看病
額に置かれた心地よい冷たさで、アルクは目覚めた。
「あっ、アルク。起きたんだ。おはよー」
『おっ、本当だ。おはよう、アルク』
「ん、パナシェとハルか。おはよう」
目が覚めると、目の前にはパナシェがいた。額に濡れたタオルが置かれている。どうやら自分はベッドへと寝かされているらしい。周囲の様子から察するに、ここはカシスの家のようだ。先ほどまでの祖父との訓練を思い出す。自分はどれくらい寝ていたのだろうか。
「僕は……。あれからどのくらい」
「三日だよ。あの後すぐオイラもライムも目が覚めて、皆でアルクをカシスの家まで運んだんだ。カシスから聞いたよ。アルクはあの後も戦い続けて、ライオネルさんが助けに来るまで頑張ったんでしょ。ありがとう、おかげで皆無事だったよ」
「皆……」
アルクはガーフの黒炎がライオネルの胸部を貫く光景を思い出す。アレは本当に大したことはなかったのだろうか。ベッドから体を起こそうと思うと全身に痛みが走る。まるで体が鉛にでもなってしまったかのようだ。
「ああっ、動いたら駄目だよ。今はまだ寝てないと。あの後、怪我はオイラの加護で癒せたけど、すっごい体が熱っぽくて。今も凄い熱があるんだよ。安静にしてないと」
「うん、わかった。あの後皆は……」
「アルクが気を失った後でね、取り敢えずアルクをこの家まで運んで、その後カシスとライオネルさんでサルビアさん達を森の外まで案内したんだよ」
「サルビア?」
「うん、あの奴隷の人たちの名前。槍の人がサルビアさん、剣の人がエキナセアさん、エルフの人がソレルさん。皆泣いて喜んでたよ。アルクにもよろしくって」
『あの男、自身の死後の相続などの指示は幸いにしてなかったらしくな。死んだ後に隷属の首輪は自然に外れたよ』
アルク自身は剣を交えなかったが、あのみすぼらしい服を着て、首輪をつけられた女性たちのことを思い出す。ガーフの死後、無事に解放されたようだ。
「そうか、よかった」
「うん、それでねアルク。サルビアさん達に旅の餞別としてアイテムボックス内の衣類とか装備とか回復薬とか路銀とかを渡しちゃったんだけど、大丈夫? 一応、ハルさんには相談したんだけど」
『ああ、私が許可したんだ。代替の効く市販品の中から彼女達を守るに足る品質のものを渡した。構わないだろう?』
「うん」
別段不満などあるわけがない。彼女達もまたあの狂人の被害者なのだから。
「サルビアさん達もアデルハイドで冒険者をするつもりみたい。もしかしたらあっちで会うかもね」
『彼女達もそれなりの実力者だったからな。三人でパーティーを組むと言っていたし、冒険者としてやっていくのに問題はないだろう』
アルクは二人の言葉に頷く。そんな時、アルクの腹がキュウと音を立てる。
「お腹空いたの?」
「いや、空腹感は感じないんだけど」
「うーん、熱があるからね。それでも何か入れた方がいいかも。ちょっと待ってて」
パナシェはそう言うと、部屋の外へと出ていった。
『三人には礼を言っておくといい。ずっと交代でアルクの看病をしてくれていた』
「そうなんだ。メレンの時といい、迷惑かけちゃうな」
『……アルク。心配したのは彼女達だけではない。私も大層心配したぞ。オーバーブレイクは適度に使えば切り札足りえるが、あんな使い方は自殺行為でしかない。ラッドも似たようなことをしたため、それが死の一因となった。もう二度とあんな使用方法はしないと約束してくれ』
ハルの真摯な言葉。そこには悲しさも込められていた。アルクも自分をいつも慈しんでくれている剣にそのような思いをさせてしまったことを、不甲斐なく感じた。
「……ごめん。もうしないよ」
また祖父の死因がこの権能にあるということも驚きであった。そして、夢でラッドに再び出会ったことをハルに伝える。
「夢の中でまたお祖父ちゃんにあったよ」
『ああ、例のか』
「うん。稽古をつけてもらったんだ。すごく強かった」
『そうだな。ラッドは歴代の所有者の中でもトップクラスだったからな』
昔、ハルとそんな話をしたのを思い出す。それによれば自分は中の上とのことらしい。
「僕もお祖父ちゃんみたいに強くなれるかな」
『成長には後天的な要素も大きくかかわっている。欠かさず研鑽を積んでいけば、アルクなら可能だろう』
「そっか、頑張るよ。そういえばライオネルさんは本当に無事なの?」
『……ライオネルやカシスは問題ないとは言っている。まあ、アルクが元気になったら礼を兼ねてまた会いに行こう』
「そうだね」
そうしてハルと話している内に、パナシェがお盆を持って戻ってきた。
「アルク、お待たせ。お粥なら食べれるでしょ。三日間ずっと眠ってたから、がっつりは健康によくないしね」
パナシェはアルクの寝ているベッドの横の椅子に腰かける。傍のテーブルにお盆を載せると、蓋を取る。湯気が立ち上り、そこから食欲をそそる匂いが立ち込めてきた。先ほどは空腹を感じなかったが、いざ五感を刺激されると堪らなく腹が空いているという事実を突き付けられてしまい、飢餓感すら覚える程だ。
「ありがとう、パナシェ。やっぱしお腹が空いてたみたい」
アルクはベッドから足を下ろし腰を掛けるが、すぐに眩暈を感じふらついてしまう。それを見たパナシェが慌ててアルクを支え、再度ベッドへ長座位の形で身体を横たわらせる。そして背中にはクッションを当ててくれた。
「駄目だよ、無理しちゃ。自分じゃ気付かないかもしれないけど、まだ体が凄い熱いよ。燃えてるみたい。横になってて」
「最初だったから少し眩暈が起きただけだよ。食べてる間なら我慢できると思う。あ、でもこの姿勢ならお盆を膝の上に置けばいいのか。流石だね、パナシェ」
「駄目だよ。それでお粥を落としたら火傷しちゃうし、もったいないでしょ。だからオイラが食べさせてあげる」
「え?」
一瞬その意味がわからず、きょとんとするアルク。それを意に介さずパナシェはレンゲで粥を掬うと、自分の口元に当て、ふーふーと息を吹きかけ冷まし始める。そして、その粥をアルクの口元へと差し出した。
「思い出すなあ。オイラも小さい頃熱がでると師匠がこうしてくれたんだよ。はい、あーん」
「いや、いいよ。自分で食べるよ」
「あーん」
アルクの言葉を無視して笑顔で迫るパナシェ。アルクはハルへと助けを求めたが、ハルはだんまりを決め込んでしまっていた。笑顔のまま、粥を突きつけているパナシェ。アルクは観念して口を開く。そこにパナシェが優しく粥を運んでくれた。そこでハルがアルクにだけ聞こえるように話し出す。
『ふふっ、アルクも隅には置けないな』
(……さっきはだんまり決め込んだくせに)
『怒ってるのか? だが悪くない気分だろ』
(……でも恥ずかしい)
気恥ずかしさを押し殺すように、口内の粥を噛みしめる。それは卵と塩のみの味付けのお粥であったが、それ故に優しさを感じさせる味であり、咀嚼し飲み込むと流れるように全身に瑞々しさが行き渡る。体はどうやら想像以上に疲弊していたらしい。
「美味しい?」
「うん、すごく。パナシェが作ってくれたの?」
「うん、風邪にはこれがいいって、バトラーが教えてくれて。アルクがそう言ってくれてよかった」
そう笑顔で無邪気に喜んだパナシェは次の粥をすくう。しかし、アルクは今粥を口にしたことで喉が渇いていることにも気が付いた。三日間何も飲んでいないのだ。
「そ、その、次は水が」
「あっ、そうだね。普通最初は水だよね。ごめんね。はいっ、ゆっくり飲んでね」
水差しから水をコップに移し、アルクの口に添える。一口含んだ瞬間、体が渇きを思い出し、パナシェの手の上から両手を添えて必死に体内に取り込もう体が動いていた。コップ一杯の水を飲み干すと、アルクは満足から深く息を吐く。全身の細胞が新たに生まれ変わったような多幸感。その後は再びパナシェの介助でお粥を食べていった。全部食べれると思ったが、半分程で喉を進まなくなり、再び疲労感と睡魔が襲ってくる。
「ごめん、なんかこれ以上は……」
「体が疲れてるんだね。無理をしてもしょうがないしね。またゆっくり眠って」
アルクはパナシェの力を借りて、ベッドの中へとまた潜り込む。瞳を閉じると、意識が睡魔に引っ張られていくのを感じた。
「ありがとう、パナシェ」
「どういたしまして。おやすみ、アルク」
どんどんと眠りの沼へと沈んでいく中で、額に搾りたての冷たいタオルが置かれるのがわかった。そして、耳には優しいメロディが聞こえてくる。それはあのメレンでパナシェが歌っていた子守歌だ。さざ波のように引いては返す優しい旋律。アデルハイドの子守歌らしい。アルクはふとパナシェの失われた記憶のことを思う。もしかしたらパナシェはアデルハイドの人間かもしれないとハルは言っていた。それが事実ならパナシェの家族もアデルハイドにいるだろう。アデルハイドに着いたなら、パナシェの家族を探すのもいいかも、とアルクはそれとはなしに考える。何故なら、家族というのは側にいてくれるだけで心強いのだから。多くのことに取り留めもなく想いを馳せながら、アルクはゆっくりと眠りへとついていった。
「はい、アルク。あーん」
「うわっ、早い」
目を覚ますと当然のように祖父がいた。寝そべるアルクの前に膝をついていた。先ほど別れたばかりなのに、粥を食べて寝たらすぐに再開とは流石に早すぎる。しかも、揶揄するような表情で、先程のパナシェの物真似をしている。当然手には何も持ってはいない。
「何やってんの?」
「いや、青春だぜって思ってよ」
ラッドは照れくさそうに指で鼻の下を擦る。その態度に流石にアルクも腹が立った。剣の稽古をつけてもらい、祖父への尊敬の念を新たにしてすぐのことだったので尚更だ。
「やめてよ、もおー」
「照れるなって。孫に可愛いガールフレンドがいてお祖父ちゃん感動してるんだぜ」
ニヤニヤと笑うラッドに、アルクは顔を赤くしながら地団駄を踏む。成る程、こういう性格であるのならば、ハルやバトラーが祖父を語ると時折失笑交じりになるのも頷ける。
「でも流石に早いよ。感動の余韻もなかったじゃん」
「俺だって毎度もうちょっと格好よく登場したいけどよ。この世界の仕様なんだからしょうがねえだろ」
ラッドは頭をボリボリと掻くと片目を閉じ、アルクへと笑いかける。
「ま、でもこっちの方が都合がいいだろ。数はこなすに越したことはないしな」
いつの間にか地へと突き刺さっている二振りの剣。その一本を手に取り、アルクへとそれを向ける。アルクもそんな祖父に笑い返し剣を手に取ると、祖父に向かって構えた。
「少年老いやすく、ってな。ボヤボヤしてると人生あっという間だぜ。さあ、やるぞ」
「うんっ。いくよ、お祖父ちゃんっ」
今自分が望むことは唯一つ。アルクは気合の声を上げると、ラッドへと挑みかかった。




