第八十話 凶悪なおまじない
吐きそうなミカを部屋の外に連れ出すと彼女は膝をつき、
怒りに任せて床を殴った。
感情的になってる。
認知不可能な超越的エネルギー(呼び方は様々)に繋がり、
最終的には合一を目指すのが魔術師。
それは当然ながら理性の下にはなく、理知的であることが
やがては障害となってしまう。
けど、魔術を操るには理知的でなければならない。
魔術師の抱える永遠の矛盾だね。
だから感情は大事にする。
理性を超えた感情の働きこそが真理へと至る道。
ミカがやったように感情に突き動かされた行動に遭遇したとき、
魔術師たちはこう言うの。
「何が見えた?」
生粋の魔術師なら、これで正気を取り戻す。
ちなみに私は初めて先生にこれをやられたとき、
殴りかかっちゃった☆
あとちょっと噛みついたかも。
生粋の魔術師などではございませんので。
「私が……私が見えました」
目をギュっとつむり、顔を擦るミカの手を止めてやる。
自傷というほどでもない自己刺激。
過度な不安やストレスへの対処法の一つ。
ミカは冷静。生粋の魔術師だ。
「そう。どんなあなただった?」
ミカはぼんやりとした目で私を見つめる。
見えてるのに見えてない、そんな感じ。
「部屋の中にいる六人、全員が外形呪詛です。おそらく目の」
「そうなの? よく気づいたわね。私は儀式様式や目的ばかり
考えちゃって……」
「そうじゃないんです。癖なんです、相手の外形呪詛を探すの」
ミカは自分の袖をまくってみせる。
肘から上、背中のほうに向かって羽毛が生えてる。
皮膚ごと切り取ろうとして残ってしまった傷跡も。
「カダフスでの外形呪詛の扱いは『目に見える呪い』です。
羽が背中まで生えていなかったら、単純に腕を切り落とされて
いたかもしれませんね」
「……ご両親に?」
「ええ、あの二人はそれが責任だと。いい人なんです。
だから私のために切除を試みた」
「辛い思いをしてきたのね。ここで待っていてもいいのよ?
中は私一人でも調査できる」
「ふふん、その手には引っかかりませんよ。
そうやって独り占めする気でしょう? クルスさんが優しかったら
注意しろ。ノエル様の伝言です」
「う~ん、ノエルとはいろいろ話さなきゃいけないなあ」
ミカの調子も戻ったことだし、調査再開。
やっぱり二人だと心強いね。
視界が広く、部屋の隅々まで注意が行きわたる。
まだ残ってる猫もいた。
閉じ込められて、怯えて、動けなくなっちゃってる。
「かわいそうだけど、この子たちは処分されるでしょうね」
「そうね。人の肉を食べた動物はリリスに取りつかれるって言うし、
しばらくは猫探しの仕事が絶えないでしょうね。
……それで、と、椅子の配置に規則性なし。向きもバラバラ」
「年齢、人種にも決まりはなさそうです。ここまでくると、
わざとそうしたと疑いたくなりますね」
「となると、術式ではなく儀式……儀式かあ。詳しい?」
「基礎的な部分は。クルスさんは?」
「基礎的な部分は」
術式と違って儀式には規定というものがない。
同じ神を信仰しているのであっても、儀式を行う側の解釈で
細部が変わってくる。
魔術とは別物。神学や考古学、それと形象学の分類に属する。
「九神庁に専門家の派遣を要請するしかない、か。
黒い手のときもそうだったけど、協会と揉めそうね」
「どうでもいいですよ。
申し訳ないのは、この方々を動かせなくなることです」
「腐りゆくままね。きっと猫を逃がしたことも非難されるんだろうなあ。
ごめんなさい、謝ることしかできないわ」
ミカは無言で両目を隠す、カダフスの追悼の祈りを捧げた。
私は手を合わせる。
こっちの世界で意味があるのかわからないけど。
「しかし不自然ですね。儀式の調査が進めば目的も解明される。
そうなればブラックハンズという組織の一端が知られてしまいます。
小さな綻びも許さないのが秘密主義では?」
「破棄する暇もなかったか。あるいは別の目的があるのか」
私たちの目は同時に奥の壁に吸い寄せられる。
部屋に入ったときから気になってた、こんな場所に不似合いな
楕円形の鏡。青銅の縁取りにヘビや魔物の装飾。
魔力のある遺物ってわけでもないんだよね。
「きっちり入り口のほうを向けてる。外から入ってくる吉兆を
跳ね返す、おまじないの一種だったっけ?」
「あまりよくないとは言われますが、こんなことをする連中が
やるにしては子供じみてるというか……」
「だねぇ。鏡……鏡か。なんかこう、引っかかるものがあるんだよ。
なんだったかな?」
「私に聞かないでくださいよ。クルスさんの記憶に残ってるなら
オト君が関係してるんじゃないですか?」
「……否定はしない。私の長期記憶はオトで占められてる」
なんでそんな目で見るの?
オトの笑顔、オトの仕草……オトの声。
声だね。オトが何かを読んでる、これは……。
壁の側で椅子に縛り付けられていた女性が吐血。
わずかに首を動かして詰まった下水管みたいな呻きを漏らす。
「「生存者!」」
私たち二人しかいないのに救護を呼ぶように叫んでた。
喜びと恐怖と祈るような気持に突き動かされ、女性を解放しようと
近づいたときだった。
鏡が薄く光った気がした。
耳から拳を突っ込まれたみたいな激しい頭痛に襲われ、声も出せずに
床に這いつくばった。
一気に溢れ出た異界の空気。
重力が逆になったみたいに足から頭へ血が流れ、視界が真っ赤になる。
『に、と、く、り、す』
聞こえてくるのはオトの声。
そうだ、ノエルがくれた過去の失踪事件の資料。
その中にあった遺物『ニトクリスの鏡』。
深夜に人が消える不可解な事件の現場にあった鏡。
事件に関係はあるとされていたが、原因は不明のままだった。
「ようやく解明できた。特定の時間、向こうから一方的に開く門。
この部屋は、破棄されてたんだよ」
興奮して声に出ちゃってたけど、返事はなし。
溢れ出た異界の空気にあてられてミカは悲鳴をあげてる。
その声が門の向こうにまで届いた。
鏡の縁から溢れ出た液体が流れ落ちて床に広がる。
途切れることなく、水量が増して滝みたいになってる。
ただの水じゃないね。
ある程度広がったら器に入ってるみたいに縦に伸び始めた。
濁った緑色の細い管が血管のように広がって、水が塊になって動き出す。
頭を抱えて悲鳴をあげるミカと同じ形。
鏡を睨んで立っている私と同じ形。
鏡に映った私たちが抜け出してきたみたい。
異界との向き合い方マニュアルなんてものがあったら、
必ず鉄則として記載しておきたい。
それが異界の何であれ、相手があなたの形を模した場合……
視線を感じる前に逃げろ。
床を転げまわってるミカを引きずって部屋の外へ。
……信じられない、向こうも同じように引きずってる。
あ、やっちゃったかも……水の分体にばかり気を取られすぎた。
安直に鏡から離れようとしてしまった。
鏡の中の私は必死に鏡の世界の奥へとミカを引きずっていってる。
自分から餌場に入っていく小動物の気分。
気づけば私は鏡の中にいる。
部屋の様子を水の塊で模した閉鎖空間。
水の中には血管のように張り巡らされた緑の管。
血管のようでもあり、シナプスのようでもある。
私の動き、私の声に合わせて淡い光が管の内部を行き来する。
私を模した形はゆっくりとした動きで同じ動作を繰り返している。
顔だけは私のほうを向いたまま。
つい今しがた学んだ動きを繰り返すように私を模した形は動き続け、
徐々に自然な、人間らしい動きに近づいていく。
すでに時遅しだ。
視線を感じる。こいつはもう私を認識してる。
私を模した形が私を真似るたびに、身体に突っ張るような
小さな麻痺が生まれる。
ほんのちょっとした違和感みたいなものだ。
でも、これがずっと続けばやがて身体の自由は奪われる。
……ああ、そうか。
私たち、消化されてるんだ。
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