第六十九話 地下室にて
だーれもおらん。
メモにあった錬金工房。アンセル統治時代からある古い工房で、
住所は旧市街。
もとは白かった壁も色がくすんで茶色っぽく、協会の認可を
受けたことを証明するプレートも錆びてる。
認可制はいいんだけど、問題は生涯免許ってことよね。
治癒士には更新があるのになんで錬金術師にはないんだ?
周囲の家のさびれっぷりも似たようなもので、人の気配はないし、
空気も妙にしんっとしてオトが大声出したら響く響く。
「こんにーちーわー! ねー、オトだけど、あけとくれ」
「え、なに? あんた知り合いなの?」
「いやしらんが?」
「どっから出てくるその自信。しかし、オトが呼んでも返事がない……
これは不在か、かわいいものに触れると死ぬ病だな」
「かわいそーに」
「まったくだ。オトが来てくれたのに出てこないなんて、
何のために生きてるのかわかんないよ、ねー?」
二人同時にくしゃみ。
外なのにかび臭いというか、狭い地下室にずっと閉じ込められてた
空気の匂いがするんだよね。
気味が悪いなあ。
日当たりは決して悪くないのに他より気温が低く感じる。
「仕方ない、工房の名前は他にもあるし、そっちを先に…………
って、何する気だ、おおおぉぉい!」
助走をつけたオトが雄たけびを上げてドアにジャンプキック。
そ、そのフォルム、怪鳥音、竜のごとき眼光。
マリに無理やり連れていかれたカンフー映画の一幕そのもの。
白銀の髪をなびかせたオトのほうがキレイだよ……じゃなくて!
「え、ウソ? 蹴り破ったの、破れちゃったの? すごいなオトドラゴン。
そんな技どこで覚えた? こっちの世界にあんなけったいな人いる?」
なんでじっと私を見る?
え、私? そんなの教えた覚えはな……
お酒か~~。酔っぱらった私、何を教えてんだよ~~。
「ああ、蝶番も錆びてボロボロだわ。これはもう何年も人の出入りはないね。
でもダメだよ、オト。人の家のドア、壊したらダメ!」
「クルス、わるいやつさがしてる。わるいやつにはこうする。
クルスもそうしてた」
むむ、やっぱり子供の前で暴力はよくないな。
子供がそれを手段だって勘違いしちゃう。
ここはいい機会だから、厳しく指導しなきゃ。
「あのね、オト。確かにそういうときもあるかもだけど、ここが
そうだとはまだわからないよね? あのときはオトがさらわれそうで、
間違いなく悪い人だったからやっつけたの」
「うん、だから」
「だからってどういうこと……?」
「ここ、おんなじにおいする。あのクルスのにせものと」
一気に警戒値が跳ね上がる。
オトを後ろにかばいながら屋内の様子をうかがう。
ドアがこれだけ派手に壊れたのに誰かが出てくる気配はなし。
入口から入る光の届く範囲は埃がうっすらと積もり、動くものは
虫一匹見当たらない。
ただ、空気がさらに冷たい。
「オト、そこにいてね、ちょっと窓を開けてくるから」
窓を閉め切っていた木戸を外し、屋内が明るくなると全部が灰色の、
触れれば塵になってしまいそうな廃墟ぶり。
錬金道具も少しは残されているけど、高圧窯とか蒸留器とかの
高価な器具は持ち去られてるね。
「一応、工房としての実態はあったっぽい……かな?」
「ねえ、はいってもいい?」
「いいよー。でも埃っぽいから、ほらこれ」
三角巾で鼻と口を覆う。あと手袋も。
子供は視点が低いからねー。
低いところに尖ったものとかないか、気を付けないと。
「ここにー、オトとークルスとーアレポ、をかく」
さっそく埃を指でなぞってお絵描きに夢中。
比較的安全な遊びをチョイスしてくれて助かる。
屋内はドアと同じ、もう何年も誰かが触れた形跡はない。
危険はないけど、これといった情報もなしかな。
残っている器具から察するに腕前は三級ってとこかしら。
自分でオリジナルの道具を作り出せるくらいの錬金術師ってこと。
それ以下だと安全を確認されたレシピを取り扱うことしか
できないし、許されない。
「やっぱり魔術師として書棚は外せないよね~。お、何これ絵本?
『まっくろ神父のにゃるにゃるはいはい』
なにやってんだ、この神父?」
「かして、えほんはオトがしらべてあげる」
「え~~、お絵描き終了? 私、髪の毛ないじゃん、描いてよ。
ちょっと待ってね、今ヘンなとこがないか調べるから」
「オトがしらべるの!」
「わかったから待ちなさいって。うふっ、まっくろ神父、かわいい」
「ネタばれ! はんざい!」
「厳しいなあ……。うん、ただの絵本だね。ヘンだけど。
ではご査収お願いします」
「さしゅう? はまかされた」
ペタンと床に座ってページをめくり始めた。
子供ってどこでもテーブル、どこでも椅子だからなあ。
「さて……と、他には……錬金関連の書籍。普通のやつだね。
あとはタイトルも著者もないのは……写本? お手製?
あ、これはタイトルが……掠れてる」
『────人の儀式』
内容は古い文字と現代の文字が並列表記。翻訳途中だったのかな?
古い文字はユース地方の古代語? ちょっと読めない。
「ワニ、ヘビ、これはライオン? 動物図鑑……じゃないか。
儀式って書いてあるもんね……」
「まっくろしんぷ、けっこーアホ」
「アホ言うな、神父さんはいろいろ考えてるの」
「うたってー、おどってー、かみさまのあたまたたいてる」
「そいつはアホだ」
「にゃるにゃるはいはい、まっくろおめめ、おしりもまっくろ
まっくろしんぷ♪ おてをはいしゃく」
「はあ、どうぞ」
手を繋いで踊りだした。絵本の中にそういうシーンがある。
なるほど、にゃるにゃるはいはいに意味なんかないのか。
童謡みたいなものだね。
オトが勝手に作ったリズムで歌って、二人の足が勝手に動いて。
「うたうしたもまっくろけ、つないだおててもまっくろけ♪
いっしょにおどってまっくろけ、みんななかよくまっくろけ♪」
お、オトがボックス踏んでる。いつの間に。
オトってリズム感いいんだよね。動きも見ただけでマネできるし。
ポリリズムっていうのかな?
音楽の中から別の音楽が湧いてきて、動作が音と音で繋がっていくの。
それは未知の言語のようにもなって、やがて私とオトの対話が
なんと『にゃるにゃるはいはい』に近づいていって……
……開いた。
書棚がスライドして隠し通路が出てきた。
「クルス、みて! ひみつきち! かっこいい」
「こら、飛び込もうとするな。悪い人のアジトだったらどうするの?」
「アジトか……。わるいやつがいるのがアジト」
「そういうわけでもないけど、今はそれでいいや」
とはいえ、スライドした書棚と壁の間に積もった埃、
今にも書棚ごと外れちゃいそうな軋み。
無稼働実績がすごいことになってる。
ご丁寧に地下に下りる階段の手前にはランプがかけてあって、
保存状態がよかったのか、ちゃんと火がついた。
「冷たい空気はここからか。だいぶ広い空間があるね」
「はやく! はやくいこ!」
「誰もいなさそうだし……オト、臭い匂いしない?」
「ここからはしないよ? かびくさいけど」
「異界の気配もなし。少なくともここがブラックハンズの拠点
……てことはなそうね」
ゆっくり降りて行くと途中の壁に
『水に入るな』
の殴り書き。
「地下水路でもあるのかな? オト、足元に気を付けて。
暗い中で水に落ちたら見つけられないよ」
「ねークルス、なんかきこえない?」
耳を澄ませてみるけど自分たちの息遣い以外は何も聞こえない。
階段は短く、すぐに一番下まで下りきったが、驚いたのは
地下の空間の広さ。
ランプの光程度じゃ向かいの壁まで届かない。
音もどこまでも吸い込まれていって反響しなかった。
何もない。
もちろん水なんて、小さな水たまりさえ見当たらない。
「どう見ても、ここら一帯の家の地下、全部繋がってるね。
となると他にも出入り口があるのかも。オト、一時撤退」
返事がない。
オトがいない。すぐ後ろにあった階段もない。
そして明るい。
地下室の空間の向こう側に、紫や赤に光るコケやキノコが群生し、
まるで遠くの夜景のように輝いていた。
聞こえてくるフルートや太鼓の音。
囁き声から、雷のような大音量まで行ったり来たりする歌。
いつの間にか膝まで水に浸っていた。
水だけはどんな光も受け入れず、暗渠を流れる水のように
暗くて冷たい、底知れない深淵から打ち寄せてきた。
明らかに異常。幻覚としか思えない。
それはわかっているのに、この状況を何も不自然に感じずに、
私は幸せで頭いっぱいにして笑っている。
読んでいただき、ありがとうございます。
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