第66話 炎の先に、三つの火山がある
ネッサの赤い布は、戦場では小さかった。
それでもヴァルドは見ている。彼が私たちを見分けられないわけではない。見分けた上で、土手にまだ敵がいると決めている。
「東岸の兵は下がっています」
ヴァルドはうなずいた。
「ならば、戻れぬよう土手を焼く」
会話が通じることと、止まれることは違った。
アステルが霜を引き、セイルも船を岸から離した。力を下げる合図を、二人へ別々に見せる。二人が従った分だけ、ヴァルドの炎が広く見えた。
「リタ、そこから下がって」
アステルの声で、私は自分が土手の上に立っていると気づいた。足元には、焼けた麦の穂が残っている。先端を持つと、灰になって崩れた。
西岸から伝令が走ってきた。ヴァルドの国の火山で、火口の外に赤い亀裂が走ったという。彼の歯は三つの火山を抑えている。ここで吐く熱は、戦場だけの熱ではない。
私は伝令の紙を、ネッサへ渡した。
「そちらから見せて。私の声より、火山の場所が分かる」
布の隣に地図が広がる。ヴァルドの瞳が一度動いた。
「余の国は、守る」
「はい。そのために聞きます。今、どこが痛みますか」
十年前に母が使い、私も最初の治療でようやく覚えた質問だった。今度は歯の治療ではない。だから答えを先回りして決めてはいけない。
ヴァルドはしばらく黙った。
「翼は、些細な傷だ」
「翼以外」
「……見ておるのに、止まればそなたを失うと思う」
赤い光が、目の奥で揺れた。
「土手の兵を焼いても、私の頬は治りません。子どもが戻る畑も」
ネッサが布を三度振る。攻撃を止め、周囲を見直すための合図だ。
セイルの船では、兵と一緒に粉袋を拾う人が見えた。アステルが焼けた畑へ霜を置くのをやめる。霜を足しても麦は戻らないと、彼女自身が判断した。
ヴァルドは私へ向けていた翼を下ろし、兵舎のほうを見た。炎が喉を通って、戻る。長い呼吸の末、彼が自分の名で言った。
「余は、焼かぬ」
言葉が先だった。熱が完全に引くまで、さらに何呼吸もかかった。ネッサは布を下ろさない。セイルは川を静かに保ち、アステルは両岸の負傷者を倉へ運んだ。
火山からの二報目が来た。赤い亀裂は広がる前に止まった。被害なし、とは書かれていない。火口沿いの家には退避の鐘が鳴った。
「余が選んだ」
ヴァルドの声は、いつもより低い。
「そうです。私たちだけでは、止められませんでした」
傷つけた畑の持ち主は、誰が何を選んだかより、明日食べる物を知りたいだろう。私は灰を払い、東岸へ渡す食料札を拾った。




