表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第二章 精霊王の四季

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/12

第8話 母の道具は、十年働いていた

十年間働き続けた道具へ、最初にしてはいけないことがある。


 いきなり外すことだ。


 私は母の器具へ伸ばしかけた手を引っ込めた。


 透明なひびは、金属の両端でかろうじて止まっている。外せば、道具そのものは調べられる。


 代わりに、精霊王の歯が二つに割れるかもしれない。


 道具を調べる代わりに、患者の歯を割る。


 治療中に選ぶ交換条件としては、かなり悪い。


「そのままでいて」


 道具へ言った。


 古い鏡が、季節の光を鈍く返す。


 返事はない。


 道具は嘘をつかないが、説明もしてくれない。


 私は可動鏡で角度を変えながら、母の器具と黒い根の位置を記録板へ写した。


 黒い根は四本。


 春の地面では細かな枝を増やし、夏の場所では光を吸い、秋の葉の下では色を失い、冬の土では硬く縮んでいる。


 季節に合わせて、形まで変えていた。


 中心だけを引けば、四本とも動くだろう。


 同時に、四か所が痛む。


 寝台で開いた四枚の葉を思い出す。


「一度に抜くのは駄目ですね」


 命綱を二度引いた。


 二度、返る。


 今度は早い。


 足元の草が伸び始める前に、入口へ戻った。


 輪を越えると、ヴァルドが私の外套をつかんで引き出した。


「自分で出られます」


「先ほどは、春に食われかけていたそうだな」


「見えてたんですか」


「綱の動きでわかる」


「では、三回の合図へもっと早く返事を」


「貴様が止まらぬのもわかっていた」


 患者側の歯医者理解が深まっている。


 喜ぶべきかは、保留したい。


「中に、古い器具が残っています」


 記録板を、寝台脇の机へ置いた。


「ひびの両側へ爪を掛けて、広がるのを止めてる。中央の継ぎ手は、母の道具と同じ形です」


 ヴァルドが記録板を見た。


 金色の目が動かない。


「知っている道具ですか」


「エルナが、余の牙にも使った」


「では、母は治療に失敗して、全部壊したわけじゃない」


 ノエが机へ手をついた。


「事故の記録を疑うのですか」


「記録と現物が違います」


「十年前の器具を、見間違えている可能性は」


「あります。だから、現物と記録を並べます。記録を見せてください」


「部外者には――」


 寝台から、残った三枚の葉をつけた蔓が机まで伸びた。


 細い蔓はノエの手首へ巻きつき、記録板の絵へ導く。


 ノエは長く黙ったあと、蔓へ額を寄せた。


「……陛下のご命令として承ります」


 案内された記録室は、塔の根元にあった。


 壁も棚も白い木でできている。紙の代わりに乾いた葉が重ねられ、一枚ごとに細かな文字が刻まれていた。


 ノエが最奥の棚から、白い根で封じられた箱を下ろす。


「原記録は、王都の調査官がまとめたものです。調査後に塔へ返されましたが、現王の命令なしには開けません」


「侍医長でも?」


「私が読めたのは、塔へ残された要約だけです。事故当時は見習いで、治療区画の外へ避難していました」


 ノエの手首に巻かれた蔓が、箱へ触れた。


 白い根がほどけていく。


 ノエが十年前の束を机へ置く。


 一番上には、母の名があった。


 エルナ。


 見慣れた名前なのに、他人の記録にあるだけで喉が狭くなった。


「事故当日の記録です」


 私は一枚ずつ読んだ。


 先代精霊王の歯にひび。


 季節の乱れ。


 人間の治療師が内部へ進入。


 その後、器具が破損し、王の力が暴走。治療師は退避命令に従わず死亡。


 最後に、こうある。


 持ち込まれた器具はすべて破壊され、回収不能。


 その下には事故後の処理として、鏡二本、留め具一組、手回し器具三本を調査官へ引き渡したと記されていた。


 回収できなかった物を、どうやって数えて送ったのだろう。


 数が合わないだけなら、書き間違いで済む。


 回収不能と引き渡し済みが、同じ葉に並んでいるのは、書き間違いでは済まない。


「塔の要約にも、この二つが?」


「回収不能とだけ。引き渡しの目録は、この原記録で初めて見ました」


 少なくとも、塔の者は二つを並べて読む機会すらなかった。


「違います」


「何がです」


「一本は、今も働いてる」


 私は記録板の絵を隣へ置いた。


「ひびを広げた器具じゃない。歯が割れるのを十年間遅らせた器具です」


 ノエの唇が固くなる。


「事故のあと、残った道具は調査のため王都へ送られたと聞いています」


「町の記録でも、そうなっています」


「なら、この記述は」


「少なくとも、現物を確かめずに書かれた」


 葉をもう一枚めくる。


 文字の色が、途中で変わっていた。


 事故の経過は淡い茶色。母を無謀と断じる最後の三行だけ、黒に近い。


「これ、同じ日に書かれていますか」


 ノエが葉を光へ透かした。


「……最後だけ、樹液が新しい。数日後に追記されています」


「確認できるのは、追記の時期が違うことまでです。書いた者と目的は、まだ推測に分けます」


「はい」


 工具を取り上げようとした人は、推測へ向ける刃も鋭いらしい。


 道具だけではない。


 記録も、あとから形を変えられていた。


「ヴァルド」


 私が振り向く前に、彼は答えた。


「余がエルナを推薦した」


 記録室の入口に、白髪の大男が立っている。


「先王の季節が乱れ、他の治療師では届かなかった。余の牙を治した者ならばと、余が名を出した」


「母が中へ入ったとき、あなたは」


「境界の外にいた。王同士の力が触れれば、先王も余の国も傷つく。追うことはできなかった」


 ヴァルドの右手が、ゆっくりと拳を作った。


「エルナは、黒いものを見つけたと告げた。その直後、四季が一度にあふれた。余は綱を引いた」


「母は?」


「戻らなかった」


「なぜ」


「自ら綱を切った」


 一瞬、意味がわからなかった。


「境界を閉じると言った。力を外へ漏らせば、塔だけでは済まぬと」


「命綱が、入口を支えていたんですか」


「違う。境界を支えていたのは輪だ。余が引けば、エルナは入口へ戻され、内側の留めを外せぬ。あやつは綱を切ってその場に残り、輪の内側の爪を外した」


「それで、入口が」


「閉じた」


 母は、患者の声を聞けと言った。


 その母が、自分の声を外へ届かなくした。


「誰にも、手伝わせなかったんですね」


「余には、止められなかった」


 謝罪ではなかった。


 十年間、言えなかった事実を机へ置く声だった。


 今すぐ許せるかと聞かれれば、無理だ。


 責める言葉なら、いくらでも出る。


 けれど、今ここで責めるだけなら簡単だった。


 脇袋の小瓶が、割れそうな勢いで鳴った。


 塔が大きく揺れる。


 寝殿の方で、硝子の割れる音がした。


 寝台から記録室まで伸びていた蔓の葉が、一斉に黒ずんだ。


 私は走った。


 寝殿へ戻ると、入口の輪の向こうで、母の古い鏡に一本の亀裂が走っていた。


 十年間耐えた金属の爪が、片側だけ外れている。


 黒い四本の根が、待っていたように白いひびへ食い込んだ。


 アステルの目が、一瞬だけ開く。


 春、夏、秋、冬。


 四つの色が、瞳の中でぶつかっていた。


「いっぺんに、抜かないで」


 かすれた声だった。


 直後、白い枝が寝殿の床を突き破った。


 私の頬を、硬い木の先端が浅く裂く。


 床へ落ちた血を見て、ヴァルドの金色の目が赤く染まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ