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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第七章 父の工房

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第56話 王を迂回する橋

 父は次の頁を見せる代わりに、水車のほうへ私たちを連れ出した。


 逃げたのかと思った。けれど父は、先日私が引いた白墨の線を確かめ、先に秤の女の人へ声をかけた。


「一刻だけ水を細くする。今の荷が挽き終わってからでいいか」

「その間は手で挽くよ。終わったら声をかけておくれ」


 父は了承を待ってから、脇水路の小さな板を上げた。水車の音が低くなる。


「ここは、古い軸が全部を受けていた」

「今は枠へ分けています」

「お前がやった」


 父は、私が借りた滑車の枠を指した。仮支えにすぎない。傷んだ軸受けを取り替えずに済むわけではない。


「王の歯も同じだ。国土の揺れも季節も、一人の身体に集まる。病めば、畑へ返る」


 反論できない。私が診た王たちが、そうだった。


 父は別の板を水路へ差し、車輪を通らない細い流れを作った。水が二手へ分かれる。


「王の歯から土地へ向かう力を、国境の中継点へ回す。先でまた小さく分ける。王が寝ても、土地は急に倒れない」


 水車は遅くなったが、止まらない。畑のほうへ向かう溝にも水が残る。


「本当にできるなら、助かる人はいます」

「助かる。それを十年前から言っている」


 父の手が、二枚目の板へ伸びた。


「待って。そっちはまだ受けがありません」

「見るだけだ」


 細い水路の出口には、古い石の縁しかなかった。父が板を少し傾けると、水はそこへ集まり、泥を削った。私はしゃがみ込んで板を戻した。


 秤の女の人が、挽き終わった粉袋を抱えて角を曲がった。父はすぐ泥の筋へ木片を当て、袋の置き場へ水が行かないよう流れを切った。


「ここ、濡らしたら売れないんだよ」

「分かっている。試して悪かった」


 父が止めたのは、目の前にある一袋だった。


 白墨の線がずれている。


「これで、石が動きました」

「だから実物には、先に受けを置く」

「受けがずれたら」

「戻すための板もある」

「戻すまで、誰の畑へ流れるんですか」


 父は水面から目を上げた。


「短い間なら、上手側の畑へ余計な冷えが出る。道も一時閉じるだろう」

「今、収穫が遅れている土地です」

「知っている」


 知っているのに、その声は揺れなかった。


 父は工房へ戻り、今度は自分から綴りを開いた。設置する橋の図がある。山岳輸送所から北へ向かう道の、赤石橋。


「両岸の王領を分ける古い境界石が、橋脚の下で接している。季節が変わると、橋脚の片側だけ凍る」

「それが、力の通り道だと?」

「私はそう測った。だから橋の腹に受けを置ける」


 父の測りが正しければ、王の歯を通る流れへ国境から手を入れられる。少なくとも、父以外がこの橋脚を確かめた記録は見せられていない。


 図では橋の腹へ継ぎ枠を付け、旧い流れを先に絞ってから受けへ渡す。私の目が止まったところへ、父の指が来た。


「ここは一度に締めない。お前が鉱王の歯でやったのと同じだ」

「私の仕事を知ったのは、先日見せた写しからだけでしょう」

「寸法がそう言っている」


 褒められたかったはずの腕を、父の図から引き離したくなった。


「誰が止めるんですか。橋の向こうの人も」

「現場に停止板を渡す。私も立つ」

「橋を渡る荷車には?」

「施工の間、止める」

「何時から」


 父の指が頁をめくった。輸送所の出発表と似た時刻が並ぶ。明け方、穀物便が山を下りる時間に、赤石橋への継ぎ枠を運び込む予定だ。


「その便、聞いてません。昨日、輸送所でも」

「工房の荷として通す。現地の監督には設置前に伝える」

「運び手は、橋へ着いてから知るんですか」


 父は答えを少し遅らせた。


「先に知らせれば、止められる。王の歯へ戻す道しか認めない者もいる」

「そりゃ止めますよ。自分の荷と畑が、試す間の受けになるなら」


 ヴァルドが頁を覗き込む。父は隠さなかった。


「余が各地を一人で支えられぬのは事実だ。余の命で土地を戻せるとも言わぬ」


 そこで一度、彼の声が切れた。


「だが、余の歯を理由に民の道を黙って塞ぐな」


「王に知らせてからでは、工事は進まない」

「余ではない。橋を使う者へ言え、と申した」


 父の視線が、私へ移った。


「来てくれ。お前が受けを見れば、失敗を減らせる。設置が終わったら、荷も通す」


 私は図の端に置かれた母の古い受け番号を見た。十年前の道具から、今の橋へ続く線がある。でもそれは、父の仕事を私まで受け継ぐ理由にはならない。


「私が直したいのは、失敗したあとだけじゃありません」


 父は頁を閉じなかった。


 明け方まで、まだ時間はある。橋を使う人たちが知らないままなら、その時間は父のものだけだ。

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