プロローグ
「さあ、召し上がれ」
とびっきりの笑顔のパナシェが、木の皿をずいっと突き出してきたのを見て、アルクは総身を震わせた。皿の上にはパナシェの薦める真っ白な食べ物が乗せられている。しかし、その食材を口にするには幾つかの障害があった。
一つは、その素材が生食であるということであった。寒村の暮らしであったアルクの村では肉や魚はひたすら焼かれて出される以外の調理方法がなかった。祖母は煮つけなどの料理を出してくれていたという記憶はあるが、何分幼い頃の記憶であり味はあまり覚えていない。そして、その死後にはまともに料理というものを食す機会すらなかったのである。
二つ目はその食材が生きているということである。稚魚などを丸呑みする踊り食いという方法は知識として知っていたが、アルクには馴染みのないものであった。また、そういった珍味を楽しむ程に食に飽いているわけでなく、今毎日食べているよく調理された料理で十分満たされていたのだ。
そして、三つ目。これが一番の難関であった。パナシェが供した食べ物が生きた芋虫であるということ。皿の上で丸々肥えた芋虫が、その体をプリっと弾ませていた。
(ハルッ! これって大丈夫なの?)
『ああ、古来より山間部に暮らす者達にとっては、昆虫は貴重な蛋白源なのだ。略してきちょたんという。それにこのウッドカッターの幼虫は昆虫の中で特に美味いと評判なんだぞ。そのクリーミーな味わいは山のトロとも評されている』
「うぅ」
助けに似たアルクの叫びに、しかしハルはただ蘊蓄のみでこたえる。アルクは、何故こんな羽目に陥ってしまったのか振り返った。メレンを出て、幾日かの日が過ぎたある日の午後。山間の道を進んでいると、腰を痛めたとある木こりとアルク達は出会ったのだ。木こりはパナシェの加護による癒しで瞬く間に治癒し、歓喜した木こりが礼をしたいと述べたのがおそらく原因なのだろう。最初は断っていたパナシェが薪の前で唐突にそれを凝視し、アルクに美味しいものが食べたくないかと尋ねたのだ。無論、アルクとしても美味しいものなら食べたいので、ただ素直に頷いた。しかし、ちょっと待っててと告げ、木こりと何かを話し合ってから、暫くして出てきたのがコレである。
「いやぁ、春っていったらこれだよね。昔、オイラ達貧しくて肉も魚も買えなかったから、春になると血眼になって師匠と一緒にコイツを探したもんだよ。大人たちの間でも珍味として評判なんだって。まあ、オイラにとっては主食だったけどね」
そう笑いながらパナシェが芋虫を一匹、つまみ取り、ぶちゅんと音をたて噛み千切る。それをみたアルクの首筋を冷たい汗が伝った。
「ん~、肉厚でジューシーだなあ。ほら、アルクも食べなよ。アルクのために取ってきたんだよ。いっつも世話になってばかりだから、たまにはこうしてお返ししないとね」
その無垢な笑顔に、アルクは己の中の責任感と闘う羽目になった。いますぐ逃げ出したい自分と、目の前の笑顔を守りたい自分。その二つが激しく争っていた。そんな中、ふとメレンで出会った一人の冒険者の顔がよぎる。
(想いが続く限り、僕は止まらないっ。見てて、モルトさんっ)
アルクは意を決して、目の前の芋虫をつまみ上げる。これは芋虫などではなく、貴重な蛋白源、略してきちょたんなのだ。己に強く言い聞かせると、それを口に運ぶ。口に放り込んだ瞬間、その小さな体が舌を這いずり、激しく嘔気を催す。しかし、それをこらえて口中の白い軟体を歯で噛み切り、すり潰した。全身を悪寒が貫く。
が、耐え抜き咀嚼するととろけるような甘さが味蕾を刺激し、いつのまにか普通に咀嚼している自分にアルクは気付いた。
「どう? 美味しいでしょ」
「ん、意外にいける」
確かに山のトロと称されるだけはあるかもしれない。とはいっても、アルクはトロというものがどういうものかは知らなかったが。普通に食べられることに気付いたアルクは、パナシェと共に生きた芋虫を次々に平らげていく。
『うわっ、昆虫食は本当に好き嫌いが別れるからな。野生児じみたラッドも昆虫食は無理だったな。アルクはよく喰えるな。たいしたものだ』
「さっき、普通にきちょたん、きちょたん言ってたよねっ」
突如、トーンダウンしたハルに、アルクは恨み節でつっこみを入れる。この剣と付き合っていく時間が増えるにつれ、意外とそのいい加減な性格が分ってきたアルクには、ハルをすでに無謬の存在とは捉えていない。しかし、その分親しみは増しているのだが。
「あはは、ハルさんはコレ食べれないもんねえ。そうだ、これフライパンで焼いて、バターやお醤油で炒めても凄く美味しいんだよ」
「……そうなんだぁ」
いまやこの芋虫を美味いと食せる様になったから、別段構わないと思いながらも、せめていきなり生食でなく、順序を逆にして欲しかったと思わずにはいられなかったアルクであった。
『ようし、今日はパナシェの加護の説明も含めて、神という存在をレクチャーしていこうと思う』
日が暮れて、コテージへと入った二人は、ハルの座学を受けていた。パナシェの加入後も生活習慣というものは変わらず、冒険者としての実力向上のために、二人で訓練室での修行や、バーチャルでの疑似実戦訓練、座学での勉強や魔法の特訓などを行っていた。
『この世界には主神と呼ばれる十の神が存在する。アルク君、言ってみたまえ』
「ハル、何かキャラが変わってる……まあ、いいや。法神テミス、闘神アバイ、戦神マルス、知神トト、慈悲神アチャナラダ、愛神アルル、地母神シャクティ、闇神アラマズド、光神アラマズナ、暗黒神クラミツハ、これで十かな?」
『百点だ、アルク。素晴らしいぞ。ではそれらを統べる神の名はなんといったか、パナシェ君解るかい』
「流石にね。ナユタ様でしょ」
パナシェが苦笑しながら答える。アルクも流石にそれは知っていた。この世界を生み出し、そして救った創造の神にして、救世の神。その名前を知らない子供など世界にはいないのではないのだろうか。この世界の神話に語られる創世の女神と、それに付き従う七人の英雄の物語。アルクも寝物語に祖母によく聞かされたものだ。
『まあ、流石にこれは簡単すぎたかな。とある宗派はこの世界は彼女が見る夢だと信じて疑わないらしい。まあ、まるっきり外れという訳ではないが』
「そうなの? ハルは何か知ってるの?」
『それは……いや、今はパナシェの加護の話をしよう。今、パナシェが使用している加護は愛神アルルのものだ。彼女はもっぱら女性に、自身の特性である癒しの加護を与えている。ちなみに自分のことを僕と呼ぶ僕っ娘で、可愛い子に目がない女神だな』
「じゃあ、パナシェはうってつけだね」
アルクの屈託のない賛辞に、パナシェは顔を紅潮させ、俯く。日々コテージで暮らし、三食栄養のあるものを取り、入浴やバトラーの美容術を行っているパナシェは、ますますその美貌に磨きをかけていた。この旅の道中で出会った人たちも、まだ幼さも残るパナシェを、自分の子や、孫の嫁にと冗談を交えて勧誘する声が途絶えない。
『他の神々もまた加護を、自身の好む魂に与えている。彼らは精神生命体ともいうべき存在であり、彼らの糧となるのはそれを信奉する信徒の想いだ。故に信徒は熱心に神殿に祈りや奉納を行い、より強い加護などを授かったりしている。パナシェもアルルを祭る神殿がある町に行ったなら、寄進など積極的に行った方がいいだろうな』
「次の街にはあるんだっけ」
『次の街はレーヌか。たしかにアルルの神殿はあるな。行ってみてもいいだろう』
「そうだね。オイラ、あの戦いではアルル様に助けられたから」
パナシェは勢いこんで頷く。そこでアルクは次の町というものが気になり、ハルに尋ねてみることにした。
「ねえ、ハル。次の町ってどういうところなんだっけ」
『レーヌか。私がラッドといったときには、それなりににぎわっている治安の悪い街という以外に、印象はなかったな。まあ、それも何十年も前のことだから、大して参考にはならないとはおもうぞ。自分の目で確かめるのが一番だな』
「そうだね。楽しみだなあ」
アルクはハルの言葉に頷きながら、次の街での新たな冒険に、心が高揚するのを感じていた。
ちなみにその日の夕食はウッドカッターの幼虫をバターと醤油で炒めたもので、大層美味く白飯が進んだのであった。




