アルルの神殿
「ああ、びっくりしたぁ」
「でもいい人そうだったよねぇ」
ギルドを出た後、アルクが胸を押さえ、ほっとい一息ついている間、パナシェはにこにことギルドの方へと振り返って言った。
『だが、あの男ただものではないかもしれん。敵意は感じなかったが、気を付けたほうがいいな』
「うん、あのプレッシャーには驚いたよ」
それは、思わずハルを剣へと変えようとしてしまった程であった。外見は道化じみているが、その奥に秘めている何かがアルクの脳裏に警鐘を響かせる。
「でも、きっと悪い人じゃないよ。あんなに優しい瞳なんだもの」
のほほんと、パナシェがそう話すのを聞き、男と女では見えている視界が違うのだろうかとアルクは悩む。
「でも、パナシェに言われると、確かにそう思っちゃうかも」
『まあ、彼を悪人と断じたわけではない。ただ者でないかもしれないといっただけだ。まあ、付き合っていくうちに彼の正体も解ってくるかもしれないな。次はどうする』
「あっ、特に用が無いのならオイラ、アルル様の神殿に行きたいなあ」
パナシェがおずおずと手を上げ、そう提案した。
『ああ、確かに彼女の加護で助かった部分もあるにはあるから、一応礼をしておくのも
悪くない』
「すぐそばにあるみたいだし、行こうか」
やることもまだ特にないため、さっさと神殿へといくことにする。少しばかり離れた場所にある、白塗りの外観の建物が愛神アルルの神殿だった。神殿の周りには木々が植えられ、街の喧騒から切り離されている。宗教的な装飾を、華美にならない程度に施されたその神殿は、入った瞬間に空気や雰囲気ががらりと一変する。
周囲には神官や、礼拝しに来たらしい信者の家族が少し見受けられる。礼拝所へと進むと、アルク達はそこで声を掛けられた。
「あら、小さなお客様ね。アルル様に祈りを捧げに来られたのかしら」
声を掛けてきたのは、三十を過ぎて入るだろう美人の女性神官だった。白い美しい法衣を纏っており、手入れされた黒い髪を腰まで伸ばしている。頭上には、身分を示しているという帽子をかぶっていた。
「はい。オイラ、アルル様に加護を授かっていて、それで前の冒険で凄い助けてもらったんです。だから、今日はそのお礼をしたくて」
「まあ、加護をお持ちで! それは素晴らしいことです。失礼ですが、神殿に登録はされているのでしょうか?」
「登録?」
「はい、神殿とは神を崇め奉る場所。そして、その神が恩寵を与えたものは、我々にとっても、崇拝の対象となります。望めばすぐさま神殿の司祭の位だって与えられるほどなのです。ですが、この世界は創造神ナユタ様が冒険と共にあるため創造した世界。冒険者として世を遍歴されるのなら、それを引き留めることは出来ません。なので、加護を受けた冒険者の方々をバックアップすべく、登録という形で、その方の情報を世界中にある神殿へと送るのです。加護持ちは望めば神殿の有益な情報やクエストを受注できますし、困窮されていた場合は神殿に無償で宿泊することだって出来ますよ」
「へえ、至れり尽くせりだなあ」
アルクが思わず感嘆の声をあげたのを見て、神官はクスリと笑う。
「まあ、勿論こちらにも相応の思惑はあります。その冒険者が名声を得た際には、相応の寄進を望みますし、実際登録して頂いた冒険者の方も大抵はそうして下さいます。冒険者を引退された後は神殿の方で役職を用意し、冒険者として鍛えられた能力を活かして頂きたいとの思いもあります。まあ、持ちつ持たれつ、というものですね。それで、あなた様はどうなさいますか」
「えっと」
『まあ、登録しておいて害になるということは、それほどない。嫌でなければ登録しても、問題はない』
「じゃあ、お願いします」
「わかりました。では後ほど登録用紙をお渡ししますね。礼拝の方はどうされます」
「とりあえずこの前のお礼をしたいし、お願いします」
神官に案内され、礼拝所の奥へと進む。そこには愛神アルルを模した神像があり、その前には多くの供え物が置かれている。
「お供えってどんなのがいいんですか?」
「それは礼拝者各々に任されております。アルル様は甘い物を大層好まれるということで、お菓子などを捧げる方が多いですね」
『適当にチョコやクッキーでも供えておけば喜ぶだろう。アイテムボックスにいくらか入ってるから、二、三番目くらいのグレードのを供えたらどうだ』
「えぇ、それでいいのかな。一応命の恩人だし。ねえ、アルク」
パナシェにそう言われ、アルクは一番高そうなものをアイテムボックスより取り出すとパナシェに差し出す。実際、アルルの加護が無ければ、自分たちの命も危なかったのだから別段異論はなかった。
パナシェがありがとうと、そのクッキーの箱を受け取り、神像の前へと備える。すると突如光が溢れ、クッキーの箱を包む。光が消えた後、クッキーの箱は消失していた。その光景を見た神官は、歓喜の声を上げる。
「おおっ⁉ アルル様が寄進をお受け取りになられたっ。あなた様は特別な恩寵をお持ちなのですね。素晴らしいことです」
『直接は話しかけてこない、か。……相当お灸をすえられたのだろう』
歓喜する神官を傍目にハルが冷淡に呟く。
「アルル様は渡来の神の中では、一番高い神格を持っております。そんな神にこれほどまで愛されるとは、なんと素晴らしいことでしょう」
「渡来の神って、ええっと」
「主神は創造神ナユタ様の世界創造より付き従った法神、闘神、知神、地母神の旧神四神。そしてその創造後に、己の世界を失い、この世界へと来られた、戦神、慈悲神、愛神、闇神、光神、暗黒神の渡来神六神に分けられております。その中で愛神アルル様は渡来の神の間では、ナユタ様の覚えが一番目出度いとされているのです。それというのも、闇神が創造神に反旗を翻した際、いち早く駆け付けたのがアルル様と……」
神官が誇らしげにそう説く。アルクも始めは興味深げに聞いていたが、熱を帯びる神学講義に最後は欠伸をこらえるのが精一杯であった。
「では、パナシェ様。お気をつけてこれからの冒険へと臨んでくださいね。パナシェ様にアルル様のご加護がより一層、与えられるよう我々も祈っております」
登録を済ませた後、神官に見送られアルク達は神殿を後にした。神官の姿が見えなくなると、アルクとパナシェはどっと疲労のため息を吐き出した。
「はあ、長かったあ。すっごい勧誘してきてまいっちゃったよ」
「だいぶ陽が暮れちゃったね。もう今日は終わりにしようか。ねえ、ハル」
『ああ、ああいった手合いは悪気はないのだろうが、関わったら面倒くさくてかなわんな。では墓地へ案内しよう。とりあえず、さっきのギルドへ戻ってくれ』
ハルの誘導に従い、二人はギルドを目指す。時は既に夕方になっていた。それでも街の賑わいは消えず、少しばかり早く仕事を終えた冒険者などが、酒場を目指しながら、仲間と談笑を交わしている。そんな雑踏を歩いていると、ふいにマップに赤い点が現れる。
「あれっ?」
「どうしたの?」
唐突に声を上げたアルクにパナシェが声をかける。その背後から小さな少年が走ってくる。十にも満たないだろうその子が、赤い反応であることが少しばかり信じられなく、パナシェに注意を喚起するのが少しばかり遅れてしまう。
「パナシェ、後ろっ!」
「えっ? きゃっ」
少年がパナシェの背後からぶつかってきた。そのため、パナシェの姿勢が大きく崩れる。しかし、なんとか踏みとどまり、転がることはかろうじて免れる。
「ごめんねー、お姉ちゃん」
少年は謝りながらも、すごい勢いで駆け抜けていく。
「パナシェ、大丈夫」
「うん、ただぶつかっただけだから。もう、危ないなぁ」
パナシェは走り去った少年の方を見ると、すこしばかり頬を膨らませる。とりあえず外傷の方はないようだ。そこでアルクはパナシェの腰にあったはずのポーチがなくなっていることに気付く。
「パナシェ、ポーチって」
「え? あれっ、ないっ⁉」
『どうやらあの少年、スリだったようだな』
ハルが冷静にそう告げる。
「えぇ~」
「なんか大事な物でも入ってた?」
『どうする、追うか? 少年の反応はマップの範囲内だ。捕捉するのは容易いぞ』
「うーん、小銭しか入っていないんだけど」
パナシェはうーん、と少しばかり悩む。
「でも、あの子がこれから盗みも大丈夫って思っちゃうと、将来取り返しのつかないことになるかもしれないよね」
「心配してるのはそっちの方なんだ」
『はは、パナシェらしいな』
パナシェは財布を盗んだ少年のことを心配しているようだ。そんなパナシェの優しさに、アルクはすこしばかり財布を盗んだ少年に対し腹立たしく思った。
「じゃあ、すこしばかり追いかけてお説教タイムかな」
「いいの?」
「別に日が暮れるまで少し時間があるしね」
アルク達はマップの反応を追うことにした。少年は少しばかり進んだ裏路地で、立ち止まっている。たどり着くと少年はポーチの中身を検分しているところであった。
「ちぇっ、こんだけか。しけてんなあ」
「そこまでだよっ、オイラのポーチを返して」
パナシェの声に、驚愕の表情で少年は振り返る。
「げぇ、どうしてっ」
「犯罪なんてよくないよ。返してくれたらなにもしないから、大人しく返して」
「はん、やなこった」
少年は踵を翻すと、脱兎のごとく裏路地へと逃げ込んだ。アルク達もすぐさまそれを追う。裏路地は入り組んでおり、複雑だがマップのおかげで問題なく追尾できる。しかし、次の行き止まりでアルク達は立ち止まってしまう。
「これは」
『うーん、これはアルク達では通り抜けるのは無理だな』
行き止まりの塀には、ほんの少しばかりの穴が開いている。あの少年はそこから通り抜けたのだろう。
「どうするの、アルク? オイラ、別にそこまでこだわってないからいいよ。もう日も暮れてきたし」
「ん~。でも、あの子の位置なら少しばかり回り込めば行けるし、せっかくだから頑張ろうか。ここで諦めたら悔しいしね」
『やられたらやりかえすのも冒険者の流儀だしな』
アルク達は道を迂回することで、追跡を継続することにした。
「はぁはぁ、ここまでくれば」
少年が荒く息をつき、近くの木箱に腰を下ろす。
「本当になんだったんだ、あいつら」
この近辺の地理を完全に把握している自分を、いともたやすく追い詰めたのだ。途中から余裕はなくなり、恐怖のうちに必死に逃げていた。あの冒険者たちは年は幼いが、冒険者であることは間違いない。コケにされた冒険者が自身の名誉を保つため、地元のごろつきを血祭りにあげるということは多くある。知人も似たような目にあっていたので、決して楽観はできなかった。
「でも、ちょっと少ないけど、これだけ上納すれば馬鹿にはされないよな。靴磨きとかしたって嘘つけば、姉ちゃんも褒めてくれるだろうし」
そう言って、少年は顔をにやけさせる。しかし、次の瞬間掛けられた声に、少年は心臓が止まるほど跳ね上がった。
「見つけたよっ」
「もう逃がさないぞ」
そこにはあの二人の冒険者がいた。少年は驚き、突如湧き上がった恐怖に涙を浮かべながら、すぐさま逃走を開始する。
「なんでっ⁉ どうしてっ?」
見たところ、あの二人は地元のものではない。なのに、平然と追ってこれるのは、見た目より実力者なのかもしれない。もし、捕まったならと冷たい汗が背中を伝う。恐怖に駆られ、何も考えず必死に逃げた少年は、しかし、次の瞬間目の前の光景に絶望する。
「ああっ! しまった」
行先は行き止まりだった。さっきのように抜け穴などはない。恐怖から、少年は道を間違えてしまったのだ。
「大人しく、ポーチを返して。犯罪は駄目なんだよ。将来痛い目にあうから、心を入れ替えてまっとうに働きなよ」
「チェックメイトだ、諦めろ。大人しくポーチを返せば何もしないから」
二人の冒険者はゆっくりと少年へと歩み寄る。最早、逃げられる術はなかった。相手は何もしないと言うが、その保証はない。少女の背中にあるスコップから目が離せない。絶望からただ少年は立ち尽くすことしか出来なかった。しかし、少年の方の冒険者がふいに立ち止まり、顔をしかめた。
「しまった、深追いしすぎたな」
そういうと、少女の方に駆け寄り、その顔面目掛けて飛来した石礫を掴み取った。
「アルクッ、大丈夫っ」
「あんたたちっ、ここで何やってるのッ! 弱いのも虐めっ? ここがグレナディン一家のシマとしっての狼藉なんでしょうねっ!」
突如、裏路地に響き渡ったその声は、少年が姉と慕う少女のものだった。




