ふたつの想い
「カシスはそのことを?」
「ああ、知っている。我がいなくなった後の里のことについてビリーと話し合っているときに、偶然聞かれてしまったのだ。それが無かったら騙す形になったとしても外の世界に送り出してやれたのだが」
アルクはカシスが、ライオネルが戦える体ではないということを自分達に告げたときのことを思い出す。最初の遭遇で警告としていきなり魔法を撃ちこんできたのも、ライオネルに冒険者を近づけさせたくなかったのだろう。全てはライオネルを慮ってのことだったのだ。
「で、でもカシスはそれを望んでいないかもっ! 十数年もあるのなら、その間ずっと一緒にいられるよねっ!」
唐突に明かされたライオネルの寿命。一同に重苦しい空気が漂う中、パナシェがなんとかその雰囲気を打ち払おうと努めて明るい声を出す。しかし、ライオネルはそっと瞳を閉じると、そっと首を横に振る。
「その間ずっと、この何もない森で暮らすと? 我が死ぬとき、カシスは二十も半ば。その間に積めたはずの研鑽、出来たはずの冒険、得られたかもしれない仲間。それを全てかなぐり捨てて、いなくなる運命の者のために唯時間を空費した後で一人残されてしまった場合、あの子には何も残らない。我はそれが何より耐えがたい。だからこそ、今ここに剣殿の所有者であるアルク殿が訪れたのは僥倖と思えたのだ」
ライオネルの言葉にアルク達は何も返すことが出来なかった。暫し訪れる静寂。そこには時を重ねた者のみが知る何かがあった。アルクは堪らずハルにどうにかしてとばかりに呼び掛ける。
『……確かにライオネル、君の気持も解る。だが、この世界は危険も溢れている。必ずしも、外の世界に出ることばかりが幸せだとは限らない。夢が人を押し潰すこともあれば、富や名声が人を堕落させることもある。限られたアルカディアで静かに穏やかに生きている者達だっているではないか』
「勿論我もそれは否定しない。だが、高みを目指すのならば絶えず歩み続けなければならない。それなら早ければ早い方がいいのは明白。小さな楽園に閉じこもりたければ、それらを得てからでも遅くはない。カイナ殿もそうであった」
「でも、そこにはあなたはいないかもしれないのでしょう。あたしは家族に見送られて旅に出たけど、あの子は大事な家族とずっと寄り添っていたいと思ってるんじゃないの?」
ライムが複雑そうな表情でそう指摘する。敬愛する祖母を持つライムには、ライオネルの言葉も理解できるが、カシスの気持ちも解るのだろう。
「しかし我はこの世界にただ一匹の獣なのだ。家族などいない。いなくなればもうここには何もない。カシスは天涯孤独になるだろう。森の妖精族がいると思われるかもしれないが、あれも他とは交われぬ単一種族だ。それに弱き種族であるため、我の死後カシスを庇護者としてしまうかもしれない。そうしたらあの子は一生この森から出れぬであろう」
『君も色々と考えているのだな。だが、いずれにせよカシスの人生を選ぶのはカシス自身だ』
ハルの言葉にライオネルは少しの間口を噤む。そして、最後にぽつりと小さく呟いた。
「確かにカシスが我との時間を大事にしてくれるのはとても嬉しい。だが、それでも我は冒険者を志す者の試練として世界より生み出された獣。カシス程の子の可能性を潰すのは忍びないのだ。貴殿らがカシスをこの森から連れ出してくれるなら我は本望である」
『ライオネル……』
アルク達はライオネルのその言葉に何も返せなかった。そして、それ以降は会話を交わすことなくその場を後にする。アルクが途中振り向くと、ライオネルがただいつもの場所でじっと静かに佇んでいた。
「あ、皆お帰りにゃーん。随分遅かったにゃんねえ」
カシスの家に着くと、極めて自然体なカシスが明るくアルク達を出迎える。ライオネルの話を聞いたアルク達は、どう接すればいいのか分らず顔を見合わせる。そんなアルク達の様子にカシスは全てを察したかのように、やれやれとばかりに溜息をついて見せた。
「おじちゃんから聞いちゃったにゃん?」
「……うん」
「はあ、それでそんな辛気臭い顔をしてるにゃんね。しょうがないにゃあ。おじちゃんは心配性だにゃん」
アルクの返事に、わざとらしく肩を竦めるカシス。そこに気負った様子は微塵も見られなかった。アルクはライオネルの真剣な眼差しとその懇願を思い出し、カシスに尋ねてみることにした。
「カシスはこの森にいたいんだよね?」
カシスは一瞬、きょとんとした表情を浮かべるが、すぐさま満面の笑顔で頷く。
「そうにゃん。カシスは今の環境で満ち足りているにゃん。働いたら負けかにゃって思ってるにゃん。まあ小さい頃は確かにお祖母ちゃんみたいに外の世界でぶいぶい言わせるのも想像したにゃん。けど、お祖母ちゃんから聞いた話だと案外冒険者も大変にゃん。なら、カシスはここでいいにゃん」
あっけらかんと話すカシスに、アルクはじっと視線を注ぐ。カシスはそのアルクの視線を受け、誤魔化すように頬をかいた後、アルクに向き直った。
「まあ、確かに今でも外の世界に興味がないかって言われると、ぶっちゃけあるにゃん。でも、カシスはこの森の生活で十分満足にゃん。これはカシスが考え抜いた結論にゃんよ」
アルクの瞳を真っ直ぐに見据え、カシスはそう言い放つ。しばらくの間そうしてアルクはカシスと顔を見合わせあった。パナシェとライムも固唾を飲んでそれを見守る。しかし、カシスの表情には揺らぎなどは一切見られなかった。アルクは表情を緩め、カシスへと笑いかける。
「カシスみたいな凄い魔術師がパーティーに来てくれたら心強かったけど」
「そうにゃんねえ、カシス程の天才はたぶんそうそういないからにゃあ。でも、カシスももし冒険するならアルクたちみたいな楽しそうなパーティーがいいと思ったにゃん」
その言葉のやりとりをした後、アルクとカシスは笑い合う。先程までの重い空気が和らいでいくのがわかった。そんな空気の中、カシスはアルク達に尋ねる。
「アルク達はいつ旅立つにゃん?」
「うーん、特には決めていないんだけど数日はいると思うよ」
「それじゃあそれまではカシスがしっかりおもてなしするにゃん。ぶっちゃけ琥珀蜜蜂の後じゃ大したクエストにはならないかもしれないけど、レアな素材の場所なんか案内するにゃんね」
「わあ、ありがとうカシス」
「蜂蜜みたいに何か美味しいものがあったら教えて欲しいわね」
その後はテーブルに着き、カシスの香草茶を飲みながら森のことなどについて話すこととなった。その最中に誰かの腹の音が鳴る音が唐突にリビングに響く。一瞬誰の物か顔を見合わせあう。
『少し早いが風呂にでも入って、夕食にするか』
「う、うん、そうだね。オイラもお腹空いちゃったし」
ハルが気を利かせて提案してきた。パナシェが何顔を赤くしながらハルの言葉に賛同する。アルクも途端に空腹を自覚し、ライムやカシスを見ると二人も笑いながら頷いたため、コテージの権能を発動させると現れた扉を開いた。
「お帰りなさいませ、皆様」
「うん、ただいまバトラー」
「バトラーさん、今日もお世話になるにゃん」
いつものように執事妖精のバトラーが出迎えてくれる。アルクたちはエントランスへと足を踏み入れた。
「じゃあ、お風呂はいつもみたいにレディファーストってことでいいわよね、アルク」
「うん、別にいいよ」
ライムの言葉にアルクは頷く。
「あっ、お祖母ちゃんがよく使ってたお風呂用のハーブがあるにゃん。今日はそれを使うにゃん。少し待ってるにゃん」
カシスが急いで家に戻ると、小さな籠を手に戻ってくる。
「さあ、いくにゃんよー」
「お風呂にハーブ使うんだね。楽しみだなあ」
「柚子湯とかは知ってるけど、あたしもハーブは初めてね」
「フレッシュな摘みたてにゃんよ。捗るにゃん」
和気藹々と風呂へと向かっていく女性陣。エントランスのソファーにどさっと腰を下ろしたアルクに、バトラーがコーヒーを持ってきてくれる。礼を言うと、ミルクと砂糖の入った甘いコーヒーを啜る。ふと、バトラーはライオネルを知っているのか気になったアルクは、それを尋ねてみることにした。
「ハルとライオネルは知り合いだけど、バトラーもそうなの?」
「ライオネル様は存じておりますが、直接顔を合わせたことはありませんねえ。ほら、私はここのオプションのようなものですから」
『まあ、ライオネルもバトラーという存在がいるということは知っている』
「ええ、それにライオネル様と私は似たような存在ですからねえ。共感というものもあります。天より定められた役割を遵守するその姿勢は尊敬しておりました。カイナ様と出会われて大分変られたご様子ですが、今のライオネル様も素晴らしい方だと思っておりますよ」
そう話しながら、にっこりと笑うバトラー。
「とは言ってもハル様の方がライオネル様との付き合いは長いですが」
『そうだったな。バトラー、君は最初はいなかったなあ』
「ええ、あの後で実装されましたからねえ」
昔を懐かしむ様にそう二人は話し合う。そうして、前回の祖父とライオネルとの出会いなどについてアルクがハルやバトラーと話していると、パナシェ達が風呂から上がってきた。
「アルク、出たよー。凄い良い匂いのお風呂だったよ」
「ええ、たいしたものだったわ」
「お祖母ちゃんの秘伝にゃん」
ほくほくとした顔でエントランスへとやってくる三人。そうして、アルクの座るソファーに腰を掛ける。その時、微かにだが花の香りが感じられた。
「じゃあ、僕も入ってこようかな。でもお風呂も一個しかないのは不便だね。男女に分かれていればいいのに」
『まあ、それについては設計ミスだな。最初は誰も使わないから一か所しかなくても文句は出なかったんだが。バーチャルで風呂に入っても実際に清潔になるわけじゃないし、最初は服だって脱げない設定だったしな。まあこれについては我慢してもらうしかないな。実際の冒険じゃ風呂に入ること無理なのだから、これ以上の贅沢はない』
「? まあ、そうだね。贅沢はいえないね」
ハルが語る昔の話は時折意味が不明に聞こえる。だが、詳しく尋ねるとハルはいつも言葉を濁すため、アルクもあえてスルーする。バトラーから受け取ったジュースを飲んでいる女性陣をちらりと見ると、風呂へと向かうことにした。
ハーブを使用した湯は確かに素晴らしく、芳香もさることながらいつも以上に体が温まったように感じた。入浴をすませたアルクは食堂で夕食を取った後、談話室で眠くなるまで皆とトランプゲームに興じ、その日一日を終えることとなった。




