やれやれ
朝の、早い時間。
蓮見が出勤してくると、芥川が待っていた。
「蓮見さん。……昨夜の、宗像さんの当直日誌なんですが……」
芥川は、そう言いながら、当直日誌を差し出した。
「宗像さんは、監視カメラの警報確認に向かって異常無しで帰ってきているんですが。その後、天童さんと解析室にこもりきりみたいで…」
芥川の指さすのは【入室には注意してや】との手書きの文字。
「……何かあったんでしょうか? 詳しくは、書いてなくて……」
蓮見は、その一行を、しばらく、見ていた。
「……天童と宗像は?」
「まだ、解析室だと思います」
蓮見は、ため息を、ついた。
「一晩中スパコンを回すなんて、なんの計算だ? 面倒事……だよな」
「私にはなんとも……」
「お前の"象の檻"でも結構な騒ぎになる。その上、天童の"海"か……」
芥川は、眼鏡を押し上げた。
その顔から、いつもの、のんびりした空気が消えていた。
「……たぶん、その二つは繋がってます」
蓮見は、もう一度、ため息をついた。
分析室に向かう途中で、自販機から缶コーヒー三つを買って。一本を飲んでから、残りを持って解析室へ向かった。
***
解析室では、天童がモニタの前に座ってる。
宗像は、横のソファーで眠っているようだ。
ちょうど、AIが計算結果を読み上げようとしていた。
『第一次計算が、完了しました。音声での報告を希望されますか?』
「音声と同時にレポートを作ってくれ、書式は標準で」
『承認いたしました。音声報告をはじめます』
「ちょっと待って。宗像さん、計算終わりましたよ」
「あれ…もう終わったんか?」
「もう、朝です」
「しもた。ぐっすり眠ったやんか」
宗像は慌てて体を起こした
『第一。オホーツク海高気圧の、弱体化。海氷と、低い海水温を、発生源とする、この高気圧は、勢力を弱めます。これにより、初夏に、東北・関東の太平洋側へ吹き込む、冷たい北東風――いわゆる"やませ"が、減少、または、消失します』
「……それは、いいことなんじゃ、ないのか。冷害が、減る」
『短期的には、そのように、評価されます。ただし』
AIは、続けた。
『やませの消失は、日本の梅雨前線の、形成に、影響します。オホーツク海高気圧は、南の太平洋高気圧との間に、梅雨前線を、停滞させる役割を、担っています。この高気圧が弱まると、梅雨前線の位置と、強度が、変化します。シミュレーションでは、梅雨の降水パターンが、現在と、大きく異なる結果が、出ています』
モニタには日本列島の地図が表示されている。降水量の分布に、ゲリラ豪雨を示す赤が多数表示されていた。
蓮見は、静かに開けた扉をゆっくりと閉じて、解析室に入ったが、天童に声をかけそびれた。
『第二。台風の、進路への影響』
「待て」
天童が、思わず口を挟む。
「台風にまで、影響するのか」
『はい。太平洋高気圧の、張り出し方が、変化するため、台風の経路が、変わります。シミュレーションでは、従来、本州を回避していた経路の一部が、直撃経路に、変化する年が、増加しています』
天童は、何も言えなかった。
だが、宗像がAIを止めた。
「待てよ、スパコンさん。ちょっとおかしくないか? そら大量のソーラーパネルが設置されたけど、その熱で、そこまでの気候変動があるもんか」
宗像の言葉に天童は我に返った。
「そうだ。結果が大きすぎる。ちょっと沿岸の春が早まるくらいならわかるけど…」
『質問の意図を理解しました。解析します……。ソーラーパネルは、補助的な役目でしか、ありません。オホーツク海、温暖化の、主な原因は、流氷原の、減少または、消失です』
「流氷原? その原因はなんだ」
「たぶん、間宮海峡大橋やな」
AIが答えるより、宗像の言葉が早かった。
『肯定です。間宮海峡大橋が、アムール川由来の淡水を、制限する条件下では、オホーツク海に、流氷原の元になる、流氷が形成されにくく、なります。流氷原は、海表面より、太陽光を、多く反射します』
「つまり、冬でもオホーツク海全体で太陽の光が吸収できるようになる、という事か」
『肯定。オホーツク海の温暖化の主たる因子です』
「ソーラーパネルは、補助にすぎんのか…」
宗像が天井を見上げて呟いた。
***
それからのAIは、計算結果の報告を続けた。
『第三。ロシア極東の、農業生産。オホーツク海沿岸、および、サハリンの気温上昇により、耕作可能期間が、延長します。小麦、大豆等の、生産適地が、北方へ、拡大します』
『第四。サハリン沖、資源開発。海氷の減少により、石油・天然ガス生産設備の、稼働率が、向上します。砕氷型の、特殊設備が、不要となり、開発コストが、低下します』
『第五。ロシア太平洋艦隊の、運用』
天童は、モニタを見つめた。
天井を見ていた宗像も、目線を下げる。
蓮見も、いつのまにか、その後ろに立っていた。
『オホーツク海の、通年不凍化により、戦略原潜の、展開自由度が、向上します。オホーツク海は、ロシアにとって、核抑止力の中核である、戦略原潜の、聖域です。この海が、通年で、自由に使えるようになることは、極めて、大きな、軍事的意味を、持ちます』
天童は、その一文でようやく腑に落ちた。
農業でも、資源でも、なかった。
いや、それも、あるのだろう。
だが、いちばん、基本にある構造は、これだ。
原潜だ。
核だ。
オホーツク海を、凍らせないこと。
それは、ロシアの核の傘そのものを、一年中自由に動かせるようにするという、話だった。
一つ一つが、報告書の一行だった。
だが、その一行のどれもが国を動かす話だった。
日本の梅雨が、変わる。
台風が、変わる。
東北の稲作が、変わる。
ロシアの、農業が、資源が、原潜が、変わる。
オホーツク海が凍らなくなる、というたった一つの変化だ。
それだけで、これだけのものが次々と崩れるように動き出す。
『第六』
「もう、いい」
天童は、言った。
『報告を終わりますか。または、続けますか』
「……いや。全部、記録しておいてくれ。レポートも至急だ。データは暗号化して、俺のファイルホルダーへ」
『承認しました』
AIは、また、淡々と、続きの計算を始めた。
モニターには、第六……第七……とリストが次々と流れている。
天童は、もう、聞いても見ても、いなかった。
「ロシア原潜の配置と意味が変わるとか、勘弁やで」
宗像が、ソファーに転がりながらジタバタしていた。
*
「……天童、宗像」
背後からの声に、天童は驚いて振り返る。
蓮見が立っていた。
宗像は、ソファーから落ちていた。
いつから、そこに、いたのか?
蓮見は、持っていた缶コーヒーを差し出してきた。
「これが。……お前らの"面倒な予想"か?」
「…これ…です」
蓮見は、モニタの日本列島を含む地球の一部を、しばらく見ていた。
北太平洋に不規則な赤色が次々に表示されてゆく。
それを見ながら、天童の隣に座った。
「もう一度、最初から、聞かせてくれ。俺が、わかる言葉で」
天童は、うなずいた。
「しもた、俺、当直の引継ぎしてない」
床から立ち上がった宗像は、缶コーヒーを受け取ると。
「俺は横で寝てただけやから、天童くん、報告書頼むで」
と言って、蓮見に向かって直立になり。
「宗像、当直の引継ぎに行ってまいります」
「うん。ご苦労だね」
蓮見は、宗像を送り出した。
天童は、椅子の背に、もたれて、白み始めた窓を見た。
これは、一つの国の問題ですら、なかった。
オホーツク海は、ロシアのものでも、日本のものでも、ない。
あの海が、凍るか、凍らないかで、日本の米が、実り、ロシアの原潜が、動き、そして、太平洋の、台風の進む先が、変わる。
それを、あいつらは、間宮海峡の、水門一つで、開け閉めしようと、している。
だれが、これを、どうにかできるのか。
答えは否。
少なくとも自分には何もできない。
それだけは、確かだった。
情報部の一分析官がスーパーコンピュータで解いてしまった、この答え。
だが、答えが分かったところで、彼に、できることは、何も、なかった。
彼に、できるのは。これを、次の誰かに、渡すことだけだ。
そして、その次の誰かにも、たぶん、どうにも、できない。
天童は、蓮見から渡された缶コーヒーを飲んだ。
いつもより、苦かった。
***
天童の説明を聞き終えると、蓮見は、しばらく黙っていた。
その表情が消え顔でつぶやく。
「……面倒事は、いやだ、と言ったよな」
「言いました」
「これは、面倒、なんてレベルじゃ、ないぞ」
「ですね」
蓮見は、天童の顔を、見た。
「東京に、行ってくれ。このレポートは、電話や、メールで、済ませる話じゃ、ない。直接、持っていって、報告しろ」
「いつ、ですか」
「すぐだ」
天童は、少し、考えた。
「……徹夜明けなんですが」
「知ってる。悪いな。だがこれは、寝てからで、いい話じゃ、ない」
蓮見は、そう言って、端末を、操作した。
しばらくして、天童の端末に、電子航空券が届いた。
千歳発、羽田行き。
数時間後の、便だった。
「南方部にも、カーボンコピーを送っておけよ。あそこの管轄にも、絡む話だ。忘れると、後でうるさい」
「心得てますよ」
天童は、そう答えながら、内心で、思った。
――まじ、めんどくさい。
*
蓮見は、部屋を出ていきかけて、扉のところで、足を止めた。
「天童」
「はい」
「よく、解いたな。……賞賛されるべきだろうが、正直なところ、このレポートの本当の価値は、俺にはわからん。たぶん、俺には分からんくらいにスゴイものなんだと思う」
そう言って、蓮見は分析室を出ていった。
天童は、レポートのデータを、暗号化して、封をした。念の為に、自分のサーバーファイルのロックを最高にあげた。それから、息を吐いて、席から立ちあがった。
徹夜明けの、体が、予想以上に重かった。
頭の芯が、しびれている。
だが、眠気は、感じない。
あの、AIの読み上げた、いくつもの予測が、まだ頭の中を回っていた。
彼は、ある答えを得てしまった。
そして、それは、あまりにも、大きすぎて、自分の手には、負えなかった。
だから、東京へ、運ぶ。
次の誰かに、渡すために。
天童は、封をしたレポートを、鞄に押し込んだ。
窓の外では、空港へ向かう始発のバスが走っていった。
(第六話へ続く)




