第五十五話 狂王ネフレン=カ
名前を言っただけで喉がヒリヒリして、
ノエルが差し出してくれた水筒から水をがぶ飲み。
水の飲み方ヘンですか?
なんでそんな目で凝視するかな、この子は。
狂王ネフレン=カについての文献は全て禁書であり、
読むには申請が必要になる。
それはいつ、誰が読んだかの記録も残ることになる。
で、もちろん私の記録なんかない。
知ってるはずがないのです。
知ってていいはずがないのです。
この小柄な好奇心の怪物は今にも私の頭に
手を突っ込んできそうなくらい目をキラッキラさせてる。
「狂王のこと、どこまで知ってます?」
「あ~~、名前を知ってるくらいかな。ねえちょっと、
鼻息荒いんだけど……」
「私、興味があって申請しまくったんですけど、許可が下りたのは
二冊だけだったんです。
また聞きのまた聞きみたいなしょうもないやつ」
「許可が下りるだけでもすごいよ、私は名前しか──」
「彼の信仰したブバスティスとは何です?
なぜ彼は『猫頭の魔人』と呼ばれていたんですか?」
「聞こえてないね。お話してくれるまで寝ないモードのオトだ。
お話終わったらちゃんと寝る?」
「はい!」
「あのね、ブバスティスは都市の名前で、そこで信仰されていたのが
バステト神。獅子の頭を持つ女神よ。豊穣、技芸の女神。
でも狂王によってこの神は人肉を食らう邪神へと堕とされた。
そのとき、狂王は女神を猫頭としたとされてるわ」
「邪神に……堕とした? そんなことが一人の王に可能なのですか?」
「権力者によって信仰の形態が変化することはある」
「豊穣の神から人食いの邪神ですよ? 変わりすぎです。
ブバスティスの人々の信仰が失われてしまいます」
「狂王が実際に何をしたかまではわからない。ただ、バステト神には
もともと苛烈な一面もあったの。
太陽神の右目から生まれ、敵を滅ぼす力の行使者として……」
うん? 今なにか引っかかった。
頭の隅でピンってなった。
なんだろう? 目……あの目、どっちだった?
私はぼんやりと床の黒い手を見てる。
「夜鬼……目を持つ……夜鬼……」
「クルス、どうかしました?」
「いえ、どうしてこんな証拠を残していったのかなって」
「残さざるをえなかったのでは? 昨夜、オーロラが夜鬼の
腕を切り落としたとか。使役者が自身の身体を触媒にしていたなら、
同じ場所で同程度の損傷が必要になります」
「同じダメージを負う感じ?」
「いえ、損傷を重ねないと支配力を失うのでしょう」
「え? それってつまり……」
「自分で切り落としたと考えられます」
ひいいぃぃぃぃ、ぞわっとした。
異界が絡むとどうしてこう、血なまぐさくなるのかな。
「あ! ということは、今その使役者は──」
「当然、左手がない」
「すぐに街中の治癒士を当たるべきね」
「通常の開業治癒士を利用するとも思えませんが、
薬品や器具の流通から手がかりが得られるかもです」
「じゃあ、そっちは僕に任せてもらおうかな」
「あ、オーロラ起きたんだ」
「勝手に入ってこないでください。勝手に聞かないでください。
封鎖されてるの、わかりませんでした?」
「見張りもいないんじゃね。どうやら君の手伝いをしてくれる
魔術師はいないみたいだ。僕の力を素直に借りたまえ」
「オーロラ、今日は男の子なんだね」
「ああこれ? 執事のを借りた。着てみたかったんだ。
たまにはこういうのもいいだろう?」
「うん。佳人の男装にしか見えないけどね」
「そういうふうに見たほうがまともに見えるんですよね、不思議。
妖精騎士団を使うんですか?」
「当然」
「では調査の目的は伝えないほうがいいですね。
後々、妖精騎士団が関わっていると問題になるかもしれません」
「左手の治療をした人間を探す。そのために必要な器具や
薬品の動きを辿る。それだけだね」
「クルスはサリアの知り合いなんですよね?
彼女に会って話を聞いてきてもらえませんか?」
「あ、私も手伝う流れ?」
「いまさら? 自分から首を突っ込んだくせに。
もしこれが本当にブラックハンズの計画だとすれば、あなたの
知識が必要になります」
「そんなに詳しくはないんだけどな……。
でも、たぶんサリア自身にも狙われた理由なんてわからないよ?
呑気に一人でワイルズまで来てたくらいだし」
「どうしたんです?
糖分は取ったんですから頭働かせてくださいよ」
「ちょくちょくイラっとくるなあ、この子」
「同感だ。言い方が鼻につくというかね……」
「それあんたが言う?」
「お黙りなさい、ポンコツども。『生き永らえしもの』ですよ。
オルデン卿が隠し持っていたなら、それを奪いに来たのかも。
協会に魔術師の派遣を要請したのも、狙われる理由に心当たりが
あったからだとすればどうです?」
「愛する娘が狙われて動揺しただけかも」
「どっちにしろ仮定に仮定を重ねてる。飛躍しすぎだよ。
でもまあ、狙われた理由がサリア自身にないのなら、その理由は
オルデン卿にあるっていうのは同感かな」
「そうでしょう。少なくとも誰かが夜会を利用して、
屋敷内に夜鬼を侵入させたのは事実です」
「やれやれ、夜会に紛れ込んで舞踏会を謀略の場に変えるとは、
無粋な輩もいたものだね」
「私を夜会に紛れ込ませて謀略の場に変えたのは誰?」
「僕のはちょっとした駆け引き、ゲームだよ。
なかなか面白くなってきた。この事件がどう転ぶかで、
ヒュッケ君の後ろ盾を誰にするか、考えなくてはね」
「下手したら椅子取りゲームどころじゃなくなるわよ?
ブラックハンズが存続してるなんてティタニア様の耳に入ったら、
ユースフ・ユシフで虐殺が起こりかねない」
「ではそうなる前に片をつけよう。僕は治癒士の調査、
クルスはサリアへの聞き込み。えっと……ノエルは?」
ノエルは深いため息をついて黒い手を指さす。
「これを包んで持って帰ります。長老どもの鼻先に叩きつけて
やれば、少しは事態の深刻さを理解するでしょう」
「あ~~、気を付けてね。あと悪いんだけど二、三日は
オトに近づかないでね?」
「……愛情って残酷なものでもあるんですね」
「見方を変えれば差別だからね」
唐突に空気が悪くなったからお先に失礼。
にしてもあの二人、ホントに仲がいいんだか悪いんだか
よくわからないところがある。
幼馴染みたいなノリって言えばそうなんだろうけど。
サリアの部屋にはきちんと見張りが立ってた。
魔術師でなく、オルデン卿の使用人。
これは警護というより軟禁かなあ。
ノエルのローブを着てたから、一級魔術師だと思われたみたい。
何も聞かずに部屋に入れてくれた。
こ、これが高位魔術師の特権!
気持ちいい。
経歴詐称する人の気持ちがほんのちょっぴりわかる。
「うわっ、なにこれ真っ暗。サリアいる? カーテン開けるよ?」
「あ……けないで……」
「はい、いるね。開けまーす」
差し込む光から逃げるみたいに何かが部屋の隅に走ってく。
「ふぎゃっ」
被ってるシーツの端を踏んづけて転んでる。
ちょうどいいから、そのままシーツでくるんで捕獲っと。
「やや、やめて……光浴びたら……ししぬ」
「吸血鬼じゃあるまいし、光浴びなきゃ死ぬんだよ。
ほら、顔洗って朝ごはん食べて。
これをみんな用意してもらえる幸せを噛みしめな」
シーツを引っぺがしたら暴れるかと思ったけど、
さめざめと泣き始めた。
ペタッと床に座り込んで、子供みたいに手で目を擦って。
いや……みたい、じゃなくて彼女はまだ子供なんだ。
親の愛を得られなくて、それでも愛を求めるしかない子供が、
彼女の中にずっといるんだ。
「あ~あ、髪くしゃくしゃじゃない。サリアの髪は絡みやすいんだから
気を付けないと。服も着替えて、それ昨日のままでしょ。
ケガはなかった? ちゃんと診てもらった?」
ブラシと手櫛で絡まった髪をほぐしてると、オトとは違う髪の
感触が楽しかった。
サリアの身体の強張りも、ゆっくりとほぐれてく。
サリアはためらいながら、何度も何度も腕を上げたり下げたり
してから、這い寄るみたいに私の腰に抱きついた。
彼女の内側に抑え込まれたものが、
肌の触れた部分から沁み込んでくるみたいだったよ。
「クルスさぁん、ししあわせってなんですかぁ」
「ん~~、サリアは幸せじゃないの?」
「じゃないと思います。だだだって私、周りに迷惑かけて、
そこにいるだけで不快な気分にさせて、
う、生まれてこないほうがよかったんです……」
「私は不快じゃないよ?」
「それは、く、クルスさんだからです」
「全然迷惑じゃないし、サリアが生まれてくれて嬉しいよ?」
「うう、嘘です、クルスさんはオトだけしか大事じゃない」
「噓じゃない」
私はサリアの頭を抱きしめる。
すっごい熱い。
「私はこうしてると幸せだもの」
私のお腹が熱くなったのは、サリアが食いしばった
歯の隙間から息を吐き出したせい。
内側に閉じ込めておくしかなかったものを。
「クルスさん」
「なぁに?」
「クルスさん、クルスさん、クルスさぁん」
お母さんって言えればよかったんだろうね。
でも言えなかったんだ。
彼女は愛されてないから。
自分の家にいて、家族がそばにいて、
それなのに声を上げて泣くことさえ、できなかったんだから。
読んでいただき、ありがとうございます。
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