再開
パナシェは狭い岩の裂け目の中に、その小さな体を押し込めていた。息を潜めながら、少しばかり身動きすると、ヌチャリと濡れた服が音を立てる。パナシェはその不快感に顔をしかめるが、そうするとそこから立ち上る匂いが鼻腔に流れ込み、今度は嘔気がこみ上げてくる。
自身の身体を濡らしているのは、魔物の臓物であった。魔物との逃走中に、偶然見つけた魔物の遺骸を見て、昔師匠がワイバーンの住む渓谷にて魔物をやり過ごすために臓物を全身に塗りたくり匂いを消したという話を思い出したのだ。幼いパナシェはその話の生々しさに、当時はうげぇと声に出して嫌がったが、それが役にたつ日がこようとは思わなかった。
結果、身を潜めたパナシェを魔物達は見過ごし、そのまま逃走を図る中で、ちょうどよさそうな岩の裂け目を見つけ、身を隠したのだ。この絶妙な隠れ家によって、パナシェは己の命を生き長らえさせていた。
(とはいっても、これからどうすればいいんだろう)
状況はほぼ詰みかけているといってよかった。徘徊する魔物の数は多く、この避難場所を飛び出したとしても、すぐ見つかってしまうだろう。この臓物の匂いがどこまで有効なのかもわからない。おまけに、パナシェは先ほどの魔物の攻撃で、身体を痛めてしまっていた。体を動かすたび全身を走る鋭利な痛みから推察するに、骨にまでダメージが入ってしまっているだろう。これでは逃走は難しい。自分を待ち受ける運命について、時折弱気に考えてしまい、パナシェは度々叫びだしたくなる衝動に襲われてしまっていた。
(でも、だからって諦められないよ)
冒険者の末路については、パナシェは何度も師匠に恐ろしい話を聞かされ、知っていた。その話を聞いた後は冒険者などにはなるまいと考えたことすらある。しかし、それでも師匠が話す冒険での楽しさや、世界の美しさを聞いた時に抱いた憧憬にはかなわず、パナシェは冒険者として生計を立てていくことを選んだ。今の絶望的な状況でも、その感情はいまだパナシェを奮い立たせ、恐怖への屈服を拒ませる。
パナシェが自身の生存を可能とする方法を考えたとき、この状況に劇的な変化が現れるのを待ち、その機に乗じて脱出を図るか、それか助けが来るまでここで身を潜めるという二つを思いついた。しかし、前者は希望的に過ぎ、後者もまたすぐに来る可能性はほぼ皆無といえた。自身が生き延びる方法を考えるたび、あまりの絶望的な状況を再認識し、恐怖が心の中でまた膨らみ始める。そんな中、パナシェは縋る様に一人の少年の顔を思い出す。
(アルク、今どうしてるのかなあ)
初めて出来た友達だ。しかも冒険者の。労働に明け暮れ、同年代の子供と接する機会がなかったパナシェは、アルクと一緒に過ごすのがとても楽しかった。パーティーに誘われた際には、すぐにでも飛びつきたかったが、師から譲り受けた矜持がそれを拒ませた。アルクなら彼が申し出たように一緒にクエストを受けて、借金を共に返済してくれただろうが、それをすることはパナシェには出来なかった。もしパナシェがそうしたのなら、男に縋るということを、心から唾棄し、誇りと自立を自分に説いた師匠がきっと悲しむと思ったからだ。
でも、とパナシェは思う。
(そういうことを抜きにしても、アルクに会いたいなあ)
あの少年なら今頃自分の救出に来てくれているのではないか、という妄想にも似た願望すら浮かび上がってきて、パナシェは思わず苦笑する。それはあってはならないことだし、彼もそこまで無謀でないだろう。だが、そうしてくれてもおかしくないだけの不思議な雰囲気がアルクにはあるとパナシェは思った。幼い日、物語を聞いた後の、劇中の主人公に対する憧れにも似た感情をパナシェはアルクに覚えるのだ。
岩の裂け目にて、ひたすら思案に耽るパナシェ。その耳にふいにけたたましい叫びが聞こえた。
(えっ、何?)
こっそりと外を覗くと、そこには喰らい合う二匹の魔物がいた。蛇型の魔物の胴に、それより一回り小さい百足型の魔物が牙を突き立てているのだ。二匹は体をうねらせ、互いを喰らい合おうとしている。それとは別の悲鳴がパナシェの耳に何度も届いてきた。
(どういうこと? 魔物同士が喰らい合うことは普通にあることだけど、こんな同時になんて……それに、何かこの赤い霧、濃くなってきてるような。それに奥に……)
パナシェは最奥に何か良くないものがいるということを、不思議と確信に近い形で感じた。それを感じようとするほど、心臓を鷲掴みにされたような圧力を覚える。
疑問に思うことは多いが、しかしパナシェはこの事態を天恵ととらえる。ここを逃しては
もう機会などはやってこないだろう。すこしでも地上に近付くためにも、パナシェはこの心地よい安全地帯から抜け出ることに決めた。
そろりと穴を抜け出すと、周囲を窺う。けたたましい悲鳴はその数を増やしているようだ。壮絶な殺し合いに巻き込まれぬよう、身を低くしながらスコップを握りしめ、出口へと向かう。駆け出した瞬間、脇腹に激痛が走るが、歯を食いしばり耐える。出口へと向かっていると、やはりすべての魔物が近い魔物に襲い掛かっているようだった。
「あぅ」
曲がり角をまがった瞬間、パナシェは八つの瞳と目が合ってしまった。それは巨大な蜘蛛の魔物だった。パナシェの姿を確かめるかのように、首を傾げて見せる。瞬間、パナシェは全力で迂回し、すり抜けようとする。頭部に風を感じ、屈むと鋭利な脚が頭上を掠める。
「ひゃあ」
脇を抜けたパナシェは足が千切れんばかりに全力で駆ける。後ろを振り向くと蜘蛛は壁をよじ登り、天井へと張り付いていた。何をしようとしているのか。訝し気に思ったパナシェはその口がせわしなく動くのを見て、慌てて前方へダイブする。次の瞬間、パナシェがいた場所に粘性の糸が吐き出される。
「ああっ」
しかし、パナシェは完全に回避できたわけではなかった。右足が地面に縫い付けられる形で糸に覆われてしまっていた。急いで取り除こうと、スコップで糸を払いのけていく。しかし、蜘蛛も勢いよくパナシェへと迫ってきた。
「こ、来ないで」
捕食に抵抗するため、スコップを前方に突き出す。そんなことはお構いなしに近寄ってくる蜘蛛。絶体絶命と思われる中、突如岩陰から思わぬ伏兵が飛び出し、蜘蛛へと襲い掛かった。それは百足型の魔物であり、二体は絡み合い、互いの身体へと喰らいついている。
「助かったあ」
かろうじて命を拾ったパナシェは絡まる糸を振りほどき、いまだ激戦を繰り広げる二体をちらりと見ると、出口へと急ぐ。行く先々で同様に殺し合いをしている魔物達がいたが、幸いにもパナシェは目をつけられることはなかった。そして、ようやく四層への階段が見えてきた。半日ほどしか経っていないのに、まるで何日も経っているかのような気がする。正直に言って、四層へと上がったとしてもまだまだ困難は多いが、それでも絶望的な状況から一歩進めたことは、パナシェに大きな喜びを与えた。故に、パナシェは大きな岩の横を通り過ぎる際に、先程までは行っていた警戒を怠り、一直線に駆けてしまう。
「ッ!」
岩陰に魔物の気配を感じたときには、すでに敵の攻撃が眼前にあった。それでも生存本能のおかげだろうか、体を必死に捻ることで真っ二つに切り裂かれる運命は回避できた。
「アアッ」
しかし、その斬撃はパナシェの右足を大きく切り付け、苦痛の声を上げながら、地面へと倒れ込んでしまう。自身を襲った魔物を見上げると、そこにはカマキリ型の魔物が立ち塞がっていた。その片足は無残にひしゃげている。それはあの双子を助けるためにパナシェが攻撃した魔物であった。
「はあ、駄目だったかあ」
足を傷つけられ、立ち上がることすら叶わない。それが解っているのだろう。魔物は急には攻撃を加えてはこなかった。顎をカチカチとしきりに動かし、顔の前で鎌をすり合わせる。折られた足の仇とばかりに、パナシェを嬲っているかのようだった。恐怖心すら麻痺して、その鎌がゆっくりと掲げられるのを眺めるパナシェ。
「エッ⁉」
自分の生涯が終わることを覚悟したが、突如カマキリの頭部に火球が飛来し爆炎と共に炎に包まれた。
「パナシェーーーッ」
遠くで懐かしい声がした。駆け寄ってくる足音は凄い勢いで近づき、裂帛の声とともにカマキリの胴が真横に薙がれ、分断される。崩れ落ちる魔物の背後から現れた人物は、パナシェが思っていた少年であった。パナシェは目の前の光景が、今際の際に見せた幻ではないかという可能性を捨てきれなかった。頬をつねると確かに痛いが、その痛みまでも幻ではないのか。しかし、目の前の少年はいつまでも消えることなく、安堵と歓喜の表情を浮かべ、こちらに歩いてくる。
「無事……ではないけど、生きててくれてよかった。助けに来たんだよ、みんなで」
「あ、アルクぅ」
アルクの声を聞いた瞬間、これが現実であるという強い想いが沸き上がり、パナシェは痛む体を無理やり起こし、アルクの胸へと飛び込んだ。
突然抱きつかれたアルクは、突然のことに驚いたが、その小さな体が震えていることに気付くと、そっと背中をさする。腕の中のぬくもりが、大事な友達の生が確かであることを教えてくれているようで、その嬉しさからパナシェから漂う臓物や糞尿の悪臭も耐えられそうだった。
「ありがとう、アルク。もう大丈夫、落ち着いたよ。でも助けてもらってなんだけど、無謀すぎるよ」
「うん、最初はハルに止められた。でも、いろんなことがあって、モルトさんやトリプルファングの皆が協力してくれたんだ」
「そうなんだ。痛っ」
その背後から、モルト達がやってくるのを見たパナシェは、急にアルクから離れるが、その際に苦痛に顔をしかめた。
『アルク、まずはパナシェの治療をしよう。とっておきのポーションがちょうどあと一本だけ残っている』
「え、今のって」
『初めまして、パナシェ。私の名前はハル。といっても、パナシェは何度も私の姿を見ているのだがな。アルクの振う剣、それが私だ』
「ふぇ、初めましてハルさん。助けて頂いてありがとうございます」
パナシェは驚きのあまりか、ぽかんとした表情でハルを見つめる。
「ハルは凄いんだよ。ここまでこれたのもハルのおかげなんだ。色んなことが出来るんだよ。ほら」
アルクはアイテムボックスを使用し、虚空からポーションを取り出して見せる。
「あっ、それって」
「そう、実はあの袋じゃなくて、ハルの能力でやってたんだ。はい、これ飲んで」
パナシェはポーションを受け取ると、「あ、これ美味しい」と三分の二程を口に含み、残りを足に振りかける。足の傷が煙をたてながら塞がっていく。パナシェはその痛みに小さく呻くが、「あんまり痛くない。凄いね、このポーション」と感心していた。
「とりあえず、生きて保護することはできたな。後は戻るだけだな」
近寄ってきたモルトが、声に安堵を含ませながら言った。
「そうね。後は皆で無事帰らないとね。でも、もう私の魔法はさっきので打ち止めね。立ってるのすら精一杯かも」
「いや、今回のMVPだろっ。後は俺たちがやってやんよ。俺は一番余力あるし」
「ああ、ペールは休んでいてくれ。といっても、歩いてもらうことにはなるけど」
トリプルファングの面々も遅れて側にやってくる。ペールは本当に疲労困憊といった感じで、俯きながらヴァイツに肩を支えられている。
「あ、あのっ、皆さん助けてくれてありがとうございました」
「いや、俺たちも命を助けてもらったし、お互い様さ」
パナシェが深々と頭を下げると、セゾンが手でそれを制する。和やかな雰囲気が漂う中、ハルが警鐘を鳴らす。
『皆、再開を喜び合うのはいいが、すこしばかりヤバいのが近づいてくる。急いで戻ろう、と言いたいところだが、間に合わなそうだ。気をつけろ』
アルクがマップを確認すると、一直線にこっちを目指してくる赤い反応が一つある。いや、重なり合っているだけで二つあるようだ。突如「アハハハ」と甲高い子供の声が響く。
「あー、冒険者みーっけ」
赤い霧の中から現れた人影を見て、全員が息を飲む。
「ケイネスっ」
モルトがその姿を見て呻く。霧の中から現れた人物はあのケイネスであった。しかし、その上半身は裸で、その胸部にはめり込むように一人の子供の顔が埋め込まれていた。
「あ、あ、も、もる……」
ケイネスは忘我の表情を浮かべながら、それでもモルトの姿を認めたようだった。しかし、もはやまともに会話することも出来そうにはなかった。
「阿呆が……」
「どう、ミミの舞踏会は。凄いでしょう」
「やっぱり、これはお前の仕業か」
「うん。なんか一人になっちゃったし、退屈だからやっちゃった」
モルトの問いに頷きながら、エヘッと舌を出しケイネスの身体に埋め込まれている顔が笑う。その無邪気さの中には、得も言えぬ不気味さが漂い、見ている者の背筋を凍らせた。
「ハル、この子って、いったい」
アナライズを使用しても相変わらず、人間としか識別できない
『おそらくかつて邪神を奉った終末教徒の残党だろう。この前は人間の形態だったため気付かなかったが、以前私が出会った者と同じ雰囲気がする。彼らは邪神の眷属となることで人でありながら人の身を越える。彼らが求める救済とは、滅亡の先にある安寧という奴で、傍迷惑なことに見境なく相手を殺傷していくんだ。そのときの邪神は君の祖父ラッドが命を懸けて倒したが』
「ッ⁉ へえ、そんなのがいたんだ。じゃあ、こいつはお祖父ちゃんの仇みたいなもんなのかな」
「俺も聞いたことがあるが、出会うのは初めてだな。だが、こいつさえやってしまえば、この事態も止まるってことでいいんだろ。剣の旦那」
『ああ、おそらくな』
よし、とモルトが大剣を構えたところで、ミミがけたたましく哄笑する。
「あはは、相変わらず臭い剣だなあ。それにそのガキ、あの男と同じ匂いがする。皆の仇って訳じゃないけど、ここで皆殺しにしないと。おいで。贄はもう充分でしょ」
ミミが手を宙にかざすと、霧が急速にその上に吸い込まれる。暴風が発生し、アルクは腕で目を庇いながら、パナシェの壁になる様に背後の様子を気にしながら、踏ん張る。
「させるかあぁ」
モルトが暴風を物ともせず、ミミへと詰め寄り、斬りかかる。しかし、宙にかざした手と別の手を前方にかざすと不可視の障壁と作り出し、その斬撃を防いだ。
「せっかちだなあ。あと少しだから、大人しく待っててよ」
「ぐわあっ」
モルトが目に見えない力で、アルクの遥か後方へと吹き飛ばされる。声を掛けようとした瞬間、風が止み、周囲の霧が全て消え失せていた。
「アルクッ、あれっ」
パナシェが驚愕の声を上げ、宙を指さす。そこには赤い大きな球体が浮かんでいた。その表面はつるりとしていたが、ときおりゴボリと血管のように波打つのが見える。。
「なにアレッ」
ペールが悲鳴にも似た声を上げる。球体は徐々に波打ち、収縮すると徐々に人型の形をつくっていく。やがて、赤い皮膚が形成され、液体が肉へと変化していく。そうして出来たのは単眼の巨人であった。その手には同じ位の丈の巨大な剣が握られている。
「うそだろ。サイクロプスかよ」
セゾンが震える声で呟く。アルクもその魔物の名前は知っていた。伝説ともなる巨大な魔物であり、アルクが読んでいた本では大抵Sランク冒険者が退治していた筈だ。
『いや、流石にこれは本物でない。あくまでサイクロプス擬きといったところだな。といっても、Bランク相当はありそうだが。だがやってやれない相手ではない。こちらにはモルトがいるからな。我々がバックアップすればなんとかなる。諦めるな』
「そっ、そうだ。こっちにはモルトさんがいるし、ハルさんからもらった武器だってある」
ハルの言葉に気力を取り戻したヴァイツがそう叫ぶ。しかし、ミミはそれを聞いて、心底愉快といった笑顔を浮かべる。
「あはは、確かにね。これ単体だったらその程度かもしれない。でも仕上げはまだなんだよ。細工は流々ってね!」
ミミは巨人の前につかつかと歩み寄り、愛しい子供を迎え入れるように両手を大きく広げる。
『いかん、アルクッ。奴は自分を贄にする気だ。そうする前に止めなくては』
ハルがあせったように、アルクに指示を与えるが、巨人は素早くミミを掴み上げてしまう。
「そうだっ、喰らえっ。そして、この世の全てを破壊しろ。ミミは、ミミは薄っぺらい神共の、玩具なんかじゃないッッ!」
ミミがそう叫ぶのとほぼ同時に、巨人はミミの身体をその口に放り込む。そして、ガリッ、ボリッと音をたてながらかみ砕き、そして飲み込んだ。
『クソッ、遅かったか』
「どうなるのっ?」
アルクが尋ねるのとほぼ同時に、巨人の肌が赤黒く変色し、その筋骨隆々とした筋肉にどす黒い血管が浮かび上がった。巨人は苦しそうに胸を抑えると、弾けるように仰け反り、天に向かって咆哮した。その咆哮はアルクの心を一瞬で締め付けるほどに凄まじく、思わず膝をついてしまうほどであった。
「なあ、剣の旦那。あれはどういうことなんだ」
アルクの隣に戻ってきたモルトが並び、単眼の巨人を呆れたように眺める。
『あれは狂化というやつだろう。理性や知性を失わせるが、単純な戦闘力を何倍も高める効果がある』
「まいったね、討伐ランクで言ったらどれくらいになるんだ」
『あまり言いたくはないが、下手したらAランクに届いているかもしれん』
「そうか……。それは、本当に聞きたくなかったな」
おどけたようにいうモルトや、それに答えているハルの声からも緊迫感と焦りが拭えていなかった。アルクも目の前の存在が、自分たちでは手に負えないであろう存在ということが、二人の様子から理解できた。
「おい、ボウズ」
「?」
モルトが前に進みながら、背中越しにアルクに話しかける。
「俺が時間を稼いでやる。皆を連れて地上まで急ぐんだ。そして、アネットにこの件を伝え、王都のギルドの救援を要請して欲しい。あれが地上に出てしまったら、メレンの住人はきっと全員殺されてしまうだろう」
「そっ、そんなこと出来ないよ。そうだっ、ハル。コテージにみんなで逃げれば」
『残念だがそれは無理だ、アルク。コテージは時空魔法の理論を応用して出来ている。場に影響を与えるほどのマナを持つ魔物が近くにいた際は使用することが出来ない』
「という訳らしい。頼んだぞ。おいっ、セゾン」
モルトが一番前にて、剣を構える。セゾンがアルクの隣に来て、撤退を促す。
「あれはもう俺たちでは無理だ。行こう、アルク君。俺たちではいるだけで足手まといになる」
悔しさに唇を噛みしめながら、セゾンは単眼の巨人を睨み付ける。背中を押され、すこしばかり歩かされると、巨人の単眼がぎょろりと動き、こちらを捉える。そして、先程よりも禍々しく咆哮を放つ。
「ぐうっ」
「きゃあっ」
その場にいたモルト以外の人間が、まるで魂を砕かれたかのごとく、膝をおり動けなくなってしまう。自然と身体が震え、目からは涙が流れ出す。
『しまったっ。おそらく奴の権能だろう。咆哮自体に魔力が込められている。弱い存在なら咆哮だけで魂を縛り付けられてしまう』
「そんなっ。それじゃ逃げることも出来ない」
皆の顔に絶望が浮かぶ。
「何とかできないのかっ、旦那」
『……』
モルトが背中越しにそう怒鳴るが、ハルは何かを考えているのか、答えることはなかった。
ズシン、と地面が揺れる。巨人が悠然と足を一歩前に踏み出したのだ。その剣をぶるんと宙で一閃させると、再度咆哮を放ち、こちらへと駆け出してくる。
「チイッ」
舌打ちと共に巨人を迎撃するモルト。巨人がその剣を振りかざすと、旋風が巻き起きる。
「ああああっ!」
モルトの雄叫びと同時に、けたたましい金属音が鳴り響く。打ち合わされた剣は互いに弧を描きながら二閃、三閃と打ち合わされる。
「すげえっ、あの人、あれと互角に打ち合ってやがる」
『いや』
「ああっ、モルトさんっ!」
打ち合いが終わり両者が再び距離を取った後、モルトが苦し気に呻きながら地面に膝をつく。全身を大きく波打たせ、ゼエゼエと激しく呼吸をしていた。ここまで無敵とも思える戦闘力を誇った男が、たった数合打ち合っただけで、無残なまでに疲弊しているのだ。唯一の希望ともいえる戦士の劣勢に、皆が絶望を覚え始める。だが、そんな中でアルクだけは希望を失わずにいた。何故なら、まだ使用したことすらないハルの最大の権能が残っているのだ。
「ハルッ、アレを使うよ」
『アレか。以前ヴァーチャルで使用した際は失敗したな。その後、君は2、3日寝込んで使い物にならなかった。体も出来ていないのに、アレを実戦で使用したら君の身体に治らない後遺症が残る可能性もあるぞ』
「でも、もうあれしかないよ」
『そうだな。それでも、奴に勝つには分が悪いと思うが。私は恥も外聞も捨てて、君単身でそれを使って逃げ延びろと進言するぞ』
「それでもやらなきゃ」
周囲の仲間を見回す。今自分たちのために必死で戦ってくれているモルト、受けた恩を返すと危険を省みず、着いてきてくれたトリプルファングの三人、そしてこの町で出来た初めての友人であるパナシェ。せっかく皆で協力してパナシェを救うことが出来たのだ。こんなところで失うわけにはいかない。言葉では形容出来ぬほどの熱い想いが胸にこみ上げてくる。
「だって、これは僕の物語で、僕が主人公なんだからッ!」
『……わかった。ならば私も覚悟を決めよう、アルク』
「うん、いくよっ、ハルッ」
そして、アルクは躊躇うことなく、切り札である最大の権能を発動させた。




