第40話 一年生 初秋
※プロローグを修正したため、前半部分が旧プロローグの修正版となっております。
視界の歪みと、一瞬の平衡感覚の喪失。
思わず膝をついてしまいながらも、咲良は素早く顔を上げて周囲を見回すと、すぐ目の前には、同じように両膝をついて荒い息の慈雨が見えた。
「――さすが守陵ご令嬢。この瘴気の中でも平気そうだね」
鼻をつく香の匂いとそれでも隠しきれない腐敗臭。
美咲によって石舞台になっていたはずのこの場は、すっかり書き換えられて、苔むした洞窟の広間のようになっていた。
「慈雨様、大丈夫ですか!?」
咲良が駆け寄って抱えあげると、脂汗でしっとり衣装が濡れてるのがわかる。
「自信を無くすよ。瘴気ですっかりこのザマさ。これでも淡路異界の最終階層到達者だってのに……ここの濃度はそれ以上だ」
かつて侵災の侵源地にもなった淡路異界は、いまでも重濃度の瘴気に覆われてる異界として有名だ。
精霊に敏感だからこそ、それを扱える魔法使いや魔術師は、瘴気にもまた敏感で、濃い濃度の瘴気にさらされた場合、精神を病んで自らの命を断つ者さえいるのだ。
「私は……具象系ではありませんから」
美咲や慈雨のように、なにかしらの現象を外界に引き起こすタイプではなく、精霊を取り込んで心身を一振りの刃とするのが守陵の極意。
だからこそ、精霊への干渉があまり得意でない反面、瘴気からの影響も受けにくい。
「ボクの感覚だと、この濃度は黄泉路級の異界災害だ。出てくる魔物もそれ相応。みんなを集めて守らないと……」
今日、集められた乙女達のうち、異界経験のあるものがどれほどいるだろうかと咲良は考え、絶望的に少ない事に息を呑む。
ほとんどが家柄と魔法芸術の腕で選抜された者達なのだ。
九条結界に護られた本州生まれの彼女達は、撫子教育を受けてはいても、武の方面に関しては、真面目に受けていたとは思えない。
咲良は慌てて辺りを見渡すが、この場に居るのは慈雨だけで、周囲には乙女達の姿も、あれほど輝いていた大釜の威容すら影も形もなくなっていた。
「――慈雨様、美咲様は……」
「わからない。ボクには突然消えたように見えた。理由はいくつか考えられるけど……彼女の意思によるものならば転移魔法。だが、あの状況で行う理由がわからない。
あとは異界災害による転移罠……そして最悪の場合は……」
慈雨は言い淀む。
――存在消失。
それは濃密な精霊の中心に居た彼女の状況から、もっともありえるパターン。
――一説によれば、突発異界災害は精霊掌握が起きている際に起こりやすいのだという。
そして、その際に発生した異界災害は精霊掌握の中心となった者を核として、その存在を取り込んで拡大し、総じて高難易度となる。
「なんにせよ、情報が少なすぎる。その判断は後回しにして、今はみんなと合流、脱出を第一目的とすべきだよ。大丈夫。ボクがついてるんだ」
撫子教育を受けている慈雨は、こんな時でも落ち着いて見えた。戸惑う咲良を励ますように頭を撫でる。
(……敵わないなぁ)
されるがままに咲良は、思わず胸中でひとりごちた。
こんな状況で、しかも自身もまた瘴気で不調だというのに、咲良を気遣ってくれる。
彼女とは、よく東西撫子の双璧と讃えられるが、落ち込んだ時、悩んだ時にはいつも支えられているという自覚がある。
そもそもメディアは、男女の別なく当代無双を誇る美咲に、何度も出演依頼を申し込んだそうなのだが、興味がないと切り捨てたそうで、代わりに咲良に東代表としてお鉢が回ってきたのだ。
そのため美咲は、咲良に罪悪感を覚えたのか、ある日突然、謝罪の連絡をくれた。
それをきっかけに咲良は美咲にも、何度も相談に乗ってもらった。
(ふたりとも妹が……美咲様は姪御だったか――がいるから、こんなにも強く気高いのだろうか)
自分が同じ年齢になったとして、二人のように誰かの先達になれるとは思えない。
一人っ子の咲良としては、二人の年齢からかけ離れて見える落ち着きの極意は、妹がいる事にあるように思えた。
「さて、身体もだいぶ瘴気にも慣れてきたようだ。もう大丈夫」
そう言うと、慈雨は身体を起こしてポケットからスマホを取り出す。だが、暗いままのその画面を見て、ふるふると首を振った。
「精霊がいないから、やっぱり使えないか。じゃあ……」
すぐそばに転がっていた鳴槍を拾って、その穂先を指で弾く。
透き通った金属音が鳴り渡り、その切っ先に拳大の事象干渉領域が開く。青くほの光る精霊が生み出された。
「明かりとしては十分だろう? 魔術が使えない時の緊急魔法だ。君も覚えておくと良いよ。意外な場面で役に立つ」
「今のような?」
「そういう事」
淡い光に照らされて、こんな状況なのに思わず二人で破顔する。
(ああ、慈雨様は、おズルい)
こういう何気ない会話でさえ、彼女はこちらを和ませようとしてくれる。
それから慈雨は周囲に鳴槍を巡らし、左手の一角でその動きを止めた。
「――あっちに道がある。行ってみよう」
慈雨は鳴槍を杖代わりに身体を支えて立ち上がり、ゆっくりとだが歩き出す。
咲良もまた、美咲は心配だったが、これ以上ここで議論しても、なにも進展はしないと自らを納得させ、傍らに落ちていた鳴刀を拾って携え、表情を引き締めると、その後を追った。
苔むした岩壁状の通路は、曲がりくねりながらも一本道で、慈雨の荒い吐息だけが周囲にこだまする。
しばらく二人は無言で進む。
他の者達を思えば急ぎたいところだが、まだまだ万全とはいえない慈雨を思えば、そうしようとは言い出せない。
歩いた距離はとっくに会場の外に出ていても良いはずなのだが、一向に通路に変化は見られなかった。
そんな考えを見透かしたように、
「――咲良君、異界経験は?」
慈雨が声をかけてくる。
「年齢的に資格取得できないので、まだです」
「異界はさ、事象干渉領域と一緒で、物理法則も常識も書き換えられる。
どう書き換えられるかは、その場所によって違うんだけどね。だいたいは、その土地に染み付いた歴史や想念に影響されるって言われてる」
これだけ歩いても外に出られないのは、物理法則から外れているからなのだと、慈雨は言いたいのだ。
慈雨はぐるりと頭上を見回して続ける。
「けど、帝都で黄泉路にまつわる歴史や想念なんて聞いた事ないよね。
とすれば、儀式か神器を契機にしてるとも思えるけど……ダメだ。わからないな。美咲君ならなにか思いついたかも知れないけど……」
そこまで言って、慈雨は不意に通路の先に顔を向けた。それから伺うように咲良を見る。
咲良もまた、通路の先に視線を向けて。
「慈雨様。私は確かに異界経験はありません。ただ、御家は宮城南部一帯の守護職を賜っておりましたので……」
「ああ、東日本大侵災か。津波に乗って魔物が大量に押し寄せたんだってね?」
「大人も子供もみんな生き延びる為に必死に戦っておりました。あの頃より幾分、成長もしておりますし、戦力としてはアテにしてくださってよろしいかと」
それを聞きたかったのだろうと咲良が微笑めば、慈雨は苦笑して頭をかく。
「気づいてたか」
「はい。この先に多くの魔物の気配があります。それこそあの頃を思い出すほどに」
「恐らくみんなもそこにいるね」
「だからこそ、魔物が集まっているのかと」
「急げる?」
「慈雨様こそ」
二人はうなずき合い、一気に駆け出す。
数十メートルを駆け抜けると、通路が途切れて大広間になった。
ドーム状のそこには、中央に儀式の大釜といまだ輝きを失っていない神器があり、その周囲に円陣を組んで、乙女達が身を寄せ合っていた。
そして、それを取り囲む、異形。
瘴気を凝縮したのだという、ぬめるような黒色の体皮に、まるで鎧のように要処を覆う鈍色の甲殻。その目は爛々と赤く輝いていて、攻撃色を示している。
慈雨の腰下の大きさをしたそれらが、ざっと見渡す限り、五十は下らない数で乙女達に襲いかかっている。
囲まれた乙女達の中にも多少は武の心得のある者が居たのか、複数人で事象干渉領域を開き、結界を張って攻撃を耐え忍んでいた。
「――種属は小鬼! この数なら行ける!」
小鬼自体は他の異界でも見られる、大して強くもない魔物だ。
慈雨が声の限りに叫んだ。
咲良の前を慈雨が先行して駆け抜け、振るった鳴槍が風切り音を奏でて事象干渉領域を開き、帯刀の家紋である交差する刀と槍――刀槍交叉が、慈雨の背後の虚空に描き出される。
乙女達の張った結界を破るのに躍起に鳴っていた小鬼達の背後から、慈雨の振るった鳴槍は数体を巻き込んで、一気に吹き飛ばした。
砕けた硝子を踏み鳴らすような、不快な声を上げた小鬼達の視線が、一斉に慈雨に集まる。
「もう大丈夫! みんなよく頑張ったね。ここからはボクが引き受けた!」
慈雨が見栄を切って鳴槍を振るえば、安堵からか、その場に崩れ落ちる乙女が何人か見えた。
「――咲良君は大釜向こうの対処! 結界を張ってる子はそのまま維持! 事象干渉領域を開ける子は精霊を呼んで。他の子は治療魔術で負傷者の治療!」
慈雨が手早く指示し、鳴槍を腰溜めに構えて深呼吸を一つ。事象干渉領域によって瘴気が押し流されていく。
「――唸れ、士魂!」
慈雨が魔道器官を高らかに唄わせた。
「お――」
単音で奏でる原初の唄は、事象干渉領域に精霊を生み出し、家紋をより強く輝かせる。
押し寄せる波濤のように、十数の小鬼達が慈雨に飛びかかるが、振るわれた鳴槍に砕かれて、瞬く間に霧散していく。
駆けた咲良もまた、背後に護陵守刀の家紋を背負って、小鬼達を薙ぎ払った。
「――行ける! みんなで帰るんだ!」
咲良が鼓舞するように声を張り上げれば、乙女達もまた、表情を引き締めて、各々ができる作業に集中していく。
どれほど刀を振るっただろうか。気づけば、周囲には小鬼の残骸である甲殻だけが転がり、動いているのは咲良と慈雨と乙女達だけになっていた。
と、不意に。
この場に似つかわしくない、鈴を転がしたかのようなソプラノの笑い声と、大きな拍手が響き渡る。
視線を向けるとそちらは大釜の方で。
いつの間に現れたのか、神器の輝きに照らし出されたそこには、ライダースーツのような身体の線がはっきりとわかる黒い衣装に身を包んだ女が佇んでいた。
顔の前半分を覆う、表情の無い面の額には、親指ほどの鬼のような二本の角が伸び、腰まで届く黒髪が、神器の輝きを受けて妖しくきらめく。
鬼女はコロコロと笑ったまま拍手を続け、ゆっくりと――まるで乙女達に興味などないかのように――慈雨に向かって歩を進める。
そこから噴き出す瘴気に、乙女達はさざ波のように、パタパタと倒れていき、慈雨に駆け寄った咲良もまた、辛そうに表情を歪めた。
「……咲良君、わかるかい? アレが迷宮主だ」
「小鬼達の数から、殲滅が条件のタイプかと思っていましたが……」
かすれた声で、不安げに呟く咲良。
「アテが外れたね。大丈夫。守るよ。君も、みんなも」
慈雨は優しく咲良の頭を撫でて、鳴槍を構える。
「アイツの相手はボクがする。恐らく異界の核になっているのは神器だ。
御笠主幹には悪いけど、君は神器の破壊を。
――最悪、ボクを見捨てても、だ。わかるね?」
もう鬼女はそこまで来ている。議論している暇はない。
「・・・・・・はい」
だから咲良も慈雨の覚悟を受けて、うなずくしかなかった。
「いい子だ」
合図のように咲良の肩を叩き、慈雨は左手を胸の前で握りしめる。
「無理させてゴメン、士魂。あとひと頑張り、ボクを助けてくれ」
慈雨は呟き、鬼女に向かって駆け出した。
「ここで私は神器を破壊する為に戦線を離れた。
そこで――」
咲良が紗江を見つめる。
「はい。わたしが目を覚ましたのはその辺りですね」
鬼女が振り撒く濃密な瘴気の中で、平然と動いていた紗江に、咲良は神器の破壊を託し、自身は慈雨への加勢へと戻った。
「私と慈雨様、二人がかりでもあの魔物――鬼女には致命打を与えられずにいた」
「わたしは必死に走って、神器を掴んだんだけど、そこで転移してきた鬼女に襲われちゃって……そこで魔道器官が潰されたんだと思う」
紗江はそっと胸元を押さえる。治癒魔術によって、傷跡はすっかり無くなったけれど、あの痛みは今でもはっきり思い出せた。
「そして、恐らくその時に、神器が穂月に宿った……あの時は、ただ神器が消えたようにしか思えなかったが……」
言って、咲良は顔を天恵に向ける。
「……天恵先輩。慈雨様は瀕死だった穂月も、私も、あの場に居た乙女達も。すべてを救う為にあの魔法を使ってくださいました。
――あの時、私にもっと力と覚悟があったらと、思わない日がありません。
だから……だから、あなただけは――」
まるで懺悔するように、咲良は膝の上に置いた拳に力を込める。
そんな咲良に天恵は柔らかく微笑み、咲良の頭を撫でる。
「大丈夫。わかってるよ。私はもう無駄に死のうとしない。お父様とも約束したしね。
――なにより、今の私には君達がいる。生きるよ。お姉様の分まで」
その言葉に安堵したように、咲良は小さく鼻を啜った。
「でも、いまだにわからないんだよね。なんで神器が私に宿ったのか」
湿っぽくなった空気を変えるように、紗江はあえておどけた声で首を捻る。
「私は当初、召喚した神器が死者蘇生にまつわる、死返玉だったから、とも考えていたのだけれど……銘が違うのよね?」
莉杏が腕組みして紗江を見つめる。
「はい。神器の銘は<伝承宝珠>です。唄は遺失神器……そういえば――」
紗江は手を打ち合わせて、莉杏に視線を返した。
「リハビリ中の事なんですけど、今にして思えば変な事が……」
旧プロローグの修正補足はここまで。
次回も回想回ですが、新規です。
旧を部分修正した新プロローグ部分を含めれば、およそ三話分をプロローグにしていた計算w
それは長いって言われますよねw




