朝練
「んっ、よく寝たなあ」
BBQの翌日、アルクは自室にて快眠から目覚めた。美味い肉を腹いっぱい納め、十分な睡眠ととった体はとても軽々しい。
『おはよう、アルク。今日も早起きだな。これから朝練か』
「おはよう、ハル。そうするつもり。昨日はお祖父ちゃんにラカンさんの最年少Aランクの話をふったら拗ねちゃって、全然相手してくれなかったから不完全燃焼なんだよ」
最初は必死に自己の優位性を説いていたラッドだったが、記録の更新についてはどうしようもないので最終的にそっぽを向き、しまいには地面に寝そべり、聞きたくもない猥談を延々とアルクに向かって聞かせてきた始末だ。
『まったく、しょうがない奴だ』
ハルは呆れたように苦笑する。
アルクも苦笑いをすると、体を起こしテーブルの上の水差しでコップに水を注ぎ、一息に飲み干す。そして水の張られた洗面器で顔を洗い、鏡を見ながらサッと寝癖を整えた。普段着に着替え、食堂へ向かうと中で談笑する声が聞こえた。大人組は皆自分たちよりかなり早起きだ。誰だろうと開いた扉をのぞいてみる。
「あ、アルク君。おはよう」
「アルク殿、おはようございます」
そこではヨルカとロゼが、ジュースの入ったグラスを手に席へと座っていた。その髪は艶やかに整っており、近づくとシャンプーの香りが漂ってくる。
「おはようございます。お風呂に入ってたんですか」
「ええ、昨日はずっと飲んでて入れなかったからね。たまたま顔を合わせたロゼちゃんを誘って朝風呂をしたのよ」
「私も久々に朝から入浴をしました。昔、早朝の剣の稽古の後に婆やが湯を入れてくれ、ハマッてしまったことを思い出しました。父上にばれて、不経済だしだらしないと叱られて以降は朝入浴するのは控えていたのですが……やはりいいものですね」
はあっ、と満足そうにロゼは目を細める。騎士の家系ということだが、王族とも親しいということは貴族というやつなのだろうか。
「アルク様、おはようございます。今日もこれから早朝特訓ですか。お姿がお見えになったので軽食をお持ちしました。いつものように軽く召し上がってから行かれますよね。空腹での運動は筋肉を分解してしまいますから」
お盆にトーストやスクランブルエッグ、ミルクなどを乗せたバトラーがやってくる。そこにはすでに三人前の朝食が置かれている。相変わらず手際がいい。
「うん、そのつもり。ありがとう、バトラー」
早速二人のすぐそばの椅子に座り、置かれたトーストにスクランブルエッグを挟み齧り付く。ヨルカがそんなアルクを見て、フフと口に手を当て微笑む。
「やっぱりアルク君は男の子って感じね。腕白そうでいい感じよ」
「そうですね。アルク殿は成長期でしょうから、三食しっかり食べるのはとても大事です」
「えっ、はい……」
ロゼも同じ様にアルクに微笑みかける。突如女性二人の視線を浴びると、少しばかり気恥ずかしい。必死に残りのスクランブルエッグサンドを飲み込むと、ミルクとともに流し込み席を立つ。
「ごちそうさま、バトラー。じゃあ僕行ってきます」
恥ずかしさを押し隠すようにアルクは勢いよく席を立つ。
「行ってらっしゃい、アルク君。ラカンも修行部屋でちょっと剣を振ってくるって言ってたわ。邪魔なら私に言ってちょうだい。すぐどかすからね」
背後からヨルカにそう声を掛けられる。一瞬、あの巨大な黒剣を振うラカンの姿が目に浮かび、アルクは返事をすると同時に修行部屋へと駆け出した。
「失礼しまーす」
小声で修行部屋の扉を開け、こっそりと中を覗きこむ。果たしてそこにラカンがいた。その全身を大量の汗にて濡らしている。ラカンが剣を振う姿を目にしてアルクは息を呑む。様々な型で凄まじい一振りを見せるラカンだが、実戦とは違いそこから次に繋げる動きは一見緩慢に見える。だが、それは手を抜いているわけでなく、自身の筋力の限界まで力を振り絞り振っているというのが、見ていて次第に理解できた。一振りごとに躍動する鋼のような筋肉。それが空気ごと叩ききるような斬撃に、ビキリと悲鳴を上げている。しかし、それでもラカンの太刀筋は一切ぶれることはなく、呼吸も乱れることはない。一体どれだけの鍛錬を積めば、あのようになれるのだろう。
『これは……どうして、なかなか。ラカンという男は天賦の才で駆け抜けるタイプとばかり思っていたが、私の目が節穴だったな』
ハルも感嘆し、ラカンを賞賛する。頷きつつ、アルクはしばらく魅入られたようにその素振りから目が離せなかった。どれくらいの時間がたったのか、剣を下したラカンが、ゆっくりとこちらを見る。気付いていたのだろうか。
「ふう。悪いな、お前の修行場所を取っちまって」
小さく息を吐いた後、真顔でそう謝ってくる。普段から仏頂面で相手を突き放す言動の多いラカンだが、時折見せるこうした言動はとても真摯だ。
「いえ、いいんです。すごく参考になったから。ええっと、今のって」
「ああ、今のか。これは俺に剣を教えたジジイ、まあ一応師匠ってことになるのか。そいつから教わったんだ。日頃限界まで出し切っていない奴が、限界を超えるなんてそうそう出来ないってな。最初のころは、ただひたすら素振りさ。そのジジイの監視下で良しがでるまで何百回、何千回も全力でクソみたいに重たい剣を振わせられたな」
懐かしむように遠い目をするラカン。だが、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。こと、剣や戦いに関して、ラカンは子供のように素直な表情をさらけ出すようだ。
『君ほどの戦士の師匠か。少しばかり興味があるな』
「まあ、隠すほどのもんじゃないからな。俺に剣を教えたジジイはアッシュっていうんだ。【灰の剣聖】って言えばわかるやつも多いけどな」
「剣聖かあ、格好いいなあ。ハル、知ってる?」
剣聖という言葉も気にかかりながら、アルクはハルにそう尋ねる。
『灰の剣聖は知らないが、アッシュという人物なら一度会ったことがある。同一人物であるかはわからないが』
「マジかっ」
ラカンが驚きの声を上げる。
『うむ、私の以前の所有者であるラッドという男とともに旅をしていたとき、アッシュという青年と出会っている。生真面目で求道者のような雰囲気の青年で、ラッドとは馬が合わなかったが恐ろしく強かったな。手合わせしたがラッドと互角に戦っていた。勝敗はつかなかったがね』
「いや、それはジジイだ。間違いねえ。ジジイも雷鳴のラッドとはやり合ったって話してたからな。それにしても、お前の前の持ち主は雷鳴のラッドなのかよ。じゃあ、こいつは」
「うん、お祖父ちゃんだよ」
「なるほど。道理で中々やるわけだ」
ラカンは顎に手をやりながら、感心したようにアルクを見下ろす。
『成る程。ではあの青年が君の師であり、【灰の剣聖】で間違いないな。確かに別れ間際に我々に剣の都に行くといっていたから、そこで剣聖の称号を授かったのだろうな。まあ、彼の実力ならおかしくとも何ともないが』
「ねえ、ハル。剣聖って何なの? 冒険者とは違うの?」
アルクは剣聖の意味をハルに尋ねる。冒険者とは異なるものなのだろうか。
『大陸の東に剣の国と呼ばれる国がある。とても小さな国だが、そこでは古来から剣を志す者が集い剣士のメッカとなっている。住まうものは皆達人級で、小国でも攻められたことはない。そこで上位者が集う評議会より認められた者が剣聖の称号を与えられるのだ。冒険者とは違い、剣聖は純粋に剣を志す者に授けられるから、冒険者の中にも剣聖はいるが、ほかにも騎士や町人であっても剣聖である者はいる』
「俺が知ってるのは、ジジイの他には白の剣聖だな。そいつは昔は冒険者だったが、今はアデルハイドの近衛騎士をやってる。いけ好かない野郎だが確かに強い」
「ラカンさんよりも⁉」
ラカンがそれを聞いて苦虫を潰したような表情となる。
「いや、一度やり合ったんだが邪魔が入って決着はつけれなかった。まあ次殺りあえんなら負ける気はねえけどな」
「そんなに」
ラカンと互角にやり合える人物など簡単には想像できない。やはり世界は広いのだろう。
「まだまだ俺は強くなる。誰にも負ける気なんてねえ。今どこ彷徨ってるかもわからねえジジイだって、探してきっと打ちのめして見せる」
ラカンが声を低くし、そう言い放つ。それはアルクではなく己へと向けた独白であった。その気迫に、アルクは一瞬気圧され、知らずと一歩後ろに引いてしまう。ラカンはすぐさま元に戻ると、アルクに向けて言い訳をするかのようにぎこちなく笑いかけた。
「悪ぃな、自分の世界に入っちまった。そうだ、ここを使わせてもらった礼にさっきのやつ教えてやるよ。ちょっと振ってみな」
「え、いいの」
予期せぬ言葉に、アルクは瞳を輝かせ、飛びつく。ラカンの強さに惹かれる自分にとって、それは願ってもない言葉であった。
暫くアルクはラカンの指導の下で剣を振った。そうしてわかったのは、ラカンは剣のことなら年相応の反応をしてくるということ。そして、意外なことに祖父のラッドのバビュンやシュシュと曖昧な擬音で説明しすぐさま実演オンリーの指導とは違って、しっかりと理論的に言葉を使ってわかりやすく指導を行えるということであった。




