第七十一話 ちょっと怖いお話です
おじさんの家は工房近くの箱を並べたような集合住宅。
の隅っこの一室。
外観はそうとうさびれてるからね、人が住んでるとは思わない。
半分植物に呑まれそうな団地って言うとわかりすい?
だけども、おじさんの部屋は小奇麗。
調度品も最近流入してきたガンエデン風のもので揃えてる。
意外とお金持ち?
丸くて大きなクッションにオトがすっぽりとはまってるの、
そのまま持って帰りたい。
そしてさっそく出てくる二段式のポット。
まあほぼほぼチャイダンルックと小さなグラス。
出たーーー‼ ユシフの中東ばりのお茶文化。
紅茶に……砂糖が……入る! 入る! 入る!
ストップって言ってもやめない。
この世代の人は砂糖をケチるとお客に失礼だって思ってる。
最近は健康を考えて無糖で飲む人もいるんですよ?
あと太る。
「そ、そんなに気をつかわないでください~~」
「いやいや、嬉しいんだよ。お客をもてなすなんて久しぶりで、
遠慮せず、さ、坊やも」
「オトです。いただきます」
ああ、あんなに甘いのをグイグイいっちゃって。
だからって後でおやつはいらない、とはならないし。
うう、心配だわ。
「私はクルスです」
「わるクルス?」
「それは勘弁してください」
「すまんすまん。私はヌウマンだ。それで、改めて聞こうか。
クルスさんは何をしに工房に?」
「魔術協会から派遣されて、ユシフの錬金工房の実態調査に」
「なるほど、調査ね……」
ぜんぜん信じてないね。
ドア蹴り破って、勝手に家探しして、秘密の地下まで入り込んで
実態調査とか言われてもねえ。
笑わないだけまだ優しい。
「知恵の円環はグラヴィス家が創設した知恵の円環派に所属していた
魔術師にしか使用は許されていませんよね」
「祖父が一時期所属していた。だが、破門されてしまった」
「破門?
あの知恵の円環派から破門されるなんて、禁忌にでも触れた?」
「祖父が言うには、知恵の円環派の重大な秘密に気づいたらしい。
知恵の円環派は間違った道を歩んでいると」
「そもそもが、グラヴィス家が協会にも知識を隠匿するために
創設したって言われる円環派でしょ? 最初から間違ってる」
「詳しくは知らんよ。祖父は何も言わずに消えてしまったから」
「グラヴィス家の手で?」
「たぶん違う。話してもいいが……」
ヌウマンさんがオトをちらっと見る。
退屈そうだわぁ。
散歩に連れてってほしいアレポみたいにそわそわしてる。
どうしよう、もうちょっと話を聞きたいんだけど……
一人で遊んでおいでとは言えない。
この間の誘拐もあるし、一人にはしたくない。
かといってこのまま放っておくと何をしでかすやら。
仕方ない、日を改めるか。
「オトはその絵本が気に入ったかい?」
ヌウマンさんがライティングデスクを開けながら訊ねる。
オトはライティングデスクの蓋が開くのを見て興味津々。
ぽかんと口を開けてうなずいてる。
「そうかい。おじさんもまっくろ神父が大好きでね。本は君に
あげるけど、よければ君にまっくろ神父を写してほしいんだ。
写本だよ、できるかな?」
「できる! やる!」
「ああ、またそんな高価なものを……」
紙と鉛筆。
鉛筆は棒状の黒鉛に糸を巻いた原始的なもの。
紙はややむらがあるけど、白くてすべすべしてる。
お高いです。
「デッサンでも始めようかと買ったんだがね、結局、一枚だって
描きはしなかったよ」
はい、いい笑顔。
でも言ってることは中年の危機。
「すみません、気をつかわせてしまって」
ヌウマンさんはまっくろ神父を写すのに夢中になってるオトを
孫でも見るみたいに眺めてる。
なんだろうね?
そんなに優しい目なのに、寂しさしか感じないって……。
まあ、何かに夢中になってるオトを夢中になって見つめることなら、
私のほうが上だけどね。
「父とは折り合いが悪かった。祖父は好きだったよ。私に錬金術の
才能がないと知っても、別の才能があるからだと言ってくれた」
「素敵なおじいさんね」
「だろう? だから必死になって自分の才能を探したよ。
……何もなかった。祖父を裏切ってしまったような気がして
ずっと連絡も取っていなかった。互いの消息も知らなかったから、
突然、祖父から手紙が届いたときには戸惑ったものさ」
「そのときにはもう、おじいさんはユシフに?」
「ああ、あの錬金工房を構えていた。こう言っちゃなんだが、才能は
父よりはるかに上だった。独創的で奇妙なものもよく作ったがね」
それで嬉しそうな顔してるのね。
オトが描いたまっくろ神父、なんかもとの絵よりぐにゃぐにゃしてる。
踊ってるのを表現しようとしたのか……。
しかも下書きなしの一発勝負。
その胆力、ステキ♡
でも、お主に賭け事はやらすまいぞ。
「手紙には工房を継がせたいから来てほしいとあった。当時の私は
貧しくてね、人を雇って工房を運営すれば儲かると短絡的に考えた。
祖父もきっとそのつもりだと勝手に思い込んで」
「実際はどうだったの?」
「さあ。祖父とは話せなかった」
「呼ばれたのに?」
「正確に言えば、あれはもう祖父ではなかった、となるかな。
祖父も含め、近隣の人たちも快く迎えてくれたよ。大歓迎さ。
異常なくらいにね。でも私は彼らがどうにも不気味に感じたんだ。
顔がね……みんな同じなんだよ。こう……なんというか、指で押さえた
みたいな笑顔だ。みんな同じ。何をしてても、何を話しててもその顔」
あーー、これ怖い話だ。
別に楽しい話を期待してたわけじゃないけど。
オトは……よし、写本、というかもはや創作に没頭してる。
そのゲルニカっぽい何かを描き上げてくれい。
「夜中に目を覚ましてね、ちょうどこの部屋だ。歌みたいなものが
聞こえて外に出た。そうしたら、異様な静けさなんだ。夜だからじゃない。
無人。廃墟の静けさ。工房に明かりが見えて、行ってみるとあの隠し扉が
開いていた。祖父が私を待っていたよ。笑顔でね」
「あの、その笑顔、やめてもらえます?」
「すまない。あの日以来、笑うとこうなる。祖父に手を引かれると、
不思議と子供に戻ったみたいで、素直についていった。当時、あの地下には
水が張っていたんだよ。水源もないのに。そこで近隣住民たちが裸になり、
その水で身体を洗っていた。水はひどく臭かった。腐った肉を糞尿で煮詰めた、
そう表現するしかない匂いだ」
想像しちゃった☆
喉元まで戻ってきた紅茶がぜんぜん甘くない。
オトだ、オトを見て脳内を清めるんだ。
「君も見たんだろう?」
「え、オトはいつも見てるけど……」
「違う。向こう岸だよ。色とりどりに光るキノコやコケ。音楽、踊る影」
「……ゴンドラ」
「それだ。みんな喜んでゴンドラに乗ったよ。奇声をあげ、歓喜で涙した。
祖父は私にも身体を洗えと言った。そんななりで船に乗るのか、とね。
とたんに恥ずかしくなって服を脱いだ。水を被り、ゴンドラを待った。
けど、そのときゴンドラに乗ろうとした一人が悲鳴をあげた」
「……かわいそうに。ときどきいるんだ、異界との相性が悪くて本当の
形が見えてしまう人が」
「外形呪詛だった。よく覚えてる。身体に羽毛がまばらに生えてた。
悲鳴をあげたその口に何かが入り込み、腹が異様に膨らんだかと思うと、
排せつするみたいに下半身が吹き飛んだ」
「詳細は省いていただいて結構ですよ? 子供もいるので」
「少しでも知ってほしくてね、そのときの私の恐怖を。
祖父の手を振り払った拍子に手が祖父の顔に当たったんだ。
……外れたよ。仮面みたいにポロっとね。顔が全部だ」
仮面。
別人になりきれる仮面……か。
オトをさらった男が付けていたものと同一だろうか?
何年前の話か聞こうとして、ヌウマンさんが震えているのに気づいた。
オトに気づかれないように小さく、でも抑えることもできない。
手を差し伸べるとすがるように握った。
「何もなかったんだ。仮面の下には何もなかった。ただ、黒いんだ。
空虚で、どんな光も届かない。でも感じた。その黒の中から、
数えきれない、無数の視線……」
ヌウマンさんは瞬きをしていない。
記憶を辿ったせいで、認識できないほどの一瞬の暗闇さえも恐れている。
きっと今でも視線を感じているんだ。
話の続きは聞かなくてもわかる。
悲鳴、あるいは絶叫だろうか。
自分の内側に響く自分の声に、恐怖をさらに増大させ──
彼は逃げた。
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