第55話 一年生 初冬
川添茜の風邪は思いの外重かったらしく、三日目の今日も治っていない。
そのため紗江達、帰宅部一年は今日も舞と一緒に異界へと来ていた。
具足を着けた紗江と舞は、紅葉と蘭を背負って、一気に上層五層目まで降りて、いつものように魔物を探して、みんなで歩き出した。
異界はいつもと変わらず、光源のわからない炎のような赤に染められていて、なにかを燃やしているような、いがらっぽい空気に満ちていた。
陣形は、多重結界を即座に張れる舞が前衛で、そのすぐ斜め後ろに蘭。その後に紗江、紅葉という順番で並んでいる。
狼型や陣笠武者は単独ならもはや瞬殺で、狼型の群れが出ても、五匹以下ならさほど苦労せずに撃破できた。
倒した魔物の残骸は、帰りに回収しようと、ある程度まとめて通路の隅に置いて、先に進んでいく。
紗江達は、自身が着実に強くなれているのを実感していた。
いつものように一時間ほど進み、一時間かけて来た道を戻る。途中で置いておいた魔物の残骸を回収しようと、フロアに足を踏み入れた時だった。
いがらっぽい空気に、強い香の匂いに混じって、ほのかに漂う腐敗臭がした。
「――なに? この匂い」
舞が小首を傾げ、蘭と紅葉も鼻をヒクつかせる。だが、紗江だけは三人を庇うように前に出て、鈴鉄扇を打ち鳴らして結界を張った。
「――突発異界災害だ! みんな、構えて!」
紗江が告げる間にも、フロア中央の景色が硝子のように割れ砕け、そこから鈍色の甲殻を持った、巨大なムカデが這い出してくる。
頭部の横幅が紗江が両手を広げたくらいある。長く伸びた顎はその倍もあった。
身の丈は五メートル以上はあるだろうか。明らかに上層にいるようなサイズの魔物ではない。
「突発異界災害ですって? ここは異界の中なのですわよ!?」
紅葉が杖とスマホを取り出しながら言う。
「わかんないっ! わかんないけど、この匂いは黄泉路級だよ!」
紗江が簡潔に説明し、全員が武器を構える。
「おまっちゃん、見てる!? 防人に連絡! このサイズはわたし達じゃ厳しい!」
インカムで茉莉に伝える。
『おう、すぐ連絡する! なんとか耐えるんじゃ!』
大ムカデが完全にその身を這い出すと、空間の割れ目は閉じて消え、香の匂いがわずかに弱まった。
ムカデは鎌首を持ち上げ、紗江達を見下ろす。
「――私が受けます!」
舞がそう叫び、多重結界を張って薙刀を構え、前に出る。そこに大ムカデが顎を開いて突っ込んだ。
結界が音もなく割れ砕け、勢いに負けて舞が吹き飛ばされて、壁に激突して崩れ落ちた。
「――舞ちゃんっ!」
「わたくしが! 紗江さんと蘭さんは注意を引きつけてくださいまし!」
言って、紅葉が舞へと走る。その背を庇うように紗江は鈴鉄扇を打ち開いて、大ムカデを見据えた。
視界の隅で、蘭が大ムカデの背後に回り込もうとしているのが見えた。
紗江は事象干渉領域を開いて、大ムカデの気を引き、繰り出される大顎の攻撃を受け流す。
「――喚起っ!」
拳に雷精をまとわせて放たれた蘭の一撃が、辺りを真っ白に染め上げるが、甲殻に阻まれているのか、大ムカデに効いた様子はない。
紗江は魔道器官を神器に切り替えようとするが、大ムカデの猛攻は激しく、切り替える時間を作らせてくれない。
「だめだコレ! 逃げよう!
――紅葉ちゃん、舞ちゃんは?」
「ダメです! 意識を失ってますわ!」
紗江は素早く蘭にアイコンタクト。
「――わかった」
蘭が紅葉達の方へと駆け寄り、紅葉と二人で両脇から舞を抱える。
「二人は先に! おまっちゃん、ナビお願い!」
そうして蘭と紅葉は舞を抱えて帰りの通路に駆け出し、紗江は反対方向に距離を取る。
大ムカデが一際強い瘴気を吹き出し、紗江の事象干渉領域の境が紫電を発した。
事象干渉領域が壊れたら、身体強化を維持できなくなる。
(このままじゃ、長くは保たない)
焦燥感から紗江の額に汗が浮かぶ。
紗江は大ムカデの顎と数合打ち合って、蘭達が通路に消えるのを待ってから、大ムカデからさらに距離を取る。
壁際を走って時間を稼ぎ、帰りの通路の対角線の壁際で立ち止まる。そこに大ムカデが突っ込んできて、紗江は大顎を受け流して、壁に激突させた。
石垣が崩れ、大ムカデの頭を押しつぶすのを尻目に、紗江は一気に駆け出す。
大ムカデは崩れた石垣から抜け出そうと、その巨体を振って、もがいている。
紗江は通路に飛び込み、そのまま駆けた。
『――紗江、急げ! 蘭達の辺りがなんか変じゃ!』
と、茉莉の声がインカムから響く。
わずかに遅れて、行く手から蘭や紅葉の悲鳴が聞こえ、紗江はさらに速度を上げた。
『マズイマズイマズイ! 紗江、まずいぞ!』
やがて見えてくるのは、崩れた石垣に持たれるようにして倒れる蘭と紅葉の姿と――
「……なんで――」
かすれた自分の声がまるで別人のもののように聞こえた。
知らず身体が震えだす。
舞の首を掴んでその身をかかげ、そいつはそこに立っていた。
「――なんでおまえがここに居るッ!」
全身真っ黒な粘液質な皮膚に覆われ、額から伸びた二本の角。腰まで伸びる髪もまた漆黒で、強い香と腐敗臭が混ざり合って、紗江の鼻孔を貫く。
――鬼女。
無貌の面で嗤うソレを前に――紗江の身体はどうしようもなく震えだした。




