手向けの花・中
アルクの意識が覚醒すると、パチパチと燃えるたき火の音が聞こえた。その火と、そして体を包む少しばかり汗臭い毛布の暖かさが、外気の寒さのためとても頼もしく感じる。あの後、睡魔に襲われたパナシェがまず眠りにつき、後を追うようにアルクも貸してもらった毛布に包まり横になり、眠りへと落ちていったのを思い出す。
どれくらい眠ったのかも分らず、頑張って眠い眼を開くと、周囲はまだ暗闇に閉ざされ、空には星が煌いていた。見ると、まだモルト達はたき火の前で、酒をちびりちびりと飲んでいる。今起きてもしょうがないと、再び目を閉じるもすぐには眠ることは出来なかった。じっとしているアルクの耳に、モルト達の会話が入り込んでくる。
「いや、しかしこの子たちは昔のお前さんやリーネのようだのう」
「ああ、ここでムーンセレッソを摘みに来て迷っていたのを、僕たちが助けたのがきっかけだったね」
「その後は、チョロチョロと付きまとわれて、弟子にしろってうるさかったなあ」
会話をじっと聞いていると、どうやらモルトの幼い頃の話らしい。
「……師匠たちには感謝してます。ここで覚えたことは常に冒険の役に立っていた」
「いや、礼を言うのはワシ等の方じゃよ、モルト。本当にいい夢を見せてもらった。リーネから手紙が届くたびに、三人でそれを肴に大いに盛り上がったものよ。ワシ等の弟子がAランクなんてのも夢じゃないってのう」
ウェインのその言葉を最後に、一度会話は途切れ、静寂が訪れる。目を閉じているアルクには彼らがどのように過ごしているのか、想像はつかなかったが、場の雰囲気はどこか寂しそうに感じた。暫くして、ユアンが再度口を開く。
「それで、モルト。君はこれからどうするつもりなんだい」
「……それは俺もわかりません。アデルハイドでは他のクランやパーティーなんかにも誘われたんですが、どうしてもその気にはなれなくて……。ここに来れば何か取り戻せるんじゃないかとも思ったんですけれど。……もう俺の冒険はもう終わったのかもしれません」
淡々とモルトはそう話す。それは意図的に感情を排しているように、アルクには思えた。暫く火の音のみが響き渡り、そしてラルフが誰に言うでもないように、ぽつりと話し出す。
「まあ、自分自身で納得できるまでここにいればいい。冒険ってのは、終わったかと思ってもある日、突然始まるもんだ。生きてさえいれば、また冒険と向き合わざるを得ない場面に出くわすだろうよ」
「そうですね。俺は……生き残ってしまいましたから」
それから暫く静寂が続き、その後は他愛もない近況の話へと話題は移っていった。それに伴い、アルクも再び眠りへと落ちていった。
「アルクぅ、朝だよー」
『そうだ、アルク。夜が明け始めている。皆が準備を始めているぞ。起きるんだ』
ゆさゆさと身体を揺すられながら、ハルとパナシェの声によって、アルクは目覚めた。目覚めるとそこにはパナシェのボサボサの髪と煤けた顔があった。相変わらず歯だけが、綺麗に白く見える。
「おはよう、アルク。もう、モルトさんたちは準備してるよ。朝ごはんも後はアルクだけだね。はい、これ朝ご飯」
体を半分起こして、それを受け取ると、地面にそっと置き、眠い眼をこする。
「よう寝たな、少年」
「あ、おはようございます」
一番近くにいたラルフが、アルクに笑いかける。
周囲を見回すと、昨晩の野営の跡はすっかりなくなっており、モルト達は荷や武具の点検などをしていた。アルクは、毛布から抜け出すと、大きく背伸びをする。まだ外気は冷たく、思わず体をブルっと震わせる。固い地面に寝ていたせいか節々が痛い。パナシェからパンとコップに入ったコーヒーらしきものを受け取り、それを口にしてみる。パンには塩気のつよい干し肉とチーズが入っており、次第に食が進む。コーヒーは酸化しきってすこし酸っぱいが、その暖かさが嬉しく、飲むと頭がはっきりとしてきた。
アルクは食事を済ませ、手早く身支度を整え始める。そして軽く柔軟運動を行い、身体に血流を巡らせた。野営の跡はすっかり片付き、皆荷物を背負って、準備は万端となっていた。
「ようし、行こうか。目指すは頂上じゃ。ついてこれるか、少年たち」
「まあ、地元の山には登ってたし、多分大丈夫だと思います」
「オイラも体力には少し自信はあります」
ラルフの問いに、アルクたちは張り切って答える。
「うん、いい返事だ。それじゃあ出発するかっ」
――暫くして。
ゼエゼエと荒い息を吐きながら、アルクは必死にモルト達の後を追う。デーヴァー山の坂は急であり、しかもアップダウンを繰り返す山道であった。体力はぐんぐんと減っていき、意思の力で下肢の筋力を総動員し、なんとか置いてかれずに済んでいた。モルトはともかく、老人たちですら昨夜遅くまで酒宴をしていたにも関わらず、スイスイと登り下りを平然と小走りとも思える速さで進んでいる。
「アルクぅ、オイラもう……」
アルクの後ろから必死についてきたパナシェが、声を振り絞り、ギブアップを宣言する。岩肌に体を預け、立ち止まる。そんな様子に気付いたモルト達は足を止める。どうやら待ってくれているようだ。なんとかパナシェを支え、その下へと歩く。
「大丈夫かあ。少しばかりハイペースじゃったかの」
「ここで休憩にしようか。僕たちももう年だからペース配分も考えなくてはね」
ユアンの提案より、少しばかり休憩を取ることとなった。アルクは地面に腰を下ろそうとするが、ハルがそれを制止した。
『アルク、ここで腰を下ろしてしまっては、身体の血流が滞り、かえって疲労感が強まるぞ。ほら、彼らを見ろ。誰一人腰を下ろしていない。パナシェもな』
(あっ、本当だ)
『道はまだ長いのだからな。小刻みな休憩ではそうした方がいいんだ』
仕方なく、近くの岩に背を預け、呼吸を整える。隣で休んでいるパナシェが水の入った袋を取り出すと、それを口に含んだ。
「ハァ、お水が美味しい。あっ、アルクも飲む?」
パナシェが袋をアルクに渡してくれる。どうせならアイテムボックスから冷えた甘いお茶でも取り出したいと思ったが、ここではモルト達の目もあった。パナシェも気を使って、水を差しだしてくれたことを察し、礼を言うと飲み口に口をつけ、水を飲む。それ程冷えてはいない水だったが、不思議と甘く美味に感じられた。
「ふう、美味しい」
水とはこんなに美味しいものだったのかと、感動を覚える。全身に瑞々しいエネルギーが巡ってきて、体力が回復してくるのを感じた。
「でも凄いよね、ラルフさんたち。凄い早いし、全然疲れてないみたい」
「ガハハ、そりゃまあワシたちと、ちびっこ冒険者のアルクやパナシェとは年季が違うからなあ」
そう言って、ウェインが自身の足をぺチリと叩く。
「それに君たちはまだ小さいから仕方ないさ。こういうのは場数を踏むことで自然に効率というものを覚えていくものだ。歩行というのは冒険者の一番基礎的な技能だからね。一流の冒険者は皆驚くほど健脚だ。中には人間離れした速さの者もいる。君たちはまず自身にあった歩幅というものを覚えた方がいい。大股でなく、小幅に歩く方が身体への負担も少ないよ。自身の足の動きに集中してみるといいよ」
ユアンが微笑みながら、アルクたちにそうレクチャーしてくれる。
『やはり生身の冒険者と行動すると学べるものも多いな。バーチャルでは限界というものがあるからな。アルク、ほら見てみたまえ。こうして休憩する傍らで、モルトとラルフは周囲の警戒をしているだろう。ユアンは地図を常に確認している。事前に打ち合わせなりなんなりしているということだ。こういった連携ができるのが、パーティーの強みだな』
ハルもこの状況を好ましいものとして捉えており、モルト達のパーティーの動きなどの説明をしてくれる。アルクは自分がハルという規格外の存在を手にしていることを自覚しているつもりだったが、こうして他のパーティーの冒険を見ていると、それに頼りきっていることがはっきりとわかった。
『便利なことが駄目という訳ではない。自分がどういった利点を手にしているということを理解することが大事なのさ』
その言葉にアルクは素直に頷く。汗でべとつくシャツの襟元をパタパタはたき、風を送る。そうしているとコテージに入り、お風呂につかりたいと自然と考えてしまい、苦笑しながら頭を振って、その考えを振り切った。
『まあ、権能を使用しない冒険もいずれはしてもらうつもりだった。彼らと一緒に行動できることは本当にいい機会だ。この幸運に感謝し、ベテランの彼らに大いに学ばせてもらおうじゃないか』
少しばかりの休憩の後、アルクたちは再び行動を開始した。休憩にて回復した後、ユアンの助言通りに足の運びを意識しながら歩いたためか、先程よりか体力の消耗が少なくすみ、なんとかついていけるようになった。
(あっ、ハルッ!)
暫く進んだところで、マップに赤い点が現れる。アルクはその存在を告げようとするが、ハルがそれを制止する。
『彼らほどの熟練者なら不要だろう。アルクは自分とパナシェの安全だけに気を配ればいい。よく彼らの動きを学ぶといい』
アルクは少し心配だったが、その言葉に従うことにした。後ろのパナシェを確認し、いつでも動けるようにする。果たして、岩陰より強い羽ばたきが聞こえ、黒い怪鳥が一行目掛けて滑空してきた。狙いはこの隊で一番体格の小さいパナシェらしく、アルクは近づいてくる怪鳥を迎え撃つべく、ハルを構える。
「ウインドブロウ」
しかし、その動きに気付いていたユアンが杖を構え、すかさず呪文を放つ。既に魔力を練り上げていたのか、発動は一瞬であった。圧縮された空気の塊を正面から受けた怪鳥は「グエェ」と苦痛の声を上げ、地へと落下する。悶えながらも、再び空に飛ぼうと羽ばたこうとする怪鳥へと、ラルフがすかさず駆け寄り、その首を一撃で切り落とす。
「まずは一匹ゲットじゃ」
ラルフはハルバードを一振りし、血を落とすと、こちらにむかってニカっと笑う。
「この山に生息しているロックバードの肉は魔物の中でも美味でのう。毎年こうして狩りに来とるんじゃ。こいつがワシ等の目的でのう」
「花より団子ってやつだね。まあ、だけどモルトとは目的地も一緒だったし、ちょうどよかった」
ラルフが自身と同じくらいのロックバードを袋に入れて背負うと、その重さをものともせずに先へと進み始める。モルトたちも黙ってその背中に着いていく。アルクと一緒に歩き始めたパナシェが、今し方起きた戦闘を称賛する。
「ユアンさんの魔法、凄かったね。本当に一瞬だった。オイラ、ロックバードに全然気づかなかったし、一直線にこっちへ飛んできたときは体が動かなくって焦ったよ」
『うむ、そしてすかさず止めをさしたラルフの動きも大したものだった。マップという権能がない彼らがあのように動けるのは、常に周囲に気を配っているからだ。和気藹々と会話をしていても、警戒を緩めてはいなかったということだ』
マップなしで、あのような行動を自分が取れるか考えて、アルクはため息をつく。いつ襲ってくるか解らぬ敵に常に警戒をするというのは、今行動だけでばててしまっている自分では厳しいだろう。それに自分と違い、彼らは大量の荷物を背負い行動しているのだ。自分の荷物はパナシェに比べても軽すぎるくらいだと考えると、アルクが一番未熟ということは明白であった。
「冒険って大変だなあ。技術も体力も全然だ」
『それに気づけたのは大きな収穫だな。フィジカル面に関しては、今はあまり気にしてもしょうがない。正確な知識や基礎的な技術を今はしっかり学ぶべきだ。そうすれば自然と彼らのような動きができるようになってくるさ』
「うん、だから凄く参考になるね」
それからもアルクたちは頂上を目指し、ひたすら歩いた。その間、ラルフ達は何度か魔物と遭遇するも、苦戦することなくそれを狩っていった。そうして分かったのは、彼らもアルクたちに冒険の術を実戦を通して教えようとしてくれているということだった。自分たち自身の行動をユアンが細かく砕いて解説してくれているうちに、そうだということを悟らされた。最後の方には実際にパナシェと二人で体に岩を纏った魔物、ストーンメットを相手取る機会があった。彼らが見守る中で、アルクが牽制を行い、パナシェの剛力で岩を砕き、その魔物を何とか倒すことが出来た。
「その年でそれだけ出来れば、今は合格だな」
ストーンメットを倒すと、ラルフが髭に手をやりながら愉快そうに笑う。アルクたちの戦闘はどうやら悪くない評価を得たようだ。
そうして進むこと半日、坂を上り開けた場所へとでる。ここより高い山は無く、周囲を一望できる壮観な景観が続いているのを見て、ここが山頂であることに気付いた。
「やったあ。頂上だあ」
パナシェが地面にへたり込みながら、喜びの声を上げる。アルクも安堵のためか、急に疲労が押し寄せ、どっと地面に腰を下ろした。太ももやふくらはぎはもうパンパンであり、ふくらはぎの裏のあたりが引きつりかけている。
「お疲れ様。よく頑張ったね。このデーヴァ山は標高差が激しいから結構大変なんだ」
ユアンがそんな二人を労う。バテバテのアルクたちと違い、モルト達はすこし休憩した後、野営の準備を始めていた。何か手伝おうとするも、今はいらないから休んでおけとモルトに軽くあしらわれる。
「まあ夜になったらわかるさ。また、あの人たちの酒宴に肴として付き合わされるだけだからな。賓客が疲れて寝てしまったら、面倒くさい人たちだからがっかりするだろう。適当に寛いでおけ」
モルトはアルクにそう話すと、即席のかまどらしきものを落ちてる岩で作り始めた。このままただ恵まれるのだけもどうかと、他の三人にも何か手伝えることはないか尋ねるも、特にないと言われてしまった。仕方なく、何をして過ごそうか思案する。考えている最中、自分を呼ぶパナシェの声が聞こえ、声のする方を見た。するとパナシェが山頂の端に立ち、こちらに手を振っているが見える。アルクはパナシェのいる場所へと駆け出す。
「どうしたの」
「ほら、見てよ。メレンの町だよ」
パナシェの指さす方向には、確かに小さな町が見えた。その姿は小さく模型のようだ。他にも同じ高さを流れる雲や、どこまでも青い空、山々の隆起や陰影、まばらにみえる林や森、湖などが一望に俯瞰できる。
「凄いねえ! こんな高いところにきたの、オイラ初めてだよ。あ、ほら、その先にも町っぽいのが見える。街道もあるね……あそこの森から先がアデルハイドかなあ」
マップで確認すると、確かにあの森を境に国境が示されている。
「アルクはアデルハイドに行くんでしょ」
「うん。パナシェは?」
「オイラもいつか行きたいと思ってる」
何かを噛みしめるかのようなパナシェの表情にアルクは、今こそハルと話し合った提案を行うべきだと思った。
「あのさ、パナシェ」
「ん、なあに? アルク」
「よかったらだけど……僕と一緒に行かない?」
アルクのその言葉に、パナシェが目を見開く。
「それって、オイラとパーティーを組むってこと?」
「うん、最近のクエストでパナシェと組んで、隣に信頼できる仲間がいると心強いってわかった。それに今日もラルフさんたちみたいな強くって、仲良しなパーティーだったら冒険も楽しいし捗るだろうなって……」
パナシェは目を隠すほど長いボサボサの髪の毛をくるくるといじり、アルクに背を向けると空を仰いだ。
「……ごめんね、一緒にはいけないよ」
呟くようなパナシェの言葉は、しかしアルクの耳にはっきりと届いた。
「そっか……。残念だなあ」
期待が裏切られたにしては、不思議と心は静かだった。友達との楽しい冒険行を想像し湧き出ていた胸躍る気持ちは、溶けるように消えてしまったが、それでもなお不思議と落胆はせずに済んでいた。
パナシェは一段と高い岩へと駆け寄ると、その上によじ登り腰を下ろし、自分の隣をポンポンと叩く。
「ちょっと、オイラ自身の話をさせてもらってもいいかな」
そう促すパナシェの横に、アルクも腰を下ろす。
「オイラね、別にみなしごって訳でないんだけど、記憶がなくてさ。メレンの近くの森に行き倒れているところを師匠に拾われたんだ」
「記憶が?」
「うん、師匠に拾われたとき、凄い高熱を出してたらしくて、師匠もこれは助からないって思ったんだって。でも、命は何とか助かってね。記憶が無くなっちゃった原因はたぶんそれだって言ってた」
記憶がないということを語りながらも、師匠との思い出を語っているためか、その声にはその師匠への愛おしさが混じっていた。長い前髪の間から覗く青い瞳はとても穏やかに見える。
「オイラが拾われたときには、もう既に師匠の身体は病気でボロボロだったんだ。死に場所を求めてたって言ってたなあ。でも、オイラを拾っちゃったから仕方なくもう少し頑張らざるを得なくなったって、よく言ってた。孤児院に入れることも考えたらしいけど、オイラはそこじゃきっと食い物にされてやってけないだろうってことで、育ててくれたんだ」
パナシェはそこで少し間を置き、思い出を振り返るかのようにしばし目を閉じる。
「このメレンで一緒に暮らし始めて、師匠はオイラに学問や冒険者としての基礎や知識、生計の立て方なんかを色々教えてくれた。このスコップでの格闘術とかもね。師匠も病のせいで、簡単なクエストしか受けれなかったけど、二人で細々と暮らしていけた。山に食べれる野草や木の実を探しに行ったり、町の小さな内職のクエストを二人でしたり、毎日新しい発見があって楽しかったなあ」
再び瞳を開くパナシェ。その視線は模型のように小さく見えるメレンの町に注がれている。
「でも二年ぐらいして師匠の病気が進んで動けなくなっちゃってね。師匠はオイラの前では苦し気な素振りは微塵も見せなかったけど、ときどき夜起きると苦し気に呻いている声が聞こえて……。どこの誰かも分らない自分を拾って育ててくれた師匠のために、なにかしてあげたかった。だけど、薬は高くて、おいそれと手に入るものじゃなかったんだよ。でも幸いというか、行き倒れてたときに身に着けていたペンダントや服がそれなりの値段で売れてね。それも薬代ですぐに無くなっちゃったけどね。そんなときに、悪徳な金貸しのフロッグのことを聞いたんだ」
「それじゃ、借金を」
前にヴァイツがギルドで言っていた話を思い出す。
「うん、フロッグは悪徳な高利貸しとして有名なんだ。老若男女構わず手当たり次第、金を貸し付け破滅させるんだ。だけど、それなら小さなオイラでも金を借りられると思って、駄目元で行ってみたんだ。実際借りられたしね。担保はオイラ自身なんだけど」
「担保?」
「うん。金を借りるときに体に魔術刻印を埋め込まれてね。月々の返済が滞るようなら、たちまち債務奴隷になる契約が刻まれてるんだ。探知の刻印も組み込まれてるから逃げることも不可能なんだって。だから今は借金で爪に火を灯すような生活になっちゃってるんだ。でも後悔はないかな。そのおかげで師匠に薬や大好きなお茶を買ってあげられたしね」
パナシェがいつも働きづめで、貧しい生活を送っている理由がようやくわかった。しかし、それなら自分はそれを救うことが出来るとアルクは考えた。
「なら僕が立て替えるよ」
しかし、パナシェは静かに首を横に振った。
「ねえ、アルク。灰かぶり姫って知ってる?」
「それっておとぎ話の」
「うん。義理の家族に虐められても、悪徳王子にその美貌を狙われ愛人にさせられそうになっても、誰にもすがることなく、銀の剣を手に、自分の力のみで未来を切り開く女冒険者の物語だよ。実際にモデルになった女冒険者もいたらしいね。よく師匠が寝るときに話してくれたんだ。そしていつも、最後にはこう言うんだ。あなたも自身の力だけでこの過酷な生を生き抜ける――冒険者になりなさいって」
「そっか、パナシェはその大好きな師匠の教えを守ってるんだね」
「うん、オイラにとってお母さんみたいな人だった」
「あっ、女の人なんだ」
「うん、凄く綺麗な人だった。唯顔の半分は酷い火傷だったけど。昔自分で焼いたって言ってたなあ」
「へ、へえ。それは凄いね」
壮絶な話に口ごもるアルクを見て、一しきり笑った後、パナシェはアルクの瞳を真っ直ぐに見据える。その眼に強い覚悟を見て、説得は無理だと思いながらも、アルクは別の提案をしてみることにした。
「じゃあ、これからここで一緒に冒険して返していくっていうのは? 二人の方がガンガン稼げそうだし」
「それでもここ近辺のクエストだとかなり月日が経っちゃうと思う。オイラも少しづつ返し続けて、一年働きづめでようやく返済のメドがたったからね。それに、それもまたアルクに頼ることになってるし」
「でも……」
なお、粘ろうとするアルクの唇の前に、パナシェが人差し指を突きつける。
「アルクは、アデルハイドに行くんでしょ。それに高みを目指すなら、この小さな町に縛り付けられてる暇なんてないよ」
その通りだ、とアルクも思った。ここでやることが無くなってきたため、この町を出る際にパナシェもパーティーに誘おうとしたのだ。ここで止まっては本末転倒になってしまう。
「でもね、アルク」
「え?」
そこでパナシェが手を差し伸べてくる。
「アルクと出会えて本当に良かった。アルクは初めてできた友達だから」
「友達……」
「もしかしてアルクの中では違った?」
「ううん、そんなことはないよ。だったらパーティーになんか誘わないし」
「ありがとう。オイラもいずれはアデルハイドを目指すよ。師匠がこの世界は醜いものも多いけど、それに劣らず美しいものも多いって言ってたんだ。オイラもそれを見に行きたい。だからもしアデルハイドで出会えたら、そのときはパーティーを組んでもらってもいいかな?」
「……うん。待ってる」
アルクはパナシェと握手を交わす。その手は暖かく、そして驚くほど華奢であった。その後は二人、遠くのアデルハイドの方角を見ながら、互いの夢や未来の展望を暫し話し合った。それはモルトが宴の準備が出来たと呼びにくるまで続いた。先に行ってるねと、パナシェが駆けていく。
『振られてしまったな』
「うん、でも不思議と寂しくはないかな。それに約束も交わしたし」
『ああ、人生は長い。互いに同じ夢を目指せば、いずれは道が交わることもあるだろう。なにせ、この空はどこまでも続いているからな』
「そうだね」
アルクも皆のもとへ行こうとし、一度振り返る。そして、どこまでも広がる彼方を見つめる。すると遠くのまだ見ぬ土地や冒険への想いが湧き、今しがた切なさを感じていた心がすこしばかり慰められるようであった。




