第七十六話 反撃
感覚の入れ替えで対象を誤認させることができた。
対象の認識が魔力とかだったらアウトだったね。
黒い手。
呪いとは言うものの、これはれっきとした魔術だ。
発動した状態を見たことがあるからわかる。
理不尽で混沌とした呪いに見せかけた、論理的なシステム。
しばしば議論されるが、呪いと魔術の違いはその動力源。
魔術における術式は型であり、魔力を流しこむことで
特定の事象を発現させるのが基本だ。
でも、呪いは明確な動力源を持たない。
呪いをかけた当人への代償が動力源と考えられているが、
どうして代償が動力として働くのかは解明されていない。
そしてこの黒い手。魔力を持たない宿主でも発動できることから、
相手の魔力を利用する『寄生型術式』ではない。
これだけで多くの魔術師は呪いだと断定するだろう。
先生が言うところのボンクラだね。
ヒントは断面から流れる粘性の増したどす黒い血。
おそらく、この術式を付与したときに相手の血の中に魔力を
赤血球のように流している。
術式の発動に合わせて手に集まる仕組みだ。
他人の魔力なんて他人の血と同じようなもの。混じれば凝固する。
術式の発動で濃度を増したのが、あのどす黒い粘液のような血だ。
これで動力源は解明。
血の中に魔力を滞留させる要因を突き止めれば解呪できる。
けど、そんな時間はない。
なので術式。
一見、塗りつぶされたように黒い手は、幾重にも術式が重ねられて
黒く見えているだけ。
一枚ずつ視覚化できれば剥がしていくことも可能だ。
問題はそのやり方。
幾重にも塗り重ねられた絵を一枚ずつ識別するなんてできない……
いやできるよね? やってるもんね、私の世界じゃ。
赤外線リフレクトグラフィとかさ。
私の魔力を短く照射し、浸透の凹凸から術式の形を解析する。
…………
よし、やれる。
術式そのものはそこまで複雑じゃない。
これだけの数を重ねて機能させるにはこれが限界だったのね。
まず一枚、薄皮のように剥がして……
「ねえ、この人形なに? モフモフじゃん、かわいいクマじゃん。
木彫りのキモイのかと思ってたのに!」
「初めての子供だぞ、そんなもん買うか! 高いって言ったろ。
ちゃんと返してくれよ!」
「大丈夫、ちょっと汚れるくらいだよ、たぶん……」
剥がした術式をかわいいお腹に貼り付ける罪悪感よ。
すまんテディ、私のために死んでくれぃ!
だってだって、躊躇してる時間はないの。
いま私には黒い手の術式が付与され、しかも発動してる。
移譲は許されない。
そしてこの術式は指一本だけでも私を殺しに来る。
残された時間はあとどのくらい?
この術式、何枚重なってるの?
ときどきトラップみたいにまったく別の、無意味な術式が
挟まってくる。なんて悪辣……。
もはや爆弾解除だね、これは。
「お、おい、大丈夫なのか? なにやってるかわからんが、
この妙な音はなんなんだ? なあ、逃げたほうが──」
「話しかけないで。ワイルズは下に行ってていいよ」
「バカやろ、お前一人残して逃げたらゼンドーラに殴られる」
殴られてよ……。
私が失敗したとき一番近くにいる人に伝播する可能性もある。
いや、間違いなくそうなる。
まずいな、音が近づいてきた。
床下や壁の内側、天井裏からも爪でひっかくみたいな音がしてる。
出てくる『隙間』を探してる。
魔術師界隈では『隙間』や『角度』と言うと、大抵は空間系の話。
黒い手は切り離しても空間的には繋がってる解釈となってます。
目に入ってくるのは汗?
私、汗かいてる?
頭がパンクしそうだものね。
間に挟まってる無意味だと思ってた術式も、そうじゃない気がしてきた。
全体の量も予想の倍はある。
これ、間に合わないかも……。
変身の二文字が頭をよぎる。
……いやいや、ダメに決まってるでしょ。
大丈夫、まだぜんぜんいけるよ。
ベッドの横の影が光源の向きとは逆に傾いてきてる気がするけど。
爪で引っ掻く音が集中してる気がするけど。
もう無意味な術式は捨てていくしか……
「ダメです。それらは重層還流術式です。一枚でも抜けると魔力が
暴走して解呪者を攻撃します」
横から口と手を出してくるこの無遠慮さ。
無知な輩を見下す傲慢さ。
この子のそんなとこが輝いて見える日が来るなんて。
「ノエル! 来てくれたの⁉」
「成り行きです。一度、全部を引き出しますよ」
ノエルが術式に手をかざして上に引っ張り上げると、重なり合った術式が
一枚ずつ綺麗に分かれた円筒状に浮き上がった。
「ウソ……まだこんなにあったの?」
「そのやり方では間に合いませんでしたね。あなた、ちょっと知識が
古いですよ。常に更新しなくてはせっかくの──」
「いいから、それさっさとこっちに移せ! 命がかかってんの!」
やっぱり大したものだね、ノエルは。
喋りながらすごい勢いで術式を移していく。
今となってはクマちゃんのお腹のほうが真っ黒だ。
腹黒テディ。
奇妙に傾いた影の中から、切り落とされた手首が這い出てくる。
五本の指が蜘蛛の脚みたいに動いてて、独立した生物みたい。
これはまあ、なかなか……うん、なかなかね……。
それがクマちゃんに突進し、腹を引き裂いて綿を飛び散らせてるの、
絶対にオトには見せられないなあ。
ワイルズは涙目ね。
「ゴメンね、これ以外に方法はなかったの」
「身代わりを用意したのはいい判断です。この術式は目的を
達成するまで止まらない、強固なサブルーチンが組み込まれています」
「タキシム・コード?」
「……それは知ってるんですね」
「悔しいけど、この術式を作った人は天才だよ。デザインもセンスも
際立ってる。歪んじゃってるけどね」
「伝播したあとの起動の魔力をどうするのか、気になります」
「まあね、でも試すわけにはいかないでしょ。…………おい、
なんで私を見る? ワイルズも見たらダメ。舌打ちすんな。
魔術のことになるとほんとに見境なくなるよね」
手首は完全にクマちゃんの中に入り込んで、ぬいぐるみが勝手に
飛び跳ねてたけど、それもおとなしくなった。
「終わった……のか?」
「こらこら、テディに触らない。ひとまずは終わりだよ。
お店を開いてもいいけど、まだ二階には上がらないようにね」
「わぁってるよ、あとのことは任せる。綺麗に掃除しといてくれ。
あ~~あ、つうかこれ俺は損してるだけじゃねえか?」
ワイルズはぶつぶつと文句言いながら降りてった。
口ではああ言ってるけど、だいぶ安心したみたい。
出産間近の妊婦さんがいるんだもんね。巻き込んでゴメン。
「で、そっちの籠はなに? さっきからガタガタうるさいんだけど」
「私が作った鳥籠です。オルデン卿の屋敷で拾った黒い手ですよ。
これが動き出して、その方向に歩いていたらここまで来たんです。
どうやらようやく持ち主に会えたようですね」
ノエルが鳥籠を両手のない男に近づけると、
さっきのクマちゃんのように激しく揺れ動いた。
「や、やめてくれ。それを近づけるな」
「大丈夫ですよ。この程度の魔術では私の鳥籠からは出られません」
顔は微笑んでるけど、目は冷酷に男の両手首の断面を見ている。
血やサンプルを採取したがってるな、たぶん。
「なるほど、血に混じった魔力が思ったより濃いですね。
血管以外にも浸透してる。そのままだと傷口から徐々に壊死が──」
後ろからノエルの首を腕で締め上げながら男から引き離す。
ときどきオトより手がかかるな。
「なんです? 事実は正しく伝えないと意味がないでしょう」
「だとしても伝え方ってのがあるの。いいからここは私に任せて」
「どうなるんだ? 俺の腕」
半分諦め、あとの半分は怒り。
男は睨みつけるように私を見てる。ノエルは眼中になし。
助けたのなら最後まで責任を持てと言わんばかりね。
「広がった壊死が臓器を破壊して死に至るわ。そうならないためには
腕の大部分の切除が必要よ」
「あんたができるのか?」
「できる人なら知ってる。でもその人は妖精騎士団の専属治癒士。
当然、あなたの知ってることを全て話さないと治療はしてくれない」
苦痛に歪んでいてよくわらかなかったけど、この人笑った?
放置しても死、情報を喋っても死だ。笑うしかないか……。
「オルデン卿だ」
まるで誰でも知ってることみたいに言うから、私とノエルは
顔を見合わせてしまった。
「彼がラーコンに依頼したんだ。俺たちはラーコンの指示で
ブラックハンズのふりをするだけだった、それだけのはずだったんだ」
私は彼の肩にそっと手を置く。
ひどく冷たい自分の汗に、凍えたように震えていた。
「いいの? 喋ったことが知られたら……」
「いい。あんたは俺が何も言わなくても助けてくれた。
あんたになら全て話す。その先はあんたが好きにすればいい」
私がノエルに向かってうなずくと、彼女は妖精騎士団の
人員を手配するために出て行った。
私は彼の肩に手を置いたまま、急かさず、口を挟まず、
彼のペースで話を聞いていた。
声に、後悔を押し殺す怒りが募っていくのを。
私はリスクを冒して信頼を得た。
でもそれだけじゃない。
これは静かな、反撃なんだ。
読んでいただき、ありがとうございます。
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