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14話 地球side 男湯

 草野くさの さとしは舌打ちをした。

 ゲリラ豪雨に苛つきつつも駅まで来たが、運悪くちょうど電車が行ってしまった所だった。次に来るのは15分後なのを確認し、案内板の支柱を蹴り飛ばす。

 仕方なく駅のホームで待つ。無意識に貧乏ゆすりが激しくなる。


 苛立ちが募り、ポケットから乱暴に煙草を取り出した。

 ライターに火をつけて煙を燻らせる。眉間に皺を寄せ、凶悪な表情を隠そうともしない。

 優汰達の前でだけひょうきん風を装っているのか。あるいは彼らの前でのみ本音を曝け出せるのか。先ほどまでとは違う、荒んだ聡の姿がそこにあった。


 ふいに彼は、後ろから声を掛けられた。

 雰囲気から察するにおそらく相手は不良数人だろう。

 金髪に染め上げた聡の後姿はそれなりに目立つ。彼とて不良のはしくれ、ポケットに手を突っ込んで闊歩する姿は中々凄味がある。

 突然喧嘩を吹っ掛けられるのは珍しくない。またそんな連中かと舌打ちする。


「んだよ」


 鬱陶しそうに聡は振り向く。半ばキレ気味に視線を向け、凍りついた。

 下卑た笑み。腐った魚のような瞳。無精ヒゲ。


「よお草野、ちょいとツラ貸せや」


 考えうる中で最低最悪の展開。

 聡には顔を青ざめる暇すらなく、ガラス瓶で殴られ気絶させられた。






「ルリララっ、ここが気持ちいいの……?」

「莉子っ、尻尾は、ぁ……~~っ、ふぁ、あっ、あ……!」


 壁一枚隔てた向こう先から、女性達のいやに姦しい声が響いてくる。優汰は悶絶寸前だ。


「向こうは女の子同士で盛ってるのかな」

「盛るっておい……」


 何の躊躇いもなく、ヴァイスはさらりと直接的表現。


「ったく、莉子はまた……」


 優汰は呆れた。そんな彼も足をモジモジとさせ、どうも落ち着きがない様子だ。


 無理もない。

 女湯にて行われているであろうとある行為。その副産物である嬌声が、男湯のほうまで漂ってきてしまっているからだ。

 耳朶に響いてくる、その悩ましげな嬌声が、まるで桃色を帯びているような。強烈な興奮作用を伴って、ここまで届いてくるのだ。


 自分たち以外に客が居なくてよかったと優汰は心底安堵する。というか壁向こうの声を他人に聞かれるのはあまりにも恥ずかし過ぎる。

 優汰の頬には朱が差していた。思春期真っ盛りの高校生にとって、拷問に近いと言ってもいい音色だった。


 一方のヴァイスはというと、至極平然としている。涼しげな表情を崩そうともしない。

 色仕掛けの類には耐性を持っているのだろう。類稀なる美しい顔立ちをしているのだから、おそらく向こうの名無し世界でも相当モテている筈。女性には飢えていないのだろう。


「ねえユーたん、息止め勝負しようよ」

「はしゃぐな。バタ足すんな!」


 そんな彼は、まるで大きな子供。浴場に入るなり真っ先に湯船へとダイブし、銭湯を隅々まで探検していき、シャンプーでそこらじゅうを泡まみれにしてしまったり、何処で拾ったのか水鉄砲で優汰を狙ったりなど。

 つくづくもったいない奴だと優汰は思った。強くて、長身で、美麗で。ただその性格と軽すぎる言動が、何もかもを台無しにしてしまっている。


「恐くないのかい」


 ひとしきり遊び倒して気が済んだのち、ヴァイスがぽつりと呟いた。


「何がだ」

「リコたん災難だったね」


 どうやら莉子の話題を振っていたらしい。

 あまりに穏やかな口調だったから。一瞬だけ理解が遅れた。


「その背中の痣、あの時に出来たんでしょ」


 ヴァイスは指差す。優汰の背中一面に広がる、青黒い痣を。

 いつ出来たのかは分からない。黒騎士に吹き飛ばされて壁に叩きつけられた時か、それよりもっと前か。大した痛みは無いものの、完治にはしばらくかかるだろう。


「俺なんか別にいいだろう。莉子が無事なのが何よりだ」


 それは優汰の本心だった。彼は自分の身を案じることはあまりない。なによりも最優先されるのは莉子である。


「リコたんのことが、本当に好きなんだね」

「当たり前だ」


 優汰はこともなげに言い放つ。己がどれだけ怪我を負おうが、莉子が無事ならそれでいいのだ。


「黒騎士に斬られ、一時期は失血死寸前までいっていた。生き残れたのは、まあ不幸中の幸いとでもいうべきかな」


 ついさっき偶然にも、壁一枚隔てた向こうで同じ話題が上っていた。優汰がそれに気付くことは無い。


「ましてや奇跡的にも、傷一つ残ってない」


 それは確かに、そうであった。奇跡という表現を使っても何の違和感もないほど。


「だけど普通あんな目に遭ったら、もう勇者活動なんてコリゴリだと思うんだけどなあ」

「そういうモンなのか?」

「普通に考えたらさ、絶対そういう結論に至っちゃうんだよねー。だってキミ達からしたら異世界で勇者をするなんて、全くもって慈善活動以外の何物でもない訳だしさ」


 報酬がある訳でもボランティア精神がある訳でもない。

 勇者を引き受けたのも、優汰達がそれを今までずっと続けているのも、全部なし崩し的になんとなくである。


「それで怪我なんかしようものなら堪ったものじゃない。ましてや命を落とす危険すらあるんだ」


 それは優汰も身をもって経験した。事実、彼自身はともかく莉子は生死の境目を彷徨っていた。


「2度と勇者など御免被る! って言われても、僕達には引き留める権利なんかこれっぽっちもちっともないんだよね」


 優汰は少し考える。他人に考えを説明するのが得意でない彼は、悩みながらも言葉を捻り出した。


「正直、逃げだしたいって気持ちはある」

「それでそれで?」

「急かすなよ。黒騎士に襲われたグヌヌエット村」


 優汰の脳裏にあの惨劇が浮かぶ。

 何人が生き残ることが出来たのだろうかと考えながら。


「あー。あったねぇそんな村」


 ヴァイスは興味なさげな声色。まるで事件があったことすら忘却しているかのような。


「あそこで死んだ人たちは、みんな俺達を頼っていたんだろう」

「多分ね」

「俺がもっと強ければ、救えた命があったかもしれない」


 どうでもよさそうにヴァイスは頷く。

 客観的に見て、悪魔将に襲われたあの村が救われていた可能性は、皆無だ。

黒騎士を撃退したことも、また奇跡と呼ぶにふさわしい。むしろ4人全員生き残っている方が異常事態だろう。

 ヴァイスは目を細める。そんな相手と出くわした事実を、この痩せっぽちな少年はどこまで理解出来ているのだろうか。


「俺は勇者の重みってのが、まだよく解かってない」


 ――――グヌヌェット村民との初対面は、まだ幼い少年の死体だった。

 優汰は湯をすくいながら、当時の惨状を思い出していく。


「だけど、そう簡単に逃げ出しちゃだめだってのは解かる」


 止めようと思えばいつでも止められるだろう。咎められる筋合いなど無い。だけど。


「俺みたいな弱い奴でも、守れる命があるのなら、勇者ってのを続ける義務があると思うんだ」

「ふーん」

「ただ莉子はもう連れて行かない。莉子を危険な目には遭わせられないから」


 あれ以来優汰は、何があっても莉子を城の外には連れださないと固く誓っていた。たとえ莉子が何と言おうともだ。

 喋るのを終え、優汰は力を抜いた。肩が凝っている。途中からかなり力説していたようだ。

 それ故にヴァイスが一瞬眉を顰めていたのには気付かなかった。


「ふーん……」


 返事が無い。何か思案するように、ぼんやりと天井を眺める。

 しばしの沈黙の後、ヴァイスはゆっくりと口を開いた。


「平凡な答えだね」


 流し眼でチラリと優汰を見た。視線におもわずドキリとなる。


「模範的というか、キミらしいというか」

「どういう意味だよ」

「テストで100点を取れそうな、素晴らしい回答だってことさ。エリシア全国民が泣いて喜ぶよ」


 言葉裏に凄まじい皮肉を感じる。

 相手を鬱陶しがらせることをやらせたら随一の彼だが、相手を不快にさせるような真似はしない。

 さっきのように、ここまで馬鹿にするような物言いは、普段のヴァイスならしない。


「言いたいことがあるのならハッキリ言ってくれ」

「ユーたんって、視野が狭いんだね」


 ヴァイスははっきりと優汰を侮辱した。


「どういう意味だ?」

「視野といっても物理的な意味じゃなくて、こう思考が偏ってるっていうか」


 一体何を言っているんだ? 優汰の頭の中で疑問が渦巻いていく。


「けど、グヌヌェット村の住人は」

「滅んだ村なんかどうでもいいよ」


 優汰の発言をヴァイスはぴしゃりと遮る。


「死んだ彼らにしたってさ、どうせキミ達の為に死ねて本望だったんじゃないかな」

「そんな言い方……!」

「だが事実だ」


 思えばゲームセンターに行く途中でも、ヴァイスは物騒なことを言っていた。

 これが彼の本性なのか、優汰は頭が混乱していく。彼は弱者には容赦無いのか?


「勇者様のために殉死することは、僕達の世界において最高の誇りとされている」


 それは向こうの世界で最もポピュラーな宗教の、教義の最も根幹を成す言葉である。


「ヨルテス教か……」

「その通り。人間は弱くてちっぽけな生き物。だから宗教や神様に頼ろうとする」


 地球にだって宗教はある。仏教にキリストイスラム。宗教の違いによって、引き起こされた戦争もある。


「そして長い年月を掛け、勇者は神をも超えた。むしろ勇者こそが唯一神だっていう信者もいるっけなあ」


 ――――勇者様の願いとあらば、髭などいくらでも滅しましょう。死ねというのなら、喜んで腹を切りましょう。

 ヨルタ教皇が脳裏に浮かぶ。随分と濃いキャラクターな老人だ、あのときはそう思った。

 だがあの異世界では、誰もが当然とばかりそれを口にして実行する。奇妙な宗教、どれだけ経っても隔絶感を拭い去ることが出来ない。


「僕達の世界がファンタジー要素溢れる素敵なトコロっていう、変な錯覚とかしてないよね」

「あの世界は、キミ達が思っている以上にどす黒くて汚いものさ」

「そんなヤバいトコに召喚されたって、自覚ある?」


 堰を切ったかの如く、ヴァイスは喋り続けた。

 その圧倒的な情報量に優汰は辟易する。どうしてこいつは人をからかうのが趣味なのだろうと、場違いな感想が頭をよぎる。

 頭がパンクする前に、無意識に思考を横に逸らそうとして。


「させないよ」


 ヴァイスは突然、身体を乗り出して急接近した。肌が密着するほどにヴァイスはぐっと身体を近づけてくる。

 壁際に追い詰められた。何か様子が変だと、思わず目をそむけようとする優汰。だが頭を横からぐっと掴む。絶対に逃がさないと迫ってくる。


「キミは面倒事から目を逸らしたがる傾向にある」


 じっと優汰の眼を見つめるヴァイス。

 金色の瞳に吸い込まれるように見つめ返す。


「勇者の条件って、何だと思う?」


 ヴァイスの銀髪は、うっすらと水色がかっていた。間近に寄られてからようやく解かるくらいの、淡い色彩。

 きらきらと輝いているような気がする。虹のような、不思議な光沢。


「勇者の条件。まず第一に従順であること、そして第二に愚者であること」


 何か言っているが、頭が混乱しているせいで耳に入ってこない。

 ヴァイスは細身ながらも筋肉質だった。ローブを着込んでいない、肌が露出している部分だけ日焼けしている。


「キミ達は非常に与しやすい。特にユーたん、キミは視野があまりにも狭すぎる」

「……俺が?」

「周囲を気にしてる風に見せかけて、自分の都合しか考えてない」


 鼻孔をくすぐる微かな香り。備え付けの安いシャンプーなどでは無い、人を安心させるような優しい香り。だけど今はそれが果てしなく深く底知れない。

 ヴァイスを観察していく内に感覚が麻痺していく。一体何を危惧しているのだろう、一体彼は。


「思考を逸らすな。なぜ現実を直視しない?」


 逃げ道を塞ぎ、さらに追い詰めていく。


「知ってるかい? 1人で全部抱え込もうとするのは、他人を犠牲にすることの裏返しなんだ」


 ヴァイスの発言が、脳髄に深く突き刺さる。

 現実を直視せず、優汰は自分本位のことばかりを考え、その結果莉子を傷付けた。先日も、2年前のあの日も。


「リコたんを大切に思ってるんだよね? ならどうして自分中心でしか考えられない?」


 肩に手を回して更に近付いてくる。顔と顔が接近していき、互いの息遣いが届く距離、僅か数cm。


「なんてね」


 ヴァイスがさっと身を引く。

 緊張から解放された。

 無意識に息を止めていた。

酸欠状態だったことに気付き、慌てて深呼吸する。


「どうしたのユーたん、のぼせちゃった?」


 ヴァイスはまるで他人事のように聞いてくる。


「なんでお前は、そんな人を食ったような言い方するんだ」

「僕がからかうのは、気の置けない人だけだよ」


 それは自分達の事を認めているということなのだろうか。

 ふと、優汰はある疑問に気付いた。


「お前は何者なんだ」


 ヴァイスは他の人と違う。優汰達が目にしてきた、他のエリシア国民とは何かが決定的に違う。

 ヨルテス教を揶揄する発言しかり、エリシア国民を愚弄する発言しかり。

 ……問いかけの答えを口にすることは、彼の性格上ありえないだろうが。


「ナイショ」

「内緒ってお前」

「秘密が多い人って、ミステリアスな感じがするでしょ」


 ニコリと笑う。予想通りの回答だった。


「そろそろ上がってこい」

「僕はもうちょっと浸かってるよ。むしろユーたん一緒に泳ごうよー」

「アホか」


 呆れながらも優汰は大浴場を後にし、さっさと脱衣所へと戻る。


「忠告はしたからね。後はユーたん次第だよ」


 扉が閉まった後、ヴァイスはそっと呟いた。










「フルーツ牛乳とかでいいかなー」


 莉子は銭湯の外にある自動販売機の前で、莉子は考え込んでいた。ひとしきり悩んだのち、やがてフルーツ牛乳のボタンを押す。

 とりあえずこれで許してもらおう。そんなに怒っていない筈だ、ルリララもまんざらって様子ではなかったし。うんまあ、たぶん怒ってはない筈。

 それから優汰の分も。炭酸が好きだから、サイダーでも買っておこうかな。

 ついでにヴァイスの分もと思いふと考える。彼の好みは何だろうか。まあ無難にリンゴジュースとしておこう。4本違う方が交換とかも出来るし。


「(それより今日の晩ゴハンは何にしよう?)」


 なにせ4人分だ。突然じゃなければ、凝った料理を出せたのだが。

 たしか冷蔵庫の中身はもう空っぽの筈だ。今日は優汰と一緒に買い物に行く予定だったから。


 どんなのを作ろうか。頭の中のレシピ本をパラパラ捲ってみる。

 手軽にカレーとか。でも向こうにも似たようなのがあったし、どうせならあっちの世界にはなさそうな料理にしたい。

 いっそ和風とかでいいかな。魚料理は昨日やったし。今日の特売は何だっただろう?


 ふと後ろに大きな人影を感じた。なんとなしに振り向く。


 数人の男が、莉子を取り囲むようにして立っていた。

 下卑た笑み。腐った魚のような瞳。無精ヒゲ。

 莉子は彼らに見覚えがあった。当時のトラウマが蘇る。


「ひっ」


 悲鳴を上げようとした瞬間。莉子の腹部に拳がめり込む。


「あがっ……」


 髪の毛を掴み、アスファルトに叩きつけた。頭蓋から飛び散る血飛沫。男の一人が金属バットを取り出し全身を殴り続ける。

 一切の躊躇が感じられない、徹底的な暴力。莉子の口から血が流れる。口の中を切ったのか、歯が欠けたのか。


 ぐったりとして動かなくなった莉子。大量の血を流し、全身に青痣が浮き上がっている。そんな少女を指差して、嗤う男共。

 財布を乱暴に開け、紙幣を強引に引っ張り抜いた。ついでに地面に転がっている缶ジュースも回収していく。そして倒れ伏した莉子をかついで、野卑な会話をしながら立ち去っていった。


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