11話 地球side 「平和すぎてみんな腐ってるね」
家を出て、歩き始めてだいたい10分が経つ。空腹感。胃が空っぽの感覚だ。
そういえばまだ昼飯を食べていない、あっちの世界で済ませるつもりだったから。適当にファーストフード店でも寄っていこうかと優汰は考える。
「うわっ」
自動車が通るたびに、ルリララは素っ頓狂な声を上げる。
非常に興味津津、といった様子だ。初めて見るのだから当たり前だろう。とはいえあまり目立つ行為はしてほしくないというのが優汰の本音である。好奇心旺盛なのは別に悪いことではないが、傍から見れば痛い子だ。
「(自動車って一体、どういった仕組みで動いてるんだろう)」
ふと優汰は頭に浮かんだ。実際あんな金属の塊が、どうやってあんな猛スピードで突っ走れるのか。説明を求められてもまず答えられない。
ヴァイスやルリララは呆れるかもしれない。科学技術の恩恵を授かりながら、その実情をちっとも知らないのだから。
けど莉子なら多分知っているだろう。質問されてもなんとかしてくれるか、いやもう既に済ませてたか。
「なあ優汰、あの赤く光ってるのは何だ?」
「俺に聞くなよ。アレは信号機っていう、えーと莉子」
「信号機というのは~~」
お得意の解説が始まった。信号機の役割はまだしも、仕組みや素材や製造過程は、はたして一般常識の範疇か。莉子もからかい半分で喋っているのだろう。
それはともかくちょっと莉子に頼り過ぎか。またしても無責任な丸投げだったと、優汰は少し反省する。
「(莉子……)」
ときたま彼は思う。可愛らしさといい器量の良さといい、よくよく自分にはもったいない位にできた恋人だ。
莉子に好かれるのは、この上ない至高の幸福なのである。実感が無いのはいつも傍にいてくれるからだろうか。
昔から家同士が近所だったせいもあり、物心つく前から幼馴染みだった。幼稚園から小学校中学校高校そして今。莉子と一緒にいるのが当たり前、そんな生活をずっと過ごしてきたのだ。
「? どしたの優汰、ボーっとしちゃって」
「いや、何でもない」
無意識に莉子の顔を凝視していたようだ。
妙な考えを振り払った。これから皆で遊ぼうというのに湿っぽくなっててどうする。
「平和だね」
のんびりと、街角の風景を楽しみながら歩いているヴァイスがふと呟いた。
すれ違う女性の視線を釘付けにしているのはまあ予想通り。
普通はこれだけイケメンだと、近寄りがたい印象を持たれてしまうものだろう。
ただヴァイスは目が合った女性に微笑み返したりなど、ほどよく愛想を振りまいていた。おかげで随分と親しみやすい雰囲気を醸し出している。
こういったことを素で出来る人間がモテるのだろうと、優汰は納得させられる。正に天然の女たらしだ。
「まあお前らの世界と比べるとな」
「平和すぎてみんな腐ってるね」
表情一つ変えず、微笑みを浮かべたままそう言い放った。
「腐ってるってなんだよ」
えらく穏やかでないヴァイスの表現に優汰は耳を疑った。
「おいヴァイスってば」
「こいつの言うとおりだな。どいつもこいつも間抜けな顔してやがる」
珍しくルリララも同調する。
「お前まで何言ってんだ」
「感じちまったモンはしょうがねえだろ」
渋々といった風にルリララは喋り出す。
「アタシらの世界には魔物っていう、はっきりとした脅威があるだろ。ヒトも亜人も生まれた瞬間から、死の恐怖に晒され怯えている」
「だからみんな気を引き締めてるんだけどさー」
ヴァイスはおもむろに辺りを眺めた。
「にしてもまあ、こんなに緊張感の欠片もない人間って初めて見た。しかも1人や2人じゃないし」
ヴァイスが目線で指し示すその先。ベンチに座り、ポカンとした表情でバスの到着を待つサラリーマン風の男。芸能人のスキャンダルに花を咲かせている主婦達。部活帰りなのか、友達と他愛もない会話をしている中学生達。
確かに向こうの世界では、こういった1コマはまず見ることは出来ないだろう。視界の範囲の内だけでさえこの有様である。
平和な光景、と言えば聞こえはいいかもしれない。言い換えればここにいる誰しもが、脅威に対して全く無防備であるということ。おそらく自覚している人もいない。まあ自覚する機会もそうそうない程、日本は安全な国なのだが。
「たまたま平和な世界に生まれて、魔物にも襲われずぬくぬくと生きてこられた。それは努力の賜物じゃない。たまたま運がいいだけの話さ」
言う通りだ。
黒騎士と対峙したあのときを思い出す。向こうの名無し世界で、莉子は生死の境を彷徨った。あんな経験した後ならば尚更である。自分達がいかに脆弱なのか、しかとその脳に刻まれた。
「その僥倖に、この世界の住人はどれだけの感謝をしているのだろう」
「何を言ってるんだ」
「もしこの場に魔物が現れたらどうなるか、という仮定はいささか悪趣味かなあ。予想だけどたぶん瞬殺されちゃうんと思うんだ」
ヴァイスはべらべら喋るとき誇張した表現をする傾向がある。が、今は少々過激である。
「一度、ここの人達は魔物と対峙してみるべきだ。どんな表情を見せてくれるかな? 周りの人たちが次々と惨殺されていって、そして魔物と目が合っちゃって」
「おい待てヴァイス」
あまりにも物騒過ぎる発言に優汰は眉をひそめる。黙らせようと諫めるが、ヴァイスは止めようとしない。
「生き残るというのがいかに大変なことか、骨身に沁みるんじゃないかな」
「言い過ぎだ魔法剣士」
「そうかな? でもよく考えて、例えば」
ルリララが言っても聞こうとしない。当のヴァイスはにこやかな笑みを浮かべたまま、とても残酷な発言をまだまだ続けようとする。
が、後ろで会話を聞いていただけの莉子がひょっこり顔を覗き込んできた。
「ヴァイス、盛り上がってる所で悪いんだけど」
「なにー」
「そーいう発言してると、ケーサツが来ちゃうかも。次からは小声でね」
「えっそうなのリコたん!」
口を押さえて狼狽するヴァイス。さっきまでの殺伐としたセリフは何処へやら、不安がって辺りをキョロキョロ見回し始める。
あいも変わらぬマイペースっぷりに優汰は思わず溜め息をついた。
「あの馬鹿が言ったことなんざ気にするなよ。平和なのは良いことじゃねえか」
ルリララはそう言うものの。
「(けどまあ)」
ヴァイスが言いたいことは痛いほど解かる。
別に地球上全ての人達が、太平楽に生きている訳ではない! ……という反論はまあ出来なくもない。
例えばどこぞの国で戦争だとか内戦だとか、そういう血生臭いニュースが新聞記事のトップを飾ることも多い。
日本国内でだって殺人事件だとか銀行強盗だとか、児童虐待だとか強姦だとかホームレス襲撃だとか。そういったニュースはよく目にするものだ。
そう、結局はニュースの中だけの出来事でしかない。
やっぱり他人事のように感じてしまう。どうしたって根本的に、自分達は全く無関係なのだから。
どんな陰惨な事件すらも、ドラマやアニメの延長線でしか考えられない。赤の他人が不幸な目に遭遇しているのをTV越しに眺めて、被害者は不幸だったなと同情してやるだけ。
平和なのだ。ここ日本は良くも悪くも。道端でうたた寝してても、せいぜい財布をスられる程度。呆れるほどに平和すぎる光景。
なら向こうの名無し世界では?
グヌヌェット村のように、村や町が魔物に襲われるのは珍しいことではないらしい。
明日は我が身、いや殆どの住民が経験済みかもしれない。
ヴァイスやルリララ曰く、魔物と対等に戦える強さを持っている人間はとても貴重らしい。魔物の中でも最弱である<土魔>ですら、タイマンで張り合えるのは亜人のごく一部だ。
なら魔物と戦えないような弱い人間はどうするか? 必死に逃げ切るか、逃げ切れずに殺されるかの2択しかない。
いつ何時、誰に襲われるか。明日生きていられるだろうか。四六時中、常に怯えて生活しないといけない。だからこそ勇者にすがるしかないのだ。これがあの世界の常識である。
そんな常識は、こっちの世界ではほぼ無縁なのだ。
……とでもヴァイスは言いたいのだろうか、優汰にはよく解からなかった。真相は不明である。
「ねえオナミ、あの男のコに声掛けてよー」
「ミサがやってよー。あの娘って彼女なのかな?」
通り過ぎた女性陣がこっちを指差してキャアキャア盛り上がっている。
伝えたい。この銀髪のイケメンは、貴女達を極めて軽蔑していますよと。向こうとこっちでは、価値観が全く違うのだ。死生観にしろ道徳観にしろ。
ヴァイスとルリララを横目で見る。
何を悟った気になっていたのだろう。優汰は認識した、自分達は、あの名もなき世界に呼ばれてから、間もないと言うのに。
異端なのだ。途方もなく彼らは。言葉も通じる、外見も似ている。でも育った環境も文化も全然違うのだ。
「(……の筈なんだが)」
その割には異様に馴染みすぎてる気もするが。
実はかなり不安だったのだ。この世界のことを知らないヴァイスとルリララが、うっかりトラブルを起こすのではないかと気が気でなかった。
ましてや2人とも外見だけなら超一級クラスである。否が応にも注目を集めてしまうと優汰は危惧していた。
だが意外にも2人は予想を覆した。何故かヴァイスもルリララも、不思議なほど風景に溶け込んでいたのだ。
本来であればもっと注目を集めていい筈の2人である。確かに目立つ行動をしているのだが、どうも必要以上に目立っていないようだ。振る舞いなどに多少の違和感があっても、何故かあまり意識されることが無いのである。
一般人に紛れ込み自身を埋没させてしまう能力、とでも称するべきか。上手い具合に視線を誘導して、自分以外に関心を逸らしている。それは戦闘技術を応用したものであるのを優汰は知らない。
「ところでさ」
「何だ?」
ヴァイスが背後を指差した。
「さっきから後をつけてる男って、ユーたんの知り合いだったりする?」
「……!」
ギョッとした様子で優汰は後ろを振り向く。
「ばれちまったか」
不意に声がする。優汰の顔がこわばった。
塀の影から、背の低い男が姿を現す。だらしない恰好、半端に染め残しのある金髪、喧嘩に明け暮れているのか頬に生々しい傷跡。
わかりやすく不良を地で行く少年だ。その姿を確認して、優汰の緊張が少し和らぐ。
「よー優汰、ゲンキしてたか?」
「聡か。卒業式以来だな」
彼の名前は草野 聡。
見た目は不良だが、根はそれほど悪くない男だ。ただ教師からの評判は芳しくなかったが。
一応は優汰にとって、数少ない親友である。小学校からの腐れ縁で、莉子を含めた3人でつるみ色々やっていた経験がある。その頃から素行不良っぷりは群を抜いていた。
また優汰や莉子の過去を知っている、数少ない人物である。
優汰達が起こしたかつての事件であるとか、学力評価に差があったせいもあり、お互い別々の高校に進学することになった。その後は地域が違うこともあって、今ではすっかり疎遠になっている。
「おい優汰、なんだよあのイケメンと美少女」
「親戚だよ。たまたま家に遊びに来てるんだ」
下手に詮索されると厄介なので、とりあえず用意しておいた言い訳を話す。
異世界で共に魔物と闘う仲間です、なんて話しても医者を紹介されるだけだろう。
ちなみに莉子が最初に出したアイデアは、天空から降ってきた記憶喪失の少年少女という何処かで見たような設定。それは優汰が止めさせた。
「なああの娘は彼氏とかいる訳? もしかしてあの銀髪イケメンと付き合ってる?」
「告白は止めとけ」
鼻の下を伸ばしスケベ心満々な様子、相変わらず馬鹿丸出しな奴である。優汰は呆れた、中学時代から彼はちっとも変わっていない。
ルリララの性格からして、告白などしようものなら絶対にブッ飛ばされる。もしくは踵骨筋を裂かれるか。どちらにしろ悲惨な末路なのには変わりない。
「チクショー、なんだよ全くイケメンとか滅びろよなー。顔とかルックスよりも男は腕力だろ。そう思わねえか」
残念そうに吠える聡。残念ながらヴァイスは彼より遥かに強い。喧嘩を売ったところで冷凍保存か、もしくは消し炭の2択か。どちらにしろ残念な最期なのには変わりない。
「ったく久しぶりに会えたのに、なんか他に話題ねえのか」
「あー、そうだ忘れるとこだった」
「なんだよ」
「お前に伝えとかなくちゃと思ってな」
そう言って聡は真剣な面持ちになった。
彼がこんな表情のときは、本当に切羽詰まった話をする。優汰は目を細める。
「なんでも五島の連中が、また変な動きし始めてるって噂だぜ」
優汰の顔から、一切の表情が消え失せた。
「……マジか」
「あいつら最近よく集会してるらしいんだ」
優汰の額から冷や汗が流れる。
「2年経ったからな、補導されてた奴らも出所してきてる」
「そう、なのか」
「あとダチの情報なんだがよ、どうもお前に復讐仕掛ける気らしいんだ」
「……!」
その後も聡は五島とやらの情報を話していく。だが優汰の思考は、ある一点の方向に逸れていた。
「(……俺に復讐?)」
かつて五島の連中は、優汰が関わったある事件によって壊滅させられた。それを今でも恨んでいるのか。
動揺。考えたくはないが、あの醜男ならやりかねない。
嫌な汗が流れた。優汰の表情が、みるみる険しいものになっていく。
「……まあそんな感じだ、大丈夫だとは思うけど一応注意しとけよ。特に結木乃さん」
「っ、えっ?」
「何かあったら呼んで下さいすぐに駆けつけますから!」
硬直している莉子に向かって投げキッスをした。
先程までシリアスな雰囲気だったとは到底思えない陽気っぷりである。お調子者という点では、ヴァイスといい勝負だろう。
「んじゃ俺用事あるから優汰また会おうなー今度来るときはジュース奢れ!」
踵を返して走り出す。あっという間に聡の姿は見えなくなった。
五島が不穏な動きを見せているという情報を伝える為だけに、わざわざ電車を乗り継いで何時間もかけ、優汰の所までやって来たのだろう。それほど重要な情報だったということか。
莉子は身体を震わせていた。優汰を見上げる表情は恐怖に彩られている。
「ご、五島が」
「何があっても莉子は俺が護る」
その言葉を聞いて、莉子はやや落ち着きを取り戻したようだ。だが優汰は険しい表情を崩そうとはしない。
五島とは誰のことなのか。優汰とはどういう間柄なのか。それは莉子にも関係のあることなのだろう。2人の過去に、果たしてどう関係しているのか。
「ねぇねぇユーたんどんな話してたの」
「大したことじゃねえよ」
知らなくていいことだろう。闇の部分は、全て自分で覆い隠してしまうべきだと優汰は思った。ヴァイスもルリララも、自分の世界のことで精一杯なのだ。要らぬ心配などさせる必要ない。
「つーか凄いな、気配がわかるとか。よっぽど鍛えてるんだな」
「むしろユーたん達はもっと敏感にならなくちゃ」
優汰はあらかさまに話題を変えた。
彼の心情を察したのか不明だが、ヴァイスは素直に従う、訳が無い。
「ところでさっき喋ってた五島って誰? すごく気になるんだけど」
「関係ねえよ」
やはりというか、ヴァイスの辞書に『自重』という文字は無い。
彼の好奇心をやり過ごすにはどうすればいいのか、優汰は知っていた。興味を別のほうに向けてやればいいのだ。
「ホラ着いたぞ。ここだ」
「なにこの建築物」
ヴァイスは胡散臭そうに見上げる。真っ昼間にも関わらず、やたらめったらに光るネオン。パチンコ屋ほどではないものの、結構目がチカチカする。
「ゲームセンター、って知ってる訳ねぇか。まあとにかく入れ」




