ハーフエルフの少女
その少女は両親から疎まれていた。生まれたときからそうだったのかは、少女の記憶の中では定かではない。両親とも冒険者であり、同じパーティーで二人は結ばれたらしい。父は人間で、母はエルフと呼ばれる種族だ。しかし、少女はいがみ合っている二人の姿しか見たことはなかった。
そんなある日、ついに父が母と大喧嘩をして出ていくことになった。部屋から出ていくとき、そんな父をじっと眺めていた少女に気付くと、小さく「嫌なもの作っちまった」と吐き捨てた。しかし、その声に憎悪はもうなく、関わらなくてよくなったためか安堵が込められているのに少女は気付いた。その聡明さが少女のためになったかは分からないが。
残った母との二人の生活は、少女にとって心地良いものだった。相変わらず母からは疎まれていたが、それでも喧嘩の騒音は消え失せ、平穏ともいえる日々があった。母も最低限の養育は放棄せず、投げ与えられたパンはお腹は鳴っても、餓死はしなくてすんでいた。しかし、その平穏もすぐに終わる日が来た。
母の部屋にいつしか、一人の男が入りびたるようになったのだ。今度の相手は同じ種族のエルフだった。金の髪に、鋭くとがった耳。自分の父譲りの黒髪と、少しばかり伸びた丸みを帯びた耳とは大分違う。その男といる母は心底楽しそうに笑っていた。そしてある日、母が旅支度を済ませると、男と共に部屋を出ていった。部屋を出る際、一度娘を振り返った母は、まじまじとその全身を眺めると呟く。
「本当に中途半端ね」
愉快そうな言葉を投げかけた母の瞳には、以前含まれた憎しみの感情すらなかった。そこにあったのは無関心だけであった。身軽な足取りで母が部屋を出た後は、もうそこには少女しかいなくなった。
母が出て行って、数日後。少女は町の中を彷徨い歩いていた。部屋の大家らしき中年女性がやってきて、「これだから冒険者ってのは嫌なんだよ」とさんざん少女やその両親を罵倒すると、あっという間に少女を部屋から追い出したのだ。
真冬の凍える大気の中、もう戻れないと理解した少女は、薄手で幾日も街を彷徨った。母が出て行ってから口にしたのは水だけだ。体の中の生命力が枯渇し始めた少女は、路地裏に入り、壁を背に座り込む。横目で見えた通りには、子供を連れた夫婦が笑いながら歩いている。少しばかり羨望を覚えたが、それを振り切るために自嘲した。あれは自分には関係のないものだ、自分はあのようになれないのだと運命づけられているのだ。自分は何者にもなれはしないのだ、と。
「どうせ、あたしなんか」
いつしか、おまじないのようになった言葉を呟く。諦観は少女にほの暗い安寧を与えてくれた。そうして膝を抱えたまま蹲る。きっと、自分はこのままここで死ぬのだろう。部屋にあった絵本の少女のように。その絵本の少女は貧しく、マッチを売りながら生計を立てていたが、結局は死んでしまうのだ。もっとも、自分には売るマッチもなければ、家族との暖かい想い出もないが。しかし、子供向けの絵本があったということは、生まれた当初は愛情もあったかもしれない。だが、記憶には一切それがなかった。
諦めと共に顔を上げると、いつしかちらちらと雪が降っていた。それは路地裏にも紛れ込んでくる。本当にあの絵本みたいだ、と少女は乾いた笑みを浮かべた。
ライムは自室のベッドから体を起こすと、胸に手を当てる。心臓の鼓動が激しく、それが耳の裏にまで振動として伝わってくる。次に耳へと手をあてる。それは中途半端な長さの、丸みを帯びたものだ。自分という存在を象徴する、一番嫌いなもの。だから、いつもは目立たぬように髪で隠しているのだ。
「いやな夢。最近は見なくなっていたのに」
ライムはテーブルの上にあった水差しからコップに水を注ぐと、一息に呷る。あの後、お婆に出会って、手を引かれ連れてこられてから六年以上が立っていた。いまでは家族は何よりも大切なものだし、ここが自分の居場所だと信じられてもいる。だが、それでもとライムは自問する。あたしは何かになれるのだろうか、と。今の自分はただ庇護される籠の中の鳥と何ら変わりはしないのではないか。
最近行動を共にしている二人の冒険者のことを思う。アルクとパナシェ。同じ夢を見て、旅をしている彼らは、パナシェの目には自分の翼で飛んでいるかのように眩く見える。彼らはやがて旅立っていくのだろう。そして、自分は自身が何者かも分らずに、変わらずここにいるのだ。そんな考えが絶えず浮かんでは消えていく。
ライムは気分が落ち込んでいくのを自覚して、必死に頭を振ると頬をぴしゃりと叩いた。こんな気持ちになったのも、先日の賭場での出来事があったからだろう。大事な家族の危機に、何も出来ぬ自身の無力さに、久しく口には出さなかったあの言葉を呟いてしまった。ライムは頬をもう一度叩くと、前を向く。グレナディン一家の娘として、いつまでもうじうじとしているわけにはいかなかった。
「ねえ、アルク。ライム、最近元気ないよね」
「うーん、確かに」
パナシェは早朝、アルクの部屋を訪ねてきて、そう話を切り出してきた。確かにあの賭場の一件以降、ライムから以前のような活気が見られてはいない。時々遠くを見つめては、何かを考えている姿を目にすることもある。
「ねえ、オイラたちでなんとか出来ないかなあ」
「そうだね、でも何をすればいいんだろう」
仲良くなったライムのために何かをしてあげたい気持ちはあるが、どこまで踏み込んでいいのかが分らない。アルクの見たところ、ライムはパナシェとは少しばかり違った少女に思えるのだ。パナシェの明るさが生来のものであるのならば、ライムは意図的にそう振る舞っているように感じる。時折見せる唇を一文字に噛みしめて、何かを耐えるような表情が、アルクにライムがそうであるのではないか、と思わせるのだ。
『まあ、まず話してみればいいのではないか。互いに胸襟を開いてな。知的生命体には言語という優れたコミュニケーションスキルが備わっているのだから。人が他人と関わるには、最初は会話につきるな』
「そうだね。一度話し合ってみようかな。今日は幸いにもオフだし」
「うん、それがいいね。ライムを誘ってどこかへ出かけよう。頃合いをみて、オイラ達が何か助けになれないか聞いてみようよ」
二人とハルがそう話し合っていると、足音が近づき、ドアが叩かれる。
「アルク、パナシェ、ご飯が出来たわよ」
「わかった。とりあえず、朝ご飯を食べて、それからでかけようか」
アルク達はドアを開け、ライムと合流すると食堂へと向かう。そこには小さな子供たちやお婆が既に座っていた。だが、食事には手をつけていない。どうやら待っていてくれたらしい。ギンやジョー、ロックの姿は今日も見えない。アルクたちも急いで席へと座る。
「あら、皆揃ったみたいね。それじゃあいただきましょうか」
チェイスがそう言うと、皆でいただきますをし、朝食が始まった。今日のご飯は卵焼きや、お浸し、野菜や鶏肉の煮物に、味噌汁と米飯だった。
「やっぱし卵焼きはお砂糖ね」
「うちは大抵そうだものね。ジョー父さんだけお塩の方が好きだけど」
「亡くなった祖父さんも、塩の方がいいって言ってましたねえ」
「えっ、そうなの」
ライムとチェイスの会話に、お婆が思い出すようにしみじみと呟く。
「そういえばお婆も、お祖父ちゃんと冒険者してて、アデルハイドで出会ったんだっけ」
「ええ、その時私は名だたるパーティーの一員だったのですが、同じ郷里、同じ街の出身という話で盛り上がり、他のパーティーだったあの人に告白されたのが始まりでした。その時私はAランクで、あの人はようやくCということもあって、当初は見込みもないと断っていましたね。ですが、怪我をしてパーティーから外されたのを慰めたのがきっかけで、付き合うこととなったのです。そして結婚することとなり、互いの郷里であるここに戻ってくることとなったのです」
「へえ、お婆さん、Aランクだったんだ。凄いねえ、アルク」
「うん、そういえば僕のお祖父さんもAランクだったんだよね」
『ああ、最後の戦いの前にはSランクを確約されていたが、亡くなってしまったから最終ランクはAだな。だがそこまでたどり着けるのもほんの一握りだ。お婆とやらも大した冒険者だったのだろうな。覚えていないだけで、どこかで顔を合わせている可能性もあるな』
気付くとお婆が、ハルと会話をしているアルクを見つめながら微笑んでいる。お婆はその後、ライムへ視線を移す。
「どうです、ライム。アルクさんたちとの冒険は」
「ん~。まあ、結構楽しんでるかな。冒険者稼業ってのも中々ありね。まあ、もっともアルクたちは普通の冒険者とは少し違い過ぎるけどね」
「ふふ、そうですか……」
「?」
愉快そうに笑うお婆に、ライムが首を傾げる。
「今日もアルクさんたちと冒険ですか?」
「今日は、うーん」
「あっ、ライム。今日はオフなんだけど、外へお出かけしようと思うんだ。よかったらライムも一緒にどうかな。オイラもアルクもライムと一緒の方が楽しいし」
「別に構わないわよ。やることもないしね」
「よかったですね、ライム。行ってきなさい。アルクさんたちももうすぐ他の街に旅立ってしまうんですから、今のうちに存分に交流を深めておくといいでしょう。あなたが望んでいるものも、アルクさんたちから学べるかもしれませんしね」
お婆の言葉に、一瞬ハッとした様子のライムは、ただ静かにその言葉に頷いた。
「うわぁ、いい眺めだねー」
パナシェが遠くを眺めるため、額に手をかざし、歓声をあげる。アルク達は今、レーヌの街が一望できる街の側の丘にいた。朝食の後、眺めの良い場所はないかライムに尋ね、案内されたのがここであった。
「いい場所でしょ。お気に入りなのよ」
腰に手をあてながら、目を細めてレーヌを眺めるライム。小高い丘には強く風が吹きつけている。風に乗って香る草の匂いに、アルクの気持ちも弾んでいく。
「やっぱ、高い場所から眺める景色はいいな」
「そうだね。デーヴァ山での眺めも最高だったねえ」
あの光景は今でも鮮明に思い出せる。アルクのまだ少ない冒険の中で、最も神秘的な光景であった。そんな二人を見て、ライムが問いかけてきた。
「あんたたちはここより凄い景色を知ってるんだね」
「ん、前の町でデーヴァ山って山に登ってね」
パナシェが笑顔でその冒険のことを語る。ライムも感嘆の声をあげながら、その物語に聞き入った。今までも多少の身の上話はしたが、冒険者があまり好きそうでないライムに遠慮して、冒険の話をしてはいなかったのだが、ライムもその会話を楽しんでいるようだ。
「でもね、この後にもっとすごい冒険があったんだよ。オイラ達危うく死にかけたんだけど、アルクが凄く格好良くてね。聞きたい?」
「まあ、聞いてもいいけど……ねえ、あんた達、一つ聞いていい?」
鼻息の荒いパナシェに苦笑したライムは、その表情を真剣なものに変え、二人へと向き直る。アルクとパナシェもそんなライムの様子に互いに頷き合い、ライムと向き合った。
「なんであんたたちは冒険者をしているの? 冒険じゃなきゃ駄目な理由ってあるの?」
ライムのその単純ながらも難しい疑問に、再びアルクとパナシェは顔を見合わせる。そして始めにパナシェが頷いて見せると、それを話し始めた。
「オイラは育ててくれた師匠が冒険者だったから、自然と冒険者になったんだけど……。でも今は、やっぱり夢だからかな。小さい頃語ってくれた、美しい物語が憧れとなって、そしてそれを目の前で見れて、もっと見たくなって……。だから今、アルクと冒険の旅にでてるんだ。憧れを叶えるための、夢。たぶん、それがオイラの冒険なのかなあ。ごめん、なんか言葉が変になっちゃったね」
「いいえ、凄いと思うわ。アルクもそんな感じなの?」
「うん、想いはパナシェと一緒だと思う。冒険のことを考えると、凄く胸が高鳴るんだ。でも、それを言葉にしようとするとうまく言えないかも。体だけじゃなくて、自分自身の中の、何かが湧きたつ感じがするんだ」
「言葉じゃ表せない、か」
二人の冒険に対する思いを聞き、ライムは一度天を仰ぐと、大きく息を吐いた。
「羨ましいわ。あなた達はきっと本物なんでしょうね。私とは全然違う……」
「ライムは違うの?」
不安そうにパナシェが、ライムを心配して問う。ライムは寂しそうな笑みを浮かべると、少しばかりかぶりを振った。
「まあ、あたしは不出来だからね。グレナディン一家にはふさわしくないのかもしれない」
「そんなことないよ。居候させてもらって、見てるもん。皆ライムのこと大好きだよ」
「それは痛い程わかってるわ。でも、それに応えられる器量があたしにあるかは疑問なのよねえ」
「ねえ、ライム。何かあるんだったら、オイラたちが聞くよ。助けになれるかも」
パナシェの申し出に、ライムは再び首を横に振った。
「あんたたちはお客人でしょ。要らない苦労はかけられないわ。見苦しいところ見せちゃったわね。疲れてるのかしら。こんなんじゃ、あんたたちの冒険の足引っ張っちゃうから、今後の冒険はあたし抜きでやってもらえる? お婆にはあたしから言っておくから」
そんなライムの言葉に、「そんなっ」とパナシェが悲痛な声をあげる。アルクには、そんなライムが泣きたがっているかのように感じられた。アルクはこの勝気な少女が見せた、賭場での呟きを思い出す。アルクはこの短いレーヌでの時間で、共に過ごしたライムを仲間だと思っている。その人となりは、様々なトラブルを経て、それなりに知っているつもりだった。だからこそ、ライムを信頼できる仲間として、問うことにしてみた。
「ライムは……どうせあたしなんかって思ってるの?」
「なっ、なんでそれを……。聞こえてたの?」
『すまんな、私が唇を読んだ』
あの後、どうしても気になってしまったアルクが、そのことをハルに伝えると、読唇術によって得た言葉を難なく伝えてきた。それを聞いて、アルクはライムという少女が何か複雑な感情を抱いているのだろうと察したのである。
「はあ、そうね。普段はそんなことは思っていないつもりなんだけど、弱気になるとつい、ね。もしかしたらそれがあたしの根っこなのかなって。何物にもなれないあたしの、すぐ揺らいでしまう根っこってね」
「ライムはいい子だよっ」
『ああ、皆から愛されてる』
「さっきも言ったけど、それは知ってるの。でも、拭えない。私ね、ハーフエルフなの。気付いていた?」
ライムはそう言って、己の耳にかかる髪を掻き分けた。それは人より少し長く、尖っている。
「へえ、そうだったんだ」
『ハーフエルフは純血種の中には、嫌悪する者も確かにいるからな。それに人間の歴史の中でも亜人迫害の感情が高まり、差別をしていた時代がいくつもある。人は時に異なるものを排斥しようとする』
「パナシェは気付いてたみたいね」
「う、うん。お風呂に一緒に入ってたときにちらって見えて」
ライムの視線に、少しばかり申し訳なさそうにパナシェが項垂れる。
「いいのよ。別にパナシェが悪い訳じゃないから。あたしの両親はね、冒険者だったの。同じパーティーで結ばれたみたい。でも、あたしの記憶の中では常に仲が悪かったわ。二人共別れて、出て行っちゃったけど。父だった人の最後の言葉は嫌なもの作っちまった、母だった人の最後の言葉は、あなたって本当に中途半端ね。そして、捨てられたあたしは、街を彷徨ってお婆に拾われたの」
「ひどい……」
ライムのそんな過去に、パナシェが涙ぐむ。
「でも、グレナディン一家の一員となってからは、幸せな日々が続いたわ。それに街の人たちだって別に亜人だからって差別するような人じゃないし。あたしは本当に皆を、この街を愛してる」
そこでライムはレーヌの街を振り返り、じっと眺める。
「だから、時折出てきてしまう今の怯懦な心は、本当にただ、あたしの弱さなの。何かくじけそうなことがあると、いつもその言葉を思い出してしまう。暫くは思い出すことすら、しなかったんだけどね。どうしようもない、ただのあたしの弱さよ……」
「じゃあ、その原因を取り除こうよ」
「えっ⁉」
アルクが口にした言葉に、ライムが目を丸くする。
「ライムは、あの賭場で聞いたグレナディン一家の麻薬取引の疑惑が引っかかってるんでしょ。だったら、その原因を調べて、無罪を証明しようよ」
「でも、お兄ぃは……」
「ロックさんは妹の安全を思って、きっとああ言ったんだ。でも、僕たちが率先してやるんだったら問題はないと思うんだ。ライムは客人の相手をするために仕方なく、やったことにすればいい」
「わぁ、アルク、頭いいっ!」
「そんなの詭弁じゃない」
パナシェが両手を叩き、ライムは呆れたように身を乗り出す。
「確かにね。でも、案外僕はこうなるために、お婆さんはライムに僕たちと行動を共にするように言ったんじゃないかって思うんだ」
「お婆が?」
アルクは時折投げかけられるお婆の視線に、何か意図があるのではないかと感じていた。これは唯の勘のようなものだが、存外間違っていないような気がするのだ。
「うん、だから一緒にやろう。僕たちと一緒に。目の前に壁があるなら乗り越えよう。きっと、その先に僕らが目指すものがあると思うんだ」
アルクはライムに手を差し伸べる。一人なら無理なことも、力を合わせればなんとかなるということを、アルクはメレンでの事件で学んでいた。三人でなら、今回もきっとなんとかなるだろう。
「そうだよっ。オイラ達ならきっと出来るよ。一人で無理なら皆で乗り越えよう」
パナシェは、アルクの差し伸べていない方の手を取ると、自らもライムに手を差し伸べる。ライムは少しばかり悩んだ様子だったが、二人が力強くライムへと頷くのを見て、おずおずとその二つの手を取る。
「アルク、パナシェ、力を貸してくれる?」
「勿論っ」
「任せてよ。こっちにはハルがいるしね」
『ああ、今回も力を合わせて頑張ろうではないか』
三人は暫く、丘の上で手を握り合ったまま輪になってそうしていた。強く吹き付ける春の風は、そんな三人の背中を押してくれるように、アルクには思えた。




