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Act.9:ネコがオトコになる方法 その1

「カロリーナさん! どうぞー」

 ルーチェが大きな声で呼ぶと、若い女性が診察室に入ってきた。少し顔色が悪く、足取りも重い。

「顔色が良くありませんね……どんな症状がありますか?」

「頭痛が、少し。食欲もあまりなくて」

 ルーチェは症状をカルテに書き込んでから、カロリーナの診察を始めた。

「……風邪ですね。魔法治療トラッタメントをしますが、一応、頭痛薬と解熱剤も出しておきますね」

 診療所で魔法治療を受ければ、ほとんどの場合きちんと症状が治って家に帰れる。だが、症状が重い場合はすぐにまた同じ症状に見舞われることがあり、その場合は薬の服用が必要となる。

 ルーチェはカロリーナの袖をそっと捲くって腕に魔法を沁み込ませた。

 カロリーナの眉間によっていた皺がだんだんとなくなって、顔色も良くなっていく。

「はい。それでは受付でこれを提出して薬を受け取ってください」

 メモ用紙に処方薬の名前を書いてカロリーナに渡す。彼女は「ありがとうございました」と言って診察室を出て行った。

「手際が良くなったわね。魔法治療も中間試験には間に合いそうだし」

 隣でルーチェの監督をしていたブリジッタが笑顔で言った。

「うーん……そうだといいけど」

 ルーチェはカルテを完成させて席を立つ。

「あら、大丈夫よ。貴女はもう少し自信持ちなさい。あ、今日はこれで終わりだから、お掃除お願いね? 私は買い物に行って来るから」

「わかった」

 ルーチェはカルテを棚に戻して診察室の片づけを始めた。

 時間というのは早いもので、ルーチェが研修を始めてからもう8ヶ月ほど経つ。 研修期間は2年、その丁度半分の1年目の終わりには中間試験があった。試験と言っても合否はなく、研修の成果報告といったところだ。

 筆記試験はいわゆる模擬試験――自分の実力と勉強不足な分野の確認。

 実技試験も同じで、国家試験の合格ラインを満たさなくても特に問題はない。あまりにもそれを下回っている場合には、クラドール協会が補習などもしてくれるのだけれど、今のルーチェなら引っかかることもないだろう。

 ルーチェの魔法治療はまだ8割といったところだろうか。

 ジュストとの特訓を終えてからは、研修を続けることで少しずつ上達してきている。もう1年、時間があることを考えれば焦ることもない。

 そもそも国家試験に1発で合格する者は多くないので、ある程度のんびり構えておく必要もある。

 一応、中間試験での成績も自分の履歴書に載せなくてはいけないため、良い成績を取っておくに越したことはない。そのため、多くの者は自分の履歴書に汚点を残したくないと思っている。

 しかし、ルーチェは卒業試験の成績にすでに12個のバツがついている。だから、たとえ中間試験の成績が悪くとも今更ではある。最終的には国家試験の成績が1番大きく就職に影響するため、それ以前の成績が悪くても成長として見てくれる人がほとんどだ。

 それに、ルーチェはバラルディ診療所を手伝うことになるだろうから履歴書はあまり関係ない。

 身内以外の診療所や他国への就職を希望する者、王家専属クラドールを目指す者にとって重要なことなのである。


 ルーチェが診療所の掃除を終えて2階の自宅へと上がると、リビングでジュストが勉強をしていた。

 最近、グラートに文字の読み書きや魔法の基礎を教わっているのだ。グラートはブリジッタと買出しに行ってしまったらしく、ジュストは課題をやっている様子だ。

 グラートはジュストが人間だということがわかってから、彼を本当の息子のように可愛がっている。

 学校に行ったことがないと知ると、すぐに勉強を教え始めた。ジュストも飲み込みが早く、着実に人間の男の子として成長しているのだが――

「あ! ルーチェ、今日の研修はもう終わったの? ねぇ、僕と海に行ける?」

 ルーチェにベッタリなのは変わらない。

「中間試験があるからしばらく無理って言ったでしょ?」

「どうして? ルーチェ、学校の成績はAがいっぱいだったよ。それでも勉強するの?」

 いつのまに人の成績表を見たのやら……

 ルーチェはため息をついてテーブルの上のノートを指差した。

「勉強は積み重ねなの。成績が良くても、続けないと悪くなるよ。それに、ジュストも宿題があるんでしょ? ちゃんと終わらせないとダメだよ」

 ジュストはルーチェの指先を視線で辿ってノートを見る。

「わかったよ」

 少し肩を落として座り直し、ノートに書き込みを始めたのを見てルーチェは部屋へと向かった。

 部屋に入って、クローゼットから部屋着を取り出し、ベッドに放り投げる。ため息をつきながらブラウスのボタンを外していると、ふと部屋の隅の揺りかごが目に付いた。

 そういえば、片付けないままだった。

 ジュストが改めて家族となった日から、ジュストには部屋が与えられた。

 客室――実質、荷物置き場となっていたが――として空けていた部屋を片付け、グラートはジュストのために家具を買い揃えたのだ。張り切って、壁紙まで張り替えていた。

 とは言っても、まだほとんどの時間をネコとして過ごすジュストは、ルーチェの部屋に入り浸り。朝になるといつもルーチェのベッドにもぐりこんでいる。

 ルーチェも最近はそれについて怒ることをやめた。少なくとも、そういうときはネコの姿なので大目に見ることにしている。

「ネコ……」

 ジュストがネコ扱いされることを嫌っているのは知っている。しかし、そう言い聞かせないと心臓に悪いのだ。

 人間の姿が整っているせいで! 年下のくせに妙な色気を持っているせいで!

 長めの前髪を掻きあげる仕草や琥珀色の揺れる瞳、ルーチェに触れる指先。それに、形の良い唇が――

「だぁぁぁぁ!」

 ルーチェは脱いだブラウスを床に叩きつけた。

 一体何を考えているのだろう。ジュストはおそらくユベール王子とお姉さんのキスを見たことがあって、自分も真似しようと思っただけで!

 小さな男の子が大人の真似をしたがるようなもので!

 ルーチェは雑念を振り払うかの如く洋服を脱ぎ捨て、部屋着を身につけた。

「ルーチェ! 一緒に勉強しよう!」

 すると、ちょうどルーチェが着替え終わったところに、ジュストがノートや本を抱えて部屋に入ってきた。

「ぎゃ! ちょっと、ノックしなさいよ!」

 危うく下着姿を晒すところだったではないか。

「今日はルーチェと一緒に勉強するから、明日は海に行こう?」

 ジュストが海に行きたがる理由は、魔法の鍛錬をしたいからだ。海でビリビリする感覚でチャクラの状態がわかるとかなんとか……

 とりあえず、水属性しか持たないルーチェには理解できないことだ。

 何度かジュストの魔法――チャクラ――を受けたことがあるが、光属性は刺激が強すぎる。光属性にクラドールが育たない理由を、身を持って知ったのだ。

「見て、ルーチェ。僕、もうすぐグレード5が終わるの」

 ルーチェの答えを聞かないまま、ジュストはテーブルに自分のノートを広げた。

「え!? もう5なの!?」

 ルーチェは驚いてジュストのノートを覗き込んだ。

 マーレ王国や周辺諸国の義務教育期間は10年。優秀な子はスキップもありだけれど、大抵はグレード1から10までの教育を受けるのだ。

 つまり、本来は1年で1グレードなわけだ。ジュストが勉強を始めたのは2ヶ月前くらいだったと思うのだが……

 ジュストのノートには、少し不恰好な文字が並んでいる。このノートは語学用のものらしく、文法や単語などのスペル練習がぎっしり書かれていた。

 他のノートをパラパラと捲れば、数学やクラドールについてまでも学んでいることがわかる。

 クラドールのノートが2冊あるのは、グラートが教師であるせいだろう。

「ああ、歴史とかをやっていないから……」

 ルーチェはホッと息をついた。ジュストが学んでいるのは生活に直結する科目のようだ。

 それでも、2ヶ月でここまで進んだのは優秀な方に入るだろう。

「レキシって何?」

「昔のお話、かな」

 ノートを閉じて、ルーチェは本棚から自分の勉強用に参考書を取り出した。そして椅子に座って机に向かう……が、背中に視線を感じて振り返ると、ジュストがじっとルーチェを見つめていた。

「何?」

「ルーチェ、どうして僕の隣に座らないの?」

 確かに、ジュストの隣にはスペースがあり、テーブルにも余裕がある。2人並んで勉強をすることも可能だ。

「こっちの方が集中できるの」

 いつも勉強している慣れた机に椅子がいい。それは本当。

 ジュストの隣に座りたくないのは、ジュストが純粋過ぎてルーチェのペースを乱すからだ。

 だからできるだけ距離を置くようにしている。

「ウシロメタイの?」

「……は?」

 意外な単語にルーチェは間抜けな声を出してしまった。

「ルーチェ、昨日の夜、テオとボーラで話してたでしょ。だから、ウシロメタイんでしょ?」

 確かに、昨夜はテオに薬の調合についての相談を受けてボーラでやりとりしていたけれど……

 聞いていたのか? しかも、一体どこでそんな言葉を覚えたのだろう?

 そんなルーチェの疑問に答える如く、ジュストはノートの山から何やら雑誌を引っ張り出してバンッとテーブルに置いた。

「げっ」

 その表紙を見て、ルーチェは額に手を当てる。

「ほら! ここに、よそよそしいのはウシロメタイって書いてあるでしょ!」

 それはブリジッタが愛読している女性向けファッション雑誌だ。リビングに置きっぱなしだったのを読んだのだろう。

 文字が読めるようになったばかりに、ジュストは手当たり次第に本を読むのだ。

「ねぇ、ルーチェ。ウシロメタイってどういう意味?」

 文字が読めても意味まではわからないようで、ニコニコとしながらジュストが問う。

 更に……

「あ、あと、ウワキ――」

「わああぁぁぁああ!」

 ルーチェはジュストの手から雑誌をひったくった。

「もう! これはジュストが読む本じゃないの!」

 全く、ブリジッタには注意しておかないといけない。

 ファッション雑誌とは言っても、いろいろなコラムが読み物として掲載されているのだ。

 今回のテーマは浮気。ジュストに読ませるようなもの――少なくとも、今の精神年齢で学ぶような事柄――ではない。

「なんで?」

 ジュストはキョトンとした顔でルーチェを見つめている。

「なんでも、よ!」

 ルーチェは大きく息を吐き出し、雑誌をゴミ箱に捨てた。ブリジッタも読み終わっていたはずだから構わないだろう。

 それから机の上の勉強道具をテーブルに移動してジュストの隣に座る。

「ほら、ここに座るから。勉強するよ」

「ウワキって、ボーラでお話することなんだよ。ルーチェはウワキだよ。ダメだよ? ウワキはいけないことだって書いてあった」

「いや、浮気してないし……」

 パートナーのボーラ鉢を覗いて浮気が発覚したケースでも読んだのだろうか。

 浮気の意味をちょっと勘違いしているようだけれど、それを訂正するのも一苦労だ。

 とりあえず、そのうち自然に間違いがわかるようになると思うので放っておこうと思う。

「じゃあ、フリン?」

「げほっ」

 ルーチェは思わずむせた。本当に、ブリジッタには厳重注意をしなければならない。

「浮気も不倫もしてないわよ!」

「本当に?」

 そもそも、ジュストとルーチェの関係が――ということは、おそらく今はわかってもらえないのだろう。本人にも、もう何度も説明した気がする。

「はぁ……うん、してない。してないからさ、勉強しよう」

「うん」

 ルーチェがペンを取って参考書を開くと、ジュストもペンを取る。だが、ジュストはノートを開かずルーチェの左手を掴んで引き寄せた。

「ちょっと、何?」

 ジュストは袖を捲くってルーチェの腕に何かを書き始めた。

「……J……U……S、T……E………って、なんで自分の名前を私の腕に書くのよ。ノートがあるでしょ」

 大きく、かなり曲がった文字だが紛れもなくジュストの名前だ。

「ルーチェがウワキしないように僕のシルシをつけた。えーっと、シルシがあるとダンナは嫌なんだって。あれ、ダンナって何だっけ?」

 ……いろいろ間違っている。

 だが、やはりこれもそっとしておこう。あまり真面目に答えると墓穴を掘りかねない。

「そうなの。じゃあ、もう安心したでしょ。勉強するよ」

「……うん」

 ジュストはなんとなく腑に落ちない顔でノートに書き込みを始めた。


***


 その日の夜。

 お風呂から出たルーチェが部屋に戻ると、ジュストがネコの姿でルーチェのベッドに丸まっていた。

「またか……」

 どうやら今夜も一緒に眠るつもりらしい。ジュストはすでに夢の中のようだけれど。

 ルーチェはジュストを抱き上げ、布団の中に入れた。すると、ジュストがゆっくり目を開く。

『ルーチェ』

「あ、ごめん。起こしちゃったね」

 ジュストはベッドに座り、じっとルーチェを見つめている。

「……?」

 ルーチェが首を捻ると、ジュストはルーチェの机へと移動し、箱から薬瓶を取り出してベッドに戻ってきた。

「え……ちょっ、今飲むの!?」

 普段、ジュストが薬を飲んで人間に戻るのは、勉強するときや食事のときだけだ。

 勉強はペンを持つことができないと困るし、食事も標準体型に戻すために人間の姿で食べるようにとブリジッタからのお達しである。

 ジュストはルーチェに答えないまま蓋を開けた。最近では器用に蓋を自分で開けて飲めるようになったのだ。

「待って! ジュスト、ネコの姿じゃないなら自分の部屋で寝なくちゃダメだからね」

 ルーチェはジュストの手を止めて、そう言った。

『嫌だ!』

「――イタっ」

 バチッと大きな音がして、ルーチェは思わずジュストから手を離した。じりじりと熱い右手を左手で押さえる。

 かなりの痛みに涙目になったルーチェのぼやけた視界で、ジュストは薬を飲み干してしまう。

 数分後、人間の姿になったジュストは今まで見たことがないような鋭い目つきでルーチェを見た。

「な、何……?」

 整った顔に睨まれると迫力がある。ルーチェはまだ痺れる手を押さえたまま後ろへと足を引いた。

「僕は人間だよ。ネコじゃなくて、人間だよ」

 いつもの軽い調子とは違う、真剣な声。

 ルーチェはゴクリと唾を飲み込んだ。

「ルーチェは僕がわからないと思ってるんでしょ? でも、ちゃんとわかるんだよ。ルーチェが、僕のことをネコだって思ってること」

「……っ」

 ルーチェは口を開いて――でも、出てきたのは否定の言葉ではなく微かな息だけ。喉がカラカラに渇いて痛い。

「ルーチェ。僕、ネコじゃないよ。人間だよ」

「わ、わかってるよ……だから、ジュストのことを人間に戻す方法を探してる」

 ルーチェは胸の前で手を握った。

 わかっている。ジュストがネコ扱いされたくないことも、人間だということも。

 ただ、彼を人間だと思うとうまく気持ちを消化できないのだ。ジュストの一言、一言に、ドキドキしてしまうから。

 ジュストが“オトコ”だと……意識してしまうから。

「わかってないよ!」

 ジュストは大きな声を出してルーチェの手首を掴んで引き寄せた。

 ルーチェを見上げる琥珀色の瞳の奥が揺れて……ルーチェの心を揺らす。

「わかってない。僕がわかること、わかってない!」

「ジュスト、痛っ――」

 ルーチェの手首を掴むジュストの手に更に力がこもって、ルーチェは顔を歪めた。

 オトコの人の力――ルーチェは初めてジュストのことを怖いと思った。

「僕、一生懸命勉強してる。ルーチェが僕のこと人間だって思ってくれるように。婿にしたいって思ってくれるように」

 ルーチェは微かに首を振った。

「……違うよ、ジュスト。それは、今だけだから……」

 そう、今だけ。

 今はルーチェしかいないから――ジュストがちゃんと人間に戻って、外の世界を知るときがきたら他へ移っていく気持ち。

「あのね、ジュストは他の人から見たらもう立派な男の人だよ。だから、私と一緒に寝たり、抱きしめたり……少なくとも人間の姿では、したら変なの」

 1度、深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから説明する。

「ルーチェは?」

「え……?」

 ジュストは納得のいかない顔でルーチェを見下ろしている。いや、先ほどよりも……声が低くなった。

「他の人じゃなくて、ルーチェは? それって、他の人は僕を人間だと思ってくれてるけど、ルーチェは僕のことネコだって思ってるってことでしょ!?」

「違っ――」

 ルーチェの否定の言葉がすべて紡がれる前に、ジュストはルーチェの腰を力強く引き寄せた。

 ドサッと……

 ジュストがベッドに倒れこみ、腰を抱えられていたルーチェもそのままジュストに覆いかぶさる。ジュストの胸に耳がくっついて、少し速い鼓動が聞こえてくる。

「どうして変なの? 兄様と姉様は好き同士だから抱っこする。ルーチェも僕も好き同士じゃないの?」

「違うの。そうじゃなくて……」

 ルーチェがベッドに手をついて頭を上げると、ジュストはつらそうに顔を歪めた。

「何が違うの? ルーチェが僕のこと好きじゃないってこと? それならどうしてイジワルするの? 全然わからないよ。わからないのは、やっぱり僕がネコだからなの?」

「違う、違うのっ」

 ああ、何が違うのだろう。

 ルーチェにだってわからない。

「ルーチェと一緒にいたいって思うのは変なの? 抱っこは変なの? 僕が人間だから? ネコなら一緒にいられるの?」

 ジュストは息を吸う間もないほどに言葉を紡いでいく。

「じゃあどうして兄様と姉様は変じゃないの? 僕とルーチェと何が違うの? ねぇ、ルーチェ。教えてよ――っ」

 どんどん声を荒げていくジュストは、両手でルーチェの頬を挟みこむ。

 直接触れるその手はとても熱い。

 ジュストもルーチェも何も言わなくて、ただお互いを見つめたまま時が止まったみたいな感覚に支配された。

「教えてくれないなら、僕、わからないからね」

 どれくらい経ってからだろうか。静かにジュストが言葉を紡ぎ、ルーチェの頬から手を首筋に滑らせた。

 ルーチェの身体がビクッと跳ねる。

「っ、ジュス、ト……?」

 ジュストの手はルーチェのうなじと背中へ、そして次の瞬間、ルーチェの顔がジュストの胸にぶつかった。

「僕はルーチェと寝るよ。絶対、ルーチェと抱っこして寝るんだから」

 回された手に込められた力から、放さないという意思が伝わってくる。

 ジュストに逆らう言葉も、行動も、なぜか出てこなくて……

「僕、人間だよ。ルーチェのこと、好きなんだよ? 抱っこしてもいいでしょ? 婿になってもいいでしょ? 僕、勉強するから……ちゃんと、人間に戻るから……ルーチェと一緒にいていいでしょ?」

 わかっている。

 ルーチェを惑わせるような速いビートも、ルーチェを包む温かい熱も、全部本物で……ジュストが人間のオトコなんだということ。

 わかっているから、どうしたらいいのかわからないのに。

「ねぇ……僕、ルーチェが女の子だって、ちゃんとわかるよ?」

 ドキッとした甘い音と、チクリと針に刺されるのに似た胸の痛みが、同時にルーチェに落ちた。

 わかっている。

 ルーチェだって、ジュストがネコではなくてオトコなのだと。

 ただ、ジュストの「好き」を図りかねている。

 ジュストの鼓動と温もりがいつまでルーチェに向けられるものなのか、わからない。

 わからないから、慣れてはいけないのに。目を閉じたらダメなのに。

 ルーチェを安心させる温かさを拒否することができなくて……

 眠るだけ。今だけ。ジュストを宥めるだけ。

 ルーチェはギュッと目を瞑って、ジュストのシャツを握った。

 ちゃんと、わかっているから――

「ルーチェ……可愛い。いい子――」

 ぼんやりと薄れていく意識の中、ジュストがルーチェの頭を優しく撫でてくれた気がした。


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