掃除した部屋
「掃除した部屋」は、情報部の隠語。
意味は「盗聴されない部屋」「盗聴器を取り除いた部屋」だ。
アレックスは日浦に了解を得てから天童を敷地の隅にあるコンテナを改造した小さな小屋に案内した。いや、工作機械やら資材が積まれたそこは、工房に近かった。他には机が一つに椅子が数脚。窓は、断熱材が内側から丁寧にテープで張ってある。
彼女は、入口で、手のひらサイズの機械を、部屋の中に一通りかざしてから、扉を閉めた。
「盗聴器の掃除、ですか」と、天童。
「前にもやりましたが、念のために…もう習慣です」
アレックスは、あっさりと言った。
天童は椅子に座りながら、心中で、また一つ、点を確信していた。農業ドローンの調査員が手早く確実に盗聴器のチェックをしている。
案内だけした日浦は、部屋の中にはいない。「俺は熊を数える仕事があるんでな」と言って、仕事に戻っていった。
政治より、自分のフィールドのほうが大事な男らしい。天童は、その割り切りを、少しだけ羨ましく思った。
***
「単刀直入に言います」
天童は切り出した。彼は、いつもそうする。
「御社の車両を見ました。農業機械に、偽装した装甲車です。ベースは、たぶんM113。金網装甲と、地雷対策の足回り。あれは、戦場を想定した仕様だ」
アレックスは、否定も肯定もしない。ただ、机の上で、指先を軽く組んでいた。
「アメリカは、あの装備を北海道に持ち込んでいる時点で"やる時はやるぞ"というメッセージを出している。でも、表向きは平和的な企業活動というアリバイを崩さない。……違いますか?」
「……よく、勉強してますね」
アレックスは、そう言った。
それは、答えではなかったが、否定でもなかった。
「あなたは、あの装備について、詳しい説明を受けてるんですか」
天童が聞くと、アレックスは少しだけ間を置いた。
「天候と地形に適合できるかの運用データを集めているだけ、ですよ」
「それ、こちらにそれを信じろと?」
アレックスは、答えなかった。
***
窓の目張りの隙間から、細い光が床に落ちていた。
天童は、この女性のことを頭の中で整理していた。
日本人によく似た顔立ち。だが、髪も、瞳も、わずかに色が違う。カラーコンタクトと染めた髪だ。日本語は完璧に近いが、どこかネイティブでない妙な偏りがある。
そして、何より――思ったことを巧妙に隠す。
天童とは、正反対の人間だった。
天童は、思ったことを、すぐ口に出す。
この女性は、思っていることを口に出さない。それを周囲に悟らせない。
隠さなくていいことは、滑らかに話すが肝心な情報は流さない。
そつなく上手に話せる人間だが、隠すべきことの隠し方も上手い。
天童は、訓練されている、と感じた。
「まあ、いいです」
天童は、言った。
「あなたが何者かは、そのうちわかる。いま知りたいのは、あの故障したドローンのことです。あれはなぜ落ちたんですか」
アレックスは、少し、意外そうな顔をした。それから、初めて、仕事の顔になった。
「制御系が飛んでます。モーターは正常。つまり、機体の故障じゃない。外から何かをやられてる。GPSのスプーフィングか、指向性の電磁パルスか。……このあたりで飛ばすと、特定の場所で決まって落ちるらしいんです」
「特定の場所」
「メガソーラー施設の周辺……」
天童の中で、また一つ、点が増えた。
***
その日の夕方、天童は日浦の調査に、同行させてもらうことになった。
アレックスも一緒だった。彼女と日浦は、去年からオンラインの技術者コミュニティで知り合いだったという。
モーター制御と画像解析の話で、意気投合したとか。
同じ北海道で仕事をしていることが最近わかって、先週に初めて、実際に会ったのだそうだ。
国境も所属も関係なく、技術の話だけで繋がる。
そういう関係が、あるらしかった。
天童には、少し、縁の遠い世界だった。
彼が人と繋がるのは、いつも、組織を通してだった。
軽の四輪駆動車で、荒れた林道を走る。
窓の外は、鬱蒼とした二次林。
人の手が入らなくなって、勝手に育った森だ。
「このあたり、昔は牧場だったんですよ」
日浦が、ハンドルを握りながら、言った。
「国境ができて、人がいなくなって、放っておいたら、森に戻った。今じゃ、熊の楽園。……で、俺たちは、その熊が何頭いるのか、数えてる。ドローンで、上空から…」
「その、ドローンが、よく落ちるわけですね」
「そう。おかげで、予算が足りなくなる」
日浦は、笑った。
だが、天童は笑えなかった。
熊を数えるための無害なドローンを、なぜロシアジャパンが落とすのか。落とす側には、落とすだけの理由があるはずだった。
***
調査地に着くと、日浦は、ノートパソコンを開いた。
「これ、見てよ」
画面にグラフが表示された。気温の経年変化。
「うちは、熊の生態を調べるついでに、環境データも取ってるんだ。で、これがこの一帯の過去十年の平均気温」
天童は、グラフを見た。素人目にも、はっきりと、右肩上がりだった。
「温暖化ですか?」
「まあ、普通はそう考えますよね。でも、変なんだよ」
日浦は、別のグラフを、重ねた。
「これが、全道の平均気温。緩やかに上がってる。温暖化の範囲内です。でも、うちが調べてる国境沿いの一帯は、明らかに上がり方が急激なんだ。それだけじゃない」
彼は、さらに、別のデータを出した。
「降雪量。これも、この一帯はここ数年で、はっきり減ってる。雪解けも、早くなってる。おかげで植生が変わってきて、熊の行動範囲まで変化しだした。……局地的に、国境から北が暖かくなってるようなんだ。なんでか、俺にはわからんですけどね」
天童も、そのグラフを見ていた。
国境沿いの、この一帯だけが局所的に暖かくなっているのか?
隣で、アレックスも画面を覗き込んでいた。彼女は何も言わなかった。だが、その横顔は何かを考えているようだった。
***
その夜、三人は日浦の調査拠点で、簡単な食事をとることにした。
一番近いコンビニまで車で一時間弱。
インスタントの味噌汁と、コンビニ弁当を買う。
精算カウンター上のサイネージには『ロシアうまいもの市 開催中 オホーツク海鮮弁当がリニューアル』の表示が流れている。
天童は、一瞬だけオホーツク海鮮弁当に興味が出たが、値段を見て興味を失った。
コンビニの外は、すでに真っ暗。
人工の光は国境の監視塔のライトだけ。
天童は、ふと思ったことを口にした。
「もしかして、なんですけど」
二人が、彼を見た。
「ロシアは、北海道を温めようとしてるんじゃ、ないのかな?」
言ってから、天童は。馬鹿にされるかな、と一瞬だけ考えた。
突飛な話だ。ソーラーパネルが、装甲車が、ドローンの墜落が、気温の上昇が…全部が頭の中で勝手に繋がって口から出た。
根拠は、何もない。
だが、日浦は、馬鹿にしなかった。
「……あー。それは、あるかもしれんな」
彼は、味噌汁をすすりながら呟く。
「暖かくなれば、このあたりでも普通の農業ができるようになる。今は寒すぎて、作物を選ぶからな。ロシア側の、あの広い土地が小麦畑になったら、そりゃあ、でかいよ。人が暮らすにも暖かいほうが、楽だろうし」
「ただの思い付きですよ」
天童は、あえて呟いた。
暖かい北海道。
暖かい極東ロシア。
農業と、土地の開発。
それで、辻褄は合う。
その場では、このもっともらしい結論に、なんとなく落ち着いたようだった。
だが――
天童は、ふと、アレックスを見た。
彼女は、味噌汁のお碗を両手で包んだまま、黙っていた。
うなずきもせず、否定もせず。ただ、じっと、暗い窓の外を、見ていた。
その表情には、何か、まだ、言っていないことがありそうだった。
彼女は、たぶん、"農業と開発"の、その先の、何かに、多分だが、気づいている。いや、もしかして知っているのかもしれない。
だが、彼女は何も言わない。
***
翌朝、三人は、別れることになった。
「今回の件、レポートにまとめて提出するつもりだ」
日浦が、言った。
純粋に、学者として、観測した事実を発表するつもりらしい。
「ロシア側のソーラーパネルが、温暖化を局地的に促進してる。生態系に、影響が出てる。そういう警告のレポートを」
「いいですね」
天童は、あっさり同意した。
だが、アレックスは違った。
「表現には、気をつけなさいよ」
彼女は、静かに注意した。
「いらない刺激をしたら、マークされるわ。あなた、もっと、ここでフィールド活動したいでしょう」
日浦は、きょとんとした。
「俺が? スパイに、目をつけられるの?」
「こんなところでフィールド活動してて、目をつけられないと思います?」
「……そういうもんなの?」
「そういうもんです」
日浦は、腑に落ちない顔で、頭をかいた。
天童は、その日浦の暢気さを、少しだけ羨ましく思った。
彼は、自分が"見られている"ことに、まるで気づいていない。
この国境沿いの荒野で、熊を数えているだけで、とっくに誰かの視界に入っているというのに。
蜘蛛の巣にかかった蝶は、自分が糸に触れていることに気づかない。
天童は、そう思いながら車に乗り込んだ。
*
北方部の本部へ戻る道すがら、天童の頭の中では、いくつもの断片が渦を巻いていた。
装甲車。ドローンの墜落。
局地的な、気温の上昇。
ソーラーパネル。
そして、"温めようとしている"という、自分の思いつき。
農業と開発。それで、辻褄は合う。
だが、あのアレックスの沈黙。
彼女は、何を、見ているのだろう。
天童は、その横顔を思い返しながらハンドルを握った。
答えの出ない問いは、いったん、脇に置くことにした。
考えても仕方のないことを考えるのは、時間の無駄だ。
車は、国境の荒野を離れ、南へと走っていく。
(第三話へ続く)




