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第七十二話 贈り物

 ヌウマンさんが落ち着くまでに、スパイスと砂糖たっぷりの

 紅茶が三杯必要だった。


 手を擦って温めて、汗を拭ってあげた。


 それでようやくオトが完成させたゲルニカもどきに

 くすっと笑う余裕が戻ってきて、私に謝った。


「すまなかった。誰にも話したことなかったものでね、自分が

こんなになってしまうなんて知らなかったんだ」


「げんきでたか? こうちゃもっとのめ、オトものむから」


「あんたは飲まなくていいの。お腹ちゃぽちゃぽでしょ」


「もう! クルスはすぐにそういうこという。

おとしよりはもっといたぶって!」


「いたわるんだよ、いたぶってどうする。殺す気か。

それにそんなに年寄りでもないわ。失礼だな、君は」


「ははは、君らを見てるのが一番、元気が出るよ、もう大丈夫」


 ヌウマンさんのアドバイスでオトの描いた絵に物語を書き込んでいく。

 もう完全に別物だけど、ヌウマンさんにはそのほうがいいんだろう。


 過去の記憶を書き換えてしまうほうが。


「あれ以来、誰もここには寄り付かない、住みつかない。

おかげで静かなものだ。君たちが来なければ、あの地下のことは

誰にも知られず、忘れ去られていただろう」


「それなんですが、あの地下への入り口は工房だけ?」


「私の知る限りは。だが、向こう岸が見える場所は他にもあるだろう。

そういった意味では他にも入り口はあると言える」


「協会には?」


「一度、調査に来たきりだ。見ての通り、普段はただの地下室。何もない。

住民の失踪との関連はないと結論された。私の見たものは幻覚で、

たぶん記録にも残されていない」


 確かに、私も自分の体験がなかったらヌウマンさんの話を

 信じられなかったかもしれない。


 でも、記録にも残さないってヘンだな。


 言っちゃなんだけど魔術師って記録魔。

 虫の鳴き声にも宇宙の意思を感じ取ろうとするおバカさんたち。


 ただの妄想だとしても、ヌウマンさんの話は記録するに値する。


 知恵の円環派……グラヴィス家が手を回したかも。

 だとすればあの地下は隠されておくべきものってこと。


 協会への報告は保留。ヘタしたら私の身が危うい。


「おじいさんはいなくなった。工房の名前はあなたのお父さんが継いだ。

あなたは錬金術師ではない。それなのに錬金工房の許可はそのまま?

どう考えても不自然ですね」


「そうだね」


「そしてあなたのこの暮らしぶり。どうやって生計を立ててるか、

訊かないほうがいい?」


「遠慮はいらない、思ったことを言えばいい」


「錬金工房の名義貸し。協会が口出してこないんだもの、

後ろ暗い人たちに重宝されるでしょ?」


「私がここにいて、錬金工房を手放さないかぎりはね」


「口止め料」


「そんなつもりはない」


「あなたがどんなつもりでも構わない。一つだけ教えてほしい、

オルデン卿との取引はある?」


「客を売れと?」


「あなたが口止めされてるのはあの地下についてでしょ?

他はどうなろうと関係ない。もちろん私とも関係ない」


 ヌウマンさんはオトの描いたまっくろ神父をじっと見つめてる。


 まっくろ神父はみんなと手をつなぐ。

 まっくろ神父と手をつなぐと嫌なことはみんな忘れる。


 まっくろ神父はみんなを笑顔にする。


 でも、まっくろ神父は嫌なことを何一つ忘れられない。


 それをかわいそうに思ったのか、我らがオト神はこう書き加えた。


 まっくろ神父は人に嫌なことを忘れさせると自分も忘れる。

 だってアホだから。


「……その人は何をしたんだい?」


「まだはっきりとはわからない。でも、もしかしたらあなたが

今見てるその絵を、目にすることはなかったかもしれない」


「なるほど……どうやらわるクルスはただの演技ではなさそうだ。

ああ、よく描けてる。私はオトが描いてくれたまっくろ神父のほうが

好きだよ。ありがとう」


「うん! おじさんもまっくろしんぷとおともだちになるといいよ。

ヤなことみんな、わすれさせてくれるんだ」


「ああ、そうしよう」


 ヌウマンさんは本を綴じる糸と針を探すのを手伝ってほしいと頼んだ。


 道具箱をひっくり返してると、彼は隣でひとり言みたいに呟く。


「私は自分で取引はしない。名義を貸すだけだ。

織工組合の人間だった。それ以上は言えない」


「わかった、それで十分だよ。あとはこっちでやるから」


 やるのはオーロラだけどね。


 ヌウマンさんはうなずいて、オトの絵を綴じる作業に取り掛かる。

 初めて見る作業にオトは興味津々。


 もう必要なことは聞けたんだけど、終わるまで待ってもいいかな。


 ヌウマンさんはとても器用で、千枚通しで紙に穴をあけ、タコ糸で

 綺麗にまとめていく。


 何の才能もないなんてとんでもない。

 きっといろんなことを可能にする手だ。


 幼いころから才能のある人ばかり見てきて、自分が努力で習得する

 技術が拙いものに感じてしまう。


 そして自分の可能性に気づけないまま、恐怖に囚われた……。


「どしたのオト~~? やっぱりこっちのがほしくなっちゃった?」


「う……。そ、そんなことはない。これはおじさんのためにかいた。

おじさんこそがこのけっさくにふさわしい」


「巨匠かよ……」


「そうだ、これはおじさんの一生の宝物だ。大事にするよ。

オトはこれのやり方を覚えるといい。自分で本を作れるように」


「やる! おぼえる!」


 私とヌウマンさんの手助けを受けながら、オトが最後の仕上げをした。


 ヌウマンさんがやった部分との差がひどいけど、ヌウマンさんは嬉しそうで、

 革の表紙を付けるつもりだと言った。


 それから何か言いかけ、寂しげな微笑みの奥にしまいこんだ。


 帰り際、私はヌウマンさんに質問した。


「どうして口止めされてるのに、地下のことを話してくれたんですか?」


「だって君は戻ってきたじゃないか。あの風景を見て私のように

逃げるでもなく、まるで散歩でもしてたみたいにね」


「そこまで気楽ではなかったですよ?」


「私にはそう見えたんだ。恐怖を感じていなかった。そんな君と一緒に

あのときの記憶を振り返れば、もしかしたらと思ったんだよ。

悲鳴も匂いも消えるか、せめて小さくできるんじゃないかとね」


「どうでした?」


 ヌウマンさんは首を振ってオトの描いた絵本を見る。


「どうやらあれが、私には一番のお守りのようだ」


「それ、わかる。私にも、あの子が一番のお守りだから」


 私たちは笑い合って、住む人のいない家々の間を走り回ってる

 オトを眺めてた。


 一人なのに子供がいっぱいいるみたいにうるさい。


 かつては本当にあったかもしれない音で、その音が失われなければ、

 ヌウマンさんもその一言をためらう必要はなかった。


「オト~~、そろそろ帰るよ。ヌウマンさんに挨拶しな」


「はい! おじさん、おちゃとかおかしとかごちそーさまでした。

オトのかいたえほんのことはきにしなくていーからね。あげるから」


「なんか微妙に上からだな……。あの、すみません」


「構わないよ。私も多くのものをもらった。この工房を離れないで、

初めてよかったと思えた日だった」


「そう? なら私からも贈り物を一つ」


 私はオトと手をつなぎ、ヌウマンさんに別れを言う。

 不思議そうに首をかしげる彼を残して、私たちは静かな住宅地を去る。


「ね、オト、ヌウマンさんね、オトの描いた絵本を立派な本にしてくれるって」


「おーー、それはいいかんがえだ。くーぜんぜつごのほんだ」


「どんだけ自己評価高いんだよ、それよく知ってたな。えらすぎ!

でさ、できあがったらまた見にこようか?」


「みにきちゃうか! クルスもすきだなー、つきあってあげる」


 そしてオトはヌウマンさんに手を振りながら、私の期待通りにしてくれる。


 あの地下を通って、向こう岸に去ってしまった人たちにも

 届くんじゃないかって大声で言ってくれる。


「おじさーん、またねーー」


 まっくろ神父には悪いけど、私は嫌なことを忘れるのって好きじゃない。


 いい思い出も一緒に消え去ってしまいそうで。

読んでいただき、ありがとうございます。

まだまだ手探りで執筆中です。

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