海のほう
北方部の北海道の本拠地は、新千歳空港のすぐ隣にある。
あまり、目立つ建物ではない。
だが、隠してもいない。
この国では、情報機関が存在するのは、当たり前のことだ。
だから、正面には控えめだが、確かに「内閣官房 北海道方面情報部」と書かれた表札が掲げられている。
そして、その門の前には今日も観光客がいた。
「聖地巡礼」だ。
この本部の建物は、正面の絵だけだが、ある人気ドラマのロケ地として毎回使われている。大物女優が情報部の中間管理職を演じる、あのドラマだ。おかげで建物は全国的に有名になり、ほぼ毎日ファンが写真を撮りにやってくる。もちろん、門の中に入れるはずはない。
天童は、その観光客の間を縫って門をくぐった。何人かが「あ、中の人だ」という顔でこちらを見た。天童は冴えない風体で、何の華やかさもなく、淡々とゲートを通った。
現場としては、観光客が門の前をうろうろしている分には構わなかった。むしろ、ありがたかった。これだけ人がいれば抗議のデモも座り込みも起きようがない。それに、物見高い連中が本当に危険な国境まで興味本位で行ってしまうより、よほどましなのだ。
***
廊下の掲示板に、手書きのポスターが、貼ってあった。
「明日、早朝からテレビの撮影があります。映されたくないものは裏口からお入りください。映りたい人は玄関からどうぞ。 総務部」
「相変わらず感じ悪いのう、総務は」
横から声がした。宗像だった。
同じ班の、小太りの男で関西の出だ。
手に、コンビニの袋を、下げている。
中身はたぶん菓子パンだろう。
「映りたい人はどうぞ、って。イヤミやろ、これ」
「イヤミですよね」と、天童。
テレビに情報部員の顔が晒される。
いくらなんでも、後で注意くらいはされる軽率な行動だ。
「そらそやろ。撮影のたんびに、東京のテレビ局に、振り回されとる。総務の奴らには、ええ迷惑や」
「なあ天童。俺、思うんやけどな。ロシアの相手しとるほうが、テレビ局の相手より、なんぼか、ましやと思わへん?」
「同感です」
「やろ」
宗像は、満足そうにうなずいた。
コンビニの袋から菓子パンを取り出して、かじりだした。
やはり、中身は菓子パンだった。
それから、声を少しだけ落とした。
「……で、お前。道東行ってきたんやってな。Heartlandって会社に」
「ええ」
「あそこの調査員に会えたんか?」
天童は、宗像を見た。
宗像は、いつものへらへらした顔をしている。だが、今は目だけが笑っていなかった。
この男は、時々、こういう顔をする。
「会いました。アレックス、という女性です」
宗像は、菓子パンを、袋に、戻した。
「女性でアレックスか…本名はアレキサンドラかな? 愛称ならアーニャか」
その言葉に、天童は日本で最も有名なスパイのアニメを思い出す。
***
「……お前、会えたんやな」
宗像が、菓子パンを咀嚼しながら、もう一度言った。
「俺な、あの調査員。ずっと、追っとったんや。Heartlandの農業ドローンの会社。そこの人間が、日本の農機具メーカーを、やたら深う調べ回っとる。輸入商社の知り合いから聞いた」
「農機具メーカーを」
「そや。トラクターやら、田植機やら、作っとる工場や。片っ端から見学して回っとる。表向きは、アメリカ製の農機具を日本で売るための市場調査、っちゅう話や。JAに口利きしてくれ、とか言うて」
宗像は、廊下の窓の外を見た。観光客が、まだ門の前で写真を撮っている。
「けどな。俺が何回も接触を試みても、会えへんかったんや。いっつも外に出とる。工場や、畑を、走り回っとって捕まらん。まるで、こっちが会いに行くのを避けとるみたいに、な」
「避けている?」
「そう見えた。……なのに、お前は会えた」
宗像は、天童を、見た。
「たまたま、な。……たまたま、か。ほんまに、たまたまか?」
天童は、答えなかった。
宗像も、答えを求めてはいなかった。
「お前が会えて、俺が会えんかったんは」
宗像は、菓子パンの袋を握りつぶしながら、言った。
「たぶん、意味があるな」
***
調査課に入り自分のデスクに座る。
宗像は隣の席にすわった。
向かいのデスクから芥川が話しかけてきた。
芥川は、小柄で眼鏡をかけた女性で、天童と宗像の後輩になる。
電波情報が専門のSIGINTのセクションだ。
普段は、口数が少なく、何を考えているのかわかりにくい。
だが、専門の話になると、人が変わる。
表情が動き、話す速度が上がる。
それが彼女の、集中の合図だった。
「天童さんに宗像さん。少し、いいですか」
芥川はそう言うと、もう話し始めていた。
「なにかあったの?」
「例のロシア側のメガソーラー施設の解析で分かりました。……あれ、ただの、発電施設じゃないです」
「なんやったんや」
と、宗像が椅子を回して寄ってきた。
「基礎構造部分に、規則的な金属格子が隠されています。太陽光発電には不要な構造です。配置のパターンが――冷戦期の通信傍受施設に似ています。俗に"象の檻"って呼ばれてた、巨大なアンテナ群です」
芥川の、話す速度が上がっていく。
「象の檻やて、そらクラシックやな」
「ええ、昔から重宝されている設備です。今はエシュロンが主流ですけど、まだ使いようがある施設です。つまり、あのメガソーラーは発電しながら、こっちの通信を傍受していますよ。……表向きは、クリーンエネルギー。中身は、諜報施設です」
「すごいね、それ」
天童は、素直に称えた。それから、ふと、思いついた。
「でも、その傍受データって膨大だよね。解析するのに、たくさんのコンピューターが必要じゃないかな?」
「それなんですよ」
芥川は、眼鏡を指で押し上げた。
「北は、大きなデータセンターを作っています。あのメガソーラーの、すぐ近くです。そこで処理していますよ」
「データセンター?」
「それは、俺らも掴んでいるで。……ただ、不思議だったんや。なんで、北海道の辺境にデータセンターを作るんか」
「なんで、なの?」
「土地の問題も、あります。けど――」
芥川は、少し声を落とす。
「冷却が、重要なんです。データセンターは、猛烈に熱を出すんですよ。それを、冷やさなきゃならない。でも、寒冷地なら冷やしやすい。それに――北はオホーツク海の海水で冷やしてるらしいんですよ」
天童は、その一言を、聞いた。
海水で冷やしている。
膨大な熱を出すデータセンター。
その熱を、オホーツク海に捨てている。
天童は、しばらく動かなかった。
***
彼の頭の中で、それまでバラバラだった断片が、急に別の並び方を始めた。
自分は、ずっと"陸"を温めていると思っていた。
ソーラーパネルも、融雪も、局地的な気温上昇も、全部、"北海道のロシア領"を暖かくするためのものだと。農業のため開発のために大地を温めている、と。
だが。
データセンターの、排熱はオホーツク海に捨てられる。
――もしかして。
本当に温めたいのは陸じゃなくて、海のほう、なんじゃないのか。
陸が暖かくなるのは、副産物。
本当の狙いは、海。
オホーツク海そのものを、温めること。
ソーラーパネルとデータセンターは、そのための熱源。
傍受施設は、ついでの機能で、バレた時の言い訳。
実際に、西側日本の一般企業もロシアジャパンのデータセンターを利用している。
一時、使用を規制されていたのだが。今は規制が解除され普通に使われている。
それに対して、米国からの注意も特にはないらしい。
天童は、自分の席に移動して、椅子に深く座った。
だが、次の疑問が起こる。
なぜ、海を温める必要があるのか?
オホーツク海を、温めてロシアは何をしようとしているのか。
そこは、まだ、わからない。
わからないが、"海を温める"という一点に、これまでの断片が全部きれいに収まってしまう。
そのことが、天童には、何か不気味だった。
***
室長の蓮見が、情報解析の功労者である芥川を労っていた。
蓮見は、天童たちの上司。
いつも、どこか、疲れた顔をしている。
事務口調で、皮肉と脱力が同時に滲むような、話し方をする男だ。
「象の檻、か。芥川、よく、見つけたな。地味な解析だが、よく頑張った」
「ありがとうございます。データが、素直だっただけですよ」
「素直なデータを、素直に読めるやつが、少ないんだよ。上に報告しとく。……で、今日は定時に帰れそうか?」
「たぶん」
そんな蓮見に、天童は近づいていった。
「蓮見さん。ちょっと、相談が」
蓮見は、天童の顔を見て、露骨に嫌そうな顔をした。
「……その顔。定時に帰れなくなるやつだろう?」
「スーパーコンピュータの使用を上申したいんです。地球規模の気象シミュレーションが出来るヤツを…」
蓮見は、しばらく天童を見ていた。
「……ずいぶんと気合の入った申請だな。理由は」
「気のせいならいいと思ってます。でも、僕の予想が当たったら、ちょっと面倒なことになりそうなんで…」
「面倒事は、いやだな」
蓮見は、即答した。
それから、深いため息をついた。
「……だが、お前が、その顔で、そう言うときは。大抵、面倒なんだよな。わかった。手続きはしておく」
蓮見がパソコンを操作すると。
「今は、スパコン、順番待ち中だな。回ってくるのは、たぶん、深夜になるぞ」
「じゃあ、残業申請、します」
「ちゃんと、労働時間を、守れよ」
天童は、少し考えてから。
「九時から五時で仕事をする、スパイなんているんですかね?」
蓮見は、パソコンのキーを撃ちながら言った。
「俺も、お前も、そういうスパイだよ」
***
スーパーコンピュータの順番は、やっぱりその日の深夜まで回ってこなかった。
天童は、誰もいない解析室で缶コーヒーを開けた。
本当は、解析室に飲食物の持ち込みはNGだが、誰もがやっているし、それで注意された者はいない。
残業申請は、通っていた。
労働時間を守れ、と蓮見は言った。
だが、こういう仕事に、九時五時もないだろう、とも思う。
窓の外は真っ暗。
ただ、空港の誘導灯だけが、遠くで点滅している。
天童は、キーボードに手を置いた。
海のほう。
もし、この予想が当たっていたら……
(第四話へ続く)




