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触れて 融けて 流れて 消えて。  作者: 篠宮 楓
はじまりの季節。

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21/21

覚えていて。

 それは、不思議な光景だった。





 一月という珍しい時期に花を咲かせた千年桜は、咲き終わったその枝に葉を茂らせることなく沈黙した。テレビの取材や専門家、公園を管理している自治体が調査と並行しながら回復できないかいろいろ手を尽くしたけれど、緩やかにその命は細くなり、そして数カ月後その命を終えた。

 





「あれが、その桜かぁ」

 前で上がる声を聞きながら、一志は公園の外から見える枝に視線を向けた。

 公園へと至る坂道を、兄の車いすを押しながらのんびりゆっくりと上がっていく。兄の隣には沙紀さんが寄り添い、楽しそうな声を上げていた。


 手術から三ヵ月がたち、兄の身体は主治医が驚くぐらいの回復を見せていた。外出できるまでに半年はかかるだろうと言われていたけれど、三ヵ月で許可が下りるくらいには。まぁ、だからといって退院とまではいかず、外出許可であり決められた時間に病室へ戻らなければならないが。それでも当初告げられていたより、スケジュールは速まっていた。

 それはこれから長くかかるだろうリハビリや通院を支える為、通っていた地元の大学から病院の近くの大学に三年時から編入することを決めた恋人である沙紀の存在が大きいだろう。

 他の大学から受けなおす事を認めてくれた、沙紀のご両親にも頭が下がる思いだ。

 もともと病気が分かる前に住んでいた兄のマンションに、沙紀が入るかたちで話し合いが進んだ。もちろん一志たち家族もこちらに引っ越し済みで、兄ももちろんだが沙紀の事もフォローしていくつもりだ。

 沙紀は、兄にとっても一志たち家族にとってもとても大切な存在だから。


 そんな兄はリハビリに勤しみながら、病室で仕事を始めていた。

 大学を卒業してフリーの仕事を始めた時は両親がとても心配していたけれど、場所や時間を選ばない働き方ができることを考えれば、今の兄にとって本当にありがたい進路選択だった。

 良いのか悪いのか、ある意味先見の明があったとでもいうべきか。いや、病気しないのが一番だけど。


 今日は外出許可が下りた兄を、沙紀さんが桜を見せに行きたいと広い野原とも言える公園へと連れだしていた。

「あれが狂い咲きの千年桜? まだしっかり立ってるじゃんか」

 公園の入り口から車いすを乗り入れれば、そこには黒い幹を晒して葉のない桜の木が囲いの中に立っていた。ちらほらと桜を見上げている人の姿がある。

 今後撤去する予定らしく、今は人が近づかないように囲いをしてあるらしい。

「中はもう枯れてるらしいけれど、本当に残念。とてもきれいな桜だったんだよ」

 近づけない事を知っている沙紀さんは俺から車いすのハンドルを受け取ると、近くにあるベンチへと向かった。

 沙紀さんの言葉に、兄は少し寂しそうな表情で桜を見遣る。

「こっちに越してきた時に見に来ればよかったなぁ、もったいない事をした」

 そういっている言葉を耳でとらえながら、一志は桜の木へと足を向けた。


 あの日から何度かここに足を運んだけれど、やはりもう桜の精霊の姿を見ることはできなかった。そうして枯れてしまった桜の木を見れば、あの人の言葉がまざまざと浮かび上がる。

 そして、自分の願いも。


 あの日あの人が持って行ってくれた願いは二つ。

 兄と咲さんの幸せ。そして……



「……あ」


 桜の囲いの傍まで来た俺は、同じようにそこで佇む姿を目にして小さく声を上げた。

 長い、ストレートの黒髪に、透き通るような白い肌。細い体躯。そして伏せられた目を彩る長いまつげ。あの日見た、あの日から焦がれたその姿。


 自分の声にふと気がついたかのように顔を上げた彼女は、一志を見て驚いたように瞬きをした。


「……」

「……」


 お互いに何も言葉が出なくて、じっと見つめあう。

 その時。


『なんだよ、人になっても主さまは一志がお気に入りなんだなぁ』

『だなぁ』


 突然響いた声にびっくりして視線を動かせば、桜の木の下に男と子供の姿。思わず危ないよと言いそうになって、口を閉じる。 

 白い昔風の着物を着た、親子というか兄弟というか。影のないその二人は、微かに向こうが透けて見えた。

「……見えるのか?」

 おずおずという体で問いかけてきた彼女の言葉に、大きく頭を振る。

「あの、俺と同じくらいの男性と子供の姿が……」

 どうやら落ち着いていると思った自分もだいぶ動揺しているのか、身振り手振り大き目なリアクションで彼女の言葉に同意した。

 あっけにとらてたようにぽかんとしていた彼女が、くすくすと笑いだす。

「そうか、一志は面白い奴だったんだな」

 耳に優しい、穏やかな低めの声。口調が少し古めかしく感じる、不思議な感覚。

「霞、さんですよね」

 ずっとずっと呼びたかった名前を、言葉に載せる。彼女は……霞は少し驚いたように目を見開いてから、細くそれを閉じた。

「森の主さま以外から、初めて呼ばれたよ。一志にとってはつい最近かもしれないが、ひさしぶりだね」

「やっぱり、さくらの精霊様……!」

 霞に駆け寄り、その肩をもつ。


「あのっ、ありがとうございました! あなたのお陰で、兄は……」

「ストップ、一志! 落ち着け!」


 声を上げて感謝を伝えようとした一志の口を、霞は両手で塞いだ。

 なんで言わせてくれないんだと霞の手を外そうとしたら、横からのんびりとしたけれども少し殺気のこもった声が響いた。

『はい、女子高生に詰め寄る変態さん見つけー。朔、これが事案だ事案』

『じあん? じあんはたべれるの?』

 通じていない話でも、思わず止まってしまう内容だった。思わず手を彼女から外して視線を下に向ければ、そこにはまごうことなく女子高生な制服を纏っている霞の姿。


「落ち着いたか、一志」

「……」

 ふさがれている為頷くことで了解を示すと、霞は笑いながら両手を外した。

「流石に、さくらの精霊様はやめてくれ」

 苦笑する霞に小さく謝罪する。

『喜んだりお礼言ったり謝ったり、忙しい男だなぁ』

「……あの、あなたたちは」

 さっきからツッコミをかましてくる男を見れば、霞が二人を指さした。

「他の人からは見えてないから、あまり喜楽たちを見て話さない方がいいぞ」

「喜楽?」

「そう、こっちの大きい方が人の喜びや楽しさの感情から生まれた精霊で、喜楽。小さい方が、森の主さまから頂いた土の精霊の朔」

「精霊」


 透けていることを考えれば察してはいたし、さくらの精霊がいるのだからもっとたくさんいてもいいのは分かっているけれど、それでもやはり精霊っているんだなぁと改めて思う。

「一志は最後私に触れたから、精霊の力が少し移ったのだろう。まぁ、うるさいかもしれんが害のないものだからたまに話しかけてくれ」

『うるさいって何。主さま、人間になったら口が悪くなった』

「なんだかんだで、今は年下だからな。あ、それで……」


 霞は思い出したように、スカートのポケットから何か袋を出した。

『それ……森の主さまの』

 驚いたように、喜楽が呟く。朔も、ぽかんと口を開けたまま霞を見ていた。

「そう、森の主さまの願いの欠片。私の願いで一志のもとへ行き、喜楽と朔の欠片で一志の願いを届けた。一つ残った私の分の欠片は、生まれた時にこの手に握っていたらしいんだ」

 袋からころんと出てきたのは、琥珀色の欠片。

「記憶が戻ったのがつい最近でね。それからこの場所を探して来るのに、時間がかかってしまった。これを朔に渡したかったんだ」

 指先でつまんだ琥珀色の欠片を、霞は朔へと差し出す。

『森の主さまのにおいがする』

 両手で受け取った朔は、じっと欠片を見て小さな声で呟いた。霞は、そうだねと頷いて朔の頭を撫でる。

「その欠片とさくらの精霊だった私の力で、二人に置き土産をと思ってな」


 霞は朔の両手に置かれている琥珀の欠片に向けて、あたたかな息吹を送った。それは音を立てるようにして欠片を取り巻き、吸い込まれていく。

「朔、お前の力で私の子を育てておくれ。お前達の桜を」

『主さまの子供?! またここで生きられるの?』

 朔ではなく、喜楽が嬉しそうに声を上げてくるりと宙へと浮かんだ。朔は手の中の欠片をじっと見て、そっと両手で包みこむ。

『主さま、大切にお育てします』

「そうか、ありがとう」


 にこりと笑った朔はとてとてと歩いて桜の木の傍まで行くと、うんしょとそこに座り込んだ。まるで、数カ月前の自分のように。

「じゃぁな、喜楽」

 霞はそんな朔を微笑まし気に見ると、宙を飛んでいる喜楽に声をかけた。彼は自由人らしく、逆さに飛びながら両手を振った。

『また来てね、主さま。一志もね!』

「あ、はい、うん」

 なぜか微妙な返事になってしまった一志を気にすることなく、喜楽は枯れた木の上へと飛んで枝に腰を下ろす。その姿は、とても楽しそうなものだった。


「さて、一志」

「は、はいっ」

 隣に立つ夢に声を掛けられて、ぴっと背筋が伸びる。霞はそんな一志を見て苦笑すると、腰に手を当ててため息をついた。


「その態度はやめようよ、少なくても一志の方が年上でしょう? 私はただの高校生なのに、年上の人から敬語とか精霊様とかおかしいよね?」

「はい?」

 突然今風に話し始めた霞に、驚いて言葉を返す。すると片手で頬を押さえた霞が、仕方ないなぁと呟いた。

「さすがにいつもは普通に話してるよ、記憶が戻ったのもほんの少し前だし」

「あ、そ、そう」

「そうなの。私は十七歳で、高校二年生。少なくとも、一志より年下でしょ?」

 促されるままに、ええっと……と口を開く。

「十九歳。大学二年生」

「ほらね……。でも大学生なんだ、もっと上に見えてたよ」

「老けてるという意味で?」

「いやいや、落ち着いているという意味で」


 霞は踵を返して桜を背に歩き出すと、ついてきた一志を見上げて笑った。

「桜の私の親ともいえる森の主さまの力がね、一志の願いをかなえてくれた。私に会いたいって願ってくれたから、人の輪廻に加えられたんだ」

「りんね」

「そう。かといってあまり年齢差があると会える確率が減るから、時を歪めて過去へと送って同じくらいの年齢にしたって神様が言ってた」

「かみさまが」


 もう、なんだか話が壮大過ぎて同じ言葉を繰り返すしかできない。そんな一志に笑いかけながら、霞は兄と沙紀がいるベンチの前で立ち止まった。

「初めまして、お兄さんと彼女さん」

「は?」

 何を言うのかと思ったら、突然挨拶をした霞に一志が声を上げる。

 いったいどう説明するんだ、自分達の関係を!


 兄と沙紀はきょとんとしたけれど、面白そうに笑って声を上げた。

「初めまして、可愛いお嬢さん。一志の彼女?」

「初めまして!」

 きゃっきゃと声を上げる二人を止めようとした一志を、あっけらかんとした霞の声が遮った。

「いえいえ、この桜の所であった知人です。お兄さんが手術をすると伺って心配していたんですが、無事に成功されたと今聞いたもので」

 ぶはぁっ

 兄の笑い声が大変むかつくでござる。

「そ、そうなんだ。おかげさまでつつがなく終えることができました。心配してくれてありがとう」

「彼女さんの愛の力ですね!」

 ぐっと握りこぶしを握って沙紀を見れば、照れたように笑って兄の頭を叩く。

「そんなこと~」

「痛いっ、痛いから沙紀!」


 いちゃつく二人を微笑ましく見ていた霞は、そうだ……と沙紀さんの手を取って兄の膝の上に置いた。そうして自分の手を、その上から重ねる。

「リハビリがうまくいきますように。おまじないです」

「……ありがとう」

 少し驚いたように目を瞠った兄が、穏やかに沙紀と笑う。

 その姿にどこかじーんと来ていた一志の目の前で、霞はぐっと腰を伸ばして上体を戻した。


「一志、再会できて本当に良かった。では皆さん、また機会がありましたら! 失礼します!」

「え?」

「ありがとう」

「気を付けて帰ってね」


 元気よく手を振る霞の後ろ姿を、一志は二人と一緒に見送った。

 ……?

「見送ってていいのか? おーい、一志くん」

 惰性のように手を振っていた一志は、面白そうな兄の声に我に返った。

「いやだめだ、後は頼んだ!」


 反射で言葉を返して、公園の出口へと駆け寄る。後ろで兄と沙紀の楽しそうな笑い声が上がっていたが、無視することにした。



 ……再会できてよかった。


 彼女にとっては、「再会できた」ことが一志との約束で願いだったのだ。そこで、終わりの。


 一志は公園の入り口から辺りを見渡して、歩いていく霞の後ろすがたを見つけて駆け出した。あまり人通りのない、というかまったくない道だったからなんとか追いつけそうだ。


 一志は走りながら、鞄に入れてある本の……正確にはしおりを上から押さえた。

 彼女が最後に残していった、一枚のはなびら。押し花にして、しおりとしていた。彼女にまた会えたら、話しかけることができたら、いろんな未来を考えていたけれど再会できても続かないんじゃ意味がない。


「霞……!!」


 もう少しで追いつけるところで、名前を呼ぶ。

 あの時、精霊の彼女に教えてもらった本当の名前。

「一志?」

 心底不思議そうな声で一志を呼びながら、彼女が振り返った。追いかけてくる意味が、分かっていないようだ。

 という事は、本当に再会だけが目的だったと。



「霞、あの……」

「どうしたの?」


 振り返った霞を前にして、言葉が出ない。

 何を、なんて言ったら、うわぁぁぁぁ。


 焦って焦って切羽詰まった一志は、右手を出して頭を下げた。




「友達になってください!」

「……はい?」





 少しだけ先の未来には桜の新しい芽がでたと、喜び合う人々の姿があるはず。



 そして。



 いつかの未来、笑いあいながら話すだろう、はじまりの日。 



------------------------



 遠い昔、主さまから頂いた名前があってね。もう最期だから、誰かに……お前に覚えていてもらいたいな

 


 花霞からとってね。私の名は、霞というんだよ






 覚えていてくれると嬉しいな……




 




 おわり


ご覧くださり、ありがとうございました!


篠宮

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