第68話 母は、一人で扉を閉めた
母の名は、記録の最初で「治療師」、途中で「試験協力者」、最後で「無謀な人間」になっていた。
紙を並べた順に読むと、一人の人が悪くなっていくように見える。ユーディトは一枚ずつ日付を教えた。最後の三行だけ、母が死んだ後に足されている。
「誰が書いたんですか」
「私です」
部屋の空気が止まった。
ユーディトは逃げなかった。白枝塔の書記とノエが見ている前で、自分の署名を指す。
ノエが三行の下へ、事故当日に書かれた頁を重ねた。母が何をしたかを記した箇所と、後から母を裁いた箇所。紙の色も、筆圧も違う。私は最初から読み直した。
「先代王の歯へ入れた試験片は、王宮の評議が許可しました。王本人へは、負荷を分ける補助器具とだけ説明した。黒い材の試験であることは、伏せられました」
王側の許可印は本物だった。母が処置へ入る五日前の図にも、黒い部品の輪郭がある。父は外側の支えを作り、図を受け取っていた。
試験片の製造欄には王宮の試験工房の印があり、父の二本刻みは外側の留めにだけ残っていた。私が持ち歩いてきた黒い欠片も、父が作ったと決める証拠はここにはない。けれど王本人へ何を入れるか説明した欄は、空白だった。
「母は知っていた?」
「黒いものは、処置の五日前に見つけています。中で力が増したとき、外へ知らせる紙を出しました」
ノエが保管箱から細い紙を出した。文字は母の筆跡だ。『内側で力が一方向へ増える。外側の綱担当にも図を渡して』。受領印がある。宛先の欄は、空白だった。
「これは、誰が受け取ったんですか」
「私です」とユーディトが言った。「王宮の許可を取り直すまで、外へ出せませんでした」
母は頼んでいた。その返事は届かなかった。頼んだ記録が残っていても、助けが来なければ同じだった。
父は図を持ちながら、ヴァルドへも綱を扱う者へも見せなかった。母は外へ伝えようとした。それでも、返事を待たずに治療を続けた。
十年前の先代王は生き残り、国土との接続を失って退位した。母の器具が崩壊を遅らせたからだ。記録には、そこまでの測定も残っていた。
「成功したんですね」と私が言う。
「王の命は救った」とノエが答えた。「けれど、本人は帰らなかった」
最後の頁には、命綱が切れた位置と入口の輪の留めが外された時刻がある。母はヴァルドの引き戻す綱を切り、内側から輪の留めを外して境界を閉じた。綱を切るだけで入口が閉じるわけではない。力が外へ漏れれば塔の住民を焼くと判断したのだ。
「誰かに代わってもらえたかは、分からない」とヴァルドが言った。「余は、手を放さなかった」
彼にもできなかったことがある。母の頼みには、返事が届かなかった。紙の上では二人の手が、同じ綱を反対へ引いていた。
ユーディトが別の移管票を置いた。押収した母の手回し器具が、王都の保管から王なき工房へ渡る。その引渡し印も彼女のものだ。
「記録の順を変え、器具を渡した理由は?」
「再び王の歯だけへ負荷を集めれば、次の死者が出ると思いました。止める方法を持つ職人へ渡した」
「患者と職人に知らせずに?」
「知らせれば、王宮は封じたでしょう」
理由は分かる。分かっても、母の名を『無謀』へ書き換え、道具を他人の口へ入れる権利にはならない。
「この紙も、順番どおりに公開してください」
「戦争中です」
「今の事故だって、順番を変えられました」
ユーディトは返事をせず、自分の署名の横へ鉛筆で小さく印を付けた。私には、母が一人で扉を閉じた時刻が、何度見ても消えなかった。




