第60話 一年生 冬
傷が癒えて退院し、クリスマスが過ぎて、年の瀬を迎えても、紗江は自宅の部屋に籠もったままだった。
結愛や環が、部屋の外から毎日声をかけてくるが、紗江は応える気にはなれなくて。
雨戸を閉じた暗い部屋のベッドの上で、紗江は膝を抱えてうずくまっていた。
「……奏でて。一欠片の勇気……」
魔道器官に呼びかけるが、それは応えず、いつものように事象干渉領域を開くこともない。
紗江は膝に顔を埋める。
「……ホントにポンコツになっちゃった……」
退院してから、紗江は魔道が使えなくなっていた。
医師からは一時的なものだと言われていたが、紗江には、あの時逃げようとした罰のように思えて。
込み上げてくる後悔の涙が止まらない。
舞が鬼女に連れ去られる時の光景が何度も何度も、脳内で繰り返されて、嗚咽まで溢れてくる。
――なにがいけなかったのだろう?
「――わたしが弱かったからだ……」
――なぜ舞を守れなかった?
「わたしが鬼女相手に勝てると増長していたから……」
――みんなを見捨てて逃げようとした……
「そうだよ。死ぬのが怖かった。それしか考えられなくなった……」
膝を抱える腕に力を込める。
「……わたしは慈雨様に憧れながら、慈雨様のように自決する覚悟すらなかったっ!」
吐き出すように叫び、紗江はきつく唇を噛む。口の中に血の味が広がった。
――そんな時。
「――慈雨様の覚悟を愚弄するなっ!」
外から襖が蹴破られ、怒号と共に現れたのは咲良だった。
「……さく、ら様?」
紗江は呆然とその名を呼ぶが、咲良は取り合わず、ずんずんと部屋の中に踏み入ってきて、紗江の腕を掴んだ。
「いつまでここで閉じこもっているつもりだ。
――来い!」
紗江は咲良の手を振り払おうとしたが、その腕はビクともせず、強引に部屋から引きずり出される。
「やだ! 離してください! わたしはもう――」
「良いから来るんだ!」
そうして咲良は紗江を引きずり、穂月屋敷の内門前に止めた浮舟――<雲切>へと紗江を乗せる。
「……紗江くん」
その甲板には、天恵を始めとして、帰宅部の面々が揃っていて、みんななにか言いたそうに、けれど、なんと紗江に声をかけて良いのかわからないといった表情をしていた。
環が結愛の手を引きながら、もう一方の手に紗江の喚器の鈴鉄扇を握って、艀を登ってくる。
「――守陵さん、バカ孫が迷惑をかけるが、よろしく頼むよ」
艀の下から静江が声をかけ、咲良がそれにうなずきで応えた。
「あの……どこに?」
紗江の言葉に答えるものはおらず、<雲切>が静かに上昇をはじめた。
<雲切>は穂月屋敷から真っ直ぐに上昇し、三洲山の頂上まで来て着底した。
三洲山の頂上には大昔、貴属が魔道の力を施したそうで、標高二〇〇〇メートルを超えるにも関わらず、この季節なのに雪は積もっておらず、草花さえ生い茂っているほどだ。
<雲切>が着底したのは、そんな草原の上。
咲良は紗江を下船させると、環から鈴鉄扇を受け取り、紗江へと放り投げた。
草の上に落ちた鈴鉄扇が、短く音を奏でた。
「――拾え。穂月」
「咲良様、なにを……」
恐る恐る咲良に尋ねる紗江。
「――おまえが負けた理由を教えてやろうというのだ」
そうして咲良は腰の鳴刀を抜き放ち一振り。
ピィンという澄んだ音がして、咲良の周囲に事象干渉領域が開いた。
「やですよ。咲良様。わたし今、魔道が使えなくなってるんです。それじゃなくても咲良様にかなうわけ――」
瞬間、咲良は刀を一振り。紗江の頬が浅く斬れて、血が滴った。
咲良の顔がすぐ目の前にある。
「魔道がないからなんだ? おまえの力はそれだけなのか?
――拾って構えろ! 穂月紗江っ!」
咲良の怒声に、紗江は肩を震わせた。
(……咲良様、本気だ……)
鬼女との戦闘が思い出されて、自然と身体が震え始める。鈴鉄扇に伸ばした手も震えていて、紗江は左手で震えを抑えるようにして、それを拾った。
もたつきながら鉄扇を開き、胸の前に構える。細かな震えが伝わって、鈴がチリチリと雑音を立てる。
「……無様ね」
元の位置に戻っていた咲良が、そんな様子の紗江を見て呟く。
咲良は周囲に開いていた事象干渉領域を閉じて、鳴刀を正眼に構える。
「――行くぞっ!」
そこからは一方的だった。
咲良は御家の技である直線的な動きに加え、穂月で学んだ円を描く攻撃を交え、紗江は受けるだけで精一杯になる。
連撃に次ぐ連撃。そこに織り交ぜられた強撃に、ついに紗江の手の鉄扇は宙を飛んで落ちた。
身を回して、さらに振りかぶる咲良。その鬼気迫る表情に紗江は。
「うわあああああぁぁぁぁっ!」
両手で頭をかばって悲鳴をあげ、思わずその場にうずくまった。
「――なぜ……」
咲良は鳴刀を地に落とす。
「……なぜなの? 紗江……」
震える声で叫ぶ咲良に、紗江が顔を上げると、彼女は涙を落として泣いていた。
「咲良……様?」
その時、結愛が環の手を離して浮舟を降り、紗江の元に駆けてくる。
「……おねえちゃん。あのね……」
結愛は紗江の顔を覗き込んで、困ったような顔で切り出す。
「おばあちゃんが言ってたよ。なんでも一人でできると、孤独になっちゃうんだって」
紗江は弾かれたように結愛を見る。
「ユメもね、最初はよくわからなかったんだけど、学校に行くようになって、将太お兄ちゃんや愛お姉ちゃんに、いろいろ教えてもらってわかったんだ。
――おねえちゃん。あのね、困った時には、『助けて』って言わなくちゃ」
ふにゃりと笑う結愛。
「――でも、慈雨様は……」
そう呟く紗江に、咲良は首を振った。
「紗江、慈雨様を言い訳にするのは、いい加減止めなければいけないわ。
――あの時、慈雨様はそれしか選択肢がなかったの。私達を守る為には、ね」
咲良は紗江の前に膝をつき、顔を覗き込んだ。
「私もかつては――おまえが上女に来るまでは、同じ想いに捕らわれていたからわかるわ。
――すべてこの身で守らなければ。
鬼女を相手に、おまえはそう考えたのでしょう? それができる力もある、と」
紗江はうなずく。
「咲良様は……今は違うのですか?」
「ええ。私一人でできる事なんて、たかが知れてると思ってる。それを教えてくれたのは、おまえ達一年よ」
それから咲良は船の上の紅葉、蘭、茉莉に視線を向けて、口元を綻ばせる。
「魔術の使えない紗江、魔術は得意だけど、魔法はまだまだな緋野と露木。物部に至っては戦闘すら苦手だ。
それでもおまえ達は、多くの人を救ってみせた。
――それが、それこそが……おまえの、おまえ達の力でしょう?」
咲良の言葉を受けて、天恵がうなずく。
「――私も君達に救われた」
環も顔をあげて、
「紗江ちゃん、大奥様が仰ってたわ。穂月の極意は多くの稲穂を照らし出す月光。
私達家臣が武を技を磨くのは、より強く照らし出してもらう為なの」
そう告げて、涙を落とす。
「わかって、紗江ちゃん。ひとりだけで強くなんてなれないのよ」
そこで堪え切れなくなって、一年達が駆け出す。
「紗江ちゃん。ごめんねっ! あたし達がすぐに負けちゃったからっ!」
蘭が駆けた勢いそのままに紗江に抱きつき、押し倒して告げた。
「本当に、情けなくて涙が出てきますわ。お友達一人守れなかったなんて」
紗江を見下ろし、紅葉が目元を拭う。ずっと泣いていたのかもしれない。目元がひどく赤い。
「ワシがもっとちゃんと指揮できとったら、良かったんじゃが……突然の事に対処が思いつかんかった。紗江よ、本当にスマン」
茉莉が頭を下げると、綺麗な白髪が風に揺れた。
紗江は草の上に寝そべったまま、闇が薄くなり始めた空を見上げる。
「……なぁんだ。わたし、間違えてたのか……」
思わず笑みが浮かんでくる。
「そうよ。あの時おまえは、露木と緋野を連れて退避し、二人の回復を、防人の到着を待つべきだった。
恐怖に抗うのではなく、素直にそれを認めて、助けを求めるべきだったのよ」
「咲良様……わたし、慈雨様のようになりたかった……」
「慈雨様だって、あの時、私に背中を預けてくださったわ」
「……そう、でしたね」
あの撫子武芸の極みとも思えた、二人の演舞のような美しい猛攻。なぜ忘れていたのだろう。
「いや~、青春だねぇ」
それまで空気を読んで黙っていた絹が、堪えきれなくなったというように呟き、
「絹くん、もうちょっとだけ我慢しようね」
天恵に連れられて船室へと降りていく。
紗江は溢れる涙を拭い、上体を起こしてみんなを見回す。
「……みんな。わたし舞ちゃんを助けたい。でも、わたし一人じゃどうしようもないんだ」
東に見える央洲のさらに向こう――遠い水平線が白く輝きだしていた。
日の出が近い。
「だから……だからさ。みんな……
――わたしを助けて……」
吐き出すような紗江の言葉に、みんなはうなずきを返し、咲良が紗江の頭を撫でる。
「誰かを助けたい者が、誰かに助けられてはいけない道理なんてないのよ。
――紗江。今度は私達がいるわ。もう大丈夫。取り戻すわよ。衣笠を!」
その力強い言葉に、紗江は嗚咽を漏らし、咲良に強く抱きついた。




