獣の一生
ライオネルはある日、世界の変質に気付いた。風が土や木々の匂いを運び、森の木々が揺れ葉音を立てる。それは自分がこの場に生み出されてからずっと繰り返されてきたことだ。しかし、この世界で最古ともいえる存在であるライオネルははっきりと、己の存在が今この瞬間に自我というものを確立したのだということを本能的に悟った。体を起こし、空を見上げる。流れる雲や青い空は今までと何ら変わりがない。しかし、それを捉えるライオネルの心は心なしか、記憶にはある過去の自分よりも躍動しているように感じられたのであった。
そうと知覚しても、ライオネルの日常には変化はなかった。
「ライオネルさん、私たちのこと覚えてますか?」
パーティーのリーダーらしき女性冒険者がライオネルへと話しかけてくる。最初、ライオネルは試練に挑戦しに来た新人冒険者かと思ったが、その熟練した雰囲気にそうではないということを察していた。
「ううむ……そうだっ! 十年ほど前、女性四人だけで我に挑んできた冒険者であろう。あのとき、半べそをかきながら失敗し、何度も挑みかかってきた。いまだ同じ仲間で冒険を続けていたのだな、良き哉」
「そうですッ! やったあ、覚えて下さったんですね」
ライオネルが自分たちを覚えていたということに、四人は手を取り合って喜ぶ。
「して、今日はどんな要件でここへ?」
「はい、この子が結婚し冒険者を引退することになって、最後のクエストは一番最初に冒険したここにしようと思って」
リーダーらしい女性が、一番奥にいる魔術師のローブを着た女性の背を押し、前へと押し出す。再び女性たちはキャッキャッと笑い合う。ライオネルの脳裏に十年まえのまだ少女だったころの姿が鮮明に思い出されてくる。
「そうか、結婚か。冒険者としての転機であるからな。こればかりは仕方ない。他のメンバーはどうするのだ」
「はい、これまでみたいな本格的なクエストはもうしないつもりです。他のメンバーを募ることも考えたんですけど、やっぱりこの四人こそがパーティーなんだって思って。取り敢えずこのスーラで新人のバックアップなんかをするつもりです。ギルドからも頼まれていますし」
「そうか、なら見込みのある新人がいたらここに連れてくるといい。我が鍛えてやろう」
「はいっ、それはもう。ライオネルさんに鍛えてもらったおかげで、私たちもAランクまで行くことができたと思ってます」
「なんとっ⁉ Aランクまでいったのか。大したものだ」
ライオネルは心底驚き、腹の底から愉快に笑った。かつて自身の試練を乗り越えた冒険者が大成することは、試練のために生まれた自分にとってなりよりもの幸福なのだ。
「あっ、あの子たち」
冒険者のうちの一人が、入口でおどおどとこちらを見ている少年少女の一団を見つける。どうやらライオネルの試練を受けにきたらしい。
「じゃあ、私たちはこれで失礼しますね」
「うむ、我も忙しい身でな。また気が向いたらここへ来るといい。その際はそなた達がどのような冒険をしたか、是非聞かせて欲しい」
頭を下げると、女性冒険者たちは去っていった。充足感を胸に、ライオネルは新人冒険者を迎え入れる。
「よく来た、冒険者たちよ。我は試練の獣ライオネル。世界を冒険せんと志すのであれば、まずは我を乗り越えて見せよ」
しかし、そんな日々は唐突に終わりを告げた。あるとき、何日も太陽が昇らず、空が暗黒に包まれたのだ。そして、その日はやってきた。突然すさまじい地鳴りとともに、ライオネルの巨躯でさえ地へ転がす程の大地震が起きたのだ。その揺れは数時間は続き、その間に森は半壊した。それが世界を揺るがす程の何かであったということにライオネルは気付いたが、それが何かまでは窺い知ることは出来なかった。
だが、ライオネルはあくまで自分の使命を果たすことが己の責務と考え、己の試練を受けに来る冒険者を待ちわびた。しかし、何故かどれ程待っても冒険者は一向に来ることはなかった。長い寿命を持つライオネルですら焦り始めた、そんなある日。懐かしい人物とライオネルは再開することとなった。
「うわぁ、でっかいなあ。ねえ、ハル。私知ってるよ。これライオンって言うんでしょ。本で読んだよ」
『いや、これはライオンではないぞ、シスル。無論モチーフとはなっているが』
それはライオネルの一番最初の試練の相手であった少年が持っていた話す剣であった。持ち主はその時の少年でなく、黒髪をセミロングにしたまだ幼い少女であったが、身に纏う雰囲気はとてもよく似ている。
「久しいな。我のことを覚えているか、剣殿よ」
『無論だ、ライオネル。皆で君に挑んだあの試練の日々は、今でも私の大切な想い出だよ。たまたま通りかかったから、この子をなだめすかしてやって来たんだが、まさか会えると思わなかった』
「そうか。そう言ってもらえると我としても嬉しい。あれから随分と時が過ぎたな。剣殿の口調も大分変られている。よければ教えてくれないか、剣殿。世界に何があったのかを」
そこでハルが語った話の内容は衝撃的なものであった。混沌より新しい神が目覚め、信徒を集め世に力を行使しようとしたということだ。ハルの前回の所有者とやらが、神々の協力を得てそれを食い止めはしたが、完全には抑えきれなかったため、大陸がいくつにも割れる程の大災害が起こったという。
『あの大災害でスーラの目ぼしい迷宮は皆潰れてしまったよ。それにここに試練の獣がいたということを知る人たちも皆いなくなってしまった』
「なんと……。故に冒険者たちもここを訪れなくなっていたのか。……剣殿っ、ひとつお願いがあるのですが、聞いていただけないでしょうか」
「あっ、急に敬語になった」
シスルと呼ばれた少女が、ポツリと呟く。しかし、必死の思いのライオネルはそれをスルーし、知己と言えるハルに懇願した。
「どうか、ここに我がいるということを冒険者たちに知らせてくれぬだろうか。試練を乗り越えた相手に財と祝福を与える獣の存在のことを」
『ということだが、どうするシスル』
「うーん、却下。めんどくさいもん」
シスルはポケットから飴玉を取り出すと口へと放り込んだ。
「そんなっ、そこをなんとか」
『ライオネルは私の初実戦の相手であるから、思い入れが深い。何とか頼めないか』
「伏してお願い申し上げる。どうかっ!」
「うーん、このおねだりライオン……。しょうがないなあ」
シスルは不承不承と言った形で頷く。ライオネルはその言葉に破顔し、その鋭い牙をむき出しにする。
「かたじけないっ。お礼と言っては何だが、我の試練を受けていかぬか。かつては冒険者の登竜門と言える我の試練をっ。高評価で乗り越えた冒険者たちはいずれも富と名声を得たものだ」
「やだ、面倒くさい」
シスルはそう即答する。予想していたのか、ライオネルはショックは受けなかった。しかし、どうしても試練を行いたいため下手にでることにした。
「……実は我はもう何十年も試練をしてないから、してみたいのです。なんとかお願いできないでしょうか」
『……ライオネル。この子は三歳の時に私の所有者となってな、張り切って英才教育を施してしまったんだ。だから、ライオネルが怪我をしてしまうかもしれないぞ』
「それなら尚更望むところです。そのような有望な若手冒険者の壁となれるのも我の喜び」
懸命に乞うライオネルに、シスルは諦めたようにため息をつく
「……仕方ないなあ」
『シスル、やりすぎるなよ』
ライオネルはシスルの了承を受け、歓喜の声を上げる。
「ありがたい。では、シスル殿、参るぞっ。よく来た、冒険者よ。我は試練の獣ライオネル。世界を冒険せんと志すのであれば、まずは我を乗り越えて見せよ」
結果はライオネルの惨敗であった。シスルの行使する魔術障壁の前に、傷一つつけることが出来ず、そこに仕組まれたカウンターマジックによってライオネルは攻撃の度にズタボロとなってしまった。
「ぐわあああああ。ぐぅ、なんて強さだ」
「壁、ねぇ……」
『すまない、ライオネル。早期教育が物を言い過ぎてしまったようだ』
「……いえ、いいのです、剣殿。我も長らく試練の獣をやっていない。時折、規格外な才能に出会うことも多々あった。シスル殿もこの世界に英雄として名を刻むのでしょうな。相手に出来た我も鼻が高い」
「ならないよ、英雄なんて」
「えっ⁉」
シスルはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「私は出来るだけ若いうちに目立つことなく、割のいいダンジョンとかでお金を稼いで、二十歳までには隠棲する予定なんだ。働くなんて怠いしね」
「おぉ、それだけの才能を持ちながら……」
『すまないなあ、本当に。こういう子なんだ』
ハルが心底すまないとばかりにライオネルに謝る。その後、すぐシスル達は旅立った。最後にライオネルに「くれぐれも期待しないように」と言い残して。
しかし、それから暫くして、ライオネルの存在を知った冒険者たちが時折訪れるようになってきた。それは依然と比べて微々たるものであったが、それでもライオネルの無聊を慰めてくれた。ふと気になってシスルの動向を尋ねたが、そこそこ名のある冒険者に聞いても、そのような冒険者の存在など知らないとの答えしか返ってこなかった。
そうして再び試練の獣としてのライオネルの生活が始まった。




