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少年と剣  作者: 編理大河
帰らずの森と試練の獣
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獣の一生4


 更に数年の月日が経った。既にライオネルは諦観の念を覚え、日々を穏やかに過ごしていた。


(今日も平和なことであるな)


 まどろみの中、目をうっすら開けるとそこには一匹の鹿の姿が見えた。お気に入りのスポットなのだろうか、最近ここをよく訪れていた。その全身の毛は白く、とても美しい。ライオネルは以前も大分前に同じような白い鹿が、ここを餌場としてよく訪れていたことを思い出した。もしかしたら親子なのかもしれない。以前はそのようなことに頓着しなかったが、今はそうした変化に明敏となっている。森を巡る命の循環に大分心奪われるようになっていた。


(生命の理、か。この森も大分変った)


 カイナが言ったように、冒険者はあれ以降この森には入ってはこない。ライオネルは悲しかったが、すぐにカイナがカナンを押し付けてきたのであまりそれを考える暇はなかった。ここを移住した者達も、新たに命を育んでいる。そして己の生を終え旅立った者もいた。

その時、後ろからこっそりと尻尾に近付いてくる者の存在にライオネルは気付いた。それはバレバレではあったが、気付かないふりをしてやり過ごす。そして尻尾の側に近付くとその小さな足音は止み、次の瞬間飛びつこうとしてきた。


「ラーイオネルっ。うわっ」


 ライオネルは上手く尻尾を巻き上げ、その体当たりを見事避ける。


「なんだぁ、気付いていたのか」

「もう何度も繰り返してるからな。カナンのことなら我はなんでもお見通しだ」

「ちぇっ、残念」


 唇を尖らす少女はこの森で生まれた、カイナの娘のカナンであった。中々のお転婆に育った少女のその元気な様子を見て、ライオネルは安堵を覚えた。

半年前に彼女の父のクルスが死んだ。ホムンクルスとは短命であるが、その運命をクルスは笑顔で受け入れていた。カイナと共に世界を見れて満足だと常に笑顔で語る姿が思い浮かぶ。臨終の際、ライオネルにもカナンを頼むと言い、残しあの世へと去っていった。仲間といえる存在を喪失したのはライオネルにとっても初めてのことであり、かなりの衝撃を受けた自分自身にライオネルは驚愕した。しかし、父を失ったカナンは大層悲しみ臥せ込みがちであったため、そんな少女を慰めるために悲しむ余裕はなかった。そんな彼女もようやく立ち直りつつあるようだ。


「今日は蜂蜜を持ってきたんだよ」

「おお、もうそんな季節か」

「私も手伝った」


カナンは母譲りの腰まで伸ばした紫紺の髪を揺らし、えへんと胸を張る。


「いくらカナンが魔法を使えるといっても、まだ7歳だ。危険だぞ」

「大丈夫だよ。私の魔法超強いもん」

「まあ、確かにカイナ殿の娘であるからな」


カナンの魔法の才は実際大したものであった。カイナ程ではないが、成長したのなら必ずや一角の魔法使いとして名を馳せる程の者となるだろう。だが、今の段階では唯の子供に過ぎない。


「カナンは大きくなったら、どうするつもりなのだ」


 渡してもらった蜂蜜を食べながら、ライオネルは何気なくカナンに問う。カナンは顎に指を当て、「うーん」と天を仰ぎながら暫し考え、そしてライオネルへと笑顔を向ける。


「私はずっとここにいたいなあ。ママも妖精の皆も、それにライオネルも大好きだし」

「ふふ、そうか」


 ライオネルは大切だと自覚している少女のその返答を嬉しく思った。皆と一緒に暮らす未来。それは悪くないものに思えたからだ。その時、遠くからカイナの声が聞こえた。


「あっ、ママだ」

「少しばかり日も暮れてきたからな。心配になって迎えに来たのであろう」


 姿を現したカイナに大きく手を振り呼び掛けるカナン。その後ろ姿を見つめながら、自然とライオネルは微笑んでいた。




「今日はお別れを言いに来たの」


 目の前には十五歳となったカナンがいた。まるで冒険者のような厚手のローブにワンドといった出で立ちに、背中には大きな荷袋を背負っている。その体躯は父親譲りなのか、すこしばかり小さいが、母親譲りの美貌に勝気な表情を浮かべている。


「ふむ、前々から森を出るとは言っていたが、随分と唐突ではあるな」

「あのババアと喧嘩したのよっ。本当に分からず屋なんだからっ、アイツ」


 憎き相手とでも言うように、そう吐き捨てるカナン。確かに最近は喧嘩が絶えなかったらしく、喧嘩をしてはライオネルへと愚痴を吐きに来ていたため、どのような内容であるかは大方把握している。それはとても些末なことに思えたが、今のカナンには耐えがたいことらしい。理詰めで諫めると「どっちの味方なのっ」と癇癪を起してしまうため、ライオネルはひたすら傾聴しつつ、見に努めることにしていた。


「ここは何もなくて退屈なのっ! きっと外の世界にはもっと素晴らしいものがいっぱいある筈よ。冒険者となって世界を巡って、そして本の中の王子様みたいに素敵な人と巡り合うの」


 両手を広げ、詠うようにそう宣言するカナン。その瞳は素晴らしい冒険を夢見て、ひたすらに輝いていた。


「我は外の世界に出たことはないから詳しいことは言えぬが、カイナ殿はかつてSランクに届かんとした冒険者。旅立つにあたってアドバイスの一つも貰ってからの方がいいのでは。それに冒険には危険が伴う。今生の別れとなるかもしれないのだ。別れるなら円満にした方が後の悔いも少ないと思うが」

「それが出来たらとっくにやってるわ。あの女、何度言っても眉をひそめて私にはまだ早いとか、冒険者なんていい物じゃないとしか言わないんだもの。いい加減こっちも堪忍袋の緒が切れたわっ。昨日だって」


 カナンはよほど悔しかったのか、爪をガシガシと噛む。それは幼い頃からの苛立った際のカナンの癖であり、ライオネルは見るたびに爪がボロボロにならないか心配になってしまう。


「という訳で、私は旅立つわねライオネル。皆のことをよろしくね」

「そうか、旅立つのであれば我の試練を受けてもらいたかったが」

「あはは、私はライオネルを魔法で撃ちたくはないし。じゃあ、行くわ。元気でね」

「うむ、達者でなカナン。何年後になるかはわからぬが、君が仲間と元気にこの森に帰ってくるのを楽しみにしてるぞ」


 カナンは何度も振り返りながら笑顔で手を振り、そして去っていった。カナンの姿が見えなくなると、ライオネルは森の奥へと語り掛ける。


「カイナ殿。いるのであろう?」

「おや、気付いていたのかい」


 森の中から、カイナが姿を現した。その表情はいつもどおり飄々としており、何を考えているのか窺い知ることは出来ない。


「よかったのか、あれで」

「いいさ、別に。あの子も十五だからね。雛鳥ってのは旅立つもんだ」

「装備などは問題ないのか」

「あの子が寝てるときに荷物の中に色々ぶち込んでやったからね。あの子の力ならやっていけるだろうさ」


 カイナは娘の旅立った方角をただじっと見つめる。ライオネルもそれに並んでカナンの旅路を見送った。


「それにしても、この森も大分寂しくなってしまうな」


 毎日のように訪れてくれた少女は、もう来ないのだ。カナンが冒険者を志すことを聞いたときは喜びを覚えたが、今は寂しい気持ちが胸を満たしていた。


「なあに、ようやく静かになってせいせいするよ。これからは何もさざ波の経たない穏やかな日を送れそうだ」


 ライオネルはカイナの言葉に小さくため息を漏らす。この女傑の心情だけは長い付き合いの中でもいまだ把握しきれていないというのが素直な気持ちであった。




 十数年が経った後、カナンは再び森へと帰ってきた。自らの腹の中にもう一つの生命を宿して。何も言わずにカイナは出迎え、そして母娘は今再び一緒に暮らしている。


「こんにちは、ライオネル。今日はいいお天気ね」


 そのお腹を大きく膨らましたカナンが、ライオネルの下へとやってきた。その顔立ちは年齢相応に落ち着いており、記憶の中の小さな少女とは既にだいぶ異なっている。


「出歩いて大丈夫なのか、カナン」

「ええ、妊婦も適度な運動が必要だって、ママが言ってたわ。それに今日は調子もいいし」

「……そうか」


 だが、ライオネルはカナンが普通の妊婦でないことを知っていた。その腹の中の胎児はマナを多くため込んでしまうマナ肥大症という特殊体質らしい。そのため、それに影響を受けたカナンは体内より著しくマナを奪われ、時折体調を崩し臥せることも多かった。母子共に無事で生まれる可能性は低いらしいが、カナンはどうやら産むことに決めているらしい。だが、一流の魔女であるカイナがついているのだから、きっと大丈夫だとライオネルは母娘を信じることに決めていた。


「この子は本当にやんちゃでね」

「まるで昔のカナンのようだな」

「ふふ、そうね。……振り返るとあの頃が一番楽しかったかな」


 ライオネルの腹部に背を持たれさせながら地面へと腰を下ろすカナン。その帰還後、ライオネルのために冒険譚を聞かせてくれたが、中々に活躍したらしい。カナンは魔導王国と呼ばれる国にて主たる活動をしていたという。そこでもっとも出てくる仲間の男が、腹の中の父親ではないかと勘繰ったが、カナンは決してその存在を明らかにはしなかったため、ライオネルも尋ねることなかった。

 暫く無言で降り注ぐ太陽を浴びていると、カナンがポツリとライオネルへと話しかける。


「ねえ、ライオネル。この子が生まれたら、私みたいに可愛がってあげてね」

「うむ、勿論だ。このライオネル、カイナ殿からは育児の獣と称賛されるほどであるからな。我のあやし術、カナンも瞠目しながら学ぶといい」

「ふふっ、期待してるね」

「ああ、またこの森も賑やかになるな。我とカイナ殿、カナン、そしてこんど生まれてくる赤子。皆でまた楽しく暮らす日々か。……楽しみだ」


 ライオネルはその光景を想像し、胸を躍らせる。そして、自分が試練というものに固執していないことに気付いた。だが、もはやもうそれでよかった。何故なら変わりに自分は新しいものを手に入れたのだから。しかし、思い浮かべたその光景は、実現されることはなかった。




 ライオネルはカイナの家の前で、そわそわとその身を揺すらせる。今、家の中ではカナンが出産へと臨んでいた。その数日前、カナンは高熱を出して倒れてしまっていた。体力が落ちた中での出産。カイナはライオネルに厳しい戦いになると、今までにない迫真の様子で伝えられた。


(女神よ、どうかカナンを)


 ライオネルは唯々天へと祈るしか出来なかった。永遠とも思える時間の中、突如家の中から甲高い泣き声が響く。それは新たな生命の誕生を告げるが如き叫びだった。


「おおっ!」


 どうやら無事に生まれたらしい赤子にライオネルは歓喜の声を上げる。そして、同時にカナンの安否が気にかかった。家の窓とカーテンが開け放たれ、カイナが顔を出す。


「カイナ殿っ! どうなったのですかっ」

「……ああ、赤子は無事だよ。最後に顔を見てやりな」


 その言葉にライオネルはハッとなりながら、すぐさま窓越しに部屋を覗く。そこからベッドに横たわり、泣き叫ぶ赤子を抱くカナンの姿があった。その顔はまるで死人のように青白い。


「はあっ、とんでもない赤子だよ。手を尽くしたけど、カナンのマナを根こそぎ持って行っちまった」


 カイナは耐えられないといったように首を2、3度横に振る。どんな時でも冷静な彼女が珍しく苦悶の表情を浮かべていた。その言葉に反応したのかカナンがゆっくりと目を開ける。そして驚くほどやつれてしまっている顔をライオネルへと向けた。


「……カナン」

「ライオネル、私やったよ。ちゃんとこの子を産んであげられた」

「ああ、大したものだ。流石はカナンだ」


 その言葉にカナンはにっこりと微笑む。しかし、辛いのか赤子を抱いた手は小刻みに震えていた。


「ライオネル、この子のことお願いね。名前はカシスっていうのよ。女の子なの」

「カナンっ。……ああ、任された」


 次にカナンはゆっくりと母親へと視線を向ける。


「ママ、ごめんね。色々迷惑かけて。啖呵きって出てったのに最後までママの世話になっちゃったね」

「なあに、気にすることはないよ。親ってのはそういうもんだ」

「ふふ、あの時はわからなかったけど、今はママの気持ちも理解できるよ。できればもうちょっとお話したかったけど」

「……後のことは全部任せな。腐ってもあたしは紅蓮の魔女だ」

「うん、よろしくね。最後までママは凄くて、全然追い抜けなかったなあ」


 カナンは話し終えると、深く肩で息をつき、腕に抱く赤子を必死に持ち上げる。そして、愛おしそうに生まれたばかりの娘に頬ずりをした。


「カシス、あぁカシス。側にはいてやれないけど、星となって見守ってるから。だから……」


 最後まで言い切ることなく、カナンの腕はゆっくりとベッドの上へと落ちていく。ライオネルはその瞬間カナンがその生を終えたということを察した。


「カナンッ」


赤子の時から見守っていた娘の死。それはかつてないほど、ライオネルの心を苦しめた。カイナとライオネルが押し黙る中で、赤子の泣き声のみが響き渡る。カイナがカナンへと近づき、腕の中の赤子をそっと抱き上げる。そして沈痛な面持ちのライオネルへと赤子を見せる。かつてカナンをそうしたように。


「ほら、くよくよしてんじゃないよ。あんたは育児の獣だろ」

「カイナ殿、今は……」


しかし、ライオネルの視線はカシスに引き寄せられる。今しがた家族同然の女性が必死に残した忘れ形見。生まれたばかりのためか、あの時とは違っていまだ一心不乱に泣き叫んでいる。ふと、カナンと最初に出会ったときのあの笑顔を思い出した。それを思ったとき、ライオネルの胸に、この子の笑顔が見たいという気持ちが自然と湧き上がる。そして、この忘れ形見を絶対に守ってみせると深く心にきめたのであった。




 話が終わったとき、日はすっかりと高くなっていた。


「と、まあこんな感じで色々あったのだ。まだまだ話せることは多いが流石に疲れたであろう」


 ライオネルはアルク達に、微笑みかける。自身の先祖のことなど興味深く聞いていたアルクであったが、確かに集中し過ぎていたのか、どっと疲労が湧いてくる。


『成る程、大変だったのだな君も』

「ええ、その後は我とカシスとカイナ殿で暮らしておりました。カイナ殿も若い頃の無茶のため五年前に亡くなっておりますが」

「お祖母ちゃんにもアルク達を会わせてやりたかったにゃん。絶対気に入ったにゃん」


 昔を懐かしむライオネルとカシス。二人の間にはしっかりと想い出が共有されているのだろう。


「アルク殿達はこれから特訓であろう。カシスから聞いている。パーティーとして連携さえ取れれば、更に高みを目指すことも可能であろう。それにアルク殿は魔法剣を使われるとか」

「魔法剣? ああ、雷鳴剣のことかあ。はい、おじいちゃんに教わって。まだ一回しか成功してないんですけど」

『アルクは今、夢の中でラッドに稽古をつけてもらっているんだ』


 ハルが詳しく事情を説明する。


「ほう、それは興味深い。剣殿の権能は体に負担をかけますからな。その必殺技を会得すれば、使用を控えることもできるでしょうな。アルク殿、もし可能ならばその必殺技、今度の試練で是非我に打ち込んで欲しい」

「は、はいっ、頑張ります」

『では、我々も特訓に戻るとするか。パナシェやライムだけに頑張らせるわけにもいかないからな』


 アルクはハルの言葉に頷くと立ち上がる。


「カシスはもう少しここに残っておじちゃんと話してるにゃん」

「そっか、わかったよ。お昼には戻ってくるといいよ。今日はオムライスだって」

「にゃっ⁉ それは嬉しいにゃんね」


 カシスが耳をピコンとたてて喜ぶ。アルクはカシス達と別れ、再びカシスの家へ向かった。


「ライオネルさんも色々あったんだねえ」

『ああ、ラッドと共に旅立った後、そんなことになっていたとはな。とはいえ、ライオネルの久方ぶりの試練だ。見事に乗り越えて、気持ちよくこの森を旅立とうじゃないか』

「そうだね。よーし、やるぞぉ!」


 ライオネルの過去を知り、試練への想いも解った。アルクも全力で試練へと臨もうという強い想いが沸き立ち、特訓を再開すべく力強く駆け出した。


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