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ジャパンDMZ  作者: ヒロセカズヒ
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4/6

橋ではなく

解析室に天童がこもっていると、宗像が缶コーヒーを二つ持って入ってきた。


「よお。今夜は俺が当直や」


宗像は、片方の缶を天童の方に置く。


「暇やからな付き合うたるわ。……言うとくけどな、緊急が入ったら、俺は現場へ行くからな。お前のパズルには、最後まで付き合えんかもしれん」


「助かります」


天童は、そう言って、缶を受け取る。


「で、何を調べとるんや」


「オホーツク海の、海洋シミュレーションです」


「はあ。相変わらず、地味やな」


宗像は、隣の椅子にどっかりと腰を下ろして菓子パンの袋を開けている。

どうやら新しいものを買ってきたようだ。


***


計算を走らせる前に、パラメータを詰める必要があった。


海洋熱力学のモデルは、複雑だ。

設定すべき変数は膨大。

天童は、専門家ではない。だから、設定作業そのものはAIとの対話で進めることにした。

何を計算に含め、何を無視するか。そして、何を追加するか。

それを、AIとの会話で天童が判断する。


まず、初期設定として、最新の北海道を含むオホーツク海周辺に建設されたメガソーラーを衛星写真から割り出した。

そのメガソーラーの建設で、地表の熱の吸収や反射が変化する。

吸収された太陽光も全てが電力には変換されない。大部分は熱になる。

さらに、発電された電気は全て熱に変換して海水を温めるものとした。

誤差はあるが、北側の正確な資料がない以上は仕方のない事だ。


『海水温の初期値は、気象庁の海洋観測データを、使用します。よろしいですか』


「頼む」

天童は、そこから後は、普通のシミュレーションで良いと思っていた。


『海氷面積の、経年変化を、境界条件に含めます。よろしいですか』


「含めてくれ」


「なんや、ずーっと、これの繰り返しか」


宗像が、菓子パンを、かじりながら、言った。


「AIと、一問一答。しんきくさいなぁ」


「地味ですよ、こういうのは」


淡々と、項目が設定されてゆく。天童は、コーヒーを飲みながら半分は上の空だった。

海を温める。

データセンターの排熱。

ソーラーパネル。

頭の中では、まだ現場で見たものが順番に並び替えられていた。


『注意事項として、確認します』


AIの表示が、一度止まった。


『オホーツク海表層の、塩分濃度の変化を、計算に含めますか』


天童が、コーヒーの缶を口の手前で止めた。


「……塩分濃度? それが変化しているのか?」


『変化しています。オホーツク海表層の塩分濃度は、近年、上昇傾向にあります』


「上昇。……濃く、なっているのか」


『肯定。特にオホーツク海においては、表層の塩分濃度の変化は、結氷過程に大きな影響を与えます。この項目を含める事を推奨します』


「塩分が、濃うなっとる?」


宗像が、菓子パンを、止めた。


「オホーツク海、なんで、あんな緯度で凍るか知っとるか。アムール川の真水が、どばっと流れ込むからや。真水は凍りやすい。その、薄い真水の層が海の上に蓋みたいに広がっているから海が凍る。……その塩分が、濃うなっとる、っちゅうことは」


「淡水が、減っているのか?」


天童が、続けた。


「なんでや」


宗像の、問いをAIが拾った。


『塩分濃度上昇の要因は、複数あります。最も寄与の大きい要因は間宮海峡大橋の建設です』


天童と宗像は、少しの間その一文を読んだ。


「……間宮海峡大橋。あれ、橋やろ」と、宗像。


***


一般の常識として、現在建設中の間宮海峡大橋は、吊り橋だ。


サハリンと大陸を結ぶ大な吊り橋。

中国とロシアの共同事業。

その建設計画は、国際的に大々的に発表されている。

天童も宗像も、ニュースで、資料で、その完成予想図を何度も見た。

北の海を優雅に跨ぐ白い吊り橋。


だが、AIは違う答えを、返した。


『間宮海峡大橋の、最新の建設現場データを、参照します』


画面が、切り替わった。


衛星画像だろう。

斜めから見下ろした、間宮海峡の最も狭い場所。

そこに建設途中の巨大な構造物が、海峡を横切っている。

時刻は夕方か早朝。影が構造の形を詳細に見せている。


宗像が、身を乗り出した。

菓子パンを、袋に戻して。


「……おい。天童。これ橋はちゃうやろ」


「ええ」


「橋の下が詰まっとる。水の通り道なんてない。これ堤防や。海を塞いどる」


「堤防堰に、見えますね」


『現在の建設状況は、可動堰を伴う、締切堤の構造を、示しています。国際的に公表されている、吊り橋の設計とは、一致しません』


宗像は、椅子に座り直し。腕も組みなおした。


「……俺らは……ずっと、吊り橋やと、思うとった。ニュースで、そう、言うとったからな」


「最新の情報は違った」


天童は、モニタを、見たまま呟いた。


「こいつには偵察で撮った、今の建設現場のデータが入ってる。だから、国際発表なんて参照していない。ただ、目の前の建設現場が"堰の構造をしている"という事実だけを見てた」


「俺らだけが、吊り橋やと、思い込んどった。っちゅうことか」


「そういうことです」


***


「これで……何が、できる」


天童は、AIに、聞いた。


『間宮海峡を、締め切ることで、アムール川からの淡水の、流路を、制御できます』


「流路を、制御」


『アムール川は、現在、間宮海峡を通じて、オホーツク海に、流入しています。締切堤の水門を、操作することで、その淡水を、日本海方面へ、流すことが、可能になります』


天童は、天井を見上げた。


淡水を、日本海に、逃がす。

オホーツク海に、真水が入らなくなる。

塩分が、濃くなる。

薄い表層の蓋が、なくなる。

そうすれば、オホーツク海は――凍らなく、なる。


「……なあ、天童。俺も質問してええか?」


宗像の声が、いつもより低かった。

天童は首肯を返す。


「スパコンさん。ロシアは、そのアムール川の水を、オホーツクに流すか、日本海に流すか、自分で選べるんか」


『間宮海峡大橋が、完成すれば、可能です』


解析室は、静かだった。

空調の音だけが、低く、響いていた。


天童は、しばらく、そのまま、動かなかった。

それから、ゆっくりと、体を起こした。

コーヒーは、すっかり、冷めていた。


***


橋じゃ、なかった。


スイッチだ。


北の海の、凍る・凍らないを、制御できる巨大なスイッチ。

それを、あいつらは、いま、作っている。

国際社会には、吊り橋だと言って。


ソーラーパネルで、雪を溶かし。

データセンターの、排熱で、海を、温め。

そして、間宮海峡の、堰で、淡水を、操作。


奴らには、オホーツク海が、凍るのを止められる。


三つが、別々の工事に見えて、一つの目的に向いていた。


オホーツク海を、凍らせない。


「……えらいもんに、手ぇ突っ込んだな。お前」


宗像が、ぽつりと、言った。

もう、菓子パンには手をつけていなかった。


「地球温暖化の勉強会やと、思うとったわ。……これ、そういうレベルの話とは、ちゃうな」


「みたいですね」


天童は、キーボードに、手を戻しながら返した。


なぜ、そこまでして、国家プロジェクトを組んでまで海を凍らせたくないのか?

その理由は、まだ、わからない。

だが、それは、これからこの計算が教えてくれるはずだ。


「塩分濃度の変化、計算に、含めてくれ」


『承認しました。パラメーターコンプリート。計算を、開始して、よろしいですか』


天童は、深く、息を、吐いた。


「……頼む」


そして、シミュレーションが、走り始めた。


***


計算には、時間が、かかった。


途中で、宗像の端末が鳴る。当直の、呼び出しだ。


「……周辺監視AIからや。新千歳空港の監視カメラに何か映って、AIが脅威判定を保留にしとる。……なにか動物や、どうせ」


宗像は、面倒くさそうに立ち上がった。


「行ってくるわ。緊急やったら、また、連絡する。……お前は、無理、すんなよ」


「宗像さん」


天童が、呼び止めた。


「今夜のことは……計算が、終わるまでは……」


宗像は、天童を見た。

それから、いつもの、へらへらした顔に戻って、片手を上げた。


「わかっとる。……こんな話は、しゃべれんわ」


宗像は、出ていった。

解析室に、天童一人が、残された。


***


計算の進捗は順調だった。

それでも、時間が過ぎてゆく。


天童が解析室の椅子の上でうとうとしていた。

窓の外が、少しずつ、白み始めていた。

スーパーコンは、休みもせず、延々と、高速で計算し続けていた。


深夜の静かな部屋で、天童はぼんやりと考えていた。


橋だと、思っていたものが、堰だった。

発電施設だと、思っていたものが、傍受装置だった。

データセンターだと、思っていたものが、海を温めるためていた。


この一件は、最初から、そうだった。

全部、別のものの、ふりを、していた。

そして、その、演技が、あまりにも自然で、あまりにも丁寧だった。

誰も、疑わないように。

気づかれないように。

静かに慎重に丁寧に……


――日本人が、あの土地で、働いているからだ。


天童は、ふと、そう思った。


計画を立てているのは、モスクワだろう。

だが、それを、実際に作っているのは、あの占領地の日本人技術者たちだ。

手を抜かず、言われた以上に、丁寧に、美しく、仕上げる。

その、真面目さが、この継ぎ目のない演出を支えている。


彼らの多くも、たぶん、何を作っているのか、完全には理解していないだろう。

ただ、与えられた仕事を、いつも通り、きちんと、やっているだけだ。


天童は、目を、閉じた。


窓の外が、明るく、なってきた。

新しい朝だった。


(第五話へ続く)

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