第56話 一年生 初冬
『――紗江、落ち着くんじゃ! 同じ個体であるはずがない! 今は時間を稼いで防人の到着を待つんじゃ!』
インカムから聞こえる茉莉の声が遠い。
舞を釣り上げて嗤う鬼女を中心に、視界が真っ赤に染まっていく。
鼓動がうるさい。
『おい、紗江よ! 聞いとるのか!?』
紗江は深く深く息を吐き出し、震えを抑えるように左手で右手を抑える。
「――またおまえはぁ……」
(――怯えるな。あいつは仇だ。わたしはあの時より強くなってる。具足だってある。負けるはずがない)
「またおまえは、わたしから奪うのかっ!」
吠えるように言い放ち、事象干渉領域を解き放つ。
鬼女の濃密な瘴気と真っ向からぶつかって、激しい紫電が周囲を染め上げる。
事象干渉領域が砕けるのと、瘴気が吹き飛ぶのは同時だった。
『紗江っ! クソ!
――防人! まだなのか!? 急いでくれ!』
茉莉の声さえうるさく感じて、紗江はインカムをかなぐり捨てて、鈴鉄扇を携え鬼女に駆けた。
紗江の背後で月下穂群が結ばれる。
「――奏でて唄え! 一欠片の勇気ッ!」
魔道器官が金属音の連なりを奏でて響き渡る。
「ハアァァッ!」
身体強化された紗江の一撃は、しかし鬼女の鈍色の手甲に容易く受け止められる。
「舞ちゃんをぉ――離せぇっ!」
力を込めて、鈴鉄扇を受け止めていた鬼女の左手を押し切り、身体を回して右手を狙う。
「――――ッ!」
それが鬼女の言葉なのだろうか。ソプラノでなにかを言って、鬼女は嗤った。
途端、鬼女から瘴気が溢れ、紗江を包む事象干渉領域が砕け散った。
「そんなもの――ッ!」
攻撃動作はもう始まっている。このままいけば鬼女の右手に鉄扇の刃は届く。
――だが。
鬼女は舞を右手で吊り上げたまま、すり抜けるように身体を回し。
「えぶっ――!?」
紗江の右脇腹に鬼女の左膝がめり込み、直後、まるで引かれるようにして紗江が吹っ飛んだ。
通路の石垣に叩きつけられ、紗江は崩れ落ちる。具足の胴が砕かれているのが感触でわかった。
紗江はなんとか立ち上がろうとするものの、痛みに目の前が明滅を繰り返し、膝に力が入らない。
鬼女はそんな紗江など歯牙にもかけず、吊り上げた舞の胸に左手をかざし、
「――――」
またよくわからない言葉でなにかを言った。
直後、砕けた硝子を擦り合わせたような音がして、舞の胸の辺りに赤黒く光る幾何学模様が描き出される。
「――おまえ、なにをしている!」
石垣に背を預けて強引に身を引き起こしながら、紗江が叫んだ。
――止めないと。
直感で、なにか良くない事をしようとしているのだけはわかる。
深呼吸して魔道器官を意識し、再度、事象干渉領域を幕開かせる。
神器なら――あいつを止められるはずだ。
だから紗江は、高音域を意識して、魔道器官をさらに高鳴らせた。
ふらつく足で、紗江は鬼女へと踏み出す。
「――目覚めてもたらせ、<遺失神器>……」
胸から溢れ出す白の精霊光。
事象干渉領域に響く太鼓に合わせるように、紗江は歩を進める。
――それは助けを求められる誰か……
唄い始める神器。
紗江は鈴鉄扇を開いて、鬼女を見据える。
――だが、そこに鬼女の姿はなく、胸の上で幾何学模様を光らせる舞が横たわっていて。
「――――!?」
疑問に思うより早く――衝撃は背後から来た。
具足の胴の背が完全に割れ砕け、肋骨が折れたのがわかった。
前のめりに吹き飛び、地を削って止まる。
痛みを堪えて振り返ると、一〇メートルほど向こうに、蹴りの姿勢を戻してこちらに歩き始める鬼女が見えた。
喉の奥から込み上げてくるものを吐き出すと、血だった。
胸の輝きはすっかり止んで、事象干渉領域さえもが霧散していた。
「う……うあぁ……」
紗江の脳裏を恐怖が染め上げていく。
敵わない。
舞いも魔法もすべてが通用しない。
神器さえもが止められた。
(このままじゃ――)
その先を意識して、紗江の頭は真っ白になった。
痛みとは別の震えが身体を侵し、紗江は少しでも鬼女から遠ざかろうと、地面を這いずる。
「いやだぁ……誰か……」
そんな紗江を嘲笑うように、
「――――ッ!」
鬼女の高い笑い声が響いた。
そこに、複数の足音がして、紗江は顔を上げる。
「――対象発見! 生徒の保護を優先だ。かかれ!」
具足姿の防人達がやってきて、各々の獲物を構えて鬼女へ駆け出す。
鬼女が後退するのが見えた。
鬼女が跳んだその先で、いまだ意識を失ったままの舞が、鬼女と共に瘴気に呑み込まれ――
「ま、いちゃん……」
紗江は手を伸ばす。
痛いけど、怖いけど、仲間は守りたいと思った。
(それを無くしたら、わたしは……)
けれど……
防人達が事象干渉領域を開き、瘴気を払った時、そこには鬼女と舞の姿はなくなっていて。
「――おい、君! しっかりしろ! おい!」
防人の声を聞きながら、紗江の意識は遠のいていく。
二年生になる前に、いつかやらなきゃと思ってた、負け確イベントです。
作者の偏見ですが、挫折を知らない完全無欠のヒーローって、なんか嫌いなんですよね。
ここから紗江がどう立ち直るのか。
そして連れ去られた舞ちゃん。
どうぞ本作を見捨てず、最後までお付き合い頂ければ幸いです。




