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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第二章 精霊王の四季

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第9話 竜王は、守るときほど危ない

竜王が怒ると、空気が熱くなる。


 これは知っていた。


 知らなかったのは、怒りの原因を焼き終えても、熱が止まらないことだった。


「下がれ」


 ヴァルドが私の前へ出た。


 人の姿のまま、右腕だけが黒鉄色の鱗に覆われる。


 床を突き破った白い枝が、槍のように曲がった。先端は私ではなく、入口の輪へ向いている。


「壊さないで! 患者の防御反応です!」


「わかっておる」


 答えながら、ヴァルドは枝をつかんだ。


 赤い火が右腕から走る。


 枝は一瞬で炭になった。


 寝殿の壁が割れ、二本目、三本目が入ってくる。窓の外では、塔を囲む森そのものがこちらへ身を乗り出していた。


 ノエが両手を床へつく。


「鎮まりなさい! 敵ではありません!」


 枝の表面に霜が広がる。


 けれど、次の瞬間には夏の熱で溶けた。


 アステルの四季は、命令を聞ける状態ではない。


 ヴァルドが一歩進む。


 床板が、足の形に黒く焦げた。


「ヴァルド、入口の輪だけ守ってください!」


「余へ指図するな」


「必要な手順です!」


「ならば、黙って伏せていろ」


 炎が寝殿を横切った。


 迫っていた枝だけを焼き、壁の手前で細くなる。火の扱いは正確だった。


 少なくとも、最初は。


 枝が止まった。


 森が、竜王を避けるように塔から離れていく。


 もう、燃やす相手はいない。


 それでもヴァルドの腕から、赤い光は消えなかった。


「陛下、森が退いています!」


 ノエが叫ぶ。


「また伸びる」


「今は止まっています!」


「根まで焼けば、二度と伸びぬ」


 ヴァルドは会話ができている。


 私が誰かも、ここがどこかもわかっている。


 理性を失ったわけではない。


 危険が残っているという判断だけが、森が退いても変わらない。


 だから、窓の外で火の線が広がり続ける。


 春の若葉が燃え、夏の枝が乾き、秋の葉が火の粉になった。冬の雪だけが一瞬耐えて、湯気へ変わる。


 塔の向こうまで焼けば、精霊王の国土を守るものがなくなる。


 その熱に引かれ、入口の輪の奥で黒い根が太くなった。


「やめて!」


 ヴァルドは振り向かない。


 私の頬から落ちた血が、床で乾いている。


 彼がそれを見てから、火は強くなった。


 守ろうとしている。


 私を。


 だから、必要なところで止まれない。


 腰の短い鉤綱を抜き、ヴァルドの左腕へ巻きつけた。


 一度。


 二度。


 三度、強く引く。


「止まってください!」


「危険は残っておる」


「三回は止まる合図でしょう!」


「あれは治療中の合図だ」


「今、一番治療が必要なのはあなたです!」


 ヴァルドの金色の目が、ようやくこちらを向いた。


 赤い光が混じっている。


 怒りだけで変わった色ではない。


 竜の力が、瞳まであふれていた。


「私はここです」


 綱を、もう一度引いた。


「あなたの後ろにいる。もう、枝は私へ届いてません」


「また来る」


「来たら、そのとき必要な分だけ焼いてください。今の火は、アステル陛下の痛みを増やしてる」


 寝台の上で、アステルの身体が震えた。


 残った三枚の葉は、すべて縁から焦げ始めている。


「守る相手を、間違えないで」


 ヴァルドの右手が開いた。


 炎が細くなる。


 すぐには消えなかった。


 窓枠。床。私の血。寝台。入口の輪。


 確かめるように一つずつ見て、最後にアステルへ視線を止める。


 赤い光が消えた。


 静かになった寝殿には、焦げた木と冬の湿気が混じった、ひどい匂いが残った。


「……余は、必要な処置をした」


「必要な範囲の三倍くらいです」


「二倍だ」


「そこ、交渉するところですか」


 ノエは笑わなかった。


 当然である。


 塔の壁は片側が崩れ、その向こうに黒く焼けた森が見えていた。


「竜王陛下」


「賠償はする」


「金で季節は戻りません」


「余の国から土と職人を送る」


「職人は、工具店にも一人います」


 私が口を挟むと、二人が同時にこちらを見た。


「今は森より歯です。古い支えが外れたら、どちらも戻せなくなる」


 作業台代わりの机へ、持ってきた金具を並べる。


 四本の黒い根は、一度に抜けない。


 母の器具は、もう片側しか残っていない。


 必要なのは、ひびを先に支える新しい器具と、四本を別々に扱う鉤だった。


 新しい支えへひびの重みを移してからでなければ、母の器具には触れない。


 輪状の留め具に使った予備の金具を四つに分ける。可動鏡の替え軸を横木にし、四本がそれぞれ動く小さな腕を作る。


 ただし、金属だけでは精霊王の歯へなじまない。


「ノエさん。陛下の葉を四枚、いただけますか」


「先ほど一枚使ったでしょう」


「四つの季節へ一本ずつ必要です」


「陛下のお力を、これ以上――」


「嫌なら渡さないはずです。本人に聞いてください」


 ノエは寝台へ向いた。


 焦げかけた三枚の葉の隣で、新しい芽が伸びる。


 芽は、春、夏、秋、冬の葉を一枚ずつ開いた。


 四枚とも自分から枝を離れる。


 一枚はノエの掌へ落ち、残る三枚は私の作業台へ落ちた。


 ノエは掌の一枚を見つめた。


 それから、自分の判断で残りの三枚へ並べた。


「……陛下は、あなたに使えと」


「では使います。切った葉は戻せません。でも、根元を残せば、陛下が休んだあとに生え直します」


 葉脈を細く裂き、四つの腕へ巻く。


 春は、柔らかく伸びる。


 夏は、熱を受けても弱らない。


 秋は、引く力へ粘る。


 冬は、形を固く保つ。


 同じ葉でも、働きが違う。


「外から、痛みを教えてください」


 私はノエへ命綱を差し出した。


 彼女は受け取らなかった。


「竜王陛下ではなく、私に?」


「ヴァルドは、今は火を冷ます仕事があります」


「余は平静だ」


「床に足跡が焼きついてます」


 ヴァルドが黙った。


「ノエさんは、陛下の四季を知ってる。葉の変化を見て、春、夏、秋、冬の順で、短く綱を引いてください。危険なら、強く引いたまま離さないで」


 短く一回から四回で、季節を知らせる。


 強く引き続けたら、作業停止。


 回数と引く長さが違えば、秋の三回と停止を取り違えない。


「確認できたのは、陛下があなたへ葉を渡したことです。あなたが安全だという証拠にはなりません」


「私もです」


 ノエの眉が上がった。


「でも、アステル陛下は二人とも使う気みたいです」


 寝台から細い蔓が伸び、私とノエの手首を一周ずつ結んだ。


 ノエはようやく、綱を取った。


 床の鉄輪でも、竜王でもない。


 三か月前なら、絶対に預けなかった相手だった。


「必ず戻りなさい」


「引くのが遅くなければ」


「強く引き続けたら、今度こそ止まりなさい」


 まったく信用されていない。


 条件としては、お互い様だった。


 私は新しい四本腕の器具を工具鞄へ入れ、入口の輪をくぐった。


 森の中央で、母の古い器具が音を立てる。


 残った片側の爪が、今にも白い壁から抜けようとしていた。

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