貨物ヤード
数時間後の便と蓮見は言った。
本当に、数時間後だった。
天童は、渡された羽田行きの電子搭乗券の内容を確認して本部を出た。
新千歳空港の貨物便ヤード側から入れる裏口から入った。
ここからなら、北方部のパスで入れるし安全で、何より近い。
報告のため、東京へ。
ロシアが、オホーツク海を温めようとしている――この途方もない話を、しかるべき人間に、しかるべき場所で伝えるために。
頭の中では、まだ、AIの読み上げた予測が尾を引いていた。
海氷の後退。
高気圧の弱まり。
やませの消滅。
梅雨前線の乱れ。
台風の進路。
戦略級原子力潜水艦の運用。
一つ解くたびに、話が一回り大きくなる。
もう、彼の手には、とっくに余っていた。
本部裏口から、空港ターミナルへは歩いて直ぐだ。
途中の貨物便ヤードで目が留まる。
その一角に、見覚えのある車両が停まっていた。
***
鮮やかな緑と黄色。散布用のタンク。
農業機械の顔をした、改造装甲車だった。
天童が、この一件の、最初に足を止めた、あの車両。
今は、貨物用のパレットに固定され貨物機に積み込まれる順番を待っていた。
その脇に、アレックスがいる。
「東京、ですか」
天童が近づくと、彼女は振り返りもせずに言った。
フィクションの暗殺者並みに、気配でわかったようだ。
「あなたは、帰国ですか」
「ええ。あの子も、一緒に」
彼女は、装甲農機具を、顎で示した。
「この貨物機でステーツに帰るわ。北海道のデータは、もう十分だもの」
彼女の横顔は、何かを考えているようだった。
ロシアが、海を温める――その結論に、辿り着いた天童。
アレックスもまた、何かを掴んだらしい。
だが、それが、何かは言わなかった。
天童も聞かなかった。
聞いても、この人は言わないだろう。
それくらいは、わかるようになっていた。
アレックスの横に、日浦もいた。
「見送りだよ」
日浦は、照れくさそうに言った。
「寂しくなるな」
「またディスコードで」と、アレックス「モーター制御の件、続き、やりましょう」
「おう。今度は、そっちが、夜中な」
二人は、笑った。
それだけの、ことだった。
だが、天童には、それだけのことが眩しく感じてしまう。
***
貨物の搬入が、始まった。
アレックスは、天童を見た。
「気をつけて。東京は、耳が多いですよ」
「北海道より?」
「北海道より」
彼女は、少しだけ笑って、それから、搬入口の方へ歩きかけた。
だが、足を止めて、振り返った。
今度は、少しだけ。
「あなた、いい分析官ね。……いつか、また会うかも」
「それは、どっち側で…ですか」
天童が聞くと、アレックスは、また、あの、困ったような笑い方をした。
「さあ。そのときは、私はあなたに銃口を向けてるかもね」
「それは、勘弁してほしいなあ」
アレックスは、少し間を置いた。
それから、装甲農機具のほうを、ちらりと見て言った。
「……あなたが持ってものは、何番目の引き出しに入るのかしら?」
天童は、答えなかった。
その一言が、何を指しているのか。
いくつもの、読み方ができる。
重大な発見も、結局は無数の案件の一つとして、どこかの引き出しに整理されるだけだ。という官僚機構への皮肉。
あるいは、彼女自身も、かつて同じような報告を運んだことがある、という経験のにじみ。
あるいは――アメリカ側が、すでに同じ情報を机の引き出しにしまっている、という仄めかし。
どれが正しいのか、天童にはわからなかった。
もしかすると、とんだ見当違いかもしれない。
「さあ」
天童は、それだけ言った。
アレックスは、小さく笑った。
それから、今度こそ振り返らずに行ってしまった。
振り返らないのが、この人らしかった。
***
天童と、日浦は、なんとなく並んで歩き出した。行き先が同じ方向だった、というだけの理由で。
「見た目と、違って」
天童は、言った。
「アレクサンドラさんは、活発に動く人だよね」
「全くだ」
日浦は、うなずいた。
「JAとか農機具の販売店に、本州の工場まで見に行ったそうだ」
「本州の工場まで。すごいね」
「なんか、日本の生産力が知りたいと言ってたな。農機具が、どのくらい量産されているのか知らないけどな」
日浦は、それきり、その話に興味を失ったようだった。次はヒグマの調査地の話を始めていた。
天童は、相槌を打ちながら歩いていた。
日本の農機具の工場は、いざとなったら何を作るのだろうか?
***
飛行型。地上型。
肥料や種を撒く機械は、少しだけ設計を変えれば、別のものを撒くための機械に化ける。
彼女の国は、ロシアが海を温めていることに気づいたのかもしれない。天童が気が付くより前に…
だから、彼女が派遣された。
日本の、ドローン生産能力を正確に調べる為に。
いざ、戦争になったとき。
この国が、どれだけの速さで、どれだけの数の軍事用ドローンを作れるか。彼女は、"アメリカの農機具を、売り込む"という顔をして、それを測っていた。
――彼女の、本当の目的は、それなのか? 本当に、それだけなのか?
宗像は、あれほど追いかけても、一度も会えなかったのも――たぶん、偶然ではない。
彼女は、日本側の報員を避けて動いていた。
天童にだけ、会ったのは、装甲車を見られて避けたら面倒になると思ったからか。
あるいは、あえて選んだのか。
それとも別の意図か。
それも、もう、わからなかった。
天童の頭は周り続けた。
ロシアが、海を温めていた。
その脅威を、自分は知ってしまった。
だが、その時に同盟国であるはずのアメリカもまた、静かに日本を値踏みしていた。
いざというとき、この国がどれだけ使えるかを。そもそも、動くのか。
敵に気を取られているうちに、味方にも測られていた。
***
貨物ヤードの方から、ターボプロップエンジンの音がした。
天童は、振り返る。
滑走路に貨物機がゆっくりと進みはじめている。あの、装甲農機具を腹の中に収めて。
ロシアの気象兵器のことは、これから東京で報告される。
だが、あの飛行機が持ち帰るものについて、この国は何も知らない。
語られる真実と、語られない真実。
天童だけが、その両方を見ていた。
日浦が、少し先で、振り返った。
「どうした」
「いや」
天童は、また、歩き出した。
手にした鞄の中には封をしたレポートが確かにあった。
***
風が吹いてきた。
この季節の風を、天童は思い出していた。
去年の風より暖かいだろうか?
暖かいような気がしたが。
気のせいかも、しれない。
あるいは、気のせいでは、ないのかも、しれない。
天童は、羽田行きの飛行機に乗り込む。
ジャパンDMZ--非武装中立地帯--本日も、平穏だった。
(了)




