第62話 一年生 冬
<雲切>の舳先で、結愛がその左手を青く輝かせた瞬間、校庭の中心が陽炎のように揺らめいた。
揺らぎは次第に大きくなり、その中に台形状の影を作る。
やがて蜃気楼が実体を持ったかのように、その場に現れたのは、南米式のピラミッドを思わせる巨大建築物。ただ、その表面は石造りではなく、黒色の素材の表面を、不気味に明滅する幾何学模様が覆っている。
「……出た」
<雲切>の甲板で校庭を見下ろしていた紗江は、それを見て呟く。
「タマ姉、結愛を船室へ。わたしは準備に入るよ」
制服姿の紗江の手には、いつもの鈴鉄扇の他に、咲良から借りた、鳴響処理された小太刀が握られている。
結愛が環に連れられて船室に向かうのを見ながら、紗江は甲板中央に向かう。
「おまっちゃん、合図はよろしく」
インカムに告げれば、
『任せておけ。
――村瀬様、加賀様、こちらは準備オーケーじゃ』
茉莉が短く応えて、地上にいる二人の指揮官に連絡を取る。
紗江は小太刀を口に咥え、正座した脚の上に鈴鉄扇を置いて、静かに目を閉じる。
茉莉から連絡を受けた鈴乃は、<若葉〇式>の鞍上で、校庭の周囲に、虹色にきらめく結界が張られていくのを見た。
可視化されるほどに強固な結界だ。
「遠隔でこれほどの結界を張れるなんて……貴属って本当にすごいのね」
思わず呟くと、甲冑の隣に立つ雨崎和香がクスリと笑うのがわかった。
『――会長、ずいぶん余裕なんですね』
「会長も部長も、今は貴女でしょう?」
『でも、わたしにとって、会長は会長ですから。いまさら加賀様、なんて呼べないですよ』
その言葉に鈴乃は苦笑。
「仕方のない子ね。
――そりゃ、余裕にもなるでしょう? 上女のトップクラスばかりが集まって、しかも防人どころか貴属のバックアップまである。
正直なところ、私は敵に同情するわ」
目の前に居並ぶ撫子達。
鈴乃は防人隊を除く、彼女達の指揮を任されていた。
「穂月の貴属様が言うには、大量の魔物が出てくる可能性があるということだけど」
そうなったならば校庭で合戦。そうでないのなら、防人隊を先陣として内部突入だ。
『――加賀様! 出てくるぞ!』
戦場の目の役割を買って出た茉莉からの声。
まるでその声に応えるかのように、建築物の前面が左右に開き、大ムカデ型やクモ型の魔物が這い出してくる。
「――足を止める! 隠桐さん!」
『は~いっ!』
事象干渉領域を開いた絹が、その剛弓を放つ。
水蒸気の輪を五つ潜って迸った矢は、建築物に空いた穴に飛び込み、這い出してきた蟲型の魔物を吹き飛ばした。
「――魔術隊!」
『魔術攻撃!』
鈴乃の声と村瀬の声が重なり、撫子達からフレーズの和音が鳴り渡る。
炎や稲妻の矢が魔物を襲い、建築物の入り口で爆炎が上がった。
だが、その炎の中で、蠢く無数の影。
「さあ、いよいよ本番よ!
――事象干渉領域、開け! 近接戦用意!」
『防人、抜刀!』
撫子達が開いた事象干渉領域が合わさり、ひとつの大きな舞台を形成する。
炎を抜けて押し寄せる魔物の瘴気と、事象干渉領域がぶつかり合って、バチバチと紫電が散った。
「――かかれぇっ!」
『――攻撃開始!』
二人の指揮官の号令の元、撫子達が魔物へと駆け出す。
校庭に鳴り響く、鳴響処理された武具の音。
魔術フレーズの和音を伴奏に、原初の唄がハーモニーを奏でる。
いつしか、事象干渉領域の中には無数の精霊光が舞い飛び出して。
『――紗江、来たぞ!』
茉莉の合図で、紗江は目を見開く。
胸いっぱいに吸い込んだ息を一気に吹き出した。
咥えた小太刀が高い音を響かせ、紗江は正座から跳ねて立ち上がる。
右手を振るって鈴鉄扇を開けば、鈴鉄扇が凛と響いた。
<雲切>は高度を下げて、撫子達が開いた事象干渉領域の上部に滞空している。
紗江の周りで精霊光が、色とりどりに舞い踊る。
(――ああ、綺麗だね……)
思い出すのは、叔母、美咲の事。
たった一度だけ見た、鮮烈なあの光景。
あの時、美咲は魔道を用いず、精霊を操ってみせた。
自分がその域にあるとは、とてもじゃないが思えない。
(でも、美咲お姉ちゃんだって、みんなに支えられてたんだ)
そして今――自分にも支えてくれる人達がいる。
できると思った。
やれるはずだ。
紗江は首を捻って小太刀を放り、左手を頭上へ差し伸ばす。
「――みんなが居てくれるからっ!」
弧を描いて飛んだ小太刀が左手に収まり、紗江はそのまま振り下ろした。
ピィンと澄んだ鳴音が響き渡る。
精霊光が驚いたように一斉に赤に変わった。
(――だからっ!)
「あ――――」
長く奏でる原初の唄。
精霊光が紗江を中心に波打つように、青へと変わっていく。
――精霊掌握。
魔道器官があってさえ、ごくまれにしか見られない現象を、今、紗江は小規模ながらも魔道器官なしで起こしていた。
紗江は鈴鉄扇と小太刀を携え、<雲切>の甲板を舞台にして、円を描くように舞い飛び跳ねる。
それに応えて精霊光は、激しく戦う撫子達を鼓舞するかのように、戦場を舞飛び跳ねた。
身体が不意に軽くなるのを感じて、背中合わせに戦っていた蘭と紅葉が頭上を振り仰ぐ。
「――紅葉ちゃん、紗江ちゃんだ!」
「これだから穂月はっ! 魔道器官なしで魔法を使うなんて、でたらめすぎじゃありませんか!」
口調はキツイが、紅葉の顔はひどく嬉しそうだ。
「負けてらんないね」
「当然ですわ!」
二人は眼前の魔物を見据えて、フレーズを合わせる。
『これが紗江君の強化魔法!』
大ムカデの頭を叩き潰しながら、天恵が笑みの含んだ声で言う。
「はい! あの子、本当に……」
咲良は感極まって、視界が涙で滲むのを感じた。
かつては美咲と共に演じた、魔道芸術の極み。
きっと生涯を通して一度きりと思っていたあの体験。
「また、こうして共にすることができるなんて……」
迫る大ムカデを<疾風>の鳴刀で斬り伏せる。それさえもが、この魔法を織りなす芸の一端となる。
『お嬢様は美咲お嬢様の最後の直弟子ですから! これくらいの事、できてもらわないと困ります!』
<雲切>の後部甲板に待機した環が、<剣姫>の中から誇らしげに告げる。
『それはいい! これだけの事をしているのに、穂笹君はこれくらいと評するのか』
笑う天恵の言葉に、咲良と環の言葉が重なった。
「穂月ですからね」
『穂月ですから!』
続々と魔物を吐き出す建築物の入り口に、絹は矢を射掛け続ける。
「紗江ちゃんの魔法のおかげで、連射がはかどる~」
いつもなら呼吸五つで一射なのに、今はふた呼吸で一射できる。
弦が重低音を響かせるたびに、大気を切り裂いて矢が飛び、魔物の群れが弾け飛ぶ。
倒すまでには至ってないが、足止めにはなっている。それは近接隊への大きな助けになっていた。
「ですが、このまま押し切れるものでしょうか?」
固定砲台と化した絹の直掩についた未央が、近接隊の防壁から漏れたクモを鉄扇で斬り捨てながら呟く。
「も~、未央ちゃん、そういうのってフラグって言うらしいよ?」
「ですが……敵が魔物ではなく、知能があるのなら……そろそろ次の手を打ってくるかと」
そんな時。
『――各員、建築物上部に瘴気が集まっている! 注意じゃ!』
茉莉の声が撫子達に響く。
建築物上部が濃密な瘴気に覆われていくのが見えた。
「ほら~。ホントにフラグになっちゃったよ~」
「申し訳ありません」
――彼女はイラ立っていた。
たかだか十数人相手に、百近い魔物がどんどん消費されていく。
「あいつが踊りだしてから、おかしくなった」
彼女が睨む光板の中には、上空で舞い踊る紗江の姿が映っている。
初めは大ムカデを相手にした甲冑は、二騎で一匹を相手にしていたはずだ。クモも魔術や魔法で足止めされてはいたものの、数で押し切れるはずだった。
――それなのに。
紗江が舞いはじめてから、状況が変わった。
撫子達が魔物を押し始めたのだ。
「まだ邪魔するのか、欠陥品!」
彼女は吐き捨てて、壁を殴りつける。
「こうなったら、アイツとの約束なんて知るもんか。今度こそ仕留めてやる」
そう言って、彼女は光板を操作する。
濃密な瘴気が彼女を包んだ。




