてますか」
「生まれながらの役割を捨てて、自分で選べ、だっけ」
「それもそうなんですけど……」
天望は歩き出さず、その場で東雲の去った方を見ていた。
「32歳、独身、後厄、って、あの自虐あったじゃないですか」
天望が東雲の生前を読み上げた時に返してきた、あまりにも火力の高い自己紹介。言い慣れたセリフのように流れた言葉。
「あれ、自分で先に自虐する事で防衛してるんじゃないですかね……」
「防衛?」
「はい。誰かから言われる前に自分で言えば、そこは攻められないじゃないですか。って事は彼女、少なからずそれを負い目に感じてるんだと思うんです」
天望が腕を組む。考えるように壁に背を預け、片手で顎を支えた。
「年齢も、独り身なのも、全部自分で肯定しないと、保てない」
炎獄も東雲を追うように、白い靄の向こうへ視線を投げた。
天望が続ける。
「だからつまり、裏を返せば、彼女の個在教の教義は全部、彼女なりの救いを求める声だと考えれば……辻褄が合うんです」
「信者はあいつの自尊心を守るための道具ってことか」
「ええ」
天望は頷いた。あの法衣まがいの服も、教祖という立場も、炎獄へ向けた誘い方も。
全部、自分で選んだ形のように見えて、どこかで何かに追い詰められている。
「承認欲求……それが、彼女の未練なんだと思います」
「その未練さえひっぺがせば」
「彼女は輪廻するかもしれません」
炎獄はしばらく黙った。
そして、ひどく面倒くさそうに角の付け根を掻く。
「じゃあ何だ、あいつをちやほやすりゃいいのか」
「ダメです。依存したら元も子もありません。なんなら彼女は今、信者が居るこの状況に依存している。だから輪廻したくない」
「じゃあどうしろってんだよ」
炎獄の肩口に、小さな火の粉が一粒だけ跳ねた。苛立ちというより、面倒くささが火になったような弱い光だった。
「彼女がどういう人なのかがもっと詳しく分かれば、対策もわかると思うんですが」
「……生前か」
炎獄は思案してから、唇の端だけを歪めた。言いたくないことを言わなければいけないが、どうしても言いたくない。そんな顔をしている。
「一応……あるぞ……知る方法……」
「本当ですか」
「めちゃくちゃ癪だけどな……」
炎獄が首を上に傾け、それから額を抑え、それから腕を組んで下を向いて唸った。
「いやどう考えても手っ取り早いな……」
「なんですか。方法があるなら実行すればいいじゃないですか。らしくない」
「ぜってえ煽ってくんだよあいつ……借り作りたくねえ……」
「誰ですか?」
炎獄は観念したように息を吸って、とんでもなく嫌そうに息を吐く。
「閻魔」
生前の全てを見聞きし、判決を下す地獄の王。
世界の下層で、何もかもを聞いて笑っていた。
*
「で? 閻魔大王様の力が借りてえって?」
案の定、玉座にふんぞり返った閻魔は、至極楽しそうに炎獄と天望を見下ろしていた。
肘掛けに体重を預け、鉄扇の骨の間に指を突っ込んでくるくる回す。
「閻魔帳に東雲唯って女の記録あんだろ。出せ」
天望は横で、あ、終わった、と思った。
頼みに来た者の第一声ではない。少なくとも、仏や王に向ける言い方では絶対にない。
「え〜〜???? どぉしよっかなぁ〜??」
閻魔はくるくる回っていた鉄扇を止めた。止めた、というより、あえて止めてみせた。
声音が露骨に跳ねる。
炎獄の態度が悪ければ悪いほど、閻魔の遊び場が広がるらしい。
「閻魔帳ってさあ〜〜、個人情報の塊だからさあ〜〜。裁判資料だし? 生まれてから死ぬまでのことぜ〜〜んぶ書いてあるし? そうやすやすと他部署のやつに見せられないよねぇ?」
天望は一歩前に出て、炎獄の肘のあたりをさりげなく押さえた。今にも事態を悪化させそうな鬼を、物理的に止めている。
角の先から火花を散らしている炎獄を制しながら、天望が半歩前へ出た。
「閻魔様、業務に必要なことでして、お貸しいただけませんか」
閻魔は待ってましたと言わんばかりに、ぱちんと鉄扇を閉じる。
「お、天望ちゃんはわかってんね? そうそうそう、そういうさ、借りる側の態度ってもんがあるよね。それをさぁ? 何? 出せって。やだ怖ぁ〜〜。貸したくなくなっちゃうよね〜〜?」
紫の衣の袖が、玉座の上でゆるく揺れる。
わざとらしく下がった眉と、嬉しそうに弧を描いている金色の瞳が炎獄の出方を見ていた。
天望が隣から炎獄を肘で突く。
炎獄は息を詰めながら、閻魔を睨んだまま。
「……東雲の閻魔帳、見せてくれ」
だいぶ譲歩したつもりなのだろう。
炎獄の声は低く、言葉も短い。
だが、もちろん閻魔の欲しい言葉なわけがなかった。
「え、お願いするやつがタメ口きくの? へー?」
「……………………」
閻魔の眉が、これ以上なく楽しそうに動いている。
炎獄は黙る。黙ったまま、砕けそうなほど強く奥歯を噛んでいた。
「炎獄」
天望の声は静かだった。
静かだが、有無を言わせない圧があった。
炎獄は一度、天井を睨んだ。
次に閻魔を睨んだ。
最後に、横の天望を見て、完全に逃げ場がないことを悟った顔をした。
ギリギリ音を立てて上下の牙を擦り減らしながら、喉の奥から絞るように声を出した。
「閻魔帳……見せてください……!!」
語尾に怒気が混ざっているせいで、丁寧なのか脅しなのかギリギリわからない。
閻魔は一拍置いて、満足そうに鉄扇で自分の膝を叩いた。
「よぉ〜くできましたァ♡」
「ああ゛! こいつ殴らせろ一発!!」
「炎獄ダメですいくらなんでも下手に出てください!」
閻魔は玉座の上で肩を揺らしている。
王の威厳というものは、少なくとも今この瞬間どこにもなかった。
「どうせ全部知ってただろうが地獄耳で!!」
「えぇ〜? 知らな〜〜い。お前が女のあしらいヘッタクソなことしか知らな〜〜〜〜い」
「てめ、クソジジイ!!」
「炎獄!」
地獄の裁判所に、天女の叱責が妙にはっきり響いた。
閻魔はそれを見て、さらに機嫌を良くしたようだった。
鉄扇を閉じ、今度はその先で空中に小さく円を描く。
「で、閻魔帳ね。はいはい。書庫開けりゃいいんでしょ。場所はわかるな」
煽るだけ煽って、必要な情報はさらっと出す。そういうところが余計に腹立たしいのだと、炎獄の顔に書いてある。
「最近の死者だから入り口側のどっかにあるよ。転生だから赤い表紙」
閻魔が扇子の先で扉を指し示すと、風もないのにひとりでに扉が開いた。
奥から、紙と墨と、古い地獄の匂いが流れてくる。
天井まで続く無数の背表紙が、暗がりの中に赤と黒の列を作っていた。
炎獄はその書庫を一瞥し、それから閻魔をもう一度睨む。
「行くぞ、天望」
炎獄は乱暴に踵を返し、開いた扉へ向かう。
天望は慌てて閻魔へ一礼した。
「ありがとうございます、閻魔様」
「いいえー? 天望ちゃんは礼儀正しくて助かるねー。 おい炎獄ー? 礼はー?」
閻魔の声は、最後まで炎獄を刺すためのものだった。
炎獄は背中を向けて歩きながら、無言で見せつけるように中指を立てる。
天望はそれを見なかったことにして、急いで後を追った。




